「就職活動が得意」と「仕事ができる」は違う

豊田義弘氏(以下、豊田):「就活エリート」たちが迷走していると。どんな風に迷走しているかというと、色々な話を聞くんです。

資料が小さすぎて見えないかもしれないですけど。

ひろゆき氏(以下、ひろゆき):皆さん、ウインドウを拡大してみてください。

豊田:一部の企業では、なんと8割が使い物にならないとか、戦力にならないという声があって。8割くらいが育たなかったり、辞めてしまったり、メンタルがまいってしまうという企業の声が増えているんですね。

ひろゆき:8割ってことは、2割しか正解しないってことで、採り方に間違いがあるんじゃないですか?

豊田:その可能性は高いですね。その子たちがどんなふうになっているかというと、失敗をすごく恐れてチャレンジをしないとか、自分の能力を置いておいて「こういうことをさせろ」だとか要望ばっかり言って目の前の仕事にコミットしないといった子になっている。

自分がこういう風になりたいというものが、企業の中では自分のなりたいものに必ずしもなれるわけじゃないじゃないですか。それから外れる人はたくさんいるんですけど、外れてしまった瞬間にやる気がなくなって「僕はダメだ」と、モチベーションが落ちてしまう。

ひろゆき:それでいうと、エリートというのは仕事ができるということではないということですか?

豊田:そうですね。「就活エリート」という、就職活動で結果を出せるという意味のエリートです。

ひろゆき:あぁ、就職活動が得意なのと、仕事ができるのとは違いますからね。

豊田:おっしゃる通りですね。でも企業の側としてはそれを一致させたいわけですよね。

エリートに見られる「スター願望」

豊田:就活の中で良いパフォーマンスをする子であれば、実際に入っても元気に良い仕事をしてほしい。でも、今、ひろゆきさんが言ったように、乖離してきちゃっている。

ここに「スター願望」がありました。就職活動の中で結果を出してきて、自分なりにこういうことができる、自分はスターになれるといった、ある種のイメージを持っているんですけど、それが残念ながら、ぐしゃっとつぶされるんですね。

自分がやりたいことに就けない。配属の問題だとかがあって、自分が5年後10年後にこうなりたいといったイメージがここでは実現できないかもしれないということでスーッと引いていく。自分はスターにはなれないんだと気が付いていって、仕事のモチベーションが落ちる、あるいはなかなか仕事にコミットできないということになっていくんです。

ひろゆき:知り合いの姉のエントリーシートを見せてもらったんですけど、スゴイいっぱい内定を取った人なんです。エントリーシートが「なぜ御社が好きか」という質問に1社1社違う回答を書いていて、内定をバカスカ取っていたんですけど、そもそも働きたくないという理由で今は働いていなくて。

役者とか小説家とかに行ったらすごく優秀だったと思うんですよ。相手が望んでいるんだろうという文章をきちんと書けて、はきはきと答える。だから、こういう人が受かるんだという。

悪いのは私じゃない症候群

豊田:おそらくそういう人がいると思うし、この就活エリートの中に全員ではないですが、ある種そういうことに長けている人がいる。そういうことと、現場・現実の中で汗水たらして働くのは違うと思う。両方ともできる人もいると思うけど。

そういう人はここじゃなかったらもっといい仕事ができていると、自分をすごく信じているんで。今やっている仕事が悪いんだ、今この場を提供している周囲が悪いんでしょという、周りのせいにする他罰志向。

この他罰志向って、昨今の新型うつになる人に共通している意識であるんですね。香山リカさんが『悪いのは私じゃない症候群』という本を書いていますけど、その本に書いてあるように、メンタルだけじゃなくてそういう考え方が日本の中にすごく広まっているという。優秀な子の中にすごく強くその感じが広がっているのが感じられます。

ひろゆき:周りが悪いと言ったことによって、状況がすごく良くなるわけじゃないじゃないですか。例えば、モテない人がいて「俺がモテないのはお前ら女が全員悪いんだ」と思っていても、だからといって誰にも告白されるわけじゃないじゃないですか。

豊田:解決策を自分で考えるということではなく、逃避している感じですね。「悪いのは自分じゃない」、会社が悪い上司が悪いと言い訳をしているので、この状況を自分の力で解決していこうと、そもそも思っていない。ひょっとすると、打開するものではなくて提供されるものだと思っているんです。

ひろゆき:じゃあ、この会社じゃうまくいかないけど他の会社なら俺はスゴイぜみたいな。

豊田:その通りです。「提供されれば俺はもっとすごいんだ」ということが育まれちゃっている。

ひろゆき:おめでたいですね。

就活エリートは被害者?

