銀行員、博士、学生…バラバラのスタート

小野裕史(以下、小野):インフィニティベンチャーズの小野と申します。よろしくお願いします。二つ目のテーマは「Let's start up !」ということですが、スタートアップといっても起業するだけではなく、皆さん学生の方が多いようですが、これから社会人になり色々なチャレンジがあると思うので、スタートアップというキーワードで今日は御三方に話をしていただこうと思っております。

どうやって話していこうかといった中で、わかりやすく5W1H方式で、なぜスタートアップするのかだとか、いつするのかだとか、どうやってするのかだとか、じゃあ始める時に誰とするのかだとか、じゃあ何すればいいのといった話を、この後それぞれ御三方のプレゼンテーション、自己紹介をしてもらった後で、パネルディスカッションをしていく流れにしていければと思います。早速ですが、御三方にご登壇いただきましょう。拍手でお迎えください。(場内拍手)

伊佐山元(以下、伊佐山):WiL共同創業者CEOの伊佐山です。よろしくお願いします。

柴田尚樹(以下、柴田):SearchMan共同創業者の柴田です。よろしくお願いします。

古川健介(以下、古川):株式会社nanapi代表取締役の古川です。よろしくお願いします。

小野:順番にこの御三方にスタートアップというキーワードについて、自己紹介もかねてプレゼンテーションいただくのですが、勝手に私が気になっていることがあります。それぞれこうやってスタートアップしているのですが、最初伊佐山さんは銀行というスタートから始まって、柴田さんは大学の博士課程から、古川さんは学生のうちから起業されています。このように非常にバラバラなスタートから、結果的にそれぞれが独立しているという多彩な話を聞けるということで、今日は僕自身も楽しみにしています。

早速トップバッターの伊佐山さんからプレゼンテーションをスタートして頂こうと思いますので、準備はよろしいでしょうか? スタートアップというキーワードですけれど、色々な選択肢があるということで、まずは伊佐山さんにお願いします。

「銀行員」を捨ててベンチャーキャピタルに

伊佐山:僕は日本とアメリカでベンチャーをここ15年くらい見ていますので、まずは素朴に「ベンチャーって一体何?」という所をいくつか数字を使って見ていこうと思います。日米でベンチャーという言葉を使う時に、実際にどれくらいの規模のビジネスのことを言っていて、社会にとってどれくらいの意味があるのか、ベンチャーでわざわざトライする意義が何なのかということを、多少数字を使って、自己紹介を兼ねて説明していきたいと思います。

まずは、自己紹介をします。これは一番かっこよく写っている写真を選んだのですけど、近所のスタンフォードという大学で撮った写真です。もともとでいうと、学生時代、92年に我が家にスタンフォード大の学生が二人ホームステイしてきたんですね。その二人がエンジニアで、たまたま大学のプログラムで日本に来て、ホームステイ先が我が家だったということなのですけど、その時に三人でソフトウェア開発のベンチャーをやっていました。

単純にいうと、その頃はまだインターネット時代ではなかったのですけど、三人でパソコンを使って中小企業の在庫管理システムを作るという非常にベタな下請け的な仕事をしていました。ベンチャーというと大げさですけど、お小遣い稼ぎでアルバイトする代わりに、こういうことを経験しました。結局就職先は、日本興業銀行(現:みずほ銀行)というめちゃくちゃ堅い感じの会社で、銀行員になりました。

残念ながら僕が就職した頃の90年代中盤は外資系のコンサルとかの選択肢がないに等しかった時代で、特に私の出た東京大学の法学部は半分ぐらいが公務員か政治家志望だったり、司法試験を受けて弁護士になったり、逆に民間企業に行く人すら少ないという状況でした。外資系とか、横文字のコンサルは、そもそもダメなヤツが行く所だ、という今とはまるで違う状況だったので、私もせっかくベンチャーの雰囲気は味わったのですけど、周りに負けて銀行員という、今風にいうとあまり面白くない選択肢を取りました。

じゃあなぜシリコンバレーに住んでベンチャーをやっているかというと、これも些細なきっかっけで、銀行で大学院に2001年に留学して、その後シリコンバレーの空気に触れてそのまま居座ってしまって今日に至るということです。実際に、変化をもたらしたのは振り返ってみて何なのかと考えると、結局人の出会いなんです。

