誰がお金の発行主体となるのか

井上高志氏(以下、井上):先ほど1部では質問の時間を取れなかったので、1部2部あわせてなにか聞いてみたいという方いらっしゃれば。竹村先生がいらっしゃいますし、ぜひどうぞ。

質問者3:1部2部に共通した質問なんですけれども、仮想通貨のポイントって要はお金を作り出す主体が変わったというのが大きなポイントだと思うんですね。そのお金を作り出す主体が歴史的にどうやって変わっていったのか。そのお話を黒田さんにお聞きしたいなと思ったんけれども。

井上:黒田先生はもうお帰りになったんですよね?

質問者3:じゃあ竹村先生お願いいたします。お金を作り出す主体が歴史的にどのように変遷していったか。あと、今後どのようになっていくのか。

井上:さっき僕も聞いてて、黒田先生が「そもそも通貨発行に政府なんて必要ねぇんだよ」とおっしゃってて「へぇ」って思ったのと、確かに数千年数百年の歴史でいくとお金の発行主体そのものが変わってきてる感じがするし、これからの仮想通貨で変わりそうな感じがするので。

竹村真一氏(以下、竹村):ちゃんとした答えは僕の本であたっていただくとして、でも実際日本だって金本位制・銀本位制と同時に米がお金として使われていた時期もあったんですし、米が投機の対象になったことももちろん一部はあったりしたわけですし。そうすると誰が発行という以前の問題で、「これをお金にしちゃおう」みたいなことでお金になりうるわけですよね。

だから誰が主体かという、最初から権威がある人しか発行できないみたいな発想ではなく、そこが最初の黒田さんの問題提起でもあったと思いますけれども、自分の名札がお金にもなりうるという発想で。

そこをもっといろいろ、今日は時間がなくて語れなかったんですけど、お金に色がつけられるのかなと。想いとかね。自分が望む世界につながるようなかたちで流通する色がついたお金、それを選べるとかね。そのへんをもし、ビットコインも含めてなにかそっちにするかたちがあるんだったらと期待したわけでした。

100万人のキャンドルナイト

竹村:せっかくマイクをいただいたのでちょっと。「ぶんじ」というのをすごく、僕はさっきの言葉がとても響いたんですけど、「自分の受け取ったのが誰の仕事なんだろう?」ってすごくいい表現だと思うんですね。そういうものが記されてリレーされるというのはものすごく興味のあるすばらしいシステムだと思うんですけど、ちょっとうかがいたかったのは……。

そういえばちょうど今日、「100万人のキャンドルナイト」というのを一緒に企画して作った方が来ていて。

彼と一緒にやったことが、100万人のキャンドルナイトといって、「100万人いけばいいね」って。だけどそれ匿名的に100万人いてもあんまり意味がなくて、一人ひとりの想いが、どんなかたちでキャンドルを灯してるんだろう? 中にはいろいろな想いを持っている人がいるんでしょうけど、少なくともそれを匿名化しないでできないかということで、彼が考えたのが、誰かが賛同して灯しますっていったときに、我々のウェブサイト、日本列島上にその人のあれがポツッと灯るんですよ。

新潟。郵便番号を投げつけると、日本列島のどこから発信されたのかわかりますよね。

それと数秒あとに誰かが投稿したら、今度は鹿児島の人が投稿したとしたら、新潟と鹿児島の人はなんのご縁もないんだけど、「今、鹿児島の人は新潟の人からキャンドルライトをリレーしました」というメッセージが届くようにしたんですね。それが彼のアイデアで。それが日本列島上で可視化されるようにしたわけです。

自分の手元にも、「え、俺、新潟の誰々なんてぜんぜん知らないよ」って。もちろん名前も出ていない。でも、そのメッセージが自分に届くだけで、自分はたった1人でキャンドル灯すよって言ったんだけど、誰かから同じ想いが送られてきて、自分の想いも誰かにリレーされていくというバーチャルなキャンドルリレー。

それぞれの人が見知らぬ人から届けられましたって、「勝手に言うなよ」って話なんですけど、でも、そういうメッセージが来るだけで「自分は1人じゃない」みたいのが生まれる。

これってある種の、今日のお話にすごくつながる、人の想いをリレーしていく経済のソーシャルウェアだったかなと今は思います。

贈る行為を原則とした通貨の循環

竹村:影山さんに一言聞きたかったのは、本当にすばらしいシステムなんですけど、今日「このコーヒーがおいしかった」って言った時に、決して否定的な意味で言うのではなくてものすごく肯定したいからこそ聞くんですけど。そのときに自分がおいしかったと思ったこのコーヒーは誰かがしつらえてくれたコーヒーなんだという、その自分が受け取った労働に対する思いにコメントがうまくつながっていくとすばらしいと思うんですけど、今は「いいね!」文化ですから、「おいしかったよ」とか「いいね!」って気軽に言って結局自己満足で終わっちゃう可能性もありますよね。