豊田:でも、この人たちはある意味「被害者」だと思っていて。彼らがそうなりたくてなったというだけではなくて、さっきひろゆきさんがいっていた就活ゲームのようなものがそういう人たちを作っちゃったという部分もあったんじゃないかと思っていて。

ひろゆき:けっこう優しいですね。20歳過ぎたんだからもう自己責任じゃんと思うんですけど。

豊田:自己責任という部分で、10数年くらい前ですけど、私もかつて就職情報誌をやっていた時に当時の大学生に対して思っていたんですよ。大学生たちはもっと自分で考えなくては、世の中変わっているんだからヤバいぞと、思っていたんですね。

10数年前、就職情報誌の現場にいた時には、もっと自分でやりたいことを考えろと思って言っていたんです。そういう風に強い自己であるべきだと思っていたんです。

一方で、それだけの強い自分を作る社会システム、教育の力もそうかもしれませんけど、そういうシステムがない中で強くなれと言っている。その中で落伍者など、強くならなきゃいけないと頭でっかちになっちゃっている人を作り過ぎてきてしまったという大きな弊害が出てきているのではないかと思っているんです。優し過ぎるという側面があるかもしれません。

ひろゆき:この会社を辞めて次にいきたいんだ! とか言って殴っとけばいいんじゃないですかね。とりあえず働いとけよ、ガーンみたいな。

豊田:とりあえず働くこと、目の前にあることを真面目にやることができない中で、何をぶつぶつ言っているみたいな。本音としてはあるんです。

でも、彼ら自身がそういう心理的状況になっているのって、本当は健全に意識を動機付けをして働けるはずだったと思うんですけど、就職活動とかそれまでの経験の中でそういう気持ちになっちゃうようなスパイラルに入っている気がするんです。

企業が自分探しを推奨する理由

ひろゆき:上司がバカだったらしかたないんですけど、とりあえず上の人に言われた通りやっているだけで給料はもらえるし、「言われた通りにやっているだけなんで、僕ここまでが限界です」でそれでいいじゃないですか。なんでそんな、言われた通りやることができなくなっているんですか?

豊田:そこの部分については、(スライドの)2枚ほど先に行きますね。

この図は就職活動をする時に学生がよく見ていると思うんですけど。今、自分自身がやるべきこと、自分がやりたいこと、できることの接点を見つけて、自分なりのキャリアビジョンとかゴールを設定しようというわけです。

大学の中でこういう自分を探そう、企業の中でもこういうことを探してうちの企業で何ができるか考えてください、みたいな声が出てきているんですね。

ひろゆき:最近は大学でも「自分探し」推奨なんですか?

豊田:推奨していますね。

ひろゆき:そんなもんあるわけないじゃないですか。

豊田:(笑)。この推奨問題がある種の火付け役になっている部分があって。「自分探しをしましょう」。企業が自分探しを推奨する時って、企業は本当は「自分探し」を求めているんではなくて。

やりたいことを考えているプロセスの中で、あるいはそれを自分なりにまとめている中で、この人は論理的にものを考えられているのかなとか、自分のことがある程度はわかっているのかなということを見定めたくて、「うちの会社に入ったらなにをやりたいですか?」という質問を多くの企業がしてくるんですね。

この言葉ってまともに受けると、やりたいことをちゃんと決めて、ちゃんと答えて、会社に入ったらちゃんとその仕事をするプレゼンテーションをしなくちゃいけないような気になってしまう。

学生に「やりたいこと」を聞く企業はなかった

ひろゆき:やりたいことって、例えば、ドワンゴでニコニコ動画があって、みんな企画がやりたいというと思うんですよ。現場の営業とかADはやりたくないじゃないですか。

で、みんな企画って言って。でも学生の企画なんて使えるものなんてないから、とりあえずADでとか連絡係とか下積みをやらされるわけじゃないですか。そこで、「何やりたいの?」と言って「僕は企画」とか思わせない方がいいと思うんですよ。なんでそんなこと思わせちゃうのかな?

