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「ホタルとゴキブリの命にどれほどの差があるのか」電気で“生命”を表現するメディアアーティスト・落合陽一

「ホタルとゴキブリの命にどれほどの差があるのか」電気で“生命”を表現するメディアアーティスト・落合陽一

コンピュータとアナログなテクノロジーを次々と組み合わせた作品を生み出し続けているメディアアーティストの落合陽一氏。虫や桜などの自然物からインスピレーションを受けながら「循環」をキーワードに変わり続けることの重要性について語りました。(TEDxTokyoyz2011より)

スピーカー
メディアアーティスト 落合陽一 氏
参照動画
Yoichi Ochiai at TEDxTokyoyz 2011

コオロギを電気で操ってみたかった

落合陽一氏 ある日、僕はブレッドボードにコオロギを挿してみた。ブレッドボード、ご存知の方はいますか? 電子工作をするために使う穴の開いた板のことです。この上にICとかコンデンサとかLEDとかをつけて、実際に電気回路を作っていく。 僕はコオロギを電気部品として見てみた。コオロギの中に流れる電気が見てみたかった。コオロギを電気で操ってみたかった。そのコオロギの中の電気を見るために、大きなアンプに接続します。その中でコオロギの電気をキャプチャーすることに成功する。 1匹のコオロギの電気を見た後、僕はブレッドボード上の2匹のコオロギを接続した。こんな感じにです。 gazou2 ある1匹が動いた電気信号をコンピュータで変換し、もう1匹のコオロギに伝える。2匹のコオロギが相互して動く。生物の体から電気を取り出し、解析し、再び電気にして生物をつなぐことができたら素晴らしいと思った。 僕は電気が好きだった。だから、生命のつながりも電気で表現できないかと思った。 しかし悩みが残った。それは、僕はブレッドボードに載ったコオロギを見る時、近くで見ているとブレッドボードの上のコオロギは生き物だと思う。 しかしその反面、遠くから見るとブレッドボードの上のコオロギはなんだか電子回路の部品に思えてきた。こうやって少し視点を変えるだけで、命の価値観が変わってしまう。そういうことって他にもあるんじゃないかなと思った。その時に、僕はこの感情を作品にしようと思った。

ホタルとゴキブリの命にどれほどの差があるのか

gazou3 白い蚊帳の中に青い光が満たされている。その中に光る虫が何匹かいる。たくさんいる。200匹ぐらいいる。まるでホタルのように光っている。しかし、このホタルは全てゴキブリです。ゴキブリに触れ合うインスタレーションを作ってみようと思った。 (会場笑) 「ホタルとゴキブリの命にどれほどの差があるんだろうか?」と僕は思った。ホタルとゴキブリ。光っているゴキブリはひょっとしたら、見た目が一緒ならあるいは……。僕はそう思った。 でも、ゴキブリが死ぬとなぜかみんな喜ぶし、ホタルが死ぬとなぜかみんな悲しむ。その間にある差っていうのは一体どんなものか考えてみた。 「見た目が一緒ならあるいは」、この考えは的中した。実際にこの蚊帳の中に入った人たちは、最初は嫌がりながらもゴキブリを触ることに慣れていった。つまり、ゴキブリについての何か凝り固まった心、嫌いにならないといけないと思う心が体を縛っていた。 その忌避感というのはどこから来たんだろうと僕は思った。テレビの向こう側から来たのかもしれない。テレビの中で「効率よくゴキブリを殺す」っていうCMが流れている。商業的に何かやるっていうことに、自分で自分をはめていってしまったのかもしれない。そういうことを考えた。 gazou4 何かと何かの間で価値観を回転させる。この考えを用いて作品を作っていこうと思った。ある日僕は自分をブレッドボードにつなげていた。筋電用のパッチを使って、自分の中に流れている電気をブレッドボードの上で測ってみた。 自分の中に流れる電気を使って、電化製品を動かすことができないだろうか、そんな作品を作りたかった。実際に回路を組むのはすぐにできた。アンプをつないで、ブレッドボードの上でシステムが動いた。しかし疑問が残った。「僕の体が電気で動いているのに、僕はなんで電気を見ることができないんだろう?」ということです。 誰かが悲しんでいる、顔が青い、きっと気分が悪いに違いない。顔が赤い、きっと何かモヤモヤしたものを抱えてるとか心拍が高いとかそういうものがあるかもしれない。見てわかることのはずなのに、僕は電気で動いているのに、僕はなんで電気を見ることができないんだろう? そう思った。でも、この回路の上で、僕は自然と電気を違う色でつなぐことを覚えていた。 違う機能の箇所は違う色の配線でつながっていた。これを使って、習慣から僕は電気が見えるようになっていたけれども、電気が見えるっていう補助輪をみんなにつけてあげたら、何か認識の幅が広がるんじゃないかと思った。そして僕は作った。 gazou5 これは大きなブレッドボードです。上から見ると、中に流れている電気が見える。例えば青色だとか赤色だとか、違う色で電気が見える装置です。そこに、電圧の違う変化を見て、実際に電気が見えることを体感したからものを作っていく。 電気が流れていくことを見れば、その配線の中に流れている電気が何色かっていうので見てわかる。「電気は見えない」、そんなのは当たり前だってみんな言う。でも、当たり前だと思っていることを疑う、そして自分が認識できる境界を押し広げていく。電気が見えることによって、電気が見えない時よりも、何かちょっとだけ前に進む。 そうやって自分が表現できるカンバスをテクノロジーによって拡張していく、そういうことができるフィールドを僕は「メディアアート」だと思っています。それを知った。これは本当に素晴らしいことだと思った。自分が表現できることを広げていくことは、いいことだと思った。

