対策を練っての勝負より、もっと気軽に対局してほしい

司会:プライドですとか将棋の特殊な部分っていろいろあるじゃないですか? 投了であったり、形づくりであったりとか、コンピュータが恐らくまだまだ理解できない部分ですとかそういった特殊性というのはあると思うんですけれども、どうですか?

森内俊之氏(以下、森内):棋士が人間であるために負けるというのは仕方のないことだと思うんですけれども、ただこの前の電王戦の最後の記者会見で「私にプロ棋士の実力があれば5局全部勝てます」とおっしゃっていたんで、多分そういうようなスキルのある方が棋士のチームに入っていろいろと協力してくだされば、まだまだそういう結果が出せるのかなということは思いましたね。

司会:平岡さん、どうですか?

平岡拓也氏(以下、平岡):それはそうなんだと思うんですけど、ただすごい負担なんですよね、棋士にとって。もっと気軽に対局できないのかなとすごい思うんですよ。

何か1回の対局にすごい準備して対局するとなるから、だからタイトルホルダーとの対局とかも、タイトルホルダーって忙しいじゃないですか? だからそういう面でも実現が難しいとかそういうことになってしまうから、僕はできるだけふだんどおりの棋士が見たいかなという思いですね。

司会:徹底的に対策を練ってくるんじゃなくて、ある程度もう……。

平岡:余り意味を感じないんですね。1年、2年それで勝てたとしても、いずれそれでも無理になったときにどうしてそこまでして勝ちにしがみつくのか、棋士なら当然なのかもしれないですけど、やっぱり僕はもっと人間同士でおもしろい将棋を指しているし、もっとおもしろい将棋さえ指していればいいのかなと思って……。

司会:ただ、勝ちにしがみついているからこそ、プロ棋士になれたというのもあるんじゃないかな? と思うんですけどね。

平岡:そうなんですけど、難しいんですよね。

人間という貧弱なハードウェアの解析が、今後のプログラムの課題に

司会:川上会長、どうぞ。

川上量生氏(以下、川上):僕も多少プログラムはやるので、プログラムとしての将棋プログラムを目的として今、大体電王戦のプログラムは1秒間に数百万局面ですから1分間でしたっけ。

平岡:1秒で500万ぐらいは読めますね。

川上:1秒500万局面ですよね。多分、森内さんって1秒間に何局面ぐらい読まれるんですかね?

森内:数えたことはないですし、わからないですけど、どれぐらいなんですかね。3手か、10手か、20手かわかりませんけど、そんな大して読めないと思いますけどね。

川上:そうすると、プログラマーというのはアルゴリズムを考えるのが職業じゃないですか。そうすると、プログラマーとしてのベストというのは人間並みの局面で判断できる、例えば優秀な評価関数をつくるというのが目標だと思うんですよね。

単純な計算量で攻めるのというのはむしろプログラマーとしては邪道じゃないかと思うんですけど、どうなんですかね?

平岡:内部のアルゴリズムがどうかというのは余り関係ないと私は思いますね。結局評価関数を、むちゃくちゃ性能よくするために重たく時間のかかる処理をすれば、もっと少ない局面で同じぐらいの性能が出せるかもしれないですけど、結果としてその時間をいっぱい探索して、実際に盤面を読むほうが強いかもしれなくて。

そのバランスで今どれが1番強いかというのでコンピュータ将棋をつくっていますから、そんなこと言うと囲碁のプログラムなんてモンテカルロ法でランダムに打って確率のいいところなんていうむちゃくちゃなことをやっていますけど、それはそれでいいじゃないかと私は思いますね。

川上:要するに、人間っていう貧弱なハードウェア、遅い神経速度で効率のいいアルゴリズムをつくっているというのは、これは何か1個のプログラムの課題にもなるような気がするんですよね。

平岡:それは本当すごいと思うんですね。どうやっているのか、本当に想像がつかないし、コンピュータで実現できれば何かすごいことができると思いますよ、それぐらいの。

棋譜5万局を取り込んでも、まだまだ足りない

山川宏氏(以下、山川):それに関してはちょっとここの本題とはずれるかもしれないですけど、最近人工知能分野では脳のように深い学習をするというもの、ディープラーニングと呼ばれるんですけれども、そういう技術がだんだんそれに近づいているんじゃないかというふうな期待は今されている状況なんです。

ただ、実際将棋にやってみるとそんなには強くなっていないらしいんですが、多分将棋の棋士が時間の流れとかもちゃんと取り込んだような技術にならないとだめなようなんですけども。

