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喫茶店から生まれたクラブがJ1昇格へ–松本山雅FCの躍進の裏にある地元への想い

喫茶店から生まれたクラブがJ1昇格へ–松本山雅FCの躍進の裏にある地元への想い

昨年悲願のJ1昇格を果たした松本山雅FC。地域に愛されるチームが発足したのは、松本の駅前にある喫茶店「山雅」でした。活動初期はユニフォームも揃わず、遠征へは自家用車に分乗して向かっていたという松本山雅。サポーターやボランティアに支えられながらチームが大きく成長していく過程を松本山雅の会長・大月弘士氏が紹介します。Jリーグのなかでも屈指の観客動員数をほこり、松本の人々の郷土愛を体現するチームを作ってきた同氏が、力を合わせ夢に挑戦し続けることの楽しさを熱く語りました。(TEDxMatsumotoより)

スピーカー
松本山雅 会長 大月弘士 氏
参照動画
夢は必ず叶う | Hiroshi Otsuki | TEDxMatsumoto

松本山雅FCがJリーグ昇格を果たすまでのストーリー

大月弘士氏 日本プロサッカーリーグ、Jリーグに所属する松本山雅FCのホームタウン松本は、四方を美しい山上で囲まれ、町の中心には築城414年の歴史を刻む、国宝松本城がそびえ立っております。 gazou1_R 町のランドマークとして、市民に親しまれてきたこの松本城も、今から百数十年前に取り壊しの危機にさらされました。そんな中「松本から松本城を失ってしまえば、松本らしさを失ってしまう」と、市川量造さんをはじめ多くの市民が全国を駆け回り、資金を調達した上で、取り壊しの危機を脱したと聞いております。 「自分たちの町は自分たちでつくる」という、市民運動が息づくこの松本に、また新たに多くの市民が参画をし、一人ひとりの手で作り上げてきた、市民クラブ「松本山雅FC」が、日本のサッカー界の頂点のリーグにあたる、Jリーグに昇格を果たしました。 このプロジェクトが発足した当時は、「壮大な夢に向かって挑戦することは非常に大切なことであるが、今からJリーグなんて無理な話じゃないか?」そんな意見が大半を占める中、やり続けることによって、夢は現実のものとなりました。松本山雅FCのJリーグへ向けてのプロジェクト「夢は必ず叶う」というお話を始めさせて頂きます。

はじまりは喫茶店「山雅」

gazou2_R 今からちょうど50年前の1965年に、松本の駅前にあった喫茶店「山雅」で産声を上げました。喫茶店のマスターである山下さんの厚意により、1つのサッカーボールとユニフォームが店に来るお客さんにプレゼントされたというのがきっかけで、山雅クラブが誕生するわけでございます。 けれども、最初の頃はサッカー経験者がほとんどいないという、レクリエーション的なチームでありました。次第に高校時代、サッカーを経験した人たちが集まりだして、競技志向へのクラブと進化していきます。 gazou3_R ときには試合当日、新調したユニフォームに袖を通そうとしますと、胸に書かれた山に雅の山雅の文字が間違っているというハプニングもあったというふうに聞いております。 その後次第にその輪が広がり、1975年に発足した北信越リーグの参戦と共に活躍し、40年経った2005年からこのチームを核としたJリーグへのプロジェクトが発足するのです。

とあるサッカー選手のひと言でJリーグへの期待が膨らんだ

gazou4_R サッカー不毛の長野県に、Jリーグのプロジェクトが立ちあがったきっかけとなったのが、何といっても2001年に松本市にアルウィンができたというのが、非常に大きな要因となっております。2万人収容のスタジアムはJ1規格のスタジアムで、ピッチとスタンドとの距離が非常に近い、素晴らしいスタジアムです。 そしてその翌年、2002年に日韓ワールドカップが開催され、この松本のアルウィンにおいて、南米パラグアイナショナルチームがキャンプ地として使用をされたんです。 そんな中、パラグアイナショナルチームのある選手が、記者会見で「松本にはこんなに素晴らしいスタジアムがあるのに、地元のプロサッカーチームがないなんていうのは不思議だ」というコメントをし、それに地域の若者たちがさらに、Jリーグへの期待を膨らませるのです。 結果的には、2005年のシーズンから北信越の2部からスタートし、幾多の困難を乗り越え、7年かかって2011年12月12日にJ2昇格を果たすのでありますが、2005年発足当時の我々みたいな親会社のない市民クラブのスタートというのは、何もないところからのスタートでした。