「陽一」の名前の由来は「プラスとマイナス」

僕は小さい頃から電気が好きだった。僕はメディアアートについて語る時、「メディアアートは電気を使った芸術です」としゃべります。 僕は8歳ぐらいの時から実験が好きで、電気回路をひたすら作っていた。そしてなんで電気が好きになったか、そのきっかけは、小学校の時の「あなたの名前を漢和辞典で調べてみなさい」という課題だった。 gazou6 小学校の先生に言われたとおりにしようと思ったけれども、僕の名前は陽一。落合陽一っていう名前です。太陽の「陽」に「一」、なんか明るくて脳天気な感じがしませんか? 僕は嫌だなぁって思っていたんですけど、母親に聞くと、この意味は「プラスとマイナスだ」と。幼心ながらにすごい頓智が効いた名前だと思った。 (会場笑) 「何を言っているんだ、どうにかしないと」って思いつつ、「落合陽一」は「プラスとマイナスが落ち合う」……、すごいいい名前だと思いました。 (会場笑) 僕は今メディアアートというフィールドの中で、表現と技術、感覚とディスプレイ、そのテクノロジーの間を行き来している。 この感覚はよく「白と黒を混ぜてグレー」だとか、色的なもので表現されることが多いですけど、これはもっと僕は感覚的なもので捉えるべきだと思った。みなさん、境界線上で物を作る感覚、それをちょっと体感してみましょう。 gazou7 手を出してください。右手と左手です。右手を握ります。右手の感覚があります、左手を握ります。左手の感覚があります。その両手を合わせてみてください。 右手と左手が合わさった感覚は今目を閉じてみればわかりますが、祈るようなポーズで感じた時に、右手でも左手でもない感覚、つまりグレーではなく、どちらでもではなく、どちらでもなく、その間に何か高速で移り変わるようなもの、右手だったり左手だったり認識が相互に変わっていくようなものがあるように思います。目を開けてください。 その何かと何かの間の感覚っていうのは、常にどちらでもない感覚。そこにいれば、常に僕は視点を変えていけるかもしれないって思いました。それでメディアアートをやってみた。

