多様性は亀の卵が教えてくれた

奥田浩美氏:突然この写真なんですけども。じゃ、私のそういう考えはどういうところから生まれたんですかと。私は多様な考えっていうのは、亀の卵から学びました。

「は?」って感じですよね。実はこの写真の一番左側に立っているのが私です。これは、そうですね、3、4才くらいだと思います。屋久島の栗生浜という所で、私は鹿児島県の、先ほど限界集落の風景がありましたけれども。

ああいう町で生まれて、3才から今度は島の屋久島のほうに行きまして、その先は熊本県の県境の黒之瀬戸というか、激流の流れるようなところで育ってて。3年ずつ、点々として育ちました。

それはどういう背景かというと、私の父は中学校の教員だったんですけども、自分の赴任希望地を白紙で出す人でした。つまり、みんなが行きたがらなくって、「教育が行き渡らなそうなところに行かない人がいるんだったら、僕が行こう」というような人で、必ず白紙で出すと。こういうところへ行くわけですよ。

わたしはずっと、そんな中で基本的にはこの性格の卵、種が心の中にあったので。ずっとずっと異質な存在で。ああ、私って受け入れられないんだなって思いながら、ずっと20いくつまで過ごしました。

亀の話に戻します。これ栗生浜というところの亀の産卵の地なんですけれども。今も亀は産卵に来ているんですが、私が育った1970年くらいの頃、亀がこの土地に産卵をすると…。

150個生んだとしましょう。そしたら50個くらいはこの町の中学生が籠に入れて、亀の卵をとって籠に入れて、町の中の妊婦さんとかお年寄りとか、滋養強壮が必要そうな人に売りに行ってたんです。

その売ったお金で中学校に孵化場を作って、亀を孵らせてまた海に戻すっていう活動をしてました。亀の卵、私も食べました。超マズいです。

異なるからこそ意味がある

亀の卵を食べるって今言ったら、ここにいらっしゃる方って、すごく野蛮で環境に悪いと、地球環境に悪いことをしてるんじゃないかって風に思われるかもしれないんですが、1970年くらいはそういう風に実を言うと、ちゃんと安全な方法で孵して海へ帰していたと。

そこへちゃんと中学生が混じって活動をしているっていう意味では、こちら側のこの風景の中の屋久島の文化っていうのが、私は素晴らしいことなんじゃないかと。

でも、そんな背景が例えば変わってしまうと、「亀の卵を食べてる人って野蛮人」とか、「自然環境にとてもやさしくない」とか。待てよと。どっちが正しいんでしょうと。

私は亀の卵のマズさがもう、一生トラウマみたいに残っていて、本当にマズいんですよ。「何で食べなきゃいけないんだろう」って思ってたんですけど、大きくなるにつれ、私の父からそういう活動の話を聞いたり、うっすらと覚えています。亀の帰っていく様子とか、中学生が毎日毎日お世話をしていたこととか。

ってことは、こっち側に立つのと、こっち側に立つので、違う考えですよね。どっちが正しいってことは、世の中には無いんだと。私が屋久島にいる時はそれが正しかったし、私は屋久島から出て、屋久島のこの環境を見ると亀の卵を食べるなんてっていう。

じゃ、「あなたはどっちを選びますか?」っていう時にどちらも正解じゃないんであれば、あなたがその時に信じたこと、そしてあなたがその時に信じて行動できたこと。それを信じましょうっていうことを、小さな頃からずっと言われて。

私のお父さんは先生なんだけど、クラスの半分以上から好かれてたらそれでいいよっていう人でした。それはまあ、いいよって言って諦めるんじゃなくて、出来るだけたくさんの子に何かやってあげようと思っても、あげようっていう範囲はもうどうにもならないんだと。

全力で自分が行動して、それでもだめだったらそれは違う考えの家庭の環境だったり、違う考えの文化だったりっていう中で私は育ちました。

ですから、「異なるから意味がある」っていう風にずっと思うと、今日も3回くらい仕事のことでムカついたことがあるんですけど。あ、そうか、こちら側から見るとそりゃこの指示になるよねと。この立場から見るとそうなるよねと。ムカついたことがありますって言ったら、私のクライアントさんがビビビってなるかもしれないんですけど。

