ピーター・ディンクレイジ氏、登壇
ピーター・ディンクレイジ氏:皆さん、怖がらないでくださいね。
(ピーター・ディンクレイジ氏、メイスを持って登場)
僕がステージに立つ10分前、ベニントンの学生がこのメイスを渡してくれました。
(会場笑)
「自作した」とのことです。
(会場笑)
仮にこれを持って壇上に上がらないとしたら、ベニントン大学出身者としては失格ですよね。
(会場拍手)
ベン、君のおかげで今夜、聴衆のみなさんに「神への畏怖」を植え付けることに成功したよ、ありがとう。さて、そろそろこれを下ろさなくては。僕は一介の俳優で、腕力には自信がないんです。ああ重かった。小道具には見えませんね。まるで本物だ。ベン、ありがとう。
では、スピーチの原稿を読みます。暗記していないのでしょっちゅう下を向くかもしれませんが、ご容赦ください。
コールマン学長、ブライアン・コノーヴァー氏、ありがとうございます。
(会場拍手)
教職員の皆さん、学生諸君、ご家族の皆さん、校友の皆さん。僕の大切な友人である同窓生のみんなも、僕に会うためにはるばる都会から駆け付けて来てくれました。今夜のスピーチで、皆さんに醜態をさらすことのないよう頑張りたいと思います。特に、2012年卒業生の皆さんに感謝を申し上げます。
(会場拍手)
実は拍手を止めてもらうジョークを用意して来たのですが、皆さんがこうして拍手で盛り上がってくださっているので、どうも不発に終わりそうです。試してみましょうか?
「2012年卒業生の皆さん、拍手をお控えください」
(会場拍手)
台本なし・アドリブでの卒業スピーチ
さて、2012年ですね。生きて2012年を迎えることになるとは、思いもしませんでした。マヤの予言が実現して世界が終ってくれたら、学位授与式のスピーチなどという、こんな恐ろしい仕事を引き受けずに済んだかもしれないのに。あれ? ちょっと待てよ? マヤ暦の、世界の終わりは、いつだって? 2012年10月? ダメだ!
まあ仕方ありません。これから新たな道に踏み出そうと、希望に胸を膨らませている卒業生の皆さんに、世界の終わりの話などするべきではないのかもしれません。それにしても、名だたる小説家、教職者、劇作家、詩人、最先端のヴィジュアル・アーティストや、各分野のパイオニアたる科学者をさしおいて、僕のようなTV俳優が呼ばれるとは! やれやれ!
さらに僕は皆さんが、僕に授与式へ来るよう請願している様子も実際に聞いてしまいました。愛すべき馬鹿者たちですね。請願に加わらなかった諸君、中東問題や世界経済の下降について、後ほど話し合いましょう。
請願に加わった諸君、申し訳ありませんが、今はサイン入りの『ゲーム・オブ・スローンズ』DVDの持ち合わせがありません。ターガリエンとラニスターのパラレル・イメージについて、後ほどバーで語り合いましょう。
さて、僕はこのスピーチを引き受けるにあたり、清水の舞台から飛び降りるような決意が必要でした。妻のエリカにも背中を押してもらいました。
僕は、こういうことには慣れておりません。本業では各分野のプロから、「ここへ立て」とか「こんなまなざしをしろ」とか、いろいろ指示されるからです。何より、「こういうセリフを言え」と人に言われますからね。
でもまあ、僕は来ました。もう、僕しかいませんよ。編集なしの僕のスピーチです。聞いていてお分かりになるかと思われますが、かなりお恥ずかしい内容です。マックス、これは読まなかったよ……アドリブです。
「進めなくとも、進むのである」
ちょっと記憶をたどってみましょう。僕は学位授与式スピーチのアドバイスを、いろいろな知人や、また彼らのおじさんたちから必死に集めました。
「卒業生が聞きたいと思っていることを話してやればいい」
「自分のベニントン時代の話をしたら?」
「『間違ったスピーチ』なんて存在しないんだから、何でもいいんだよ」
中でもこれは気に入りました、「短ければいい」。義父からのアドバイスです。
(会場拍手)
「卒業後の厳しさを、冷酷なまでに率直に話せばいい」
この話題についてはあとで触れます。
「メリル・ストリープの、バーナード・コロンビア大学でのスピーチを見れば大丈夫」
ベケットは言いました、「進めなくとも、進むのである」。
僕のスピーチが、たとえ長く皆さんの心や思考の中に燃え続けないとしても、「星のかなたにまで手を伸ばしたい」という希望を掻き立てることがなくても、今夜の1杯のワインで忘れ去られてしまうとしても。僕はいったい、何を話せば良いのでしょう?
「進めなくとも、進むのである」
輝きを放ち続けるベニントン生
自分のベニントンでの過去を、かの老漁師のごとく語ることはしません。皆さんは既にここで、自分たちの時間を過ごしました。皆さんは皆さん自身の、語るべき物語を持っています。
僕に関して言えば、ここは始まりの場所です。1987年、バーモント州が大雨の夜、僕は新入生でした。豪雨で視界が悪く、よもやそこで出会った新入生が、後日すばらしい親友にして協力者となり、17年後、僕の妻となる女性を紹介してくれるとは、思いもしませんでした。彼をいつも呼んでいる通り、シャームと呼びます。
深夜ちょうどあそこの道、ブース・ハウスのそばでのできごとでした。豪雨の闇夜であったにも関わらず、寮からの灯りが洩れ、ここは活気にあふれていました。
ニュージャージー出身の僕はその頃まだ子どもでした。カトリックの男子高校の出であった僕は、まるで珍しい動物のようなありさまで、ぼそぼそとしかしゃべらず、黒いベルベットの女性用ケープのようなものを被り、黒いタイツとコンバット・ブーツを履いて、しかめっ面でした。でもここベニントンでは、僕は自分の家にいるように感じました。
(会場拍手)
これだけは言わせてください。ここ以上の場所はありません。はっきり言います。ここほど輝きに満ちて、素晴らしい人々がいる場所は、外の世界には存在しません。今、席を同じくしている先輩たちや友人たちは、至高の存在なのです。
僕は卒業後22年間、あの雨の日の友にして、ベニントン卒業生のシャームと共に仕事をしました。彼が書いた数知れない上演作品と共に、リビングルームからオフ・ブロードウェイまで少しずつ段階を追って上っていきました。
ブルックス、イアン、ジャスティン、ブリット、ジョン、マシューズ、ジム、ショーン、ハイランド、ニッキィ、ザビィ。彼らは皆、クラスメイトです。僕たちはかつてここで共に過ごし、今も一緒に仕事をしています。彼らを友と呼べることを、本当に幸運だと思っています。
僕たちはここで非常に大切にされました。よそでいつもこう言われます、「小さい大学なのに、いろんな所に卒業生がいるわよね」と。僕には、これは非常に興味深くて素晴らしいことに思えます。これはベニントン生の性なのです。僕たちは、強い光を放つのです。どうか皆さん、輝き続けてください。
手にしていたのは借金だけだった
卒業生の皆さん! 僕が皆さんの今いる場所に座っていた頃には、夢がたくさんありました。あそこに行きたい。こういう人になりたい。こんなことをやりたい。クラスメイトたちと、映画会社を設立したい。こんな映画に出たい。あの監督と仕事をしたい。こんな物語を創りたい。ちょっとは時間がかかるだろうな。でも、いつかは実現してやる。
22年前、僕がそこに座っていた時、考えたくなかったことがあります。