余命半年の男が語る「夢の叶え方」

ランディ・パウシュ氏(以下、パウシュ):さて次。遊園地でぬいぐるみを手に入れること。ちょっとありきたりに聞こえるかもしれません。みなさんも子供の頃、たくましい男の人が巨大なぬいぐるみを抱えて遊園地を歩いているのを見たことがあるでしょう?

手に入れたぬいぐるみの写真をたくさん持っています。

これは私の父です。これは彼が自分でゲットしたやつですね。

かなりたくさん手に入れました。これらのぬいぐるみも、私の人生の一部です。

でも、あてこすりを言われることもあります。デジタル処理全盛のこの御時世、ぬいぐるみの画像を合成したんだろうとか、誰か別の人に5ドル払って写真だけ撮らせてもらったんだろうとか。そういう皮肉や中傷を言う人に対して、どうやったら納得してもらえるだろう?

私は考えました。そして思いついたのです。「そうだ、実物を見せればいいんだ」。(舞台袖へ)ちょっと、こちらへ持って来てもらえますか。

(数人のスタッフが大きなぬいぐるみを5、6個舞台上に運んで来る)

ありがとう。そこにたてかけて置いてもらえますか?

(会場拍手)

私たちが引っ越した新しい家にはそこまでスペースもありませんし、私の一部をもらいたいという人がいれば、講演が終わった後こちらに来て、好きなのを持って帰って下さい。早いもの勝ちですよ。

ディズニーのイマジニアへの挑戦

さて次。ディズニーのイマジニア(企画担当者)になること。これは困難な夢でした。正直なところ、無重力の世界に行くことのほうが、イマジニアになるよりは簡単でした。

私が8歳の時、両親は私をディズニーランドへ連れて行ってくれました。『ナショナル・ランプーン』という映画がありますが、まさにあのような感じでした。大冒険の旅だったのです。当時の貴重な写真をお見せしましょう……。

私がお城の前にいるのがわかりますよね。お気づきの方もいるかもしれませんが、これは「不思議の国のアリス」の乗り物です。幼い私は「ここは世界で1番素敵な場所だ」と思いました。そして「ここでもっと遊びたい」と思う代わりに「僕もこれを作る人になりたい」と思ったのです。

私はチャンスがやって来るのを待ちました。カーネギーメロン大学で博士号を取得した私は、「この学歴ならどこでも何でもできるだろう」と思い、ウォルト・ディズニーのイマジリアリング社へ志望書を送りました。そしてディズニーから、私が今まで受け取った中で最高に丁寧な「不採用通知」をもらったのです。

(会場笑)

「ご送付頂いた志望理由書と履歴書とを詳細に検討しましたが、あなたのご希望と能力を必要とするポストは現在弊社では募集しておりません」

パークではあれだけたくさんの掃除係を雇っているくせに、こんな手紙を送ってくるなんて。というわけで、これはちょっとした挫折でした。

立ちはだかる壁には理由がある

でも、思い出して下さい。壁にぶつかったら、その壁にはかならず理由があるということを。

壁は夢を諦めさせるためにあるのではありません。私たちがどれほどその夢を達成したいか、その本気を示す機会を与えるためにあるのです。

なぜなら壁は、その夢にそこまで本気でない人たちを諦めさせるためにあるからです。そう、「私以外の人々」を諦めさせるためのものでした。

時は流れ1991年、私はヴァージニア大学で「1日5ドルでバーチャルリアリティ」というシステムの研究をしていました。目をみはるような、信じられないほど素晴らしいプロジェクトです。当時若手の研究者だった私は圧倒され、内心不安でいっぱいでした。

客席に、ジム・フォリー氏がいるのでこの話をします。彼は私の大学生時代の指導教官、アンディ・ヴァン・ダム氏と知り合いでした。初めての学会で、私はかなり緊張していました。そこにユーザー・インターフェース界の権威であるフォリー氏が私のところへやって来て、いきなりしっかりとハグをしてきたのです。そして、「これはアンディからだよ」と言ってくれました。

その瞬間、私は「よし、きっとやれる」と思いました。「なんとかこの場所の一員としてやっていけるだろう」。

とある学会での出会い

同じような話をします。このプロジェクトはめざましいヒットでした。当時、バーチャル・リアリティの研究をするには50万ドルほどを必要としていました。皆、資金難に苦しんでいました。私たちは共同でシステムを切り詰め、5000ドルの部品でバーチャル・リアリティ・システムを作り上げたのです。

