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“地域活性化”を軽々しく語るな! 消え行く集落の最期を偲ぶ、「ふるさとの看取り方」

“地域活性化”を軽々しく語るな! 消え行く集落の最期を偲ぶ、「ふるさとの看取り方」

安倍内閣が重要課題に掲げ、にわかに注目を集めるようになった地域活性化。しかし総務省職員として多くの地方を周ってきた田中佑典氏は、安直な「地域活性化」の掛け声に対し、絶対に活性化できない地域もあると主張。限界集落の現実を伝え、消え行く運命の地域を「看取る」方法を考えることも必要だと訴えました。(TEDxSaku 2014より)

スピーカー
総務省職員・長野県庁勤務 田中佑典 氏
参照動画
ふるさとの看取り方

限界集落の現実

gazou1 (1) 田中佑典氏 みなさん、ちょっとだけ目を閉じてもらっていいですか? みなさんは今、田んぼのあぜ道にいます。眼前には鏡のように輝く水田。遠くから川のせせらぎが聞こえて、足元には小さいたんぽぽが所狭しと咲き誇っています。少しあたたかみを帯びた風が頬をかすめて、ゆらゆらと揺れる新緑の山々の奥に、まだ雪のいただきをかぶった八ヶ岳連峰がそびえています。振り返ると、浅間山もありました。 ……ありがとうございます。これが、僕が今日5月11日に見た佐久の景色です。僕は公務員です。地方を守る、目を閉じたときにみなさんの脳裏に浮かぶ“ふるさと”を守る仕事をしています。今から僕がお話しするのは、めちゃめちゃ個人的な話です。単なる僕の物語です。でも近い将来、ここにいるほとんどの方にきっと関わってくる、そんな個人的な話です。 地方という存在は、これまでの僕の人生そのものでした。地方はいろんな可能性が詰まった夢であり、僕をここまで導いてくれた道しるべのような存在でもありました。けど僕には、もう1つ大切な仕事があるんです。それは「自分のふるさとに別れを告げる」という仕事なんです。 gazou2 1989年、今から24年前に、僕は奈良県南部の山深い杉林に囲まれた小さい村で生まれました。大塔村っていいます。今では人口わずか300人、小さい小学校ぐらいの人口です。 これちょっとおもしろい話なんですけど、僕は子どものころ、マンガを読むのが大好きだったんです。あるストーリーで、「主人公たちが敵のアジトの要塞に潜り込む」っていうストーリーがありました。地図が載ってたんですけど、よく見たらなぜか敵のアジトは僕の村にありました。 (会場笑) 非常に失礼な話なんですけど(笑)、そのぐらい秘境と呼ばれるような地域にあります。実は今でもばあちゃんがここに暮らしています。「今日こんなプレゼンするから写真をくれ」って言ったら、5年前の写真を送ってきました。 (会場笑) gazou3 僕には違いがわからなかったんですけど。ばあちゃんはもう80歳を超えているんですけど、車の運転ができるんです。よく最寄りのスーパーまで1時間かけて買い物に行ってます。月に1度、お医者さんのところにも行きます。1時間半かかります。そう、うちの村、病院もスーパーもないんです。 もちろん地域に車を運転できないお年寄りなんていっぱいいます。その方々は、1日に3本のバスに乗るか、片道1万円でタクシーを利用するか、月に1度役場がやってくれている買い物ツアーに参加するか、いずれかです。

