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「死にたい欲求は理屈じゃない」 自殺未遂を繰り返した男から、自殺撲滅への提言

「死にたい欲求は理屈じゃない」 自殺未遂を繰り返した男から、自殺撲滅への提言

「死にたい」「自殺したい」という気持ちが頭を離れなくなったらどうなるでしょうか? それが欝(うつ)をはじめとした心の病を抱えるということなのです。私達の認知、考え方は生物学的、心理学的、社会的要因に影響を受けて常に変化します。時には自分自身を追い詰め、苦しめてしまうのです。自身も自殺未遂を経験したことがあるマーク・ヘンイック氏は当時の様子を赤裸々に語ります。中学2年生の頃の進路相談で自己嫌悪に陥った彼は「(自分が)死んでも誰も気にもしない」と考え、首にナイフを当てましたが進路カウンセラーが止めに入ったため、最悪の結果は免れることができました。しかし、その数年後にも自殺願望を抱くことになります。「誰にも知られずに1人で死のう」と決意し、車が行き交う歩道橋からの飛び降り自殺を考えたのでした。しかし、死ぬことはありませんでした。手すりから両手を離した時、間一髪のところで誰かにシャツを掴まれて助けられたのです。ヘンイック氏は当時の様子を「死ぬしかないと信じていた」と振り返ります。もしもその時、道路に落ちてしまっていたら、彼は命を失っていたか、失敗して助かったとしても重症を負い、後遺症に苦しんでいたことでしょう。もしも死にたくなったら、どのように行動や思考をすべきか。自殺を食い止め、自殺者数を減らすにはどうすべきか。当事者の視点から提案しました。(TEDxTronto 2013より)

スピーカー
カナダメンタルヘルス協会 役員会員 マーク・ヘンイック(Mark Henick) 氏
参照動画
Why we choose suicide | Mark Henick | TEDxToronto

朝のイライラが一日中付きまとう心の病

マーク・ヘンイック氏 最初に自殺を試みた時、私はまだティーンエイジャーと呼べるか呼べないか、というような若さでした。当時物事をもっとよく理解していれば……とも思いますが、物をわかっていたとしても同じことをしたと思います。 頭では理解していても、感情が先走ることがあるでしょう? そしてこれは自殺に限らず、他の多くの場合に同じように起こります。 私達のものごとの捉え方、感じ方が自分自身を苦しめます。そしてこれは生物学的、心理学的、社会的な要因が私達のものごとの捉え方の周りを泡で覆っているようなものです。そしてこの泡、または私達のものごとに対する考え方や捉え方は、先に挙げた生物学的、心理学的、社会的な要素が変化することで大きくなったり小さくなったりするのです。 多くの人々は泡が小さくなることに苦しんだ経験があるはずです。車を運転中に、他の走行車が突然前に飛び出してきた時のことを考えてみてください。今日もそんなことがあったんじゃないですか? 車が飛び出してくると、心臓の鼓動は速くなり、顔は赤く上気する。ぶつかる! と素早くブレーキを踏む。 この時皆さんは、目の前を走りさる車のナンバープレートから目を離すまいと、とてもフォーカスします。こんな時に考えられることはひとつしかありません。どうやって、今飛び出して来た運転手を捕まえて罵声を浴びせてやろうか、ということだけです。徐々に皆さんは平常心を取り戻します。そして一日が終わるころには、車が飛び出して来て頭にきたことなど忘れているでしょう。 しかし、もしもそのことが頭から離れないとしたらどうでしょう? ずっとイライラし、そのことだけしか考えられない状態から抜け出せないとしたら。この状態がこころの病を抱えるということなのです。 少なくとも若い私にとってはそうでした。私のものの考え方、捉え方はとても狭く、ダークで、私のこころは崩壊しました。ハリケーンの真ん中で、喘息に苦しみ、呼吸もままならないままに、無くなってしまったメガネを見えない目で探そうとしているような状態でした。