人々は驚いて言いました。「ヒューレット・パッカードのガレージ部品でこんなことができるなんて!」「すごい!」この話をした時、学会会場は大いに熱狂しました。

質疑応答の時間になると、トム・ファーネスという人が質問してきました。彼はバーチャル・リアリティの研究で、当時から非常に有名でした。彼がマイクを持って自己紹介した時、私は彼の顔を知ってはいましたが、彼が名乗るまで自分の目を信じることができませんでした。

彼が質問してきた時、私は彼に「失礼ですが、今、お名前をトム・ファーネスさんとおっしゃいましたよね?」と尋ねました。

彼は、「そうです」と答えました。

私は、「頂いたご質問に喜んでお答えしたいと思いますが、その前に……明日ランチをご一緒していただけませんか?」と言いました。

(会場笑)

いろいろな思惑が交錯した瞬間でした。もちろん光栄に思う気持ちもありましたが、それ以上に、彼がおそらく「ノー」と言えないようなお願いをしようと思ったのです。

(会場笑)

イマジニアリング社への潜入に成功

イマジニアリングの話に戻りましょう。バーチャル・リアリティに関する仕事をするようになって数年後のことです。これはトップ・シークレット、ディズニーの最上機密でした。

彼らはバーチャル・リアリティを使った新アトラクションの存在を、パブリシティ部門がテレビコマーシャルを流し始めた後までも否定し続けました。絶対に秘密が漏れないようにきつく口止めしていたのです。

(会場笑)

新アトラクションは、魔法のじゅうたんに乗って「アラジン」の世界を飛ぶというものでした。「ゲータービジョン」と呼ばれるワニのようなヘッドギアを着けるということで、私の研究と関連がありました。

またフレッド・ブルックス氏(ソフトウェアエンジニア)と私とは、アメリカ国防総省からバーチャル・リアリティ研究の状況について情報提供を求められていました。良い口実ができたのです。そこで私は、テレビコマーシャルが流れ始めるとすぐ、ディズニーのイマジニアリング社に電話をして言いました。

「私は国防総省へバーチャル・リアリティの研究報告をしているのですが、あなたのところのバーチャル・リアリティ・システムの資料を頂けませんか。世界でも最先端の技術だと思いますので」

彼らが断ろうとしたので、「では、パークで謳われているアメリカへの愛。あれは嘘なんですか?」とさらにつめよりました。

ディズニー社は言いました。「うーん……わかりました。でも、PR部門のほうではまだ何も資料がないんです、これはまだできたばかりですから。なので、あなたをこのバーチャル・リアリティ・システムを作った責任者に直接ご紹介することになります」、大当たり!

(会場笑)

担当者のジョン・スノディ氏と電話で話すことができました。彼は、私が今まで出会った中で最も感銘を受けた人のひとりです。彼がチームのリーダーでした。チームが素晴らしい仕事をしたのも当然です。

質問事項をすべて暗記した

彼はいくつかの資料を送ってくれ、私は彼に電話して言いました。

「今度学会でそちらへ行くんですが、1度お会いしてランチでもしませんか?」

真の意味は、「あまり緊張し過ぎている様子を見せないように、今度そちらで学会があるという嘘をついてあなたに会いに行きます。でも本当は、あなたとランチするためだったら海王星にだって行きますよ」でしたが。

ジョンが「いいですよ」と言ってくれたので、私は80時間くらい費やして世界中のバーチャル・リアリティの専門家たちに訊いて回りました。

「この、信じられないくらい素晴らしいプロジェクトに関わることができたら、どんなことを質問したい?」

私はそれらの質問事項をまとめあげ、すべてを暗記しました。私の記憶力があまりよくないことを知っている人は驚くでしょうね。いちいちメモを見ながら「質問その72……」なんてやっている間抜けには見られたくなかったのです。

「長期休暇がとれるんですが……」「何それ?」

ランチは2時間くらいだったでしょうか。ジョンはきっと、まれに見る非凡な人間と話をしたと思ったことでしょう。だって私がやったことと言ったら、フレッド・ブルックスやイヴァン・サザーランドやアンディ・ヴァン・ダムやヘンリー・フックスといった、素晴らしい人たちからの質問を伝言していただけなのですから。

というわけで、賢い人たちの受け売りをしたので、自分を賢く見せかけるのは簡単でした。

ランチの終わりに、私はジョンに言いました。ビジネスで言うところの「お願い」です。

「来年、長期休暇がとれるんですが……」

「何それ?」

(会場笑)