絶対に活性化できない地域もある

gazou4 こんなところなんですけど、昔はけっこう栄えてたんです。「吉野杉」という杉が有名な地域だったので、自給自足しながら、木を切り出してお金に変えてました。多い時は4000人以上の人がここで生活していました。僕のばあちゃんは、もともと村でレストランをやってたんです。お昼時になると若者で大繁盛してました。村に1件しかないから当たり前なんですけど。 僕も幼いながら水運んだりしてお手伝いをしていて、うまいことできるとばあちゃんが「ようできた」って褒めてくれました。だけど、子どもながらにだんだんお客さんが減っていくのがよくわかって、つい10年前に店もたたむことになりました。 gazou5 ダムもできました。えらい揉めたらしいんですが、結局70世帯の家庭がダムの底に沈むことになりました、うちの実家もそのひとつです。じいちゃんとばあちゃんは大塔村で暮らし続けたいと言って、高台に今の家を作ったんですけど、多くの人がこの地から去って行きました。 けど僕、ここが大好きだったんです。夏になるとじいちゃんがどこかの山からカブトムシを捕まえてきてくれました。秋はトンボが大繁殖するので、網と虫カゴを持ってトンボを追いかけ回していました。冬は冬で星が綺麗に見えるので、表の駐車場へ出て天体観測してました。その度にばあちゃんが「佑典、あんたダムに落ちたらあかんで」と言ってずっと見守っていてくれました。 自然とともに生きること、その温かさも冷たさも、僕に教えてくれた村でした。 gazou6 こんなところに生まれると、僕、よく言われるんです。「『地域活性化』とか『まちおこし』とか大好きなんやろ?」って。確かに僕も子どものころは「金持ちになって村買い取ったる!」って豪語していたらしいですし、大学に入ってからも、仕事に就いてからも、ずっと僕なりに村のことを考え続けてきました。けど僕、実は「地域活性化」っていう言葉が大っ嫌いなんです。 最近よく聞きますよね? 「地域活性化で人口増加」とか、「まちおこしで限界集落脱出」とか。たぶんどこの地域も、地元の方々の多大な努力で実現できたんだと思います。僕は本当に尊敬します。 でも僕、大塔に住んでて気づきました。絶対に活性化できない集落もあると思います。活性化できるところはできたらいい、でもできないところはどうするのか。誰からも光を当てられずに、そのままなくなっていく集落があるんです。それに無関心のままでいいのか? このままなくなるのを黙って見てていいのか? これが僕が抱き続けてきた問題意識でした。

限界集落の最後の住人

gazou7 今日はみなさんに、どうしても紹介したい村人がもう一組います。この2人は福西さんご夫妻と言って、うちのばあちゃんの友人です。大塔村の西の果て、中原という集落に住んでいます。この前、ここから12時間かけて会いに行ってきました。 中原ってまたすごくて、大塔村の中心から車で延々30分、こんな林道を通らないとたどり着きません。片面はガードレールもない、対向車が来たらすれ違いもできません。車運転してて、マリオカートのレインボーロードを走っている気分でした(笑)。わかりますかね? ばあちゃんを乗せて行ったんですけど、ばあちゃんは隣で目を閉じて念仏唱えてるし……。 (会場笑) 僕も怖くて仕方なくて、冷や汗かきながら進むこと30分、やっと集落にたどり着きました。 gazou8 古き良き集落って感じですよね。けど実はここ、1件を除いて、全部空き家なんです。そう、福西さんご夫妻はこの集落の最後の2人の住人なんです。 福西さん、僕らの訪問がよっぽど嬉しかったのか、さっそくコタツに招いてくれました。後で聞いた話なんですけど、この2人、お互い以外としゃべるのが2週間ぶりだったそうです。しかも前の話し相手は、荷物を届けてくれた郵便屋さんだったそうです。そりゃあ嬉しいですよね、確かに。 この2人はいろんな話を僕に聞かせてくれました。この集落は、1,000年前にできた山師の集落だそうです。多い時は人口100人以上、小学校もあって子どもの声が大変賑やかな集落だったそうです。けど木が売れなくなって、高度経済成長期に入るとどんどん人が減っていって、気がつけば2人っきりになっていました。生活はほとんど自給自足、ときどき車で町まで買い物に出ているそうです。 僕は思わず聞きました。「なんでここに住んではるんですか?」。福西さんはこう答えました。「そらぁここがいちばん居心地ええからやで、兄ちゃん。今さら町に移っても、気ぃ使うししんどいわ。ここで集落の最期を見守ったろうかな思っとんねん」。 僕は続けて聞きました。「集落なくなるんって、どんな気持ちなんですか?」。福西さんはこう答えました。「そらぁ寂しゅうて仕方ないわ。でも若いもんはここには住めへん。俺らも精一杯やってきたけど、もうどうしようもないしなぁ」。ちょっと寂しそうな顔をのぞかせていました。 ひと通り話も盛り上がって、僕とばあちゃんが「ほなそろそろ帰ろうか」って席を立った時、福西さんが僕を見てこう言いました。「ほんまにようこんなところまで上がってきてくれたなぁ。何もないとこやけどまた来てな。兄ちゃんは仏さんの化身やで。ありがたやありがたや」。そう言って手を合わせて膝をついて、僕を拝んでくださったんです。僕はその光景を、ずっと忘れることができません。 僕が見た中原集落は、福西さんご夫妻がいなくなればあっけなく消滅する、文字通り「限界」でした。少なくとも僕には2人を前にして「地域活性化しようぜ」とか「村おこししようぜ」とか、口が裂けても言えませんでした。けど別に、こういう集落って特別な話じゃないんです。日本中どこにでもあります。長野県にだってあるし、東京にだってあるし、ここ佐久にだってあります。