でも、そういうことがいっぱいなんですけど、こちら側の視点で見ると、あるいは、ここから見るとってことを、1日に私は100回くらいやっている気がします。

そういう視点で考えると、会社の中であの人おかしいとか、この人はこぼれ落ちて行きそうだ。みたいな、ドロップアウトしそうな人こそ面白い人で、新しい価値観が眠っているかもしれない。全てがそうだとはかぎりませんよ。可能性があるという風に思えば、面白いと。

一番好きな言葉は「嫌われ上等」

先ほどから私、違う人と接する時の話をしてますけれども。私が一番好きな言葉はなんと「嫌われ上等」なんです。でも、嫌われ上等とか言ってるわりに、私は自分が違和感を感じた人と相当話します。

相当話すし、自分のことをなぜ自分はこういう考えなのか、なぜあなたはそういう考えなのかと。トコトンやり抜いた上で、もう会話が出来ないってことは、亀の卵を食べるか、食べないかっていうそこの差だから、もういいや、私の考えが嫌われてもいい。

あなたの考えが受け入れられなくても、仕方が無い。それはきっと、お互いが説明し合った上で、どっちの立場かを取るしかないんだからっていう風にいつも考えています。

そして常に対立をしない。対立をしないっていうのは、なあなあっていう意味じゃないです。逆にいろんな環境で育ってきた人がいるんであれば、いろんな考え方を身につけるほうが世の中って面白いんだなと。私、この本の前に『人生は見切り発車でうまくいく』って本を6月に出してまして、その本の中に「人生は辞書作り」っていうページがあります。

人生は辞書作りっていう意味は、だいたいこれくらいの厚さの辞書って、みなさん役に立たない言葉のほうが本当は半分以上あるんじゃないかなと。普段口にしている言葉って、辞書の中の2、3割なんじゃないかなという気がしているんですけども。

じゃ、なぜ辞書って必要なのかっていうと、自分がどうしてもわからないときに、あるいは、普段使わないけど、知らないことが出てきた時に辞書手にしますよね。

ということは、私は人生の辞書の中に、違うパターンの人、自分だったら行動しないような、行動の手法とか結果とか、考え方とかを辞書にしておけばいいやと。

私はこれはしないけどって思いつつ、とんでもなく違和感のある環境の中にぱっと置かれた時にもうお手上げになることが人生に何度かあります。お手上げになった時に、いつも役立つのは自分が今までして来なかった行動。

つまり、あったらいいなっていうページに人がやった行動を加えておけばいいじゃないかと。だからもう、こんな行動なんか嫌だって辞書のページを捨てるんではなくて、私は普段はしないけど、辞書に加えておくのはいいんじゃないかっていう風に。違う人を1ページずつ。

なので、私の辞書はおそらく、すごい自慢ですけど、これくらいある感じですね。なので、これくらいって、一番端っこって、一生やんないだろうなっていう人も、辞書に入れてるんですね。だけれども、人生何が起きるかわからないので、もしかすると、その辞書の最終ページが役に立つかもしれないという風に思いながら、生きています。

私は自分と異なる考えとか、異なるポジションの人がいたとしても、VSっていうんではなくって、辞書の横並びのページに加えるってレベルの、共にって考えます。

ですから、個人で何かやるのがいいのか、会社でやるのがいいのかみたいなVSも、個人と会社、一緒に並べちゃえ! とか、大企業がいいのか、スタートアップがいいのかみたいなのも、まあ、その人その人、いろいろあるんだから横に並べちゃえとか。

あと私は、先ほど言った「たからのやま」という会社をやっていて、都会と地方を行ったり来たりしてるんですけれども、地方VS都会みたいな位置づけをされることがとっても多いんですけど、別にVSじゃなくって、いろんな価値観で往復してればいろんな発想が出来ると。

あと特に、最近女性活躍っていうテーマの中でVSってすごく出てきますけど、私はVSって考えたことってほとんどなくって、「共に」って風に考えるとだいたいのことも解決する。今日もこの、男女の話とかあまりしないで進んでいこうと思うんですけども。

シリコンバレーで生み出せないものを作る

この本の中にもちょっと出てきますけども、「新しい形の大企業との組み方」っていうことで、私が今やっている事業をここでちょっと紹介させてください。

この風景は徳島県の人口8,000人弱の海部郡美波町というところにあるオフィスです。古民家をちょっと改修して使っています。私たちの目標は、お茶の間で使うものはお茶の間で作る、シリコンバレーで生み出せないものをこの場で作る。

