「常識のようなもの」が切り替わると…

為末大氏(以下、為末):「不気味の谷」(注:人間がロボットなどの対象に抱く違和感などに関する議論)と、偏見って同じって捉えてもいいですか? それともぜんぜん違う話なんですかね。自分の思い込んでるものと過剰に違うものは受け入れがたい。ちょっと不寛容な社会のなかに起きるときに、その人たちのなかにあるモデルと違うもの。

石黒浩氏(以下、石黒):あるかもしれないです。自分がこうだと思ってることからちょっと外れると、受け入れられない。でもすごく外れると、まあまあいいかなって受け入れちゃう、っていうのは似てるかもしれないですね。

為末:自分のなかにもありそうで、なさそうでみたいな感じの領域のとき、なんか過剰に反応してるような感じがしたんで。

石黒:そうですね。だから、すべての機能の基本的な性質だと思います。

為末:もう1つ、僕がうかがいたかったのが、僕らの世界だとパフォーマンスが、なにが限界を決めているのかっていうのがよく挙がるんですね。もちろん筋力とか、そういうものになってるんですけど。

でも、ときどきおもしろい現象が起きて。例えば、野茂さんがメジャーリーグに行ったあとに、メジャーリーガーの数がバンッと増えるんですね。技術的な、筋力的なすごいものが発達したかというとそうじゃないんだけど、ただ、「彼ができたんで俺らもできるんじゃないか?」と認識が変わることは起きるんですね。

最近、陸上だと9秒台(注:桐生祥秀選手が100mで9.98秒を記録)が出て、1年ぐらいで9秒台を出すほかの選手が出てくると、僕はなんとなく思ってるんですけど。だから心の問題だっていうふうに、根性論に持っていって。限界はないんだ、っていう話じゃなくて。

人間の構造を決めている規範とか、常識みたいなものが切り替わっていくことで、人の限界値って上がってる気がするんです。でも、そういうものって結局なにが決めてるのか、現役をやっててすごく興味があってですね。

石黒:それは、まったく同じ現象がヒューマノイドのロボットの研究なんですよ。人間型のロボットって二足歩行のやつなんですけど、もう20年ぐらい前に。二足歩行のロボットは難しいってみんなが思ってたら、ホンダがあっさり作っちゃったんですよね。

根性を出すハードルが乗り越えられなかった

石黒:その前に、早稲田の先生がそれなりに作ってるんだけど、やっぱりホンダが作ったレベルはちょっと違ったんですよね。「あ、やりゃできるんだ」とわかった途端に、ありとあらゆる大学が作りだしたんです(笑)。

なんとなく、「なんかできないんじゃないか」っていう妙な、自分で抑制しちゃってるようなところがあって。

為末:はい。

石黒:「ちょっとやればできたじゃん」というのは、研究のなかでしょっちゅう起こることですよね。だから、あれはびっくりするぐらい、みんな一瞬にして真似しましたね。「やればできるんだ」って言って。でも、とくに新しい技術はなくて。

あんなに複雑なものを組み上げるのは面倒だし、きっと動かないだろうとかなんか、なんとなく思ってたんでしょうね。もちろん、いい特許やいいセンサーを、ホンダは持ってるんですけれども。でも、真似できないレベルでは絶対ないんですよ。

やれって言われて、それなりのお金をもらって、「やらないとクビだ」とか言われたら、やった人はたくさんいたと思うんです。だからすごくおもしろいですよね。科学のほうが、そっちのほうが大きいかもしれないですね。

為末:そういう認識のアレですかね。

石黒:例えばディープラーニングって、今のAIのブームのベースになってるものが出てきたときにおもしろかったのは、「やっぱりそれしかなかったよな!」ってみんな言うんだよ(笑)。

為末:出たあとは、ですね。

石黒:そうそう。けっこういっぱいいて。「あの方法しかないな」っていうのは、僕らも思いました。でも、「なんでやらなかったんだろう?」って。要するに、ちょっと面倒くさいプログラムを書かないといけないとか、ちょっと根性を出して大規模で複雑なことをやっておかないといけないんですけど。

その根性を出すハードルが乗り越えられなかったんですよね。だからあれは、いつかは誰かやったかもしれないんですよ。原理的にはそれほど難しい話ではないので。そういうのは多いですね。だからディープラーニングができた瞬間に、1、2年のうちにものすごいたくさんのバリエーションが一気に出ましたね。

