経済成長のために格差を許容すべきか?

萱野稔人氏(以下、萱野):ニコニコ生放送をご覧の皆さん、こんにちは。萱野稔人です。今日は著書『21世紀の資本』で欧米圏を中心に大変に大きな反響を引き起こしているトマ・ピケティさんをお迎えしています。

ユーザーの皆さんの質問を中心に短い時間ではありますが、お話をうかがっていきたいと思います。ピケティさん、今日はよろしくお願いします。

ここにコメントが、こう出てますけれども、これは、今、インターネットを通じて、この対談を見ている視聴者の皆さんが書き込んでいるものです。今、ご覧の皆さんにまずは、一言お願いします。

トマ・ピケティ氏(以下、ピケティ):日本に来ることが出来てとても喜んでいます。日本語で私の本を読んでいただくことが出来るようになったことで、極めて重要だと私が考えているこの問題について議論が進んできているのを見てとても嬉しいです。

萱野:ありがとうございます。こちらも来て頂いて本当に嬉しく思います。では早速はじめたいと思いますけど、ここからはユーザーの質問を交えつつお話をうかがっていきます。最初に、鹿児島県30代の男性からの質問です。

「日本では現在、経済成長を達成するために、成果主義などの競争原理が導入されつつあります。その結果、労働者の中で、格差が広がっています。成長のために格差を許容すべきでしょうか?」

ピケティ:そうですね。格差拡大、過去20年、30年くらい日本で格差が拡大したというのは成長にとってもあまり良くなかったと思います。つまり低成長の中で格差が拡大してきたということなので、格差を許容するというのはあまり効果がなかった。

経営者と労働者の間の賃金格差、あるいは所得格差というのはあまり成長に役にたってこなかったというのが出てきているので、もう少し格差があった方が成長に良いということがよく言われるんですけれども、過去の歴史をみると、そうなってなかったということです。

格差を許容しない政策が、経済の停滞を招くのでは?

萱野:その点で言うと、かつて日本には定年まで雇用を保障するような終身雇用という制度がありました。こうした社会的、もしくは社会主義的とも時々言われますけれども、労働者保護の政策を、格差が広がる現在、再評価すべきでしょうか?

ピケティ:まず、最初に言っておきたいのは、私は日本の労働市場について良く知っているわけではありませんし、また日本でどうするべきかというような教訓を述べられるような立場にある人間でもありません。

しかし、非常に保護主義的な状況があったとして、またいわゆるパートとか臨時雇用とか、そういう人たちがたくさんいるというような状況になると、これはもちろん格差不平等には、いい状況ではありません。

日本の労働市場における平等というのが非常に、特に大きい、若い世代にとってはダメージが大きいということになると思いますし、特に女性にはこれは、非常に問題であるということだと思いますので、若い世代、将来的に非常に状況が厳しくなってしまうということがあると思うんです。

なので、労働市場の環境として保護的、保護主義的すぎるといけないとは思いますけれども、より人口の多くの人たちをカバーするような、つまり一部だけ保護するのではないものを作る必要があると思います。

萱野:経済成長の為に格差を許容すべきではないのであれば、経済は停滞して、逆によりまた格差が開いてしまうのではないでしょうか?

ピケティ:完全な平等を得るべきだという風に、言っているのではありません。つまり成長の為に、インセンティブの為に、イノベーションの為に、ある一定の格差は必要だと思います。けれども、不平等が広くなりすぎると、もはやそれは成長に資しないという状況があると思うんです。

例えば日本の場合には、非常に何十年にも渡ってと言っても良いと思うんですけれども、成長に対してポジティブなインパクトがない中で、格差だけが広がってきたという状況があるのだとするのならば、これ以上、成長が、この格差が広がったからといって伸びると思う理由がないと思います。

底辺層の生活水準が上がるなら、格差が広がっても問題ない?

萱野:これはですね。富山県の40代男性からの質問なんですけども、そもそも格差は悪いことでしょうか? 底辺層の生活水準さえ全体として上がるなら、格差が広がっても問題はないんではないでしょうか?

ピケティ:もしも底上げということで、一番底辺の人たちの所得が上がるのであれば、格差というのは正当化できると思います。

私の本を見て頂きますと、一番最初のところ、これはフランス人権宣言、1787年に書いてあって、これは共通の利益があった場合のみ、この社会的差別というのは、許容されるのだという風に書いてあります。

ですから格差というのもいろいろな社会における社会集団すべてに貢献するのであれば格差というのは認められるべきであると私も思います。

日本の場合には、上位所得層、つまり上位の10パーセント、富裕層というのが、30パーセントから40パーセントくらい全体の所得をとるようになってきてると思います。その間、成長がほとんどゼロに近かった。

つまり、成長なき、あるいは非常に低成長でトップにいく分け前が増えていくということになりますと、絶対的なそれ以外の所得層に対して、いくものがなくなっていくということになります。という場合には、格差というのは、正当化できない。社会全体にとって良いことだとは言えない。

もちろんいわゆるトリクルダウン効果(富裕層が経済的に豊かになることで、最終的には貧困層も豊かになり、全体に富が行き渡るという理論)というような、最終的には、格差があったとしても、一番底辺にまで富がいくのだからいいという意見に反対ではないのですけど、毎回必ずそうなるとは言えないというのが、過去のエビデンスを見ると言えることです。

この格差と成長がどう進展してきたのかということを過去から見ると、そういう主張が果たして当たっているのかどうか。民主主義ということが逆に阻害されていないかが重要な点になります。

経済ゲームにおいて勝者、高所得層というのは、最終的に社会全体にメリットがあるんだから良いというんですけれども、それが真であった場合もあると思いますが、そうではない場合もあって、誇張されて主張されてる所があると思います。

萱野:ありがとうございます。

日本の借金は深刻なのか?

