「レオン」のマチルダ役に対する批評家と観客の反応

ナタリー・ポートマン氏:自身の女優としての仕事においても、はっきりと自分でなぜこの仕事をしているのかとわかるまでに時間がかかりました。私が初めて公開された映画に出演したのは1994年でした。もう一度いいますが、それはあなた達のほとんどが生まれた年でしょう。

(会場笑)

私は映画の公開時、13歳で『ニューヨークタイムズ』が批評した一字一句を覚えています。「ポートマンは動きの演技よりも、静止の演技がずっと素晴らしい」。

この映画は公開後、世界各地で批判を受け、大きな反響を呼びました。この映画はヨーロッパでは「レオン」アメリカでは「プロフェッショナル」と呼ばれています。あれから20年たった今日、35本もの映画の上演経験の後にも、その映画について人々から最も多くの言葉を頂きます。

どれほど好きな映画であったか、どれほど心を動かされたか、なぜ一番好きな映画の一つなのかについて人から語り聞かされます。私の映画初出演の経験は初期には悲惨なものでしたが、かえってそれは幸運なことだったと今は思います。

この業界で賞を得た歴史や経済的成功、批評家からの良い反応ではなく、映画を作っていく経験と個々の心の結びつきを可能にすることが、女優として働く意義なのだと早い時期から学びました。

さらに、後世へ残るような作品を作ろうとした場合に、最初の観客や批評家の反応は間違った予想であるかもしれないということも学びました。私は次第に自分の心が惹かれる仕事だけを引き受けるようになりました。つまり、自分が意義ある経験ができると思う仕事を引き受けるようにしたということです。

この決断は、私のエージェント達、プロデューサーや観客などの周囲の人々を完全に困惑させました。自主制作映画である「宮廷画家ゴヤは見た」に出演し、アートの歴史を学ぶために、スペインのプラード美術館に4ヵ月間毎日通いつめ、ゴヤやスペインの所有していた芸術作品についての本を読みました。

「Vフォー・ベンデッタ」という学生運動に関する映画制作にも関わり、自由闘争者について、テロリストとも呼ばれるかもしれませんか、私が知り得る限りのことを学びました。「The Weathered Underground(原題)」や「ユア ハイネス」にも出演しました。「ユア ハイネス」はポットヘッド(マリファナ中毒者)のコメディーで、ダニエル・マックブライドと一緒に3ヵ月もの間笑いっぱなしでした。

(会場笑)

ブラックスワンを演じることができた理由

私は自身の意義を保持することができ、映画の売れ行き、自身のステータスなどに左右されなくなりました。「ブラックスワン」を制作するときには、この役を経験することになったのは完全に私自身の意向でした。既に私自身、観客や批評家が私の映画をどう批評し、観に行くかどうか話すことについて、すっかり慣れっこになっていました。

あるレベルにまでバレエの技術が到達すると、それ以上のところで自分自身の踊りを決めるのは、ちょっと変わった癖だったり、意図的なミスであったりするのです。

あるバレリーナは、ターンをするときに少しだけバランスを崩してターンをすることで有名でした。技術的に最高レベルに達することは決してできません。常に誰かがより高く跳び、また美しいラインを作り出します。

ただ一つ自身にできる最高のことは、自分自身を確立するということです。自我の形成は、ブラックスワンのテーマと言えます。ブラックスワンの監督のダーレン・アロノフスキーにお願いして、映画の最後の台詞をこう代えてもらいました。

「完璧だ」

私の演じたニナは 、他の人々の目における完璧さを目指さず、自身のためだけの完璧さや喜びを追求することにより、ついに芸術的に成功しました。ブラックスワンは商業的に成功して、私はさまざまな反応を頂き、非常にありがたいことに、人々とのつながりを経験させて頂きました。

