「エリキシール・スルファニルアミド事件」の悲劇

ステファン・チン氏:薬の歴史上、大きな偉業を成し遂げたものもありますが、重大な間違いを起こしたものもあります。1930年代、手っ取り早くお金を儲けようと躍起になった企業が、安全で効果的な薬を危険な薬に変えたことがありました。

この悲劇の裏にはかなり興味深い話があります。例えば、染料が特効薬になったり、「アメリカ食品医薬品局」が現在のスタンダードになったり、ある科学者がノーベル賞を獲得したり……。こうしたエピソードがあります。

かつて問題になった薬は、「エリキシール・スルファニルアミド」。1937年、テネシー州にあるS.Eマッセンギル社で製造され、販売されていた薬です。

この危険なスルファニルアミドは、かつて特効薬として謳われていました。抗生物質として扱われ、細菌感染症の治療に使用。細菌の再生成を妨害することによって効力を発揮しました。

この薬は以前からあった「プロントジル」から生成されました。プロントジルは、鮮やかな赤色で、染色業界によって開発されました。

1932年、科学者のゲルハルト・ドーマクによって、プロントジルがネズミの細菌感染症を治癒できると発見されています。

1935年にプロントジルが市場に出回ると、すぐに好評を博し、多くの命を救いました。事実、プロントジルとその関連化合物は、最も初期に広まった抗生物質でした。ペニシリンもすでに発見されていましたが、まだ簡単には入手できませんでした。

さらなる研究によって、プロントジルには2つの成分があったことがわかっています。

1つは色素であり、もう一方は抗生物質です。その抗生物質はスルファニルアミドで、研究者は、それを単体で使え、粉薬か錠剤にすることができると発見しました。

副作用の可能性もありましたが、一般的には安全とみなされました。現在でもスルファニルアミドを膣真菌感染症の治療に使っていますが、最近では他の抗生物質が出回っているので、あまり多くは使われていません。

腎不全を引き起こす恐ろしい「万能薬」

問題なのは、スルファニルアミドはすでに科学者によって合成されていて、特許が期限切れになっていたことです。そのため、誰でも売ることができたのです。

マッセンギル社は、消費者が液状の薬を好んでいると知り、液状のスルファニルアミドを作ろうと試みました。やがて研究者はこの粉末がジエチレン・グリコールに溶けることを発見しました。当時、ジエチレン・グリコールは溶媒として知られていました。

キャラメルとラズベリーの味を加えると甘い味と香りがします。研究者は消費者にとって良い薬だと考え、抗生物質として売り出しました。疑いもなくジエチレン・グリコールは強力な毒ですが、咳止めシロップよりもおいしそうな味付けでした。

当時、その毒性に関する研究がありましたが、あまり広くは知られていませんでした。最近では、不凍液(注:エンジンや住宅の暖房ヒーターの一部などの内部を循環する冷却水の一種)として使われていて、甘いお菓子ではないとわかっています。

ジエチレン・グリコールが身体に悪影響を及ぼすには時間がかかります。酔ったときのような初期症状が出ますが、数時間後には中毒が酷くなります。どのように死に至るのか、確信はないものの肝臓で分解され、腎不全に陥り、神経系に影響を及ぼすこともあります。

死に至るエリキシール・スルファニルアミドと同封された説明書には、「患者が良くなるまで投与し続けるように」と書いてありました。

それは、愛ある家族によって毒を盛られることになってしまった人もいるということです。数日間や数週間に渡って不凍液を与え続けられ、大抵は腎不全になって倒れてしまったのです。

この薬で合計105人が亡くなっています。そして、マッセンギル社が薬を発送する前に、少数のネズミに与えていれば、この悲劇は避けられたかもしれません。

事件はその後…

1938年以前は、アメリカ食品医薬品局は粗悪品と不正表示を防ぐ力しかありませんでした。例えば、小麦粉の錠剤を違反薬だとして売ることはできません。しかし、ラベルが正しく表示されている限り、毒薬を安全性の試験をすることなく、売ることはできたのです。

マッセンギル社の万能薬は、ラベルの表示通りにスルファニルアミドとジエチレン・グリコールと水と香料が含まれていました。

しかし、彼らは正確には法を犯しています。彼らはその薬を「万能薬」と呼びました。その用語は、エタノールを含んだ製品につけられるべき名前でしたが、マッセンギル社のシロップには入っていませんでした。

食品医薬品局は毒性のある薬を追跡し、マッセンギル社に前代未聞の罰金を課しました。この処罰がなければ、より多くの人が犠牲になっていたことでしょう。

1938年に新法案が早急に国内で審議され、食品医薬局に薬品の安全性を調査する強い権限を与えられました。何年か後にこの法律は、出生異常を引き起こす「サリマイド」が市場に出回ることを回避し、評価されました。

悲劇と新しい法律をきっかけに、不凍液の万能薬を作った科学者は自殺に追い込まれました。また、1938年の薬物法を支援した上院議員は、法律が通過した後に過労で亡くなったと報告されています。

粉末と錠剤のスルファニルアミドは、抗生物質として第二次世界大戦でアメリカの兵士の間で広く使われました。プロントジルを開発したゲルハルト・ドーマクは、抗生物質の先駆けになったとして、1939年にノーベル生理学・医学賞を獲得しています。

不凍液と一緒に飲まなければ、プロントジルやスルファニルアミドの関連化合物は多く服用されており、安全で効果的な抗生物質です。