ユニフォームも揃わず、自家用車で遠征していた

gazou5_R 後ろの画像が最初のときの事務局です。知り合いのボランティア団体の一角を間借りし、1台のパソコン、3台の机に、常勤のボランティアスタッフ1人のスタートでした。練習環境も夜7時から9時までの2時間の練習でしたけども、土のグラウンドはもとより、照明が暗い中での練習ということで、選手も相当苦労したと思います。 gazou6_R そして、後ろの試合は練習試合のときの映像ですけども、ユニフォームも揃っていない。そして、遠征のときなどは我々の自家用車で分乗して遠征するなど、「このチームは本当にJリーグに昇格できるのか?」と、そんな不安もよぎったのも非常にいい思い出となります。 1年1年成長し、サポーターもファンもどんどん広がっていきました。そんな中、いろんな人との出会いが、そのスピードをさらに加速させ、そしてその輪をさらに広げるのです。

親子3代で応援できるチームづくり

何人かのキーマンを紹介させて頂きたいと思いますけども、この中にもその何人かの携わった人がいるんですけども、今日はちょっと時間の関係で、3人ほどご紹介をさせて頂きたいと思います。 gazou7_R 後ろの写真は実際に2002年、松本山雅の試合のときのサポーターの写真です。真ん中にいる疋田さん。「俺が1番最初に松本山雅のサポーターになる」と宣言し、現在も松本山雅の核となるサポーター団体「ウルトラス松本」の代表をやっている疋田さんです。 そしてもうひと方。「Jリーグに昇格すれば、試合運営には必ずボランティアが必要だ。俺は今からその準備を始める」と宣言し、ボランティア団体「チームバモス」を立ち上げた代表の田中さん。自分たちの楽しさを周りの仲間に伝えながら、その仲間がさらに周りの仲間をアルウィンへと誘ったのです。 gazou8_R その成果は、こちらは2003年のゴール裏のサポーターの画像ですけども、これしかいなかったサポーターが、このような形で素晴らしい盛り上がりになり、アルウィンが満員の状態になったのです。 gazou9_R 一朝一夕でこのようになったわけではなく、継続することの大切さと、そして何よりも自分たちが楽しく、楽しみながらやった結果、このように広がりが見えてきたと思います。 我々のサポーターは、お年寄りからお子さんまで幅広いサポーターが集う、アットホーム的なサポーターが多いです。そして「親子3代で絆が深まるスタジアム」として、そういったことが我々のクラブの1番の自慢であると思いますが、そういった雰囲気になったというのも、疋田さん、田中さんの想いを始めから踏襲している証ではないでしょうか。

J2昇格の夢を胸に亡くなったチームの大黒柱・松田直樹選手

gazou10_R もうひとかた。横浜Fマリノスで16年間活躍し、JFA時代2011年に松本山雅に入団をしました、元日本代表の松田直樹選手。「俺が松本山雅を必ずJ2に昇格させる。そして、松本を全国区にする」と宣言し、大黒柱の活躍をいたした次第でございます。 ですが残念ながら、8月2日練習中に心筋梗塞で倒れ、ついに8月4日に帰らぬ人となってしまいました。彼の死後も選手が一丸となり、彼の約束したJ2昇格に向けて一生懸命戦い、最終戦の混戦を制し、12月4日ついにJ2昇格を果たしました。 今まで携わってきた山雅ファミリーと共に、この悲願のJ2昇格を喜び、そして天国にいる松田直樹選手にこの報告をいの1番にさせて頂きました。彼は亡くなった今でも我々の心の中に生き続け、共に戦っているでしょう。 いつの日か、松田直樹選手のつけていた背番号3番、これに憧れる地域の子どもたちが、山雅のトップチームに昇格することを期待してやみません。

サポーターに夢や感動を伝えることが1番の使命

gazou11_R 松本山雅の運営会社、株式会社松本山雅の企業理念は「未来への夢と感動へチャレンジ!」でございます。我々の目標はJ1で1位になること。優勝することというのは、目標ではなくある意味、訪れた人たちに夢や希望、感動を伝えるというのが、1番の使命だというふうに思います。 そういう意味では2014年、J1に昇格したその年の最終戦にこのような形で、アルウィンでJ1昇格のお祝いをサポーターの皆さんが1万5000本の紙テープで祝福していただいたんです。この瞬間こそが、我々の目的の達成であり、今後さらにこの輪を広げていきたいと、そんなふうに考えています。 gazou12_R 町の中で行われたJ1昇格パレードにも、5万人近い市民の方が駆けつけていただき、松本らしさを演出する意味でも、地元のお祭りの舞台に選手が乗りこみ、お城までパレードをさせて頂きました。松本城で行われたJ1昇格報告会にも、1万人近いサポーターの皆さんとこの喜びをわかち合えたというふうに思います。