しかし、自分としては自身の真の核となるものを、既に確立していたのです。他人の反応から自身を独立させることは、自分にとって必要なことでした。ブラックスワンを演じることになった当初は、「芸術的で危険な作品だ。プロのバレリーナを演じるのは無理があるのではないか」と人々に言われました。

しかし、勇気や冒険心があって、ブラックスワンのバレリーナを演じることになったわけではありません。私自身が自身の限界に全く気がついていなかったことが大きいでしょう。はっきり言って、しっかり準備もできていないようなことでも、やってしまったのです。

全く未経験の状況の中、大学では不安で仕方がなく、他の人々の言いなりになってしまいました。しかし、今はそんな状況では、もっとリスキーな道を選ぶようになりました。リスクとすら認識せず、選んだこともあるかもしれません。

ダレンに「バレエは踊れるか」と聞かれたときに「私はもとからバレリーナよ」と答えました。ところで、そんなことは信じがたいことだったと思います。そして、急いで演技の準備をしている際に、私は実際にプロのバレリーナになるにはあと15年くらい練習しなくてはいけないことに気がつきました。

そして、私は百万倍も頑張って練習しました。もちろん、映画の魔法やボディのおかげで最終作品はうまく仕上がるわけです。言いたいことはですね、もし私が自分の限界を知っていれば、最初からこの役を演じるような危険を冒さなかったということです。

こうして挑戦したことによって、素晴らしく芸術的であり、さらには個人的な経験を得ることができました。こういった経験から、私は自身を完全に解放することができ、さらに現在の夫にも出会うことができたのです。

自分を疑いすぎない気持ちを大事にしてほしい

同じように、最近私が初めて監督した作品「A Take of Love and Darkness(原題)」では予想もしていなかった挑戦が立ちはだかっていました。

映画は完全なヘブライ語で、私も出演し、8歳の子役も出演しています。これらは大変な挑戦であり、始めから恐れおののくべきであったでしょう。全く想定外のことばかりでした。

自身の限界に対して完全無視ともいえるような態度は、人からは自信があるのだと見なされ、そのおかげで私が監督の座を勝ち得たのかもしれません。監督になってからは、全て自分でなんとか解決しなくてはいけません。私自身、きっとなんとかこういった難題をこなしていくことができると、信じなければいけません。

そうはいっても、過去の経験から、こういった難題をこなすことができる能力があるかどうかは疑わしいところでした。しかし、そういった問題の大体半分ほどはなかなか大変でした、そして、残り半分は想像以上の苦労でした。

これらの経験は、私のキャリアの中でも、最も深く意義のあるものでした。もちろん、あなたに知識もないのに心臓手術を施せと勧めているわけではありません。

(会場笑)

映画を作ることは、他の職業に比べてあまりストレスも少ないですし、悪い結果をもたらすことも少ないです。映画製作においては、間違いがあっても、やり直すことや効果の力を借りることができます。

私が言いたいことは、たった今、あなた達が持っている自分を疑いすぎない気持ちを大事にしてほしいということです。年をとるにつれ、人はより現実的になっていきます。自分の能力に対して、もしくは能力の無さに対してです。

この現実的な態度によって物事がうまくいくことはほとんどありません。人はいつも言います。「自分が恐れるものにこそ、飛び込んでいけ」と。それは私自身には全く当てはまりませんでした。私は何かを怖がれば、走って逃げ出します。我が子にもそう勧めるでしょう。

(会場笑)

何も知らないからこそ、自由に作ることができる

恐れは私たち自身をさまざまな面で守ってくれます。私にとって良いと思うことは、自身の能力について気がついていない部分を強みに変えることです。自身の能力に気がつかないというのは、アメリカの子供たちによく見られますが、自信を持つべきでないものに対してすら自信を持って、自我やエゴを誇大させ、自身の能力を過大評価しています。

しかし、それはそうでなければ決して挑戦しなかったようなものに取り組ませるという意味では良いことでしょう。経験の無さを持ち味として生かしてください。経験がないからこそ、先人の意見ではなく、あなたは自身の自由な考えに基づいて何かを行うことができるのです。

