文科省の通知によって話題になった「純文系学部無用論」

常見陽平氏(以下、常見):後半戦は、最初に僕からの質問です。ぜひみなさんも議論に参加してほしいんですけれども。

先程の話にもありましたが、(高等教育の)「機能別分化」とか「大学の機能分化」とか、もう十数年言われていますよね。アメリカの大学をモデルにしたと言ってるんだけれど。「機能分化」と言ってるわりには、幕の内弁当化してないか? という気がするんですね(笑)。「グローバル化も、地域貢献もやれ」みたいな。

そういうこともあるし、文科省の言うことをいかに取り入れたか、という競争になってしまっている。そこで独自色を出すとつぶされるというようなことがある、その一方で、独自色というのが何かよくわからなくなってもいる。

もっと言うと、僕はけっこういい加減な大学ジャーナリズムもあると思っています。「よい大学とは何か」ということで、就職率という茶番な指標で測ろうとする問題があるし、偏差値だってあやしいわけですよね。

そうした、重要なテーマがいくつかありますけれど、一時期、純文系学部廃止論みたいなものがあったじゃないですか?

山口裕之氏(以下、山口):ありましたね。

常見:まさに地方国立大学で、純文系の学部で、純文系の学者をされている方として、どう受け止めましたか?

山口:今年の春にそれについて一本書いて、韓国の外国語大学と国際シンポジウムをやりました。

純文系学部無用論。あれは、去年の夏頃に文科省が、「人文系、教育系は社会的要請の高いところに転換するか、廃止」と書いたものですね(注:2015年6月8日「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(通知)」)。大騒ぎになったわけですけれども。吉見俊哉さんが『「文系学部廃止」の衝撃』という本を書かれています。

「文系学部廃止」の衝撃 (集英社新書)

常見:あ、吉見先生。そうですね。

山口:そこに書いてあることが、基本的に事実だと思います。

文科省の通知は「役立つように見えることをやってよ」というメッセージ

山口:要するに、もう既定路線だったんですよね。あの通知が出て2ヶ月後ぐらいに、NHKが全国の国立大学にアンケートしたら、かなりな割合の人文社会系の大学が「廃止を予定している」というアンケート結果が出た。「もうこんなすごいスピードで進められてるのか!」と、みんな衝撃受けたんだけれど、なんのことはない、既定路線だったんですね。

とくに教育学部に関しては、かなり前から。とくに「ゼロ免課程」といって……まぁ、1990年代の前半に教養学部というのを解体したんですね。その教員たちがけっこう教育学部にくっついたりして、教育学部、教育大学の中なんだけれど教員免許を出さないゼロ免課程というのが、けっこう全国の大学にポロポロある。

「そういうものはなくせ」というのは、以前から言われていました。「基本的に廃止というのはそこだ」と、文科省はこれまでどおりの説明を繰り返していました。人文系学部の改組というのも、前から言われていることです。ただ、基本的に「教育組織を変えろ」という話で、別に「研究をやめろ」とは言っていない。

常見:あー、なるほど、なるほど。

山口:「今いる教員のクビを切れ」という話でもない。だから、ありていに言ってしまえば、例えば、今まで語学として英語を教えていた人で、本来は英文学をやっていた人というのは、教養学部に就職して、流れ流れて、今は英語教師になっているわけです。

そういう人に、例えば、文学部とか人文学部の名前をやめて、「国際教養学部」とかいった名前にした新学部で、英語でちょっと専門的なことやってほしいな、という。そういうのが実態ですね。

なので実は、「なんで世間がこんな騒ぐんだろう?」って(笑)。既定路線だし、我々のクビが切られるという話でもない。

科学研究費という、研究する時に我々が申請する予算があるんですけれど、ジャンルがあるんですね。人文社会系、総合領域、理工系、医学生物系だったかな。4分野なんだけれど。あれも20年ぐらい、新規採択件数が1対1対1対2でずっと一緒なんです。医学系が2なのね。

なので、おそらく「研究をやめろ」という意図はないだろうと僕は踏んでいます。もちろん、額は人文系が少ないんだけれど、採択数で言うとずっと一定。だから要は教育の部分で「ちょっと役立つように見えることをやってよ」ということなんですよね。

文科省は教育現場を守ってくれている

常見:だから、気を付けないといけないのが、先生がずっと言っている「孫引き禁止」じゃないけれども、メディアがセンセーショナルに伝えることによって歪んでいる部分があったり、「とっくにそうだよ」ということがある。

それと、まさに「大学」という時に、「教育」と「研究」といったいくつかの機能があるわけです。そこを分けて議論しないといけない、ということなんですね。それで、一部触れられてますけれど、「G型L型論」ってありましたよね。

山口:富山和彦さんですね。

常見:数年前、ネットでもけっこう炎上しましたね。要は、「グローバルを目指す大学と、ローカル型とを分けろ」という論です。あれはどう捉えましたか?