ディープラーニングは一気に枯れた技術に

石黒:もう弾けるように、山盛りにいろんなものが出て。あっという間に枯れた技術になってしまいましたね。2、3年で枯れた技術になってしまったんじゃないですかね。ちょうどイスラエルに行ってきて、モービルアイをインテルが買ったんですよね。

2年ですよ。(ジェフリー・)ヒントンがディープラーニングを作ってから、2年で陳腐化しちゃってるんですよね。この爆発的な実装能力っていうのはすごいし、でも原理がわかった瞬間に「これだ!」って言って飛びついたっていうことですよね。

為末:そういう「パンッ」ということって、意図的に起こすのはやっぱり難しいんですかね。偶然を待つしかないっていうか。

石黒:そうですね。ヒントン先生はネチネチがんばってやったというか。日本のAI関係者は全員諦めたというか、「もうこれ以上やっても論文を書けないし、しんどいし」って言って、全部別のところいったんですよ。私もその1人ですけど。

でも、私の場合はそれでロボットをやったんで、そんなに後悔はしてないんですけどね。多くの人は、分野から全部離れて。1990年代は、日本のAIのほうがはるかにすごかった。カナダがAIで強いっていうイメージは、まったくなかったんですけど。最後まで粘った人が勝ちましたね。

為末:そういう意味で、かなり人間と区別がつかないアンドロイドができたときに、社会的に起きる変化ってなんだと思いますか? 人間側が変化することとは、何なんですかね。そういうものを見た瞬間に、私たちの側の意識とかって。

石黒:僕が一番期待しているのは、「ロボットと人間の差っていうのは議論してもしょうがないね」と。だからいつも言うんですけど、「パラリンピックの選手を見て、みなさんどう思いますか?」と。「手足のない人が義手や義足を使ってて、あの人たちは8割の人間だ、とか7割の人間だとかって言いますか?」って言わないですよね。100パーセントですよね。

ということは、人間の定義に生身の体ってもうないんですよ。それはもうわかってるのに、人間とロボットを比べるじゃないですか。よくわからないのは、僕はそこなんですよ。だからずっと矛盾を引きずっていると。

人は単に肉体で定義されるものではない

石黒:理屈としては、生身の体なんてぜんぜん人間とロボットを隔てるものではないということは、理屈としてはわかってるんだけど、自分のことになると、日常生活になるとまだそんなにたくさん義手や義足を使ってる人はいないので、機械の体と人間の体は違うんだ、とか思っちゃうんだけど。

でも、ああいうアンドロイドが出てくると、「もうこれでいいんじゃないか」とか。友達になるとか、そこらへんまでいかないといけないんですけどね。人は単に肉体で定義されるものじゃないことを、実感してもらえるようになるといいなと思うんですけどね。

為末:そのぐらいの世界になったときに、自分の定義とか、自分が自分を、なんて言うんでしょう。何を持って私とするか、みたいなことも議論が始まっていくんですよね。

石黒:そうですね。体の制約はなくなっちゃうわけですよね。

為末:これらが自分、っていう感じとはちょっと違う世界ですよね。

石黒:そう。でも、もともと人間って、その知能によって体の機能とかを、例えば自動車を運転してる人は自動車含めて体かもしれないし。だから義手や義足を使ってる人はもちろんそうですよね。生身の部分だけじゃなくて、義手や義足の部分も含めて自分の体だし。

例えばアーチェリーの人にとっては、その弓の部分も自分の体の一部のようなものかもしれない。どこまでを自分とするかっていうのは、動物は厳密に決まってますけれども、人間はどんどん体を拡張する、非常にフレキシブルな脳を持ってるので。

人間っていうのは、いくらでも拡張できるかもしれないですね。王様とか偉い人にしたら、国まるごと自分だと思ってる人もいるかもしれない。

為末:なるほどね(笑)。そういう国も近くにありそうな感じの。

石黒:そうそう。

(会場笑)

為末:もう1つ、先生にうかがいたいです。学習のプロセスを、ロボットにやっていらっしゃる気がしたんですね。興味深いのが、パラリンピックの選手の取材で言ってたんですけど。ローテーションっていう手術があるのご存知ですか?

石黒:いや、それは知らないです。

為末:ローテーションって手術は、ようは大腿、ここから切断しちゃうと膝がなくなるんで、膝が伸びた状態になるので、上りの階段がすごいつらくなるんですね。膝がちょっとだけでもあると曲げられるんで、上れるんですね。

ローテーション手術のリハビリは念力のようなもの?

