野球人として被災地の子どもたちのために汗を流す

原辰徳氏(以下、原):僕はあんまり英語が得意じゃないので、(ここまでの流れを)あんまり理解していないんですが。

はじめまして、読売巨人軍監督、原辰徳でございます。私はこの外国人特派員クラブというところで、一度会見をしたいなと、常々思っておりました。

(会場笑)

今日はこういった形の東北復興支援、「Support Our Kids」というなかで、こういう話、会見が出来るということを大変光栄に思っております。

2011年、皆さんご存知の通り、東北で大変な震災がおき、そして大変な被害に見舞われました。その時に、まわりの皆さまと非常にいろいろな事を考え、なんとか我々が出来ることはないだろうか、と考えました。

とにかく子ども達に、「あなた達は1人じゃない」と。本当にもう、いろいろな境遇の子どもたちがいます。そういうなかで、少しでも子どもたちがリーダーとなり、そして社会に飛び立って、旅立っていくということに支援が出来ないであろうか、とそこからスタートしました。もう4年近くになりますが、復興支援の輪というのも段々広がって、このような形になっております。

この度は、メジャーリーガーを代表する、デレク・ジーター、そして私も一緒に同僚として野球をやっていた松井秀喜君、この2人が今回の趣旨というものに大きく賛同してくれて、今回、素晴らしいイベントとして、大きな意義ある時間を作ってくれるということに関して、大変感謝をしております。

森永製菓さんに至っては、我々がスポンサーをやるよ、ということで手を挙げてくださった事にも大変感謝をしておりますし、もし仮に、この会見を見て「よし、私たちも支援しよう!」会社あるいは個人の方がたくさんいらっしゃることは、今後大きく子どもたちにプラスになると思っております。

私は今回、ジャイアンツの監督という立場ではありますが、野球教室というところも含めて、我々プロ野球人でいいチームを作って、とにかく子どもたちに野球の素晴らしさ、そして我々と接することによって、我々でもこうやって出来るんだ、という希望が少しでも芽生えてくれたらいいなということで、汗を流す覚悟でおります。

どうか、このイベントが大成功することを祈願しまして、私の挨拶に変えます。ありがとうございました。

皆さんを笑顔にしたい

松井秀喜氏(以下、松井):皆さんこんにちは、松井秀喜です。

私もアメリカで12年生活しておりますが、原監督同様、私も英語はあまり得意ではないので、日本語でスピーチさせていただきます。

東日本大震災からまもなく4年が経とうとしている中、私もアメリカで生活している時間が長く、なかなか被災された方々をサポートする活動というのが出来なかったのですが、この度、このサポートキッズという活動を知り、この活動に賛同し、出演したいという気持ちになりました。

ヤンキースで長年のチームメイトであったデレク・ジーターも、このイベントに賛同し、このイベントのために来日してくれるということで、僕も大変嬉しく思っていますし、日本で彼と再会できることを、大変楽しみにしております。

今回のこのイベントには「トモダチ」という名前が付いております、私自身、ジャイアンツでも、そしてメジャーリーグでも、たくさんの素晴らしいチームメイト、そして友人が出来ました。

そしてアメリカで生活していくなかで、日本とはまた違った文化・習慣、もちろん言語も違います。そこを経験していくなかで、1人の人間として少しは成長することが出来たと思いますし、このイベントの子ども達も、海外で生活することを経験して、そういうなかで成長していってくれたら、僕も大変嬉しく思っております。

そしてこのSupport Our Kidsの活動が、これからも年々大きくなっていって充実していくことを祈っております。また自分としても、3月のイベントで1人でもたくさんの子どもたちに喜んでいただいて、皆さんに笑顔でまた被災地に戻っていただけるように、少しでも手助けできる

3月21日、東京ドームでお会いできることを、心より楽しみにしております。ありがとうございました。

メジャーリーガーの間で人気沸騰中のハイチュウ

デレク・ジーター氏:(音声メッセージ)日本の皆さま、こんにちは。長年の友人である松井秀喜さんと再会できること、そしてチャリティイベント「Support Our Kids」に参加するため、日本に行けることを楽しみにしています。