そこを、受け取ったなにか、そして自分も誰かにgiveするという関係にどうつなげていくか? それ最後にもしお話聞ければうれしいなと思います。

影山知明氏(以下、影山):前段の話の通貨がどこで発生するのかでいうと、「ぶんじ」のバリエーションで、国分寺の中ではうまい棒と不二家のペロリンキャンディーも「ぶんじ」で流通しているんですね。それは安いペロリンキャンディーとかうまい棒に「100ぶんじ」って書いた人がいて、それでいいというふうに。だから誰か発行主体が特定の中央にいるということじゃなく、そういった貨幣は実はどこでも発生しうるってまさにそうだなと思ったことと。

あと、後段のお話について、まずなにより1つ大事にしていることは、最初に「ぶんじ」を受け取るためには必ずなにかを贈る行為をするということの原則を大事にしていて。さっきの街のためになにかゴミを拾うとか、ボランティアやるとか。

あるいは実はお金で「ぶんじ」を手に入れることもできるんですけど、それも呼び方1つで。「1,000ぶんじを1,000円で買う」という言い方はしてなくて、1,000円寄附することでこの取り組みを応援するよということで「1,000円寄附してくださった方にはぶんじを10枚差し上げます」という言い方をしていて。だから必ずこの循環が贈る行為から始まるということの原則を大事にしていることと。

あと「ぶんじ」の裏面が吹き出しが複数箇所になっているというところも1つのミソで。さっきまさに井上さんが言ってくださったように、こうやって自分がなにかメッセージを書かれたもの受け取ると次にそれを埋めないといけない、空白であることでそれを埋めようという動きになり、だから周りの自分のためになにか仕事をしてくれてる人をむしろ探すようになるんですよね。自分が誰の仕事を受け取っているのかということを想像するようになる。

そうすると、意外に、そんな改まったお店に行くとかじゃなかったとしても、自分は誰かの仕事によって支えられているという日常に気がつける。そういうことで回っていく。

そうするといつか吹き出しが全部埋まることが起こりますね。僕らは1年に1度、今年は11月18、19日なんですけど、そうやってすべての面の吹き出しが埋まった「ぶんじ」を「コンプリートぶんじ」と呼んでいて、その1年間どういう循環がそうやって1周したのかということを拡大する展示するイベントというのをやっていて。

そういうことも1つ、地域の中で贈る仕事が循環してることを可視化する機会にはなっていることがあります。そうすると、また自分も贈ろうという気になるという。

井上:コンプリートすると、なにか最後は富くじみたいなものができるんでしたっけ。

影山:一応コンプリートぶんじを持ってると願い事が叶うっていう(笑)。

(会場笑)

影山:それと新規のぶんじを替えられるという、2つでございます。

井上:たぶんこれってみなさんがお勤めの会社でやろうと思えばすぐできることですよね。社内通貨が簡単にできるんですね。

影山:そういうことですね。

受ける側と発信する側の力の釣り合い

井上:すごいすてきですよね。ほかにご質問ありますか? ええと、いっぱい挙がりましたね。あ、その前にごめんなさい。

影山:出しちゃいますか?

井上:なにかもし「100万人のキャンドルナイト」でなにかコメントがありますか? ありそうです。

参加者:デザインの仕事をしています。先ほどの100万人のキャンドルリレーの話は、大きなイベントに参加するという参加表明の行為は匿名的なんですが、全員の顔を別に知りたいわけじゃないから、直前に登録した人がどこにいた人だったのかというヒントを少しだけ伝えることで、「100万人の1人と呼ばれている自分も、確かに同じ意志を共有している誰かと通じているんだ」という想像力の飛距離をちょっとだけ伸ばしてあげるための仕掛けだったりしました。

今日のお話聞いてて感じたこと。先ほどの影山さんのgiveの概念、takeの概念ということについて、つい一昨日感じたことがあるんですが。昨日ロンドン出張から帰ってきまして、例えば僕たちのロンドンオフィスは、最近WeWorkという今話題のシェアオフィスに引っ越したんですね。

WeWorkがすごくよくて。コミュニティを大事にしていて、そのためにビールがずっと無料で提供されているんです。だから働いている違う企業の人たちがビールを酌み交わしながら盛り上がれるって場が作られているんですけど。