そういうほうの研究者の気持ちとしては、今川上さんが言われたように、余り手を深く読まないでも強くなるというのはちょっと研究テーマとしては結構おもしろいというふうに実は思っていたりするんです。

平岡:囲碁でそんなことやっていますよね。局面を全く読まずに評価だけして手を決めて、それでちょっと昔のソフトに勝ったとか、そういう研究って今出ていて、すごい盤面を評価するっていうところで深い学習による高性能なプログラムというのがつくられていますよね。

司会:平岡さん、そもそも将棋ソフトというのは膨大なプロ棋士の棋譜をまず取り込んで、それをもとに学習して強くなってきたという歴史があるわけじゃないですか。そこから離れようとしているというのはあるんですか?

平岡:最近はそういう研究よく聞きますね。どうしても棋譜が少ないんです。棋譜5万局とかあるんですけど、多いかというと、コンピュータからするとそれでも少ないんですよ。

司会:それでも少ないんですね。

平岡:もっと、100倍、1000倍欲しいんですよね。

司会:そうなんですか。

平岡:そうなんです。ないので、やっぱりそれは自分でつくらないといけなくて、私はまだそこまでやってないですけど、Ponanzaとかはそういうところに踏み込んでいっていますね。自分で棋譜をつくって、それをもとに学習するという。どんどん人間からは離れた手になっていくかもしれないですし、すごくおもしろいですよね。

司会:ただ満遍なく1秒間に何百万局面も読みながらベストの手をチョイスしていくコンピュータソフトと、森内九段、さすがに森内九段も5万局も棋譜は覚えていないですよね!?

森内:全然覚えていないです。若いころは記憶力に自信があったんですけど、最近どんどん忘れてきていますし、本当に何局覚えているのか、そういう容量では全く勝負になりませんのでね。

しらみつぶしのコンピュータと、経験から割り出す人間

司会:さっきおっしゃったみたいに1秒間で500万局面も読めない中で、逆にいうと、なぜほぼ互角のいい勝負ができるのか? これどこに理由があるんですか。

森内:不思議ですよね。人間の直感の偉大さというか、プロになるような人はそれだけ修行を積んでいますので、考えなくても体が覚えているというか、そういうところがあって、時間をかけなくてもある程度の手が指せる、そういうところがあるんじゃないでしょうかね。

司会:山川さん、ご専門だと思うんですけれども、このプロ棋士のベストな手の選び方と、コンピュータソフトのベストな手の選び方、この2つの違いというのは山川さんどういうふうにお感じになっているんですか。

山川:冒頭にもちょっとだけ触れたんですが、先ほどから出ているように、コンピュータは手を大量に読んでいくので、かなり読んでから評価するということがコンピュータ処理で基本的に行われているんですけども。

人間はそれをするかわりに、さっきディープラーニングの話が出ましたけれども、パターンを見て、パターンの中で次がよさそうな手の候補がかなり効率よく絞り込めるんで、それは学習だけでなくて心理学的な実験とかでも結構言われていることでして。

それが何でできるかというと、今のコンピュータ将棋の場合には盤面の中から人間があらかじめ設計した、例えば「3つの駒の関係を注目してどっちがいいかを選びましょう」みたいなことをやるんですけれども、それはかなり人間がやっていることに比べると貧弱で。

多分人間はまだ解明されてないんですけども、もっと多くの駒の形とかを何か考えながら、こっちのほうがよさそうだとか悪そうだというのを選ぶ能力があるんですけども、それがまだ今できてないんです。

だからそこは明らかに人間が優れているところであって、実はコンピュータとしては学びたいところというふうに思っているわけです。そこら辺が大きな違いですね。

司会:経験として先々読める人間とコンピュータのある程度しらみつぶしにやっていく限界があって、何十手先にはベストが選べないという不思議な現象がありますもんね。

山川:何十手先までやってみると貧弱な関数でも役に立つんですけど、余り読まないでもどれがいいかわかるというのはコンピュータには難しい。

人間が無意識下でやっていることが研究対象になっている

川上:そこら辺で山川さんにお聞きしたいと思っていたんですけど、3駒関係とかって人間はやってないっていうじゃないですか。それが本当なのかどうか。純粋にはやってないと思うんですけど。

例えば人間の視覚とかというのは、1番最初レイヤーとかでは輪郭だとかコントラストだとか人間が意識していない部分の近くで情報をやっていますよね? そうすると、将棋棋士は実は無意識の中で3駒関係に近いものを見ているという可能性はあるんじゃないでしょうか?

司会:解明されてないだけで。

川上:解明されてないだけで。ありますよね!?