山口:あれ、「職業専門大学というのをつくる」という審議会で出た話だったんですね。

常見:そうですね。

山口:だからある意味、ガス抜き的にやってるんだろうなと思って、あんまり真剣には受け取っていなかった。大学関係の人は文科省のことをけっこう悪く思ってるかもしれないけれど、はっきり言って、僕は文科省をけっこう信頼している。

常見:おー。

山口:なぜかというと、やっぱり政治家にせよ、国民にせよ、財界にせよ、みんな教育への関心が高いんですね。それで、審議会で勝手なこと言うでしょ。根拠のない抽象的なこと言うんだけれど、結局のところ文科省で現実的なかたちに砕いて砕いて、そのうえでこっちに下ろしてくる。

もしも文科省がなくて、僕ら直に財界とか政治家からの圧力を食らったら、たまらないです。文科省というのは非常に強力なバッファとして機能しているので、僕、基本的に文科省を支持する立場です。もちろん彼らは彼らで、支配欲というか、国立大学を自分たちの裏庭だと思ってるから、「言うことを聞かせよう」というのはあるんだろうけれど。でもやっぱり、守ってくれようとしていることは、絶対間違いないんですね。

常見:なるほど。

山口:なので、僕、下手な教授とかよりは(笑)、文科省のほうを実はけっこう信頼している。彼らはちゃんとデータ持ってるんですよね。そのうえで、おかしなことを政治家が言ってたら、ちゃんと砕いて砕いて砕いて、こっちに来る時には、比較的、現実的なかたちになっている、ということが多いと思いますね。

本当の改革とは、改善の積み重ね

常見:この本で秀逸だと思ったのは、新卒一括採用について冷徹な考察を行ってるところです。

山口:ありがとうございます。

常見:就職活動改革論ってずっとあるんだけれど、実は、改革するたびにうまくいかなかったということを、90年ぐらいやってるんですよね。この前、僕が呼ばれた厚労省の会議がまさにそういう会議だったんです。

「6社協定」という最初の就職活動のルールができたのが、1928年なんです。最終的に6社しか守らなかったから、6社協定という名前になったんだけれど。

(会場笑)

要は、「就活は卒業後にしろ」というね。実は、その時に広がった言葉が「内定」という日本語です。要するに、卒業後に就職しないといけないから、内定という言葉でごまかしたという。やっぱりそこの共犯関係っていうはあるわけですよ、良くも悪くも。

それで、新卒一括採用廃止論ってネットで盛り上がるんだけれど、「そんなの現実的にねーじゃん」というのが正直な結論で。何が言いたいかというと、要は卒業後に就職やったら、今、ただでさえ地方の私学を中心に奨学金まみれの子が増えているなかで、「ますます非正規雇用の子が増えるんじゃない?」みたいなところがあったりするわけですよ。

山口:まったくですね。改革論議になると、ちゃぶ台返しで「全部変えてしまえ」みたいな極論になりがちなんですよね。

常見:そう。

山口:それをやったら、たぶんいい部分も悪い部分も、全部ひっくり返ってしまう。本当の改革というのは、ちょっとずつの改善の積み重ねでしかないはずなんですね。実際問題、新しいものをつくるって楽なんです。新設の大学をつくるのはすごく楽しいし、つくりやすいんですよ。難しいのは改組する、ということなんですよね。できているものを組み替える。

例えば、今まで人文学部だったものを「国際教養学部にしろ」みたいな、これがやっぱり一番難しい。だって、変えるとなったら、すでにいる人を組み替えなきゃいけないでしょ。みんな抵抗するでしょ。それで、みんなの合意形成しなきゃいけないでしょ。そして、うまくいかないと思ってトップダウンでやったら、みんな反発するでしょ。だから、改革するほうが絶対難しいんだよね。

常見:そう。難しいに決まってることを叩くな、というのがあって。いや、ダメなところはいっぱいありますよ。だけれど、改革がうまくいった時、「それって凄まじいファシズムが吹き荒れてるんじゃないの」とか、みんなの意見を取り入れたら「それはポピュリズムなんじゃないの」というのがあったりするわけですよね。