「シリコンバレーで」と書いたのは、実はシリコンバレーに限らず東京もそうですけれども、22歳から60歳ぐらいの男性中心の中でいろんなものが開発されて、生産されている。

女性や子供がいなければ、おじいちゃんおばあちゃんもいない環境でほとんどのものが生み出されているわけです。これから少子高齢化を迎え、そしてなんだかんだ言いつつも女性がなかなか進出してこない世の中で、本当に必要なものが作られているんでしょうかと思うんです。

私たちは高齢者や子育て中のママやいろんな人たちが使いたいものをすぐに発信して作れる仕組みを作りたいと願ってこの場を設けました。そして、昨年の5月なんですが、共創の場として「ITふれあいカフェ」っていう場をオープンさせています。

そこで何をしているかというと、高齢者向けのサービス開発って思われることが多いんですけども、私としては高齢者に限ってはおらず、生産現場にいないような人の声をすくい出すという意味で、まずはこの限界集落を持つ徳島県の美波町にカフェを作ったわけです。

ここを高齢者に限らず開放してもですね、来るのは高齢者しかいないんですよ。高齢化率が非常に高い地域です。私たちはここにいらっしゃる来訪者に対して、タブレットやスマートフォンといったものを無料で教えています。

「じゃあ、タダの講習会ですか?」っていうことでもなくて、いらっしゃった方のカルテを全部残しています。ただ、その方のお名前や電話番号とかメールアドレスは一切いただきません。

何を残しているかというと、なぜそもそもこういうITに触れたいと思ってまずここに来たのか、何に困っているのか、どんなものがあったらいいのか、何が必要なのかっていうようなことをずっとカルテにしています。

でも実を言うと、それって一番生産現場が欲しい情報であり、私たちはここを「検証の場」「アンケートを取る場」としては考えていないんですね。こういう人たちのニーズが上がってきて、一緒に製品開発ができるといいなと。

環境に身を置くことで見えてくるもの

これ、先ほど8戸11人の集落の写真をお見せしましたけれども、もう一箇所の鹿児島県肝付町、そこのおばあちゃんです。

タブレットが使えるようになり、ちょうどこの「地元の」ってところの後ろに映っている40いくつになるお子さんが千葉に住んでらっしゃいますが。お子さんは耳が聞こえないから、今までは手紙だけで電話はできなかったんですよ。

でもタブレットが初めて入ったことによって、テレビ電話ができるようになった。今までテレビ電話なんて普通の家庭では一切できなかったけど、それがこういう場所によって習得できる。

私たちは教えられてよかったなって思ってるわけじゃありません。驚いたことに、このおばあちゃんは自分で次々と使い方を考えていって、周りの同世代の方って施設か病院に入っている方がほとんどですが、このおばあちゃんは自分でアイデアを考えて。

ある病院に入っているおばあちゃんの写真や動画を撮って、そのタブレットを持って、その同級生のおばあちゃん家に「この人がこう言っててね」っていうのを写真や動画を撮ってぐるぐる(回覧板のように)まわしはじめたんですね。

配信すりゃいいじゃん! っていうことじゃなく、こういうものってやっぱり人の温かさや空気と一緒に運ばれたらこうなるんだ。次のステップがもう生まれてて、病院にいる人たちがなかなか買い物に行けないので、街の中で見かけたこのスカーフとかを写真に撮って、そのスカーフの写真を持っていって、「これぐらいなら似合うんじゃないの?」とか言って買物代行を始めているんです。

でも、ここってIT業界の方何人かいらっしゃると思うんですけど、上からタブレットを使って買物代行しましょうとか、見守りしましょうとか言うんじゃなく、こういうものを手にした瞬間に彼女たちが考え始めるんですね。

タブレットを手にされて、「そっか。一方的に配信すればいいわけじゃないんだ」とか考え始めて、どこに人の空気と手と思いが詰まってなきゃいけないのかっていうのが自然発生的にわかるようになって。

先ほどたくさんお見せした写真の中で、私は「これ、最先端の技術や、どやっ!」って上から与えてきていた。だけれども、本当に必要なものは、「これがこういう使い方できれば、私たちもいっぱい利用するのにね」っていうことであり、それが大事なんじゃないかなっていうふうに今は考えて活動しています。

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