司会:そういったところも後々、研究対象にはなっていくんですか?

山川:まさに今研究対象になっていて、さっき言った機械学習の人工知能のような技術と人間の脳の中でやっている処理が、実は似ているんじゃないかというのが、ここ数年の神経科学というか、脳科学の分野では結構わかってきたというのが話題になっているんです。

だから、まだプロ棋士の上のほうに穴熊があるとかそういうのはわかんないですけれども、物体が見えているときに男の人が見えているとか、そういうものは結構似ているということが今わかってきているので、今後もしかするとそれこそ局面の評価も脳科学で見えるようになるかもしれないという。

プロ棋士がコンピュータから学ぶのは「先入観のなさ」

司会:森内九段にお伺いしたいのが、例えば電王戦の去年のPonanzaの、例えば1六香から角を追い回していったりとか、あとは7九銀から俗にいう王手はだめだというふうに格言で言われている、ああいった寄せ方をしていった。結果的にトッププロに勝っている。

今年も7七歩を打ってから飛車交換しなかったりとか、そういうプロが第一感でちょっと切り捨てがちなところを選んでいって、結果的に勝っているというあれは、いろんな可能性があるように感じるんですけど、トッププロの見地としてはどうなんですか?

森内:ぱっと見、人間を見たときによくなさそうな手で実際結果を出しているところを見ると、自分たちがそれだけ先入観に縛られているんだなということを改めて認識しますし、そのコンピュータから学ぶことというか、そういうものがたくさんあるということを改めて思いますね。

棋士が局面見るときというのは全体を見ますので、3つの駒というよりも特徴的なところに目が行くんで、やっぱり全体的にバランスがとれた配置だと違和感はないですけど。

いくつか普通と違った配置があるとそれは何となく感じるところがあるんで、そういう意味ではコンピュータと同じような2つ3つのところを同時に見ているのかなということはさっき感じたりもしました。

司会:その位置関係がどこがいいかというのは、やはり小さいころからずっと鍛錬を積んできた中で直感的にこれが判断できるということなわけですね。

森内:そうですね、違和感のあるところには反応しますね。

司会:ただその違和感がひょっとしたら思い込みなのかもしれないということはありませんか?

森内:ありますね。それは今、コンピュータに管理させられている、そういう段階なんだと思います。

司会:そうなると、本当にここ2、3年の電王戦の団体戦を踏まえて、やっぱりちょっとこれまでは人間、プロ棋士同士が集まって研究会を行っていたのが、よりコンピュータに手順を探させてみたりとか、そういった動きというのは加速していくんですか?

森内:やっぱり価値観というのは揺さぶられている段階ですし……。

司会:今はそういう段階なんですね?

森内:ええ、やっぱり人間だけではなくて、コンピュータにかけて調べてみようとかそういうことも行われていますので、これからますますそういう動きが加速していくんじゃないかと思いますね。

司会:川上会長、まさにプロのプライドが、そして実力がコンピュータソフトをはね返すのか、それともこういった拮抗した状態で、なおかつそのコンピュータを身近に感じられるような空気感というか、環境になってきたというのは、川上会長、団体戦を始められた当初からの思惑としては、現状はどうなんですか?

川上:それが予定どおりに行ってないんですよ。そこら辺のストーリーづくりはぜひ瀬名さんとかに、今後は相談しながらシナリオをつくっていきたいなというふうに思っているんですけど、どうですか?

将棋にまつわる世界観を人工知能でどれだけつくれるか

司会:瀬名さん、SF的にはどうですか? この後の展開、ストーリーを組み立てていくと。

瀬名秀明氏(以下、瀬名):先ほど投了の話が出ましたけども、コンピュータ自身に投了させるというのは多分評価値が一定値以下に下がれば、例えば自動的に投了するというのは簡単だと思うんですが。

例えばそういうところ、強いというのはもちろんなんだけど、将棋にまつわる独特の人間観とか空気感とか世界観とかをどのぐらい人工知能でつくれるか? というのが僕には興味があります。例えば電王手くんとか電王手さんがおじぎしますよね。かわいいとは思うんですけど、あれはコンピュータプログラムだなと思うんですよ、やっぱり。

あれが本当におじぎしているなと思えるおじぎができるようになるのかとか、例えばこれちょっと僕が将棋知らないから間違ったこと言っているかもしれないんですけど、将棋っていうのは多分、合戦とか戦争をモチーフにしているわけで、最終的に投了というのは王様が殺される前に命と引きかえに「参りました」って言うってことですよね? 