今回の記者会見を企画してくださった原さんに、心より御礼を申し上げます。またタイトルスポンサーを引き受けてくださった森永製菓株式会社さまと、また協力していただけます読売新聞新聞社さまにも、感謝申し上げます。素晴らしいイベントとなるよう、みなで盛り上げていきましょう。お会い出来る日を楽しみにしております。

新井徹氏:ご紹介いただきました、森永製菓の新井でございます。今日はこの素晴らしいSupport Our Kids 活動に協賛することが出来まして、大変光栄に思っております。私どもがこのイベントに協賛させていただいた背景には、大きく2つの理由がございます。

1つ目は、当然のことながら、このイベントの趣旨に深く感銘を受けたからであります。悲惨な震災から復興するにあたって、子どもたちを勇気づける、それをスポーツでもって勇気づけるというのが、いかに素晴らしいことか、というのを感じているわけです。

同時に私どもも、微力ではありますが、復興に際してお菓子をお送りしたり、そういう活動を続けてまりました。このお菓子に出会った時の子どもたちの笑顔、これはまさにスポーツを通じてみんなが笑顔になるのと質が同じようで、我々も子どもたちをサポートするという趣旨に大きく感動して、お菓子もスポーツも一緒に勇気づけられる、ということでここに賛同させていただいたわけであります。

もうひとつは、私どもも製品であります「ハイチュウ」との繋がりであります。今回の今年のイベントのキッカケは、ここにいらっしゃいます偉大なメジャーリーガーである松井さんと、ジーターさんの友情がキッカケになっていると伺っています。

お聞き及びかもしれませんけれども、たまたまメジャーリーガーの間で私どものハイチュウが……日本人選手が今たくさん活躍されていますけれども、この日本人選手たちが外国人選手たちと仲良くなるための、絆といっちゃ大げさですが、挨拶のグッズとして非常に人気で、メジャーリーガーの間でもハイチュウを愛用してくださっている方が増えている、と聞き及んでいます。

ということで、この偉大な2人のメジャーリーガーが出てくださるこのイベントをサポートさせていただくのは、私どもをおいて他に無い、くらいの気持ちで、応援をさせていただきます。

したがってこのイベントが成功裏に終わることを記念しつつ、かつ、今日お忙しい中ここに来ていただいた、総合プロデュースをしてくださる原監督にも感謝を申し上げて、私の挨拶とさせていただきます。どうもありがとうございました。

メジャーで指導者になるなら、言葉の壁を自分で打ち破らなければならない

記者:共同通信です。松井さんへの質問です。私は先週、ヤンキースのジラルディ監督と話すことが出来ました。そこでジラルディ監督は、来春のキャンプの時に、松井さんに特別コーチとして参加してほしい、と言っておりました。

質問ですが、ヤンキースのコーチに就任する、ということに関してお考えは、またご興味はありますでしょうか?

ついでになりますが、私はジラルディ監督と話した時に、もし松井さんがコーチに就任されるとなったら、言語面は問題になるのでしょうか? と聞きました。すると監督は、もし松井さんが本格的にコーチになりたい、と思うようになったら、言語の問題はなんらかの形で克服できます、と言っていました。

松井:これ、イベントとは全く関係無いですよね?(笑)

(会場笑)

松井:来年のことに関しては、まだ正直白紙でございます。ですからちょっとわからないんですけど、もしやるなら、言語の壁は無くさなくてはいけないと思います。自分の努力で無くさなくてはいけないと思います。今言えることはそれくらいだと思います。

原、松井両氏が感じる被災地の現状

記者:原監督はシーズン中にも東北のほうに何回も訪れていらっしゃると思います。そして松井さんも時々訪れている、ということを聞いておりますが、一番最近、東北を訪れたのはいつなんでしょうか? そして東北の状況について、どのような印象を持っていらっしゃいますか?