さっきの大学二年生の時に出会ったスタンフォード大から来たエンジニアリングスクールの友達と、いまだに仲が良いのですが、彼らとおままごとのようなビジネスをやったということが、海外の自分の知らない世界を知ることに繋がりました。結果的に彼らの行った大学に行ってみたいといったことで、大学院でアメリカに渡るんですが、そこで出会った人の雰囲気に飲まれてしまったんですね。これは日本で銀行員やっている場合ではないなということで、そこからITベンチャーの業界に飛び込んだという経緯です。

その色々な体験が、過去の10年が特に、皆さんに本をお配りさせてもらったものを読んでいただくと、いかにイケていなかったか、悲惨な思いをしたかが書いてあります。自己紹介はそれくらいにして、次は日米ベンチャー比較を数字を使ってやりたいと思います。

アメリカのベンチャー投資額は日本の42倍

伊佐山:まずは数字、1,240対29,700これは何の数字だと思いますか?

これは2011年度の日本のベンチャーキャピタルの投資額と、米国のベンチャーキャピタルの投資額、億円単位です。ベンチャーキャピタルってなにかって言うと、皆さんが起業してベンチャー企業をやる時にそういう所にお金を出資する所。これを日本ではいわゆるベンチャーキャピタル(以下、VC)というんですけれど、そういう人たちが大体年間に1千億弱くらいのお金を投資していると。

それに対してアメリカでは3兆円近いお金がベンチャーにばら撒かれている。GDP差ではそこまで差がないのにも関わらず、これだけの差がある。要するに社会全体がベンチャーへの興味とそこへ実際積極的にリスク、お金を投資してそれを奨励しているということ、そういう世界の実態がこれでわかると思います。GDP差では2.5倍だけれども、VCの投資額だけでみると24倍の差が日米ではあるということです。

では、もう一つ違う数字、1,240対53,000これはさっきと同じ数字、1,240なのでなんとなく想像がつくと思うのですけど、一方は53,000。なぜ増えたかというと、今度はベンチャーキャピタル以外にもエンジェル投資家といって個人でベンチャー企業家にお金を投資する人がいます。

イメージでいうと友達にお金持ちがいて、「僕こういう人とベンチャーやりたいです」というと「じゃあ1千万円あげるから頑張ってやってみなよ」という、個人の裕福な人がエンジェルという存在でアメリカにはいっぱいいるんですけれど、彼らは年間に2兆円とか3兆円とか、正確に計算するのは難しいのですが、それぐらいの資金力がある。

つまりVCというプロでいろんな人からお金を預かって投資している人と、同等の額を投資しているんですね。合算すると単純計算で43倍の資金力の違いがある。つまり、日本でベンチャーをやろうとすると、当然初めはお金がないわけですが、そこに対してのお金の供給量がこれだけ日本とアメリカでは差が出てしまっている。

この差のままだと、当然みんな「だったらシリコンバレーに行ったほうが良いんじゃないか」と、同じ人間で同じアイデアあっても日本だとこれだけの差がついてしまう。日本だと運がよくないと、この1,240億円にめぐり合えない、アメリカに行けばもしかしたら隣に住んでいる人がお金を出してくれるかもしれない、そういう違いが環境としてあるということです。

ちなみに日本でもアメリカの真似をしてエンジェル税制といって、個人の投資家がベンチャーに出資するとそれが節税になるというインセンティブを作ったのですけど、集計出来ないくらい小さくてほとんど誤差の範囲内くらいのインパクトしかない。日本ではまだ個人のお金持ちがベンチャーの皆さんに投資をするという環境が出来ていないという現状があります。

米ベンチャーの産む価値はGDPの20%

では、なんでアメリカだとこのベンチャーが大事といわれているかということを説明したいのですが、これは0.2%以下が21%の結果を出しているという数字です。

これは何を表しているかというと、実際ベンチャーの3兆円近い資金というのはアメリカのGDP比でいうと0.2%以下の数字ですけど、毎年大体そんなものです。けれども実際にベンチャー企業が上場して付加価値を生むわけです。ビジネスをして。それがGDPに対しての貢献度を見ると20%以上の価値を生んでいる。かつ、雇用数で見ると民間の雇用は実際10%以上が実際ベンチャーが生んでいる。