テニスとかサッカーとかブロック崩しとかっていうのはそうじゃないんですよね。自分は死ななくてもゲームやるので、だから自分が死ぬゲームと死なないゲームって多分そういうところで何か根本的に違うんじゃないかと僕は思うんですよ。

そうすると、コンピュータが例えば投了しないでずっと永遠と将棋やるっていうのはコンピュータからすれば倫理的にありだと僕は思うんですよね。だけど、人間が多分それやるとすごくみっともないというか、美しくないとかそういう話になると思うんです。

そういうのをどういうふうにすり合わせるのかっていうのは、僕はちょっと勝負以外で人工知能の研究としておもしろいところかなと思うんですけど。

感情が見えることで愛着がわく

山川:そうですね、人工知能としては、今の人工知能というかコンピュータ将棋は当然ながら将棋ということに特化してつくられているわけで、将棋に特化しているからゆえに逆に弱点もあるわけですね。

今回出てきたような弱点もあるわけですけれども、そのかわりに僕とかドワンゴさんのところで研究しているのは、全脳アーキテクチャーといいまして、脳全体のいろんな仕組みを入れる。

特に関係あるのは、この場合だと感情に関係ある専門用語で扁桃核とかいうところがあるんですけども、そういうところは恐怖とかいうものを脳の中でつかさどっているわけです。

多分相手が電王手くんとかであっていると、実はこいつビビっているんだとかという情動的なものがあったりするとまたおもしろみが出てくるんじゃないか。あと、よく認知科学とかでも相手が自分がやったことを目で見ててくれると安心できるとか、愛着がわくとかいろいろあるわけです。

だから、そういう統合的な知能というものがだんだんできてくると、またそれとの勝負というのもまたひとつ楽しいところが出てくるんじゃないかなと思っています。

投了の美学を理解するコンピュータは生まれるのか?

司会:投了の美学という部分では、平岡さん、やっぱり第1局改めてちょっと振り返って、あれもいろんな価値観からさまざまな意見がありましたけれども、あれは最後まで指すのがコンピュータサイドの美学であると。

平岡:いや、コンピュータ将棋やっている人でもいろいろあるんですよね。本当に次局の積みが見えたときに投了する人もいます。投了するプログラムをつくっている人もいますし、私みたいに積みまでやる人もいて、それぞれですよね。それはふだんコンピュータ将棋同士でやっているからそうなのかもしれないですし、本当に人それぞれ。私はあれが一番美しいと思ったからやったまでですね。

司会:今後より強い将棋ソフトをつくっていく中で、先ほど瀬名さんからもお話があった情緒ですとか、投了図の美しさとか、そういったものまで理解できるようなコンピュータというのは組めるんですか? そんな可能性ってあるんですかね!?

平岡:今のコンピュータ将棋の延長からいうと、それに本当に特化しているから、美しさに特化して美しさとは何だというのを突き詰めて考えてつくっていけば形にはなるかもしれないですけど。

司会:全く目的が違いますもんね。

平岡:何かちょっと違いますよね。そういうのはやっぱり全脳的な人工知能にやってもらいたいですね。

山川:コメントに出てましたけど、美しさっていうのは非常に観点が多くて、多分投了の美学とかというのはいろんな社会的な関係の中である美しさなので、そこまでわかったAIじゃないとそこまで認識できないです。

もうちょっと簡単なレベルでフラクタルが美しいとか、数学的な美しさはわりとコンピュータに近いんですけど、投了とか1番かなりできるのが遅いタイプの美しさじゃないかなと思います。

司会:森内九段、そこは本当に返す返す将棋の独特なところであり、それがあるからプロ棋士の存在というのも特別であるという見方もありますもんね。

森内:そうですね、投了に関しては人間と機械というのは違った特徴がありますし、平岡さんのソフトの戦い方をみてコンピュータらしいなというふうに思ったんで、別に私は失礼とかそういうことは全く思わなかったですけどね。

司会:戦っているのはコンピュータであるから、積むまでやると。

平岡:森内さんにそう思っていただけていたらうれしい限りですけど。

森内:平岡さんの多分やりたいようにやって完全燃焼するのが1番いいと思うんで……。

平岡:ありがたい話で、あと付け足して言うと、対局ってやっぱり対局者が1番尊重されるべきで、人対人がやっていてもやっぱり投了するのはその人に任せて、周りがとやかく言うのは余り私は好きじゃないかなと思いますね。

司会:このあたりがどこで交わって、またいい形で溶け合うのかというのはまたこれから先大いに興味がありますね。

制作協力:VoXT