:私はこの前、巨人阪神のOB戦で、あれは11月の終わり頃だったと思いますが、そこで仙台に行ってまいりました。それが一番最近です。

一番最初に、2011年3月11日という、その年の交流戦の時に、酷いと言われている地区にタクシーを飛ばしまして、実際に見てまいりました。その光景たるや、(震災から)数ヶ月しか経っていないという状況だったんですけれども、もう自分の目を疑うものでありました。

そのなかで毎年1回は、交流戦、また日本シリーズという場ではありますけれども、年々、街は綺麗になっております。しかしまだまだ、我々も長い目でホスピタリティする、という気持ちが無いとダメだな、というふうに常に思っております。それが現状です。

松井:私も原監督同様、先月のOB戦で、仙台のほうに足を運びました。私は残念ながら「被災地」と呼ばれるような場所に足を運んだことは無くてですね、自分の肌で実感できていないのが正直なところです。

報道などで知るところによると、まだ復興が進んでいないところがまだまだあるというふうに認識しています。そういう報道を見るにつけ、やはり私自身も胸が痛みますし、早くそこに住んでいる方々が普段の生活を取り戻していってほしいなと、それを願う気持ち、今はそれだけです。

3.11が風化しないために松井氏が出来ること

記者:ジャパンタイムズです。松井さんに質問です。あの震災からもう4年近くが経過して、ニュースの関心はどんどん新しくものへと移ってしまうわけで、少し忘れられつつある部分があるのではないかと思います。

しかし松井さんのようなビッグネームの方がこのようなイベントに関わるということによって、多くの方たちがまた被災地に目を向けるのではないかと思います。つまり松井さんには大きな影響力があるわけです。

この素晴らしい大きな影響力をお持ちな松井さんですが、まだ引退されてからあまり時間が経っておりませんが、こういうイベントだけではなく、他のイベントや活動に貢献する、ということを考えたことはありますか?

松井:確かに時間が経つにつれて、こういう震災っていうのは風化されていきやすいものである、と思っています。やはり日本中の方々がこのことを忘れずにいてほしいと、僕自身が願ってますし、またその力に僕自身がなれるのであれば、少しでもお役に立ちたいと思っています。

今回のこのイベント以外のことでも、今後もし本当に東北の方々の力になれることがあれば、積極的に参加したいと思っていますし、大事なのは被災地にいる方々に笑顔が戻ることだと思ってますので、その力になれるのであれば、是非力になりたいと思っております。

ジーターとのギャラ交渉で揉めた、という噂は真実か?

記者:デューク石川、フリーランスです。亡くなった土井正三(元巨人軍・V9戦士)とは、長い間の麻雀仲間でございました。

先に行われた日米野球の時に、この話が一度持ち上がったように記憶しています。その時に出来ないで、何故今回になったのか。私が聞いたところでは、これは嘘かホントかわかりませんが、ジーターのギャラが折り合いつかなかった、という話を聞いたんですが、そのへんはいかがでしょうか?

司会者:なかなかこのような場で、そのようなご質問にお答えするのは難しいです。恐縮ですが後ほど、オフレコの場でご質問されてみてはいかがでしょうか。

松井氏も惚れ込む、ジーターのオーラ

記者:AP通信です。松井さんへ。ジーターとは長い間チームメイトだったと思いますが、彼はどのような人間でしたか? またジーターはこのイベントに、どのような貢献を果たすことが出来るとお考えでしょうか?

松井:彼はやはり、存在しているだけで、クラブハウスにいるだけで、グラウンドに立っているだけで、良い影響、良い風をチームに送り込んでくれる存在だったと思います。もちろん人間としても素晴らしい人間だと僕は思っていますし、素晴らしいチームメイトでした。

また彼が今回このイベントに参加するということは、今の小さい子どもたち、野球な好きな子どもたちも、「ジーター」と聞けばおそらく名前は知っているでしょうし、また実際に彼と触れ合って、彼が発するいろんな空気というか、もちろん話すこともそうだし、彼の行動、全てが子どもたちに良い影響があると、僕は確信を持って言えます。それくらい大きな人間、また選手だと僕は思っています。

当日は松井vsジーターのホームラン競争も

司会者:あと、ジーターは非常に負けず嫌いということも聞いています。イベントのなかではホームランダービーも行われるんですが、彼と松井さん、どちらが勝利すると思いますか?

松井:彼は今年まで現役でしたから、(2013年春に引退した松井氏とは)だいぶハンデがあると思うんですけれども(笑)。

(会場笑)

松井:どうでしょうかね(笑)。やはりホームアドバンテージで、なんとか勝ちたいと思います。

司会者:答えは3月21日に明らかになります。続いてのご質問をどうぞ。

巨人から監督のオファーが来たら?