文化の違いを感じました。そこで彼に、翌年長い休暇を取って、一緒に働ける可能性があることを説明しました。彼はこう言いました。

「それはいいね。ただ、君は人にものを教える仕事をしているし、僕らは秘密を守る仕事をしている」

しかし、そこでジョン・スノディは彼らしくこう付け加えました。

「ま、なんとかやってみよう」

私はこの言葉が大好きです。

ジョン・スノディ氏の言葉「相手に時間をあげなさい」

ジョン・スノディ氏から私が他に学んだこととしては―この話題だけで軽く1時間くらい話せますが―彼が私に言った言葉があります。

「じっくり、充分時間をかけて待ちなさい。そうすれば人はきっと、あなたを驚かせ感銘を与えてくれる。誰かにイライラして当たってしまったら、それはあなたが相手に充分な時間を与えていなかったということだ。あとほんの少しだけ、時間をあげなさい。ほとんどの場合、相手はきっと君を感動させてくれる」

この言葉は私に強く突き刺さりました。全くその通りだと思います。

というわけで、かいつまんで言うと、私たちは法的な契約交渉をしました。ある人に言わせれば、こんな契約書をイマジリアリング社が発行したのは最初で最後だそうです。

ともかく取引は無事成功しました。私は自分で資金を調達してイマジニアリング社へ赴き、6ヶ月間プロジェクトに携り、共同で論文を発表することになりました。

そこへ敵が現れました。私だって、常にご機嫌でいられるわけではありません。信用がありませんからね。誰かから突き上げを食らう時もあります。

私を槍玉に上げたのは、バージニア大学の当時の学部長でした。彼の名前は重要ではありません。とりあえず「ウジ虫学長」と呼ぶことにしましょう。

(会場笑)

くだらない論争を避けるべき

ミーティングで、私は彼にこう言いました。

「長期休暇をとって、こういうプロジェクトをやりたいんです。イマジニアリング社の人たちが、大学の研究者を仲間に入れてくれたんですよ!」

普通では考えられないことです。ジョンが話のわかる男じゃなかったら、まずありえないようなことなんです。ものすごく秘密主義の会社なんですから。

ウジ虫学長は契約書を見て言いました。

学長:「これによると、彼らは君の知的財産を所有するということになっているようだが?」

パウシュ氏:「ええ、私たちは共同で論文を発表するという合意ができています。それ以外の知的財産はありません。特許を主張するようなものはありません」

学長:「でもそうなる可能性もあるじゃないか。契約は中止だ。彼らのところへ行って、この条項をちょこちょこっと直してもらって、出直して来い」

パウシュ氏:「は? なんですって? これがどれほど重要な機会か、きちんと理解して頂きたいのです。もしこの条件が認められないのであれば、私は無給の休暇を申請し、彼らのところへ行って、このプロジェクトをやるまでです」

学長:「それすら認めるわけにはいかんな。君の頭の中に既にある知的財産を、彼らが吸い取ってしまうかも知れん。君が行かなければ、君の知識も彼らは手に入れられないわけだからな」

自分がくだらない論争に巻き込まれていると理解するのは、とても重要です。また、そこからできるだけ早く抜け出すことも同じくらい重要です。そこで私は言いました。

パウシュ氏:「話を戻しましょう。あなたはそもそもこの計画が良いものだと思いますか?」

学長:「良いかどうかすらまったくわからん」

私は、「そうか、まずその共通認識から違うのか」と思いました。

そこで、「この件は果たしてあなたの担当で良かったのでしょうか? もし知的財産権が問題なら、スポンサー付き研究の担当学部長に持って行ったほうが良いですよね?」と訊きました。すると彼は、「確かにその通りだな」と言いました。

パウシュ氏:「じゃあ、彼がOKと言ったら、あなたもOKですか?」

学長:「ああ、それなら私のほうは問題ない」

困難の壁は、時に人間の形をしてやってくる

パウシュ氏:ビューン! ワイリー・コヨーテのような勢いで私はオフィスを飛び出しました。ジーン・ブロック氏のオフィスに飛び込んで、彼をつかまえて話し始めました。彼は世界一素晴らしい男です。私は彼に言いました「高いレベルの話をしよう。このプロジェクトが良い計画だと思いますか?」。低レベルな話を繰り返したくなかったのです。

