LITALICOが向き合う社会貢献

佐俣:ちなみに今、LITALICOに入ってみてどうですか?

中俣:もう、あれですね。良い会社なんですよ(笑)。

佐俣:(笑)。

中俣:DeNAはビジネスプロフェッショナルの人たちがバーッといる感じで、もうツーカーですよね。メールを1個送ったらすさまじい量が返ってくるみたいな、そういうみんなプロフェッショナルっていう感じですね。今の会社はどちらかというと、みんな志が同じ方向だったりするんで。

DeNAの場合は割と「世界を獲る」っていう方向性があって、それぞれの獲り方があるよねってことを許容してくれるような……。

佐俣:いろんな方法があるよねってことですか。

中俣:そうですね。LITALICOはどちらかというと「社会の障害をなくしていこう」ということにみんなグワッと向かってるんで、また独特な。

佐俣:動画を見られてる方でLITALICOのことを存じ上げない方もいらっしゃるので確認したいんですけど、LITALICOはNPOではない?

中俣:株式会社です。

佐俣:いわゆる収益をちゃんとあげていく、属性としてはベンチャー企業に近い? 昔からある会社か、どれくらいの社員数がいるとか。

中俣:2005年くらいに作っていて、今は社員数って結構多いんですよ。800人を超えてきてるっていう。

佐俣:めっちゃ多い!

中俣:すごく多いんですよ。まあ全国に施設があるので、ひとつの施設を出すとなると何人も人を雇用しなきゃいけない。

佐俣:コアの事業をなるべく詳しく教えてほしいんですけど。

中俣:大きく3つの事業をやってまして、ひとつはWINGLEっていう就労支援の施設。

佐俣:障害者向けの就労支援施設。

中俣:そうですね。例えば精神に障害を持ってしまって働けないとか、面接行くのもめっちゃ怖いとか、行くけどめっちゃ落ちるとか。

あと身体障害とか知的障害がある方々が、ちゃんと一般企業で働けるように支援する。今までの世の中だと、どちらかというと福祉施設に閉じ込めるというか、パンとかネジを回して(製品とか)作って「月に1万円ね。預かってあげてるんだからそれくらいでもいいでしょ」というような文化が結構強かったんです。

どちらかというと、今の社会でちゃんと働くということが尊厳であったり、本人にとって一番幸せだと僕らは思ってるので、そういうことをサポートするっていう事業がひとつ。

2つ目(Leaf)はどちらかというと子どもたち向けの幼児教室で、おもに発達障害を持った子どもたちとか、そうでない子どもたちも来てるんですけど、個性が顕著な子どもたちが通ってそれぞれの学びたいことに合わせたサービスを提供している。そういう学習塾、幼児教室ですね。

3つ目(Qremo)は、プログラミングとかロボットを作ったり、「英数国理社だけじゃなくて他のものをやってかないと、日本もなあ」みたいな気持ちがあるんですけど、それをちゃんと施設で提供するというのをやっている。

佐俣:めっちゃ良い事業ですね。

守屋:良い事業ですよね。

「コト」に向かう会社、「ヒト」に向かう会社

佐俣:僕は何がすごく気になるかっていうと、会社としてどういう雰囲気なのかが気になってて。DeNAさんって、絶対に世界一を獲ると。そのためには一番優秀なメンバーで何でもやるんだっていうのが、僕はすごく素敵だと思うんですよ。

「何でもやるんだ」っていうのは犯罪するとかそういうのじゃなくて、成長産業で適切なことをするっていうのにすごくコミットするじゃないですか。それに比べてどういう雰囲気なんですか? 僕は全然社内の雰囲気がわからないので、NPOっぽい感じなのか、ものすごく成長力が強いのか。でも社員が800人いて、収益をあげてるわけですよね。どういう感じなの?

中俣:DeNAは「コト」に向かう会社っていう印象が強いんですけど、(LITALICOは)「ヒト」に向かうって感じがしてますね。目の前のお子さんの成長とか、目の前のお客さんの就職できた・できないとかで感情がすごく動きますし、涙も出ますし、会社としてはすごく情緒的というか。

なので会社として、自分たちのビジョンが成し遂げられなさそうな事業をやった瞬間に、超テンション下がるんですよ。ビジョンがあって、みんなそれに突き進んでいくみたいな。

佐俣:中俣さんは、そういう意味ではバリバリのビジネスマンじゃないですか。

中俣:……と、願いたいです(笑)。

佐俣:そういう方が多いし、そういう方がもっと来いよっていう会社なんですか? これを見られてる方で、興味がある人が多いと思うんですよね。結構インターネット業界の方にも見ていただいてるので、そういう方もガンガン来いよっていう。