サポーターに愛され続けるクラブを目指して

クラブは2012年にJリーグに昇格した際に、「未来の成長戦略」と題しまして、海外の先進事例を学ぶべく、ドイツに社員全員を派遣し、ドイツのブンデスリーガの先進事例を学びました。 堅持経営を続けながら、このホームタウンと共に成長する。そして地域の子どもたちがトップチームに昇格できるような、育成組織の確立を目指す。安全で安心なスタジアムを創造しながら、より快適なスタジアム環境をつくるというのが、大きな勉強の成果でありますけども、まさにそれを今後、実践していくということでございます。 そしてそんな研修の際に、1人のサポーターの放った言葉が、今でも私の胸に残っていることをご紹介させて頂きたいと思います。 gazou13_R 後ろの方はドイツの南西部、フライブルクにあるSCフライブルクのサポーターの1人です。松本と同じ規模の24万人の都市のクラブのサポーターですけども、そのサポーターの1人が「俺たちのフライブルクはドイツで1番素晴らしい地域なんだ。その素晴らしい地域に、小さくて予算規模も少ないのによく頑張ったクラブ、SCフライブルクがある」 「俺はこの25年間、シーズンパス券を買い続けながら、このクラブと共に戦ってきた。この後も生涯、このクラブと共に戦っていくんだ」とおっしゃっていました。 いつの日か我々もこのようなサポーターが増える、そんな愛されるクラブを目指して、これからも頑張って参りたいと思います。

スタジアムは夢の劇場であり、サポーターの一人ひとりが主人公

松本山雅は1965年創立ということで、本年で50周年の節目の年を迎えます。先程ご紹介ありました通り、我々のルーツは喫茶店だったということを考えますと、いつの日か喫茶山雅を復活して、そこに集まる人たちが美味しいコーヒーを飲みながら、松本山雅のサッカー談議に花を咲かせる、こんな姿も想像していきたい、そのように考えております。 これからの50年、100年続く、成長できるクラブとしてあるためにも、喫茶店のマスター山下さんの想いや、疋田さん、田中さんという想いを大切にしながら、もっと成長できるクラブにしていくために、クラブとしては大切に考えていることがあります。 それは、今までもそしてこれからも、山雅に携わるすべての人たちが、私利私欲なく地域の発展とクラブの成長を願うということを忘れてはいけないのです。そして、サッカースタジアムはただ単にサッカーを観る場所ではなく、夢の劇場という意識を忘れてはいけません。 松本山雅のスタジアムは山雅劇場であり、1人のサポーター、1人のボランティアが、その山雅劇場に出演している主人公ということを忘れてはいけないのです。 今までも自分たちがつくってきたクラブという自信こそが、この松本山雅のこの大きくなった成長のところに表れているというふうに思いますし、こういったことこそが、市民クラブにできるアイデアだというふうに思います。 1つの企業や1人のリーダーシップをとった人たちでは、こういったことはできません。真の市民クラブであるために、こういったことを忘れずに今後も成長していきたいと思います。 松本山雅はこれからもいくつかの夢に向かって挑戦をしていきます。その1つに、松本の町の真ん中に新しいスタジアムを建設したい、そんな夢があります。これはサッカーの試合をやるというだけのスタジアムではなく、松本の町の中を賑わいを創造するという意味で、非常に大切なものだというふうに考えております。 しかしながらこの夢の実現には、相当なパワーがいることでしょう。しかしながら、必ずこの夢を達成してみせます。夢に向かって挑戦してるときが、人生の中で1番楽しいときだということを我々はわかり始めたからです。1つの力が合わされば、大きな力に変化することが、皆がわかり始めてきました。 ほとばしる情熱やひたむきに欲した行動が合わされば、この町の明るい未来を必ず創造できると信じてやみません。今までも、そしてこれからも、山雅ファミリーと共に心を1つに、共に戦って参ります。松本山雅のJリーグへのプロジェクト「夢は必ず叶う」というお話を終わらせて頂きます。ご静聴ありがとうございました。

  
※ログミーでは、TED Talksおよび各TEDxの定めるCCライセンスを遵守し、自社で作成したオリジナルの書き起こし・翻訳テキストを非営利目的のページにて掲載しています。
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