季節が循環する中で、技術や表現も循環する

gazou8 春に桜を見た。桜はいい花です。僕も桜が大好きです。桜が待ち遠しいですよね。そこで、ひらひらと落ちてくる桜が僕にはスクリーンに見えた。 スクリーンが粉々になって降っている。何かテクノロジーがあれば、この花びらをスクリーンとして機能させることができるかもしれない、そう思った。発電機を買って行動に移した。 gazou9 野外の桜に彩りをつけていく。プロジェクションマッピングを行って、桜をさらに着色していく。桜っていう生き物を使って何か表現をできるんじゃないかと思った。桜は日々変わっていく。だから、常に作品は形態を変え続けないといけない。 何分咲きかによって桜の広がり方は違うし、温度によって桜は散ってしまうし、また距離を変えていかないといけない。形態が変わった作品の中に、また新たな表現が見つかる。こうやって何か変わるものを対象にしていくと、技術と表現は切磋琢磨して何か新しいものを徐々に生み出していく。 gazou10 これは長距離の投光をした桜の写真です。桜を長距離から視野の全部の桜を光で覆うと、桜が揺れてないのに揺れているような感じとか、逆に揺れているのに揺れてないような感じとか、そういうのがコントロールできることに気がついた。 つまり、季節が循環する中で、技術や表現も循環する。こうやってものを徐々に作り続けていくことができる、足跡として作品を残していくことができるっていうことに気が付きました。 gazou11 僕がメディアアートを作る時に思う1つの風景があります。これです。朝ロッジで目を覚ますと、雪原がこうやって広がっている。そこに足跡をつけていく。 雪原に作品という足跡をつけて、踏めなくなったら雪原というカンバスをテクノロジーによって広げる。さらに踏める場所を広げていく。そういうことをやっています。

人間は粉から始まって粉に戻る

ある日、人間は何でできているんだろうと考えた。僕は、震災の影響を自分で受け止めることができなかったので、作品で表現しようと思った。 gazou12 そんな僕の前に現れたのは、1本の粉ミルクだった。粉ミルクは0歳児が0か月から32か月まで育つ。つまり、3か月の子どもは体が粉ミルクでできているようなものだと思った。乳幼児を粉々にしたら粉ミルクに戻るんじゃないか、そんなことが浮かんだ。 gazou13 これ、並んでいるのは粉ミルク、そして骨壷、さらに子宮です。人間を構成するもの、その循環について考えた。 人間は終わりに、粉になって骨壷に入る。そして人間は始まりに、粉ミルクを摂って体を大きくしていく。その間を循環させたら、何か死に対する忌避感みたいなのが遠ざかるんじゃないかと思った。人間を構成するもの。人生の始まり。 僕らは粉から始まる。粉から始まって、人生の終わりに粉に戻る。人間を粉塵に変えたら粉ミルクになるんじゃないかと思った。その中で、人間を粉塵に変えて灰にしてしまったらすごく淋しい、つまり無機質なパサパサになったら僕はすごい嫌だなぁと思った。 だから、展示会場で、粉ミルクと子宮の間を行き来する、骨壷と子宮の間を行き来するようなインタラクションを作った。なめて味わって帰ってもいいっていうことにした。その中で、徐々に来客する人々の骨壷に対する忌避感が薄らいでいることを感じた。 つまり、終わりだと思っていた箱の中に始まりが入っているということは、循環すること。循環することは終わりを終わらせないということ。 そして、終わりへの忌避感、それがどこからやってくるのかをもう1回みんなに問い質すということ。その間で鑑賞者の心が移り変わっていくのが見えた。何かと何かの間で価値を循環させていくこと、これは作品のテーマになると思った。

興味、表現、研究のループを発見する

gazou14 ある時、価値観を循環させることに飽きてきたので、僕は何かを物理的に回してみたいと思うようになった。回転です。白と黒のパターンをプロジェクターの下で回すと、カラフルな色のパターンが現れることを発見した。これはきっと何か表現につながると思った。 回ると認識が変わる。白と黒の高速のパターンが眼球に入って、テクスチャーや色や材質の感じを変えていく。そんなディスプレイがあってもいいと思った。 1つ1つが単純な発見からなるピクセルでも、それがいくつもいくつも組み合わさる内に、ディスプレイを構成することができるんじゃないかと思った。 1つのディスプレイのピクセルがこういう感じに回っている。そこの色が変わってテクスチャー感が変わっていく。こういうことができるんじゃないかと思った。 そして、これを調べていくうちに、認識は白と黒の模様の回転によって決まる、そして変化を観測することで、その中にあるディスプレイを作ることができる。つまりそこを調べてディスプレイを作り、ディスプレイを作ることで調べて、その繰り返しを使って表現と研究をしていくことができるんじゃないかと思った。 gazou15 そして、僕は自分の中にループを発見した。表現をする。そして興味を見つける。興味を見つけた後、研究をする。研究の中からさらなる興味にジャンプする。 その興味からもう1回表現に戻る。このループで僕は常に視点を変え続けることができるっていうことに気がついた。自分の中にある視点を循環させていくこと、常に見方を変え続けること、それができるということに気がついた。

