ES細胞の特異性

山中伸弥氏:ES細胞というのは何か。僕たちの命、ネズミの命は、すべてひとつの卵子と精子が受精した、たった1個の受精卵から始まります。

それが2つに分裂し、4つに分裂して、大体1週間くらいすると、エンブリオという30個か100個くらいの細胞の塊になります。この左の胚の状態でお母さんの、ベッドのような子宮の壁に潜り込んで、そこからいろんな臓器、形ができてきます。

しかし、ちょっと可哀想なんですけど、この子宮の壁に潜り込む直前のネズミの胚を、お母さんネズミの子宮から取り出してバラバラにして長期に体外で培養することに成功したのが、このES細胞という細胞です。

ネズミで1981年。今から20年ちょっと前、皆さんより少しだけお兄さんというかお姉さんというか、そういった歴史の浅い細胞です。このES細胞は、胚からできるから、胚性幹細胞といいますが、他の細胞にない2つの性質があります。

1つ目はどんどん増殖します。2つ目は増殖した後で神経とか筋肉とか僕たちの体を作っている色んな細胞に分化することができます。すごい面白い細胞です。僕が見つけたNAT1というのは2番目の性質に非常に大切である、NAT1がないとこの2番目ができなくなる、色んな細胞に変われなくなるということがわかりました。

この研究で僕はネズミのES細胞はものすごく面白い、こんな面白い細胞はないと思って、今から10年くらい前の出来事ですが、それから先ずっとES細胞の研究をしているわけです。

うつ病で人生2度目の挫折を味わう

しかしですね、こういう研究でNAT1がES細胞に非常に大切だということが分かった、アメリカから帰って2、3年した頃に僕は病気になってしまいました。PADという病気です。

これは僕たちが勝手につけた病名なので、お父さんお母さんがお医者さんの人もいるかと思いますが、聞いても知らないと思います。教科書にも載っていません。これはPost America Depression といって、「Depression」というのはうつ病です。アメリカから帰ってきた人がなってしまううつ病です。

なんでかというと、アメリカっていうのはものすごく研究環境が良かったんですね。ネズミの世話だけをとっても、アメリカではきちっと世話をしてくれる人がいたんですね。それが日本に帰ってきたら、毎日ネズミのうんちまみれになりながら自分で世話をして、自分は研究者なのかネズミの掃除係なのかわからないというような状況になって。

なかなかアメリカに比べて研究をするお金も、少しはもらえるんですけど、なかなかこう十分にできないと。また、周りにも自分の研究を理解してくれる基礎研究している人もあまりいないと。当時ネズミのES細胞の研究をしていましたから、僕は医学部で研究をしていたんですけど、他の周りのお医者さんによく忠告されました。

「やまちゅう」とまだ呼ばれていましたが、「やまちゅう、ネズミのES細胞を研究、NAT1とか知らないけど、その研究もいいけど、もうちょっと医学に関係することをした方が良いんじゃないか」と。

「医学部にいるんだったら、医学のためになることをした方が良いぞ」と、全然理解されないところがあって。もともと自分も医者でしたから、「確かに本当にネズミの研究をしていていいんだろうか」と、それまでは研究が楽しくてわくわくして8年、10年くらい突っ走っていたんですけど、だんだん冷静になると「本当にこれで役に立つことになるのかな?」という思いも出てきて。

それで朝起きれない、学校に行きたくないという感じになって、研究者を辞める一歩手前にいっていました。手術は下手でも臨床医になった方がまだマシじゃないか、と。僕にとっては2回目の挫折で。

2つの出来事のおかげでPADを克服

さっき言った、せっかく整形外科医になろうと思って門をたたいたのに、逃げ出してしまったというのが1回目の挫折です。その結果、研究という新しい世界に出会えて、アメリカにまで行って、僕はずっと研究でやっていくんだと決心をして、日本に帰ってきたら、またちょっと環境が悪くなってくると、すぐにこれはダメだと逃げ出す準備を始めて。

しかし自分としても、逃げ出す、研究者を辞めてしまうのも情けないなと、また挫折するのかという思いもあって非常に苦しい時期だったんです。今から10年くらい前になりますけど、幸いこの時に2つの出来事が起こりました。

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