何を言いたいかというと、ものすごく小さい資金でこれだけ社会に大きなインパクトを与えることが出来るのはベンチャー企業しかない。大企業には残念ながらこれだけの社会的影響を及ぼすようなパワーもない。役割が違うというのもあるのですが、これだけ小さな資金でアメリカの全体の5分の1のインパクトになるわけですから日本が今後本気で成長を議論するのであれば、いかにベンチャーにもっと踏み込んでいかなきゃいけないか、ということがこの数字を見てもわかると思います。

では次、650が340,000に変わりました。これはホームデポというDIYの、アメリカの日曜大工を売っている会社の上場時と現在の従業員数です。ホームデポはVCが出資した会社でして、ベンチャー企業というのはこれだけの雇用を生む可能性があるということです。実際トヨタも連結でいろんな会社入れて32~33万人の雇用ですから、ベンチャーが成功すると、いかにとてつもない雇用を産むことが出来るかということをこの数字は表しています。

もうちょっと色々な数字を出すと、ebay(ネットオークションで世界最多の利用者数を誇る米企業)という会社も上場した時は138人の従業員がいまでは3万人を越える従業員数になっている。スターバックスもシアトルのベンチャーで、上場した時は2,521人の従業員数が、今では16万人の雇用を生んでいるということです。マイクロソフトも1,000人だった従業員が今や10万人、Googleも上場した時は3,000人だったのが今では54,000人。日々増えているので、このデータよりもっと増えているかもしれないです。「ベンチャーというのは製造業と違って雇用を生まないから、世の中のためにならないんだ」ということを言うオジサン達もいるのですが、これを見ればそんなことはないというのがよくわかると思います。

40代の起業も多数 ベンチャーは若者の特権ではない

もう一個、、20代40代ということで、これはベンチャーを起業する平均年齢です。当然、若いうちにトライするメリットというのはいっぱいあります。でもベンチャーの議論をするとみんなよく勘違いしているんですけど、じゃあ今この京都大学を卒業した時にベンチャー企業をやらないともう二度とチャンスは訪れないかというと、そんなことはないということがこの数字から言えます。

これはアメリカの数字ですが、アメリカで私が過去10年間ずっとVCとしてベンチャーを支援する立場にいたんですけれど、その時にわれわれの投資先の経営者の平均年齢をとると30代中盤から40代、業界によっては40代中盤というところもあります。つまりベンチャーというのは別に若者だけの特権ではなく、誰でも出来るということがこの数字で言えています。

むしろアメリカのベンチャーという時の絶対数は、先ほど言った3兆円のお金がどこへ行ったかというと、かなりが40代50代のおっさんベンチャーにお金が流れているということが言えます。ではなぜアメリカのシリコンバレーでは年齢が高いかというと、ベンチャーというとゲームとかソーシャルメディアだけではなくて、半導体とかそれなりの知識と経験がなければ出来ないベンチャーも世の中には数多くあります。

そういうベンチャーは大概、大企業に就職して15年くらい問題意識を持って頑張って、その中では出来ないから仲間と一緒になって作ろうという、そういうベンチャーが当然世の中にはいっぱいあるということです。残念ながらそういうベンチャーはTechCrunch(主にIT系のベンチャー情報を伝える米国のWebメディア)とかには出てこないので、みなさんベンチャーというと20代のうちにやらないとまずいんじゃないか、30になったらもう出来ないんじゃないかと勘違いしている人が多いということが言えます。

米ベンチャーの時価総額は日本の大企業以上

これはGoogleと、楽天などの日本のネット企業上位50社の時価総額を比較したものです。今、直近の数字を見たら35兆円対11兆円になっていました。これはアメリカがすごいぞとただ言うだけでなくて、日本でも確かにベンチャー企業で上場している会社が増えているんですけど、やはり、これだけの差を一社につけられてしまうと、日本のこれからのベンチャーのやり方をもっともっと大胆に、もっともっとリスクをとっていかないと、こういう会社には敵わないなと思います。