中俣:ガンガン来てほしいですね。DeNAとかもそうですし、インターネット業界って人がすごく優秀なんですよ。だけどこの業界は全然力が足りなくて、そういう人たちがガンガン入ってきたら業界が変わると思ってるんですね。

だけど「何か良いことしてるね」「何か怖い」「うーん、でも俺はこっちのアプリ作るわ」っていうのが、今のベンチャー企業とかベンチャー界隈の空気な気がしていて。社会課題に対して「自分でもっと背負う!」という人たちがもっと来てもらえると、すごく良くなるなと思ってます。

佐俣:もしかして、守屋さんのような方が来ると素敵なんですか?

守屋:そういう会ですか(笑)。

中俣:南場さんに殺されます(笑)。

守屋:引き抜き合いみたいな(笑)。

佐俣:公開口説き合いが見たいなっていう(笑)。ありがとうございます。

ソニーから始まったキャリア

佐俣:じゃあ守屋さんのお話を伺いたいんですけど、どういう意思決定で今まで来たのですか。

守屋:私は一番最初のキャリアとしてソニーを選んでるんですけれども、もともと音楽がすごく好きで、オーディオ事業をやりたいっていう興味が強かったのがひとつ。

佐俣:それはガチの音楽好きということですか?

守屋:そうですね。音楽は小さな頃からピアノやったりバンドやったりとか、今も実はサックスをちょっとだけやってるんですけど(笑)。趣味ですね、完全に。別に上手くないです。で、音楽が好きで「こういうオーディオがあったらいいのにな」っていうイメージがいくつかある中で、そういう仕事に携わりたいなっていう思いがひとつあって。

あとは、幼い頃からサッカーをやってるんですけど、サッカーとかって本格的にやると毎日の練習がつらくなってくるんですよね。いわゆる体育のサッカーみたいに楽しいものではなくて、やや義務っぽくつらい練習を毎日やって。

でもそのときに大会で優勝すると、別に地位が上がるわけでもなくお金をもらえるわけでもないんだけれども、こみ上げてくる感動みたいなものがあるじゃないですか。そういうのを仕事として実現していきたいなっていうのがすごくあって。

あとは、自分が投資家なのかアドバイザーなのかプレイヤーなのかでいうと、自分の個性を活かすんだったらプレイヤーが一番だろうなというのが就職活動を通じてだんだん見えてきて、それでソニーに(キャリアの)一番最初に行ったというところですね。

ふたを開けてみたら、最初の配属が経営企画部だったんですね。エクセルを相手に何百という種類のホームオーディオの型番を見ながら「売上がいくら」とかIR資料を作ったり。

そういう仕事だったんですけど、オーディオを作るということにすごく興味があったので、仕事が終わった後、夜中に残って(笑)、同期のエンジニアたちと一緒に作りたいものを試作したり、デザイナーに声をかけて絵を描いて上司に提案を持っていったりということをすごく積極的にやっていたら、新卒の試用期間が終わったタイミングで「お前は商品企画に異動だ」となって商品企画部に行って。

佐俣:一般的なメーカーのイメージってもっと重厚長大な感じなんですけど、今のお話って本当にベンチャー企業の異動とほぼ同じですよね(笑)。

中俣:狙ってやったんじゃないかっていう(笑)。

佐俣:「エンジニアとこういうゲーム作ってるんですけどどうですか」って言ったら、社長に見つかって「じゃあお前ゲーム作ってこいよ」って言われるのと同じテンションですよね。

守屋:ソニーのすごく良いところが、今でもそういう文化が残ってるかなと思うんですけど、トップマネージメントの方々が非常にリーズナブルに、そういう非連続な意思決定をすることが中にはあるのかなと。そういうところがすごく好きなんですけども。経営企画をクビになったつもりで商品企画で丁稚奉公しようというところから、私のキャリアは始まってまして。

なので、1年目の8月からは商品企画畑でソニーのキャリアを歩んだという感じですね。それからいろんな商品の修行をしている中で、当時は着うたがすごく流行っていて、携帯電話での音楽配信が前提の音楽の聴き方に変わるんじゃないかと思って。

当時ホームオーディオの事業にいたので、高音質な音を出すことができる技術が事業部の中にたくさんあるわけですね。コンパクトなデスクトップの小さなスピーカーから、どのくらい高音質な音が出るかという挑戦をして、それを事業化してソニーエリクソン、携帯事業と共同でスピーカーを出したりっていう新規事業をやったりしてました。