萱野:次はですね。島根県30代男性からの質問です。日本では今、政府債務がGDPの200パーセントあります。これはどれくらい深刻な問題だとピケティさんは考えますか? それともあまり深刻ではないと考えていますか。

ピケティ:ここで重要なのは、公的債務と民間資産の伸びがどういう関係にあったかということです。日本の場合を考えると、民間の資産、つまり家計が不動産であるとか金融資産でどういう風にもっていたのか、これは対GDPでどんどん伸びていて、それは、公的債務の伸び率よりも上回る伸び率で伸びてきたわけです。

別の言い方をすると、次世代に、つまり日本の次の世代に、まあヨーロッパの多くの国もそうなんですけれども、以前よりも、相続したものよりも多くのものを残せるようになっていると。

少なくとも、そういった私有財産ということで残せるものを持ってる人は、大きくして次の世代に残しているということになります。なので民間資産、マイナス公的債務、残ったものをみると大きくなってるわけです。

結果としてヨーロッパ各国、そして日本というのは民間は豊かになってきている、政府はどんどん貧乏になってきていますけれども、全部あわせると国としてどんどん豊かになってきてるわけです。

公的な富とそれから民間の富、それをどう配分するかということは、これは課税、つまり税制をどうするのか、例えば労働所得に対して、どう課税をするのかということで決めることが出来ると思います。若い人たち、たとえば相続した資産がない、自分が提供できるのは労働だけということになると、これは、非常に厳しい人生になるということかもしれません。特に不動産に対して、地価が非常に高いということになると、なかなかアクセスが出来ないということになってしまうかもしれません。

なので問題は、どう税制をリバランスするのか、若い人たちにメリットがあるようにどう作り変えていくのかということになると思います。公的債務というのは分配の問題でそれ自体が問題ではないと思います。

なぜかというと、日本の国の富、つまり民間部門に蓄積された富も考えると、全体としてはGDPに対して増えていってるからです。

萱野:なるほど。

緊縮財政か、それともインフレ誘導か?

萱野:これ、もう時間がないので最後の質問になるんですけれども、山形県の30代の方からです。今、政府債務を返済するために、日本では今、2つの意見が鋭く対立しています。

1つの意見は、歳出削減によって緊縮財政をすべき。それによって政府債務を返していくべきだという意見。

もう1つが、金融緩和によってインフレを誘導することで、債務を小さくすべきだという意見。

この2つが今、鋭く議論していますけれども、ピケティさんはどちらを支持しますか?

ピケティ:まず3つ目の可能性もありますよね。特に過去でいろいろ使われた、いわゆるデッドリスケと言われているものです。これは私有財産に対する累進性の課税ということで、これが文明的に使われてきたものです、過去すべて使われてきて、成功した例もあると思います。

歳出削減という政策、公共において富を蓄積しよう、これは非常に時間がかかるという問題があると思います。歴史から学べる教訓の1つとして、おそらく混合させる、つまり若干インフレに誘導し、債務のリストラクチャリングをやる、というのを組み合わせていくのが一番いいと思います。

歳出だけを削減して、債務返済をする。その際に成長もインフレ率も非常に低いままということになりますと、50年100年というような影響が出てくるということなので、本の中にも書きましたけれども、唯一あげられるのは、19世紀の英国の例です。

まるまる1世紀かかって、ようやく公的債務を返済しました。かなりの金額を、国内の金利生活者に対する利払いに使ってしまって、教育に回すお金というのをどんどん減らしてきたということで、日本にとってもユーロゾーンにとっても、あまりいい解決法とは考えられません。

歴史を見て、公的債務と、それから今までの公的債務危機と呼ばれているものにどういう風に対応してきたかということを学ぶことによって、一番いいやり方というのを模索するのが重要だと思います。GDPの200パーセントという公的債務水準になったのは、これは日本が初めてではありません。

1945年のドイツやフランスでもそのくらいありました。200パーセント。しかし、これは今言った通り、債務のリストラクチャリングとインフレ誘導によって、あっという間に解消したわけです。

やはり成長に投資をし、教育に投資をし、次世代に投資することによって、公的債務を急激に減らしていく方法が良いと思います。

萱野:ありがとうございます。

日本の若者にメッセージ

萱野:あっという間に時間が来てしまいました。今日、ピケティさんに、いただけた時間というかスケジュールが本当につまっていますから、この時間しかありませんでしたけれども、時間が来てしまいました。

ピケティさん、どうもありがとうございます。最後に一言だけ日本の若者にメッセージをいただければと思いますけれども。

ピケティ:戦ってください。民主主義というのは戦いです。つまり、社会、財政、制度、若者にとって公平、まぁ今のところあまり待遇が良くないようなんですけれども、待遇改善のための闘争だと思います。民主主義はもっと強化できる。しかし、民主主義というのは闘争です。誰もが関わらなければなりません。

萱野:ありがとうございます。視聴者の皆さんも最後までご視聴ありがとうございました。それではこちらから失礼します。カメラここですね。ここですか。手を振ってください。