豊田:それは本当に根源的な話ですね。実はこの「やりたいこと」を聞き始めた企業って、あるいは「大学時代に何を頑張ったか」とか「会社に入って何をやりたいですか」とかいう質問って20年前には一切なかったんですよ。聞いている企業は1991年にSonyという会社で職種別採用を初めて行ったんですよ。

ひろゆき:職種別採用ってなかったんですか!

豊田:なかったんです。とくに大手企業はガバッと採って、お前は適性だから営業とか人事とか。

ひろゆき:そっちの方がよっぽどいい。

豊田:当時Sonyは人気企業で。入りたい企業ナンバー1でもっと意識の高い学生を採ってみようということでチャレンジとして職種別採用をして、なおかつ「君は何をやりたい?」という聞き方をしたんです。そういう採用をして、そのあたりからそのやりたいことを問うのが広がっていったという。

ひろゆき:じゃあ、そのSonyのやり方がうまくいったように見えたから他の企業も真似をしたということですよね。

豊田:でも、その当時Sonyは大学生の7人に1人が入りたいと言っているくらい、すごい大人気企業だったんですよ。

ひろゆき:20年前に入ってということは、今40歳くらいの人がその当時ということですよね。管理職、中堅じゃないですか。Sonyはもうボロッボロじゃないですか。じゃあ、失敗したってことですか?

豊田:うん、そこの部分ははっきりとは言えないけれど。逆にSonyのような会社だからこそ、学生に考えさせるというハードルの高いことをSonyのような人気の企業からこそできた。

普通の企業だったら、そんなこと考えてエントリーしなきゃいけないんだったらご遠慮します、みたいなことをやっていけたんだけど、当時のSonyだったからこそ、こういう深い質問ができた。

Sonyに入りたいという人たちが熱意をもって応募してきてくれた。それがある種の評判になって、その後広がっていくということがあるんです。

ひろゆき:Sonyが悪いんじゃなくて、それを真似した色んな企業が悪いっていうことですよね。

豊田:そうだと思っています。

人事部が無能なことが原因

豊田:多くの就活エリートという人たちは非常に前向きだと思うし、基礎的な素養もそれなりに高いと思うですね。

なんだけど、彼らがこういう考え方の呪縛にとらわれてしまって結果的に自分自身が成長できないとか、キャリアそのものの危機を抱え込んでしまっている、そんな状況になっているなと。

ひろゆき:人事部が無能なんですかね?

豊田:それはそうかもしれません。

ひろゆき:企画で優秀な人とか、営業で優秀な人とかって、絶対に前線で働くじゃないですか。バックヤードの人事部に送られてくる奴ってだいたい現場で使えないやつじゃないですか。無能な奴が送り込まれてきて、無能な人だし、前線にもいないから情報が遅れてくるわけじゃないですか。

そうすると能力が高くなくて、その人が人を選んでいたら、その人より下の人しか採れないじゃないですか。

豊田:必ずしも人事部に入る人が無能な人とは言い切れないですが、ひろゆきさんが言ったことで一理あるかもしれないのは、今の人事の中で割と若い人、入社数年目の若手社員が採用に関する重要な仕事をしていることがあるんです。

彼らは就活エリートみたいな感じで入ってきて、今、自分がやった就職活動そのもの、まさにこういう就職活動をすれば君もこの会社に入れるかもしれないということを拡大再生産しているのかもしれません。

そういうリスクはちょっとあるかなと思っているんです。仕事の現場、前線のことを知ってから採用に配属された方がいいかもしれないぞ、ということはあるかもしれません。