今度は、それを2000年以降に創業したベンチャー起業4社、本当はあとこれにTwitterを入れなければいけないのですが、Twitterを入れると20兆越えています。いかに10年単位でこれだけの大きなベンチャーを作ることが出来るかを表しています。マインドセットと後は適切な資金提供によって大きなベンチャーが出来る。たかだか4、5社ですよ。2000年以降に4、5社が時価総額という基準で20兆円以上の価値をもたらしたということは皆さん考えるべきじゃないかなと思います。

今度は33兆円対84兆円、これは日本の東証のTOP10を足すと84兆円になるのですけれど、それとgoogleの比較。流石にGoogleもトヨタとか三菱UFJとかソフトバンクと戦うと勝てないなということです。

ただ、95年以降に創業した代表的なベンチャーと比較してみるとこうなります。これもTwitterが抜けていてそれを入れると90兆円を越えています。今の時価総額にすると。20年前、95年をなぜ選んだかというと、その年にYahooやネットスケープといった皆さんが使っているインターネットブラウザの走りが登場した年なんです。たかだか20年ですよ。

いかに若いベンチャーであっても、日本のTOP10の企業を超えるだけのインパクトをもたらすことが出来るかというのがこの数字を皆さんにお見せした趣旨になります。つまり、ベンチャーはいつでもトライ出来る。ただ、若いうちにトライする方が、当然色々な意味で染まっていないし、とにかく大胆な動きが出来るということでメリットは大きいです。

ただ、この後に大企業に行ったとしてもベンチャースピリッツといったような気持ちは持っていなくてはいけないわけですし、ちゃんとトライして良いチームで頑張ると、これだけの社会に大きなインパクトを与えるような会社を作ることが出来る、身近な国アメリカではそういったことが日常茶飯事で行われているということを知ってもらいたいなと思います。

東大、楽天、スタンフォード大を掛け持ちしていた柴田氏

小野:ありがとうございます。改めてみるとすごいインパクトですね。先ほど僕の5W1HにWhereが抜けていたと反省したのですが、どこで行うべきか、スタートアップするべきかといったお話でした。同じくアメリカで大活躍、スタートアップしている柴田さんからプレゼンテーションお願いします。

柴田:皆さんこんにちは。柴田尚樹と申します。私は普段はシリコンバレーにいましてSearchManというサービスをやってます。先ほど小野さんから、私は大学に行ったという話を頂いたんですが、ちょっと私は人生が二転三転していてよくわからないので、簡単に年表にして進めさせていただきます。2004年に、私、東大の工学部を卒業しまして、修士に入りました。

なぜ修士に入ったかというと、何して良いのかわからなかったからです。修士の2年間というのは人生の延期オプションだと、全く自分を傷つけることなく2年間延期出来るということで、修士に入りました。別に勉強したいわけじゃないと当時は思っていたけれど、とりあえず東大の工学部の修士にいきまして、2006年にちゃんと2年で卒業しました。

私が学部だった時、2004年ごろ、インターネット業界は本当に景気が悪くて、まだ、Googleが上場する前で、いわゆる日本のビットバレーだとかが全部死んじゃってました。僕はインターネット業界行きたかったのですけど、本当に大丈夫なのかまだわからない状態だった。今とは全く違う状態で、就職もまだわからないなということで修士に行きました。

そして、修士に行くと、私のいた所は技術系列でMOT(技術経営専攻の大学院)というのですけど、半分くらいがビジネススクールでした。大体みんな出来るやつが外資系のコンサルとか投資銀行に行くんです。僕はそういうのは絶対に嫌で、事業会社に行きたいと。事業会社の中でもインターネットがいいと、先生に散々怒られながら僕は楽天に入りました。

楽天に入る時に、「お前本気か」と散々先生に止められて、周りの人に止められて、「もっと給料の良い所に行ったほうが良いよ」と散々言われたんですけど、「いやいや僕はコンサルとかそういうのが嫌なので、事業会社に行きます」といいました。