おもしろい発見は、無料ビールを飲みながら会議して、ビールが無料だと思っていると、まったくビールがおいしくないんですね。それでそのあとみんなで会議の続きをご飯食べながらしようって言って、同じメンバーでお金を払ってビール飲むと途端にビールがおいしくなってきたんです。

これってまさにtakeとgiveに通じるなと思っていまして。その場からなにか価値を搾取しようと思っていると、一側面しか享受できていないことになってしまう。やっぱり発信している側と受け取る側の意思のバランスが釣り合ってるときに一番幸せな交換が起こるんだと思ってるんですね。

例えば、マスメディアでブロードキャストされているものを見るときって気を抜いて見るじゃないですか。その時ってたぶんバランスがあんまりよくなくて、感動するのにけっこう体力がいる状況になってしまう。

一方でビールみたいなのも搾取で、飲むほうにあんまり気合が入ってないからあんまりおいしくない。

一方で自分で対価を払うということをけっこう大事な部分にもなっているんじゃないかという気はしています。受け取るという言葉に象徴されるのは、まさにtake, giveというところに通じるのは、受ける側と発信する側の力が釣り合っているか。そこにあるのかなということを今ふと感じました。

影山:今日のこの場もそうですよね。本当に。受け取ってくださるからこれがあるという。

井上:まさに。

お金に交換できない物がもつ本質価値

参加者:もう1つだけ。価値を考えたときに、お金に交換できる部分とできない部分がもしかしたらあるかもしれないというのが「ぶんじ」の伝えているところで。お金のところに価値を削減していくと、実は「無料のビールおいしくない問題」に行き着いちゃうじゃないかと思うんですね。

つまりどういうことかというと、ベストの体験を考えたときに、本当においしいレストランはどこかといって目隠ししてブランドテイスティングして本当にいいレストランが選べるかっていったら、たぶん選べない。五感で感じたり、誰と食事食べてるかが大事だ。シェフの顔が見たいとか。

ということを考えたときに、「なにに対して価値を払っているか?」とか「価値とはなんなのか?」というところの本質価値というのは、かなりムダな部分にこそ依拠していて、食べ物に払っているんだという意識になってしまった途端に、そのバランスが崩れてしまうのかなというところを感じました。長々とすいません。

井上:ありがとうございます。ちょっと一言だけコメント。昨日『0円キッチン』という映画を作っている監督と少し夜に飲んでたらすごくすてきな話を聞いて。

ある食堂はすべてのメニューがタダなんですって。これはフードロスするやつを使うからタダという意味じゃなくて、ペイフォワードの精神なので、「あなたが今食べているものはタダです。ただもし気が向いたら次の人のための食事代を、よかったら出してください。いくらでもいいです」。

ずっと続いていくんですね。どういうことが起こるかというと、前の人よりもだんだん払う金額が上がっていくんですって。これ、別に値札ついてないんですよね。

だからそういう善意が交換されていく、数珠がつながっていくとだんだん増えていくみたいな。それが搾取とは違う利他とかペイフォワードをすることのほうが価値があるって感じてるからいっぱい出すということにつながってるなという話でした。

すみません。2人ご質問があるものの……なんですか?

司会者1:次に。

井上:次行けと。

司会者1:ごめんなさい。次に。

井上:あの、じゃあすいません。お答えはしません。質問だけ聞きます。

(会場笑)

井上:あとで3部の人にそれ含めて答えてもらっちゃいます。じゃあまず先に、どうぞ。

質問者4:偽造防止ってどうやっていますか? それから1枚作るのにいくらかかりますか?

井上:じゃあ、それは手短かに。

影山:偽造歓迎です。

井上:偽造歓迎?

影山:はい。だし、1枚あたり数円ですね。

井上:はい。手短に答えていただき、ありがとうございました。はい……あれ、身内ですよね?

質問者5:はい。

司会者1:(笑)。

井上:どうぞ質問を。

質問者5:クルミドコーヒーのオオハタと申します。今、手を挙げてみて、あとになってテーマと違うなと思ってんですけど。

井上:大丈夫です。答えませんから(笑)。

(会場笑)

質問者5:「まわるケイザイ大YEN会」ってタイトルで、テーマはお金ですって見た時に、「まんまじゃん」って思ったんですけれども。いや、つまり経済といったときに、イコールお金というような認識が今まであったんですけど、「お金以外の経済ってなにがあるんだろう?」って考えてみたらわからないなと思って。そういう投げかけをして終わります。

井上:はい、じゃあこれを第3部の方に引き継いでいただいて(笑)。よろしくお願いします。

司会者:ありがとうございました。

(会場拍手)