自分の無知を持ち味と受け止め、利用してください。ある有名なバイオリン奏者によると、彼が音楽を作曲する際に、あまりに多くの曲を知っているために、自分である曲を思いついた時に、これまで作られた曲をたちまち思い浮かべてしまい、作曲できないそうです。

何も知らないからこそ、頭の中に知識がゴタゴタしていないからこそ、あなたは曲を自由に作り始めることができます。あなた達は物事をそのままのある様子で決めつけたりしません。自分のやり方で物事を進めることしかできないのです。

ここにいるあなた達はきっと素晴らしいことを達成していくでしょう。疑いもありません。いつも何か新しいことに挑戦するたびに、あなたの経験の無さは、自分が何をしているか気がつきもしないうちに、他人の価値と共感していく道に繋がっていくのかもしれませんし、自身だけの道を作り出すことになるのかもしれません。

あなただけの理由があれば、一風変わった道でも、かっこ悪い道でも、あなた自身の道であり、あなたのためだけのものなのです。自身の心に沿った生き方をして、自分の心を満たすことにより、喜びが得られます。

誰かを助けようとするときに一番助けられるのは自分自身

まるでミス・アメリカのコンテスト出場者のように聞こえるかもしれませんが、私自身、最も満たされると思う経験は人と人との触れ合いです。

マイクロファイナンス機関を通してメキシコのとある村の女性達と過ごした時間、ケニアの中学校に女性で初めて行くことができた少女、長期的で安全な学校を作ろうとしている子供達、ウガンダにいるゴリラを保護するグループなどに出会ったことです。

陳腐に聞こえるかもしれませんが、本当のことです。誰かを助けようとするときに、結局一番助けているのは自分自身なのです。自分の心配の殻から抜け出し、他人の人生に思いを投げかけることで、自分が世界の中心でないことを思い知らされます。

さまざまな意味で、私たちは寛容で、またはそうではありません。私たちは他の人の人生を変える力も持っています。小さな親切でも、例えば、映画製作スタッフ、同僚の俳優達、先輩達がしてくれたことはずっと心に残り私に影響を与えています。

もちろん私自身の世界では、家族と友人が最も大切で愛する人々です。あなた達の友人が常にあなたを支えて共に過ごしてくれることを願っています。ハーバードの友人達は卒業してからも一緒です。

学友達はいまでもとても仲がよく、辛いときを共に過ごし励まし合い、互いの結婚式ではダンスを一緒に踊りました。お葬式には互いに抱き合って慰め合い、赤ちゃんができればお互いあやし合い、何か悪いことをやめることができたときはパーティーを開きました。

プロジェクトも共に行い、互いに職につく手伝いをし、そして今は、私たちの小さな子供達が、働く親のもとで育ち、子供同士過ごし、次の世代の友情を築いています。今周りにいる素晴らしい人達を手放さないでください。

ハーバードが与えてくれるあなたにとって人生の宝となるものは、人生を通しての友であり、彼らはあなたの家族となり、学びの場となるのです。

私はいつもケンブリッジでの春に腹を立てていた覚えがあります。8ヵ月もの長い冬の後でも、春には庭で暖かい日が射し、芝生の上で人々が笑い合い、人々はフリスビーを投げ、巧みにケンブリッジのいい記憶を残すのです。そして、皆ここに帰ってきたくなるのです。

しかし、年月が経てば経つほど、大学の力というものは気候の影響よりももっと力強いものと変わっていきます。私の好きな思想家のエイブラハム・ジョシュア・ヘッシェルが言いました。「存在するかしないかが問題なのではない。どう存在するか、どう存在するべきでないかが問題なのだ」

ありがとうございます。今後あなた達が今後どのようにあなたの人生を美しく生きていくかを楽しみにしています。