学校で首にナイフをあてた

中学二年生の時、進路相談カウンセラーと話をしていて、言われていることがすべて「お前は出来ない奴だ。お前はバカだ。全然ダメだ」と言われているように聞こえました。そして実際に私がそうだったかは問題ではなく、問題は私がそのようにしか話を捉えることが出来なかったことです。 刃渡り20センチのナイフを手にし、自分の首にあてた時、脈がどくどくしているのを感じました。その時考えられたことはひとつだけ、「死んでも誰も気にもしないぞ」というこころの声だけでした。 ものすごく遠くのほうから、部屋の向こうにいる進路カウンセラーが言っています、「マーク、お願いだからやめてくれ!」。彼の声は聞こえていましたが、「聞いて」はいませんでした。 深呼吸します。「これしか方法はないんだ」。向こうからカウンセラーが駆けてきて、私をタックルし床に抑え込み、ナイフを取り上げました。彼がそうしてくれなければ、私は今ここにはいなかったかもしれません。 私は普通の子供に見えたと思います。少し大人しい普通の子供に。実際、私はそうでした。普通の子供に見え過ぎて、まさか私が毎朝陽が差して目が覚めることを嫌っている子供であるなどと、多くの人が思いもしないような。 数年後、必要な助けを得ることが出来なかった私が、今度は夜中に車が行き交う道に歩道橋から飛び降りようと考えていたことに誰も気がつかないくらいに「普通」を装っていました。 仮に他の人が私の様子がおかしいことに気がついていたとしても、周りがそれに気が付いていることを私が知ることはなかったでしょう。なぜなら、人々はこころの病や自殺願望について話をしたがらない。それを話すとしても内緒で、人知れず、こそこそと。私はそのような既存のやり方とは違うやり方、自分の経験を皆さんとシェアすることで、自殺願望について理解してもらいたいと思います。

歩道橋から飛び降りようとした

よく覚えています。今度は誰にも知られずに一人で死のう、と人が誰も歩いていない近所の道を歩いていた時のことを。私の頭はまたもや混乱し、こころは叫び、崩壊していました。そのような状態になり、理性的に何も考えられなくなると、また「お前はダメな奴だ。バカでダメなやつだ」という心の声が戻ってきます。 歩道橋の上にやってきました。手すりに手をかけ、止まりました、「もう一日生きてみようか?」。自殺願望がある人々はこの質問をよく自分にするようです。もちろん私もそうでしたし、同様の状態にある今の若者たちも同じです。 「でもなぜ? このままずっとクレイジーでい続けるのか? もう一日だけ、もう一日だけと頑張ってきたけど状況は何も良くなっていないじゃないか。上手くいかないのになぜ頑張り続けなければならないのか?」とこころの中で葛藤します。私はクレイジーになってしまったのではなく、私の認知能力が崩壊していたのです。 未来に希望があるという考えを頭の中から押しやり、手すりによじ登ります。滑らないように気を付けながら。そして手すりの向こう側に行きます。私の人生のなかで、自分で決めることができたことは多くありませんでした。しかしこれは、自分で決めてやることだ。自分でこれが正しい決断であることを示す、決定的な何かを求めました。 手すりが私の背中、肩甲骨あたりにあたっているのを感じます。冷たい鉄の棒の上に腕を広げました。雨粒を手に感じたことを覚えています。下を見ました。ボロボロに履きつぶした自分の靴があります。かかとはコンクリートに乗っていましたが、足の指は宙に浮いています。その下15メートルほど下の地上を見下ろします。フェンスがあります。 ぐちゃぐちゃになった私の頭で考えられたのは、「あのフェンスにぶつからずに落ちる為にはどのくらいジャンプしたらいいのだろうか?」ということだけでした。もうこれ以上痛い思いをするのは嫌だったのです。その瞬間、私は自分の人生を自分の運命を自分でコントロールしている感覚がありました。 こころが常に乱れた状態で生きていると、自分の運命を自分で決められるという感覚は、例えそれが命を絶つ結果に繋がるとしてもとてもよいものなのです。そこで私はその場でしばらくそうしていました。そうすることで、自分が自分の人生の舵を取っていることを感じました。 しばらくすると、うしろから男性の声が聞こえてきました。その彼と話をしたことは覚えていますが、何を話したかは全く思い出せません。彼が明るい茶色のジャケットを着ていたことは覚えていますが、彼の顔を思い出すことが出来ません。私は少しの間だけ後ろを振り返って彼と話をしましたが、それ以来彼に再び出会うことはありませんでした。 するとすぐに懐中電灯の光に照らされました。右、左と横を見ると、両サイドに三台づつパトカーが止まっています。深夜の騒動に野次馬が集まっていました。大体深夜二時、三時だったと思います。バーから帰宅途中の人や、騒ぎを聞いてベッドから出てきた人達でしょう。 右のほうから男性の声で、「飛べよ! 臆病者め!」という叫び声が聞こえてきました。私はまた両腕を鉄のてすりの上に広げます。するとなんだか浮いているように、身体がとても軽く感じました。土踏まずあたりにコンクリートの端が当たっています。すこしずつ前傾姿勢を取ります。顔、体、髪に風を感じます。自由を感じました。 誰かの腕に胸を掴まれ、シャツを背中から掴まれました。警察によると、引き上げられた時お私の身体は完全にだらんとしていたとのことです。

