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「北朝鮮は世界で一番の国だと信じていた」脱北者として10年間生き延びた少女が、求め続けた“希望の光”

「北朝鮮は世界で一番の国だと信じていた」脱北者として10年間生き延びた少女が、求め続けた“希望の光”

北朝鮮で少女時代を過ごし、「北朝鮮は世界で一番の国」だと信じていた脱北女性イ・ヒョンソ氏。彼女は7歳のときに初めて公開処刑を目の当たりにしますが、それでもまだ、北朝鮮での暮らしは当たり前のものだと思い込んでいました。しかし、90年代に深刻な食糧不足をによる飢餓を経験し、その考えに疑問を抱きはじめます。悲惨な生活と貧困が彼女と家族を襲いました。その後、家族と中国、ラオスに逃亡。中国警察に捕まり、強制送還された脱北者は、拷問や投獄をされ、死刑となる者もいます。身を隠しながら必死で生き延び、たどり着いたラオス国境付近では、家族が逮捕され、投獄されるという辛い出来事が起きてしまいます。脱北者が直面する理不尽な現実とその中で見えた“光”とは。自らの体験を元に語りました。(TED2013より)

スピーカー
活動家 イ・ヒョンソ(Hyeonseo Lee) 氏
参照動画
My escape from North Korea

7歳のときに公開処刑を目の当たりにした

イ・ヒョンソ氏 幼かった頃、私は北朝鮮が世界で一番の国だと思っていましたし、子どもの頃はよく「何も羨ましくない」という歌を歌っていました。私は北朝鮮のことがとても誇らしかった。 学校では、金日成の歴史についてたくさん教えられましたが、外の世界についてはほとんど習いませんでした。ただ、アメリカと、韓国と、日本が敵国であるということだけ。 外の世界について知りたいとは思いましたが、それでも自分は今後の人生をずっと北朝鮮で過ごすのだと思っていました。しかしそれは、あることをきっかけに全て変わりました。 7歳のとき、私は初めて公開処刑を目の当たりにしました。それでもまだ、北朝鮮での生活は至って普通なものだと思い込んでいました。私の家族は決して貧しくなかったし、私自身は一度も飢餓なんて体験したことがありませんでした。 1995年のある日、母が仕事先の同僚の妹から届いた手紙を家に持って帰って来ました。手紙には、「これを読む頃には私たち家族は5人とも他界しているでしょう。なぜなら私たちはこの2週間何も口にしていないからです。私たちは床に寄り添って寝ていますが、身体が弱っていて、死ぬ準備に入っています」と綴ってありました。 私は非常にショックを受けました。同じ国の住民が苦しんでいることを知ったのはこれが初めてでした。 また違う日に、私は駅前を通りすぎたときに、一生記憶から掻き消せないような凄まじい光景を目の当たりにしました。 既に命を失った女性が床に横たわっていて、何もできない飢えた子どもがその腕の中で母親の顔をじっと見つめていたのです。しかし周りにその人たちを助ける人はいませんでした。自分たちや自分の家族の生活を支えるのに精一杯だったからです。

なぜ“向こう側”には光があってこちらにはないのか

gazou1 1990年半ばに北朝鮮はひどい食糧不足を体験しました。結果として、100万人以上の北朝鮮人が命を落とし、生き残った人の多くも草や虫、樹皮などを食べてなんとか生存したのでした。 停電も頻繁に起こるようになり、夜になると遠くに見える中国の電気以外全て真っ暗になりました。私はいつも、なぜ向こうには光があってこちらにはないのだろうと不思議に思っていました。 gazou2 これは人工衛星から北朝鮮と隣国の比較を撮影した写真です。 gazou3 この川は鴨緑江(アムノッカン)といって、北朝鮮と中国の国境の一部になっています。見ておわかりになる通り、この川は一部とても細くなっており、北朝鮮から中国へとひっそりと渡ることが可能なのです。 しかしそれを試みる人の多くが命を落とします。川を死体が流れる様子を何度か見たことがあります。私がどうやって北朝鮮を離れたかは詳しく言えませんが、飢餓が最もひどかった時期に中国に住んでいた遠い親戚のもとで暮らすよう送られた、とだけ言っておきます。 私はそのとき、家族と離れるのはごく短期間だと思っていました。それがまさか14年にまで及ぶとは想像してもいませんでした。 中国で家族のいない女の子として暮らすのは大変でした。脱北者としての暮らしがどのようなものか全く知らなかったのですが、すぐにそれが難しいだけでなく危険なことであるとわかりました。中国では脱北者は不法移民として扱われるからです。 私は常に自分の正体が晒され、北朝鮮での恐ろしい運命に送り戻されてしまうことを恐れながら生きねばなりませんでした。 ある日、私が最も恐れていたことがおきました。中国警察に逮捕され、警察署で尋問を受けたのです。誰かが私を脱北者だと通報したので、警察は私の中国語のスキルを試したり、さまざまな質問をしてきました。