集落とは、人間の生活の爪あと

集落って何なんでしょうね? 僕はずっと考えてきましたけど、最近ちょっとわかってきた気がするんです。集落って、人間の生活の爪あとなんです。思えば集落って、本来は林業とか漁業とか農業とか、何かしらの生業を中心に集まった人間の集合体だと思います。よそ者にはわからないかもしれない、でもそこに住んでいる人にとっては先祖代々受け継がれてきた、かけがえのない生活の場所。そこに暮らし続けたいと思って生活している人がたくさんいました。 gazou9 僕の家の向かいに住んでいるじいちゃんが昔、こんなことを言ってました。「俺はダムの水が減る時間に散歩するんや。ダムの水が減ると、昔の町並みとか川の流れが蘇ってくるんや。あぁ、あそこに郵便局あったなぁ。そこでよう川遊びしたなぁって、思い出しながら散歩するんや」って。僕ね、そんな幸せでいいと思うんです。そんな幸せを守っていきたいんです。 うちのじいちゃんもばあちゃんも、福西のじいちゃんもばあちゃんも、向かいのじいちゃんも、みんな村のこと話すときは本当に楽しそうでした。俺が行くだけですごい喜んでくれて、押し入れから古びたモノクロのアルバムを出してきて「ここには、こんなんがあってな……」って、子どもみたいにはしゃぎながら僕に教えてくれました。 集落の消滅、それ自体は避けられなくても、そこに住む人たちのためにできることってきっとあると思うんです。話を聞くだけでもいい、集落の様子を写真に収めるでもいい、もし文化や歴史がまだ残っているなら、それを後世に伝えていくことだってできます。僕が今日TEDxの場に立つって言った時も、地域の方々はめちゃめちゃ喜んでくれました。最後までクマの映画だと勘違いしてたんですけど……。 (会場笑) あとでVHSを送る約束をしたので、見てもらったらわかると思います。

ふるさとの看取り方

いろいろ述べてきましたけど、僕の思いはすごくシンプルで、1,000年続いたコミュニティが何も残さず消えるって寂しすぎると思うんです。僕はこれからも、集落に集落の住民に向き合っていきたい。そこで懸命に生活しているひとりひとりに焦点を当てて、その生活を最後までサポートしていきたい。ふらっと遊びに行って、昔話に花を咲かせて、一緒に笑って一緒に悲しんで、1000年続いたコミュニティの最期を、僕はこの目で見届けたいと思います。 2005年、平成17年9月25日、大塔村は116年におよぶ村の歴史に幕を下ろしました。もう大塔村という地域はありません。けどそこには、まだ300人以上の人がこれまでと変わらず生活を続けているんです。 gazou10 僕は福西のじいちゃんばあちゃんと話し終わったあと、緑色に輝くダムを見て、なんだか不思議な気持ちになりました。この目の前にある川、大塔から北東に30キロ、かつての都・吉野から太平洋に注ぐ川なんです。熊野川、新宮川、十津川。僕の村では天ノ川、……アマノガワと書いてテンノカワと呼ばれる川です。この川で数百年前の子どもたちも無邪気に遊んでたのかなって考えてしまいました。 そんなことを考えていると、昔習った古典のある1文が頭によぎりました。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。それでも僕は、遠い将来ここに誰もいなくなったとしても、後世の人がふと「ここにも集落があったんだなぁ」って思ってくれるような、そんな何かを残せるよう、集落の看取り方を、ふるさとの看取り方を考えていきたいと思います。 受け継がれてきた文化と歴史と、そこに暮らす全ての方々に、精一杯の敬意と感謝を込めて。ありがとうございました。

  
※ログミーでは、TED Talksおよび各TEDxの定めるCCライセンスを遵守し、自社で作成したオリジナルの書き起こし・翻訳テキストを非営利目的のページにて掲載しています。
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“地域活性化”を軽々しく語るな! 消え行く集落の最期を偲ぶ、「ふるさとの看取り方」

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