ここからがややこしいんですけど、あまり勉強する気がなかったものの修士の時に結構勉強しまして、修士論文が上手くいって、先生から「とりあえず博士に入っちゃいなさい、入るだけ」と言われて、一応入ったんですね。昼間は楽天で仕事をしながら、土日と夜は博士論文を書くというのをやりました。

営業から新規事業まで経験した楽天時代

楽天に入って何をやっていたかというと、あの会社は当時まだ、今よりもはるかに体育会系の会社でして、三木谷さんにお前も営業を最初やるんだと、うちは全員最初は営業をやるんだ、といわれて半年くらい楽天一番という所のECコンサルタントとして出店している店舗をサポートする仕事をやりました。

本当はすごく嫌だったんですけど、ここで営業をやらないと僕は人生で一回も営業をやらないなと思って仕方がなくやったんです。その後は何をしていたかというと、基本的にずっと社長室にいて、社長室の中で新しいサービスを立ち上げる時に、エンジニアリングのバックグラウンドがあるのでそこの担当として入るとか、投資とかM&Aをやる時に、デューデリジェンスといって、この会社を買って大丈夫か投資して大丈夫かを考える時に財務面と技術面から見るのですけど、その技術面で呼ばれたり、そういう新しい事業をやる時に入るということをやっていました。

打率は、多分3割から4割ですね。10個やると6個か7個は失敗するのですけど、3個か4個くらい当たるといった成績だったと思います。楽天でよかったと思うことは、新しいことにチャレンジする時に怒られないという点です。普通の大きい会社でオペレーションやっていて打率3割4割って相当低いんですけど、新規事業なのでオペレーションに比べたら低い打率だったのですけど、チャンスをもらえて色々挑戦出来ました。

東大経由でシリコンバレーへ

人生の転機は急にやってくるものでして、3年経つと、博士は3年で取れることになっているので、博士を取りましたと。ちょうどその時に僕の先生が退官になったんです。それで「柴田君大学にポストがあるよ、大学の先生をやらない?」と言われたのですけど、「僕は大学の先生は無理です、とてもアカデミックは時間がかかりすぎて無理です」と言ったんです。

けれども、すごくシリコンバレーに行きたかったので「スタンフォードに2年間送ってくれるんだったら東大のポジションを取ります」と言ったらOKになったんです。なんでも言ってみるもので、僕は東大の先生にはなりたいわけではなかったのですけれど、スタンフォードに行く時に企業から行くと沢山学費を払ったり寄付をしなければならないんですけど、大学で行くと共同研究しようと言って、タダで行かれるんです。

僕は2年間スタンフォードにいたんですけど、1円も払っていません。これは自慢ですね(笑)。楽天は「こいつ放っておいたら辞めるんじゃないか」といって、執行役員になって、ややこしい人生になりました。2009年7月からシリコンバレーに行って、スタンフォードに留学することになって、東大から派遣されるという形になって、楽天にもパートタイムで籍が残っているという仕事が3つある状態で無理やりシリコンバレーに行きました。

シリコンバレーになぜ行ったかというと、私が最初にシリコンバレーを訪れたのは2002年、大学二年生の時です。その時にたまたま学校の研修旅行があって、ボストンとシリコンバレーとシアトルと三つ行ったんですが、なんとなくシリコンバレーが一番よかったです。当時何もわからなかったんですけれど。ボストン行って、ハーバードとMITを見てすごい綺麗だなと。シアトルではマイクロソフトに行って、当時イチローと佐々木がいたので野球を見て、「シアトルなんか天気が悪いな」と思って。

それがシリコンバレーに行ったら晴れているんです。毎日とにかく晴れている。それで3つしか見ていないんですけど、その中でどこに行きたいかといったら、シリコンバレーだなって。2003年から向こうに住むまで毎年行ってました。なんだかんだ理由をつけて、別に会う人も居ないんですけど無理やり理由をつけてアポを取って。飛行機で一人で行けばそこまで高くはなく、10万円くらいで行けちゃうので。