誰でも自殺願望をもつ可能性がある

それしか選択肢がないとして、自殺とは本当に選択なのでしょうか? なぜ自殺がたったひとつの選択肢なのかと不思議に思います。自殺が理論的な選択であるわけがないと。 どうやったらこのような人々を救えるかと考えた方は、まずはメンタルヘルスは私達のものごとの捉え方によって左右されるということをより良く理解することから始めてください。 こころを病んでいる、病んでいないに関わらず、私達のものごとの捉え方が広くもなり、狭くもなり、そしてそれが私達が選ぶ選択に大いに影響するということを。あの歩道橋に立っていた私のものごとの捉え方、頭の中、考え方は崩壊していました。死ぬしか選択肢はないと信じるほどに。 自殺願望がある人には、理性で語りかけて助けようとするのが一般的です。これは私達が、自分が理解出来ないことに対してどうしたらいいかわからない混乱を感じたくないからだと思います。しかし今言ったように、私達の認知、考え方、ものの捉え方というのは生物学的、心理学的、社会的要因に影響を受けて常に変化します。

自殺問題は健康問題

私達は今、自殺をより理解する為のターニングポイントに立っています。私達が自殺を考える人を思いとどまらせる為にひとつ出来ることは、「自殺をするという罪を犯した」との言い方をやめることです。レイプ、殺人は犯罪ですが、19世紀に自殺が犯罪ではなくなった時から、自殺は「罪」にはなりません。国民の健康の観点で引き続き問題となっていますが、犯罪ではありません。 これは健康問題です。自殺をして亡くなった方々の90%が、死亡当時治療不可能と診断されたこころの病を抱えていました。薬や心理セラピーがこころの病に効果があることは明らかです。それならば、社会はそれを必要としている人々が誰でも治療によりアクセスしやすくするべきです。 皆さんがこころの病を抱えているか否かに限らず、皆さん自身のこころの健康に気をつけることで、この問題に貢献することが出来ます。一年に一度の健康診断に、精神科も加えるのです。個人レベル、社会レベルの両方でこれまでの概念-自殺という「罪を犯す」-を変える為に。 自殺に対する社会の理解レベルを上げる為に仕事を始めた当初、私は「自殺に対するネガティブなイメージを変える為、行動を起こしてください」と人々に必死に頼んでいました。それでは上手くいかないので、自分が行動を起こすことにしました。 子供を産んでまもない、新米母親の最も多い死亡原因は、自殺です。そんなことは起きてはならない。15歳から25歳の間に亡くなった人の約四分の一が、自殺によって命を落としています。 昔は人々に行動喚起をしていましたが、それはあまり受け入れられなかった。皆さんは今日、すでに自殺問題解決の為に協力してくれています。皆さんの自殺に対する考え方が変わり、そして人々の考え方が世界を変えるからです。自殺をしようかと考えている人は考え続け、そしてそれを周りの人に話すのです。同時に行動も起こしましょう。 自殺することを真剣に考えている皆さん、皆さんが心のどこかにまだ希望を抱えていることを知っています。私もそうでした。その希望を忘れずに。自殺のことを考える時、皆さんにリーダーとなって欲しいのです。 話すためのこころの準備が出来ていようがいまいが、このように自殺について話をすることが皆さんの人生の生きる目的、生きる理由となります。毎日を人生の最後の日のように生きていくことが出来るのです。ありがとうございました。

  
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「死にたい欲求は理屈じゃない」 自殺未遂を繰り返した男から、自殺撲滅への提言

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