視点をわずかに変えるだけで別の世界が見える

gazou16 ある時、僕はブレッドボードにコオロギとともにつながった。大きな作品です。このブレッドボードが49個並んでいる2.5mの回路です。その上に人間の手を当てると脈拍で動くようなマイコンが載っていた。コンピュータはすごい早いスピードで動く。 3GHzとか何GHzとか。だけど人間は1秒間に1回、大体1分に60回ぐらいのスピードで動いていることに注目した。人間の拍動で動く回路。そんな大きな回路の中に、植物だとか動物だとか、あと昆虫だとかがつながっていて、それでひとつの世界を作れるんじゃないかと思った。 そして、人間の目から見たら大きな回路だったものが、昆虫の目から見たら巨大な町に見えた。 視点をわずかに変えるだけで、広がりを持って感じられた。そのことは僕にとってかなりの驚きだった。視点を変えてみると、野菜だと思っていたブロッコリーは巨大な木に見えた。こうやって視点を変え続けていくこと、それを感じた。 gazou17 そして、最後にこの作品に脚立を置くこと、それをきっかけにこの作品は完成した。脚立の上に乗って、作品の全体を見てみた。どんどん目線が上がっていく。 その中で、ブレッドボードがブレッドボードを構成していることに気がついた。今までコオロギをブレッドボードに載せて、その回路が大量に並んでいたのが、今度は人間がそこに並べられている立場になっているっていうことに気がついた。 視点を変えていけばいくほど、その大きな視点が見えてくることに気がついた。そこにはフラクタルな構造があって、お互いに関係を持っている。僕はこれを見た時に「曼荼羅だ」と思った。仏像の1匹1匹、いや、仏像の1人1人……。 (会場笑) いや、仏像の1つ1つが電子部品でできている曼荼羅なんじゃないか、と思った。その中にある構造が電子部品となって連なって、1つの大きな世界を作っている。そんな感じがした。自分自身の視点を変え続ける。生きていく中で、その視点を作品にして残し続ける。僕はそれをテーマに生きていこうと思った。 gazou18 ワットポーにある涅槃仏の話をして、僕の話を締めようと思います。これは、仏像の足の裏に曼荼羅が書いてある。足の裏にも世界が広がっている。そういうことをイメージするものだと思っていました。

「変わり続ける」という信念

そして、僕はこのスピーチの中で何度も繰り返していますが、ある真っ白な雪面がある、そこに作品という足跡をつけていく、その都度作品を残す。自分の認識の中で自分は移り変わってしまう。視点を常に変え、表現の可能性を広げていく。 ただ自分が立ち戻れるポイント、どこの世界にどうやっていたか、それはこの足跡によってわかる。その足跡の裏は曼荼羅が広がっている。そこに世界があるんじゃないかって僕は思いました。僕は今日、たくさんの作品を紹介してきました。 その中で、僕が広めたいコンセプトは1つ。「変わり続けていくことを変えず、作り続けていくことをやめない」っていうことです。 gazou19 よく「確固たる信念」とか、「変わり続けていくことはダメだ」とか、「何か自分の中に心を持て」というのがありますが、そういうことではなく、僕が守り続けているのは「自分の中を変わり続ける」っていう信念です。 それを持って作り続けていくことで、1つ1つの世界を記録に残していく。その中で何か作れるものがあるんじゃないかと考えました。突飛な考えに見えますが、僕はこの考えは、何かと何かの間、白と黒の間みたいなところ。 そして何かと何かが循環し回転するようなところ。そして最後に感覚として、僕らの両手の間にあるように思います。ご清聴ありがとうございました。

  
※ログミーでは、TED Talksおよび各TEDxの定めるCCライセンスを遵守し、自社で作成したオリジナルの書き起こし・翻訳テキストを非営利目的のページにて掲載しています。
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