記者:率直に松井さんにお伺いしたいのですが、巨人軍からオファーがあったら、原監督の後継者、つまり巨人の監督に就任されるお気持ちはありますでしょうか?

松井:(笑)。困りましたね、原さん。

:僕も聞きたいね。

(会場笑)

松井:これは……ですね、先ほどの質問と同じで、違うところでお話したほうがいいかもしれないですね。

(会場笑)

チャリティ支援活動について

記者:ライブドアニュースです。プロ野球選手というのはチャリティー活動に興味を持たれる方が多いと思います。例えば巨人軍ですと、内海選手や村田選手などは児童養護施設にランドセルに贈ったりとか、いろんな活動をされていると思うんですけれども。

原監督はこのSupport Our Kidsの活動を通じて、巨人軍やNPBにおけるこういう活動をもっと広げていこう、というようなお考えは、今度ありますでしょうか?

:Support Our Kidsという団体は、多方面に渡って多種多様なメンバーがいらっしゃいます。野球界においては、今日は私が出ていますが、私はもちろん発起人というか主催者という立場のなかでやっております。

まあ、数多く集まることはもちろん良いことですが、しかしそういうふうな何か支援するというのは、それぞれがいろんな自分の考えのなかでサポートするという、それはそれで構わないと思います。しかし東日本大震災においての傷跡というのは非常に深いわけですから、そのぶんにおいてのご理解は持っていただきたいなと思います。

原監督、ガムの代わりはハイチュウ

記者:原監督と松井さんにお伺いします。森永の社長を前にして申し訳ないのですが、巨人の選手がガムを噛むというシーンをあまり見たことがありません。私の野球を見る回数が少ないのかもしれませんが、巨人にはそういう内規みたいなものがあるんでしょうか?

それから松井さんも、ガムを噛んでいるというシーンは私見たことがありません。メジャーリーガーですと(ロビンソン・)カノー選手みたいにガムが特徴になる選手もいますけれども、そのへんについて教えて下さい。

:まず森永製菓が出しているハイチュウというのはガムではない、ということを、まずは言っておきます。

(会場笑)

そしてジャイアンツには、ガムを噛んでいる選手はいません。これは2014年度、全面的なチーム内でも規則ということで、ガムは一切噛みません。しかし私はベンチにいる時、口の中が……どうしても余計なことを言ってしまいそうになる時があります。そういう時に私は、ハイチュウもしくはアメ玉をしゃぶっております。

松井:私もジャイアンツで育った人間ですので、試合中にガムを噛むという、そういう習慣は全くありませんでした。メジャーリーグに移籍してから、他の選手のマネをして1回噛んでみたんですけど、残念ながら、ハイチュウのように美味しくないんですよね。

(会場笑)

ツバばっかり出て、美味しくないんですよ。僕はやはり、噛みながらやるということに慣れなかった、そういう人間だったんだと思いますね。

イベントに参加する子どもたちへメッセージ

記者:今はいろいろな大人向けに記者会見をやっているわけですが、当日はたくさんの子どもたちが参加して、夢を見る瞬間だと思います。そのような子どもたちに向けたメッセージを、お二方からお願いします。

:今回、野球少年がたくさん来ると思います。野球少年がすべからくプロ野球選手になりたいかというと、そうではないと思っています。ただし、我々でも、自分たちでも出来ると、そういう気持ちを少しでも持ってもらえたらと思います。

我々も昔、ああプロ野球選手になりたいな、と思いました。時にプロ野球を見たら、ああいう人になりたいな、と思っていました。そういう気持ちに子どもたちが少しでもなって、そして自分の、今後前に進んでいくにおいて、なにか大きな力になってくれればなと思います。

松井:もちろん原監督と重複する部分もあると思うんですが。

自分が子どもだった時を考えると、プロ野球と接するという機会が、僕は石川県で育ちましたのでそんな機会はもちろん無くて、おそらくそんな事があったら、夢のまた夢みたいな、そういう状況に自分だったら陥ったと思うんですよね。

今回、東北からたくさんの野球少年・少女たちが来られるということで、非日常的な時間を過ごすことが出来るのではないかなと思っています。そしてそのひとつひとつの思い出が、選手たちの将来へ向けた大きなエネルギー、日々の活力に変わってくれるんじゃないかな、と期待しております。