中国で捕まった脱北者は強制送還される

私はあまりにも恐ろしくて、心臓が爆発してしまうかと思いました。何か一つでも不自然なことがあったら、私は拘束され強制送還されるでしょう。人生が終わったと思いかけましたが、それでもなんとか感情を抑えこみ質問に答えることできました。 全ての質問が終わったあと、一人の警察官がもう一人に向かって、「これは誤った通報だ。彼女は北朝鮮人じゃない」と言いました。こうして私は解放されました。それは、奇跡でした。 脱北者の中には中国にある外国の大使館に逃げ込もうとしますが、その多くが中国警察に捕まり強制送還されます。 gazou4 こちらの女性たちは運がよく、捕まったにも関わらず国際的な圧力により解放されました。 gazou5 こちらの北朝鮮人はそこまで運が良くありませんでした。毎年、数えきれないほどの脱北者が中国で捕まり強制送還され、北朝鮮で拷問を受けたり投獄されたりしていて、中には公開処刑される者もいます。 私は運良く逃げることができましたが、多くの脱北者は私ほど運がよくありません。脱北者が自分の正体を隠し続け、生存することさえ困難だなんて、あまりにも悲痛です。新しい言語を学び、やっと職を手に入れても、一瞬で世界を壊されてしまう可能性があるのです。 だから私は10年間自分の正体を隠し続けた後、今度は韓国に逃げ、人生をやり直すリスクを取ったのです。

北朝鮮にいる家族の逃亡を計画

韓国に馴染むのは思っていたより難しいことでした。韓国では英語が重視されていたため、第3カ国語を学ばなければなりませんでした。また、同じ朝鮮半島でも北と南では大きな違いがあると知りました。 同じ朝鮮人ですが、67年間の間に大きく異なる人々になっていたのです。自分のアイデンティティさえ疑うようになりました。私は韓国人なのか、それとも北朝鮮人なのか? 私の出身とはどこを指すのか? 私は何者なのか? 私が自分の国だと呼べる場所はありませんでした。 韓国への適応は簡単ではありませんでしたが、私は将来のためのプランを立てました。大学受験の勉強を始めたのです。 そうやって新しい生活に慣れ始めていた頃に、私は衝撃的な電話をもらいました。私の家族への送金を、北朝鮮政府が突き止めたのです。 そのため、家族は北朝鮮の田舎の貧しい地域に強制的に移住させられていたのです。私は、家族がすぐにそのような場所を離れられるように、家族の逃亡を企てました。 gazou6 脱北者は、自由を手に入れるために信じられないほどの距離を移動しなければなりません。北朝鮮から韓国への国境を直接渡ることはほとんど不可能なので、私は皮肉なことにも中国へ戻り、北朝鮮との国境へ向かいました。私の家族は中国語を話せませんので私がなんとかして皆を誘導し、中国から東南アジアまで移動させねばなりませんでした。 その移動はバスで1時間かかり、何度か捕まりかけました。一度、私たちのバスが止められて、中国人の警察官が乗り込んできたことがありました。彼は全員のIDカードを集め、一人ひとりに質問しはじめました。 私の家族は中国語を話せなかったため、逮捕されてしまうと思いました。しかし、警察官が近づいた瞬間に衝動的に立ち上がり、この人たちは耳が不自由であり、私がその付添人であると言いました。彼は疑い深そうに私を見ましたが、それでも運良く信じてくれました。

見知らぬ男性が助けてくれた

私たちはラオスの国境までたどり着き、私はラオスの国境警備兵に賄賂を払うために所持金をほとんど使い果たしました。それなのに、国境を過ぎたときに私の家族は違法に国境を越えたということで逮捕され投獄されたのです。 罰金と賄賂を払うと、家族は一ヶ月後に釈放されましたが、そのあとすぐにまたラオスの首都で逮捕、投獄されてしまいました。 私の人生における最下点でした。家族を自由にするためにできることを全て行い、こんなにも惜しかったのに、家族は韓国大使館からあと少しという距離の牢獄に入れられてしまったのです。 私は警察署と移民局を行き来して必死に家族を助け出そうとしましたが、もう賄賂や罰金を払うお金がありませんでした。私は、絶望しました。 その瞬間、ある男性の声が聞こえました。「何かお困りですか?」見知らぬ人がわざわざ声をかけてくれたことに私は驚きました。そして私は片手で辞書を引きながら、拙い英語で状況を説明しました。 すると男性は躊躇せずATMへと向かい、私の家族とそれ以外にも2人の脱北者が釈放されるためのお金を払ってくれたのです。 私は心の底から彼に感謝し、尋ねました。「なぜ私を助けて下さるのですか?」。彼はこう答えました。「あなたを助けているのではありません。北朝鮮の人々を、助けているのです」 これは私の人生における象徴的な瞬間でした。この心優しい男性は私と北朝鮮の人々の多くに最も必要であった希望を授けてくれたのです。そして他人同士の思いやりや、国際社会が支えあうことこそが北朝鮮人の希望の光であることを教えてくれたのでした。 長旅の末、私と家族は韓国で再会することができました。しかし、自由を得ることは戦いの半分でしかありません。多くの脱北者は家族と離れ離れですし、外国に到着した時点ではお金を全く、あるいはほとんど持っていません。 このことに対して、国際社会は教育、特に英語教育、そして実務トレーニングなどを提供できます。そして脱北者たちは北朝鮮に残った人と外の世界をつなぐ役目を果たし、北朝鮮にいる人たちと連絡をつづけることで情報やお金を送り、北朝鮮を中から変えることができるのです。 私は本当に恵まれていて、たくさんの支援と励ましを頂いて来ました。だから私は希望のある北朝鮮の人々に、国際的な支援による成功するチャンスを与えたいのです。 世界中で北朝鮮の人たちが成功する姿を皆さんが見るようになると、私は信じています。それは例えば、TEDのステージの上でも。 ありがとうございました。

  
※ログミーでは、TED Talksおよび各TEDxの定めるCCライセンスを遵守し、自社で作成したオリジナルの書き起こし・翻訳テキストを非営利目的のページにて掲載しています。
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「北朝鮮は世界で一番の国だと信じていた」脱北者として10年間生き延びた少女が、求め続けた“希望の光”

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