彼は言いました。

「君が僕に、このプロジェクトの良否について訊いているなら、僕にはそれを判断できるだけの材料がない。ただ僕が知っているのは、僕が憧れている教授の1人が、君の研究の話をとても喜んでいたということだ。だから、もう少し詳しく教えてくれないか」

これは事務職や管理職にいる方すべてにいえる教訓です。ふたりの学部長はどちらも、同じことを言っています。でも彼らが、どのようにそれを言ったのかを考えてみて下さい。

「わからん!」と「判断材料はあまりないが、私の尊敬する教授が期待している。だからもう少し詳しく知りたい」です、彼らはどちらも「知らない」と言っています。でも、良い言い方と悪い言い方があるのです。

ともかく、無事長期休暇がとれることになりました。私はご機嫌でイマジニアリング社に行きました。困難の壁は、時には人間の形をしていることもあります。めでたし、めでたし。

(会場笑)

ディズニーでは、アラジンのプロジェクトに携りました。信じられないほど素晴らしい、見事な大傑作でした。

夢見ていたすべてがそこにあった

甥のクリストファーです。バーチャル・リアリティの機械と一緒に写っています。自転車的な器具の上に座って、魔法のじゅうたんの舵をとるのです。頭にディスプレイを取り付けます。

ヘッドディスプレイはとてもおもしろいです。2つの部分に分かれており、スループット(コンピュータの処理能力)を通せるようなとても優れたデザインです。お客さんが身につけるのは頭にかぶる小さな帽子だけで、それ以外の高価な部品はすべてカチッと取り付けられるようになっています。

帽子は複製が可能です。生産するのは基本的に自由です。これが、私が実際にやっていたことです。

長期休暇の間、帽子のお手入れをしていました。

(会場笑)

私はイマジニアリング社が大好きでした。素晴らしい場所でした。とにかく最高でした。私が夢見ていたこと、すべてがそこにありました。

「モデルショップ」と呼ばれる模型が好きでした。この講堂くらいある大きさの模型の上を這いずり回るのです。

実物そっくりの模型です。歩き回りインスピレーションを得るのに、最高の場所でした。

『チャーリーとチョコレート工場』での名シーン

初めてそこに行った時、よく人から言われていたことを思い出します。

「期待しすぎて、がっかりしたことはない?」

私はいつもこう答えました。

「『チャーリーとチョコレート工場』っていう映画を見たことある? ウィリー・ウォンカとチョコレート工場の話。ジーン・ワイルダーがチャーリー少年にチョコレート工場を譲る時に、彼はこう言うんだ。」

「チャーリー、誰か今まで君に、欲しかったものをすべて手に入れた男の子がその後どうなったか、教えてくれたことはあるかい?」

チャーリーは瞳をまるくして、「ううん、どうなったの?」って訊く。そしてジーン・ワイルダーは彼にこう言うんだ。

「彼は、いつまでも幸せに暮らしました」

アラジンのバーチャル・リアリティプログラムで働いている間、私はそれを「5年に1度の機会」と呼び、評価に備えて準備していました。この経験は私の人生を大きく変えました。やりがいのある仕事ができただけでなく、現場の人々と出会い、HCI(マンマシンインターフェース)のユーザー・インターフェース問題の根本に向き合うことができたからです。

HCI研究をやっている人の多くは、博士号や修士号を持った、ホワイトカラーの人たちです。彼らは現場を知りません。アイスクリームでもぶちまけない限り、フィールドワークなどやらない人たちです。

アーティストとエンジニアを共存させることが重要

ジョン・スノディから私が学んだことの中でも特に重要なのが、「どうやってアーティストとエンジニアを共存共栄させるか」ということでした。これこそ、彼の残した偉大な遺産です。

私たちは共同で論文を発表しました。そして、学術研究の文化におけるささやかなスキャンダルを巻き起こしました。

論文を書いた時、イマジニアリングのスタッフが、「雑誌みたいに、大きなカッコイイ画像を入れようよ」と言い出したのです。SIGGRAPH(シーグラフ・コンピュータ学会)の委員会が私たちの論文を受け入れたことは、いち大スキャンダルとなりました。「そんなことやっていいの?!」とみな驚いたのです。

(会場笑)

特に決まりはありませんでしたからね!

それ以降、シーグラフに載せられる論文は、最初のページにカラーの図形が使われるというならわしができました。私はささやかながら世界を変えたというわけです。