為末:膝だけ骨肉腫などになった場合、膝と足首とを切断して、足首部分をひっくり返してくっつけるっていう。そうすると、足首という関節が残る。要は足の裏が見えてるっていう状態になるんですね。

そうすると、足首関節が膝の関節にくるので、一応曲げられるという。ちょっとだけ曲げられるんで階段が上れる手術があるんです。ローテーションするっていう手術なんですけど。

これをやられた方にお会いして、話を聞いたんですけど。リハビリのプロセスが、「基本、念力のような感じ」って言ってたんです。見ながら、「動け動け」みたいなことをやっていて。1か月ぐらいで動くようになっていくそうなんですね。3か月ぐらい経つと、かなり動いていくんですけど。

その方法で学ぶと、タオルを1枚かけるだけで動かせなくなるんで、次は見なくても動かせるようになる。みたいな、そんな感じのなんですけど。まずこの現象について、先生がどういうふうに思われるのか(笑)。

石黒:似たようなことをやってる。最近、うちの研究の1つは脳で、3本目の手を右胸の下あたりにつけるんですよ。

為末:ちょっと待ってください、どういうことですか?

石黒:だから、アンドロイドの腕をちぎってきて、右胸の下あたりに1個つけちゃうんですよね。そうすると、腕が3本になるじゃないですか。それを脳波でコントロールするんですけど。腕が3本になっても、ちゃんと脳は適応するかっていう研究をやってるんです。

けっこうちゃんとできるんですよね。トレーニングするとどんどんできるんですけど、そのトレーニングのなかでいろいろおもしろいことがあるんです。例えば脳で、腕動けって考えるじゃないですか。脳波が、腕を動かすとか動かさないっていう綺麗な信号を作れれば、腕は動くんですけど。

いっぽうで、うまく作れない人は勝手に、「考えてください」って言ってる間に、先に腕を動かしちゃうんですよ。そうすると、脳波が綺麗に分かれだすんです。念力みたいなものですよね。「動け」って見てて動いちゃうと、その結果を見て脳波が分かれていくんですよ。

だから体というのは、考えるから動くのか、動くから考えるのかの双方向なんですよね。それがロボットでもできるっていうのが、すごくおもしろいんです。

人間にとって、体の境界はどこまでというのはない

為末:なるほど。起きた現象で、「あ、こんな感じ」っていうのが正解の方向なんだとフィードバックがかかるみたいな、そんなイメージですか?

石黒:要するに、ニューロフィードバックっていう話があるんですけど。脳の反応パターンを、フィードバックしながら変えていくトレーニングがあるんだけど。それを実際の、手みたいなものとか足みたいなものでやると、すごく効果が高いんですね。

だから一番大事なのは、脳と体ってそんなにきっちり繋がってるわけじゃなくて。お互いに想像し合いながら、ゆるい繋がりをだんだんと固定していくような感じがあるっていう。

為末:なるほど。それぞれがなにかやってて、なんとなくこんな感じでやるとこう動くんじゃないか、みたいな連携。

石黒:念力って、まさにそうだと僕は思いましたね。念力をやってる脳のなかの回路も、自分では意識的になかなか自由に動かせない。でも、その脳は体と繋がってると、その体とうまくバランスを取るように、だんだんと無意識のうちにパターンを覚えていく、みたいなことをしてくれるんですよね。

為末:僕がゴミ捨てをするのが僕の家での役割なんですけど。何回言ってもゴミ捨てをしないからって、うちのカミさんがいろんな手法を試して。最終的には僕のLINEに定期的に連絡がくることで、学習してやったんですけど。

(会場笑)

要は手足が、自分の体と自分がそんなに密じゃないと考えると、他者をコントロールするとか物をコントロールするとか、そういうことと、自分の体をコントロールすることの厳密な違いも、もしかしたらないこともあり得るというか。

変数が多いんだけど、こうするとこんなふうに手が動いたっていう感じと、こんなふうに伝えると相手がこう動いたとか、こうすると車がこう動いた、みたいな感じで。

石黒:似たような感じかもしれないですよね。例えば一番簡単に覚えやすいのが、失敗したら電気刺激を出すとかやると、1発で覚えていきますよね。

(会場笑)

ゴミを捨てなかったら電気信号とか。

為末:電気信号(笑)。それは覚えますね、確かに(笑)。

(会場笑)

石黒:もう1発で覚えますよね。でもそれは正しくて。我々はその境界がないんですよ。人間にとって、体の境界がどこまで、ということがないので。だから、旦那さんを自分の体の一部だと思ってる奥さんは、もうガンガン使っていきますよ。

為末:(笑)。

石黒:それで、上手にトレーニングするわけですよ。

為末:ええ(笑)。それで学習させていくっていう(笑)。