その経緯で、ソニーエリクソンのスウェーデン本社のほうで働いてみる機会がありまして。徐々にiTunesとかも出てきて、価値の源泉がハードウェアからソフトにだんだん移ってきてるのかなという印象があったので……。

佐俣:本当に音楽ビジネスが激変するタイミングでしたね。

守屋:そうですね。なのでモバイルという立場からサービスレイヤーをソニーとして取るためには、やっぱり携帯電話だろうと。グローバルでも当時ソニーエリクソンはNo.4のポジションに入ってまして、そこでソニーグループ中で使えるようなサービスとかアプリケーションを作りたいなという思いで、スウェーデンに駐在したというところですね。

Google Mapsと提携をして、地図をベースにしてそこにマッシュアップして、いろんな旅行中の写真とかをのっけていくようなサービスだったり、当時2006年とか2007年くらいだったんですけど、そういうサービスをどんどん携帯電話に載せていくような事業をやってました。

ヘッドハンティングのリアル

佐俣:自分がプレイヤーに向いてるっておっしゃってたんですけど、そこからいきなりアドバイザーに近い立場になったのですね。

守屋:そうなんです。それから自分なりにいろいろ新しい商品を出したりだとか……ソニーとソニーエリクソンにいる数年間で、当然グループからプレイステーション4だったり、いろいろ新しい商品が出ていくと。そういう中で、なかなかソニーグループ自体の株価は振れないんですね。

当然目の前の仕事に集中しているわけなんですけど、全社的な観点で見たときに「こんなに良い人材がたくさんいて、良い技術がたくさんあって、何で会社の経営が上向いていかないんだろう」という疑問が日々自分の中に蓄積していってた状況のときに、ご縁があってA.T.カーニーさんのほうに転職したという形になります。

いろんな企業の経営の実態だとかをいろんな業界に入り込んで見ていく、ということに当時は興味があって、飛び込んでみたという形ですね。

中俣:長かったんでしたっけ? カーニーは。

守屋:カーニーは2年弱なので非常に短いと思います。

佐俣:結構バーッとプロジェクトを見れるわけですね、コンサルタントというのは。

守屋:そうですね。

佐俣:それで、またプレーヤーに帰ってくるわけですね。

守屋:(笑)。カーニーの面接でも「事業会社に将来的には戻りたい」と正直に言っていて。実際にコンサルティングをやってみて、やっぱり自分は事業会社向きの人間なのかなと思う局面もあったり、結構苦労したんですよ、コンサルタントとしては。昨日も中俣さんが私のことを「ロジカルモンスター」だとか言ってましたけど……(笑)。

佐俣:どこらへんがモンスターなんですか。

中俣:社内ではロジカルモンスター。

佐俣:何か降ってきても、ロジックでバーッと斬っていく。

守屋:私の中では、どっちかというとそっちはあんまり強くないですね。事業をやってるときのほうがよりバリューを出しやすいなというのがあって、それにコンサルティング時代の2年弱で結構鍛え上げられて、資料作りとかは速くなったかなと。そういう意味ではすごく良かったかなと思うんですけども。

カーニーで働いている最中に、ヘッドハンターから「会ってみてほしい会社がある」ということで、DeNAに面接というか「話をしましょう」みたいな形で……(笑)。

佐俣:「話をしましょう」っていいですね、なんか。怪しい感じがして(笑)。

中俣:完全にattractしたいみたいな。

守屋:それで行ったんですよね。当時は、南場のことは当然メディアとかで存じ上げてたんですけど、DeNAという会社そのものにはそこまで知識がなくて。

会いに行ったら取締役の小林(賢治)、守安、南場と立て続けに出てきまして、面接というよりは雑談みたいな感じで「これからandroidどうなんの、iOSどうなんの」とか、「モバゲーがいま日本でNo.1なんだけど、これからグローバルで勝ちにいきたいときに、どれくらいフェイスブック本社に友達いるの」とか……(笑)。

佐俣:すごく生々しい(笑)。

守屋:面接というよりは、おそらく面接官だった方々の思考のパズルのピースを埋めるかのような話し合いですね。

その中で、私自身もソニー、ソニーエリクソンとかA.T.カーニーで経験してきたような知識から、素直に「2~3年後にはこういう状況になると思います」とか「こういうことやってきたのでこういうことできると思います」とか話をしていたら、そのままオファーをいただいたという感じですね。