楽天に入った後は、出張があるので1年に一回以上行っていました。それまでも学生の頃も、なんとなく僕は将来ここに来るんじゃないかという勝手な思い込みで、毎年行っていました。スタンフォード大にいられる期限は2年間となっていたので、本当は2011年の7月に帰ってこなくてはけないのですけど。東大も僕にスポンサーしたし帰ってきて成果出せって言ってくるし、楽天もまだまだお前のことを待っているから帰って来いと言っているんですけど、色々勘違いをして、全部辞めました。

ビザも無い状態で起業

柴田:で、起業してしまったということです。シリコンバレーで起業したのですけど、最初からトラブル続きで大変な思いをしました。まず、ビザがないんです。皆さん日本人として日本に住んでいると全然意識しないと思うんですけど、外国で働くにはビザがいります。ビザって誰にも出してくれるわけではなくて、学生ビザなら出してもらえるのですけど、仕事も出来るビザは、当然アメリカ政府はアメリカ人の雇用を守らなくてはいけないから、ビザを出せないんです。

アメリカ人の雇用を犯すような人には当然ビザを出さないです。この人は、向こうの人に出来ないことを出来ますということで、プロ野球でいうと助っ人みたいなものです。一応助っ人って1チーム3人くらいしか出られないじゃないですか、そういう感じゃないといけない。そういうことで最初なビザがなかったのです。

最初からビザがない状態で会社を作るという、非常に意味のわからないことをやらなくてはならなかったわけです。最初にうちの会社はiPhoneのアプリを作っていまして、他のアプリをレコメンドするアプリを作っていたんです。でもユーザーが集まらないんです。

どれくらい集まらないかというと、たぶん初年度100万ダウンロードくらいいけるかと思ったんですけど、1000万いかないと。見栄きって一ヶ月間に3回陣営を変えて辞めているのに、そこまでして海外に飛び出て行ったのに、一年目で100万ダウンロードもいかないのはヤバイだろうと。

結局BtoCの事業は半年くらいですぐ諦めて、BtoBの仕事に移りました。次にこれがまた大変で、仲間が集まらない。僕は日本で生まれ育って、日本の方が友達多い状態で向こうに行っている、向こうにそんなに友達がいないので、日本ではないから一人で始めなくちゃいけないんです。一人でやっていると本当に辛いです。毎日うつ病みたいになるんですね。それを1年くらい続けて、今ではNiren hiro っていうパートナーが入ってくれて、そのタイミングで僕はCEOじゃなくなったんです。

英語圏で本当の勝負がしたかった

僕が作った会社ですけど僕が社長ではなくて、そこで僕はタイトルはなくて共同経営者ということにして、会社の経営は彼に任せて僕は新しいプロダクトとかサービスを作るという所にフォーカスしています。一応会社は何をやっているかというと、BtoBなので皆さんにはわかりにくいかもしれませんが、スマートフォンのアプリを作っている人に向けてサービスを提供していまして、アプリの開発者がキーワードを管理するためのプラットフォームを作っています。

一つめのサービスが上にあるSEOというもので、App Storeの中でユーザーが検索した時に、自分のアプリが上位に来るようにキーワードを管理するサービスです。二つ目が、広告を売っていまして、アプリの開発者が広告を買う時にキーワードターゲティングを簡単に出来るようにするといったサービスをやっております。うちの会社は今のところ営業マンが一人もいなくて、100%セルフサービスということオンラインで来てもらって、ユーザー登録してもらってお金を払ってもらうという形でやっております。リリースして1年半くらいで18,000くらいの開発者に使われています。

シリコンバレーではけっこう大きい会社に使ってもらっているサービスになっています。

これは意地ですけど、アメリカが50%くらいユーザーになっています。よく日本人で「シリコンバレーに行ってシリコンバレーでやっています」なんて簡単に言いつつ、実はユーザーがみんな日本から来ているなんていうケースがあるんですが、そういうのはちょっとやめたかったのです。英語圏で勝負したかったので、最初からちゃんと英語圏でトライするということで。逆に、今は日本からのユーザーが25%くらいしかいないという逆の苦しみを味わっています。では私からはここまでです。

小野:はい、実に非常に沢山のスタートアップというかチャレンジをしていた柴田さんの話でした。次は学生のうちから起業していた古川さんにプレゼンテーションをお願いしたいと思います。