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核分裂を解明した女性科学者リーゼ・マイトナー 「人間性を失わなかった物理学者」と墓に刻まれた理由

核分裂を解明した女性科学者リーゼ・マイトナー 「人間性を失わなかった物理学者」と墓に刻まれた理由

1938年に、ある科学者たちが偶然にも原子を分裂させたことで、物理の歴史は大きく変わりました。彼らは自分たちがなにをしたのかわかっていませんでしたが、オーストリアの物理学者リーゼ・マイトナーが「核分裂」と呼ばれる現象を解明しました。しかしその後、マイトナーが発見した技術は破壊兵器に転用されていきます。ちなみに、マイトナーは原子爆弾を開発するマンハッタン計画に誘われましたが固辞しています。今回のYouTubeのサイエンス系動画チャンネル「SciShow」では、「人間性を失わなかった物理学者」リーゼ・マイトナーと、彼女の功績の1つである核分裂について解説します。

シリーズ
SciShow
2017年10月1日のログ
スピーカー
Hank Green(ハンク・グリーン)氏
参照動画
What Really Happened the First Time We Split a Heavy Atom in Half

核分裂を解明した女性物理学者

ハンク・グリーン氏 ペニシリン、プラスチック、加硫ゴムをはじめとして、科学の重要な発見には偶然から生まれたものが多々あります。今日はその中でもあまり耳にすることのないエピソードをご紹介しましょう。 1938年に、ある科学者たちが偶然にも原子を分裂させたことで、その後の歴史の流れが大きく変わりました。当初自分たちが何をしたのかは彼らにも分かりませんでした。 ですが、オーストリアの物理学者リーゼ・マイトナーが、私たちが「核分裂」と呼んでいる現象を解明したのです。 Image01 ところがこの発見に対するノーベル賞は共同研究者に送られてしまいます。 マイトナーは1878年にオーストリアのウィーンで生まれました。当時のオーストリアでは数学や科学に傾倒する女性は少なかったのですが、彼女は子供のころからそうした分野への好奇心を抱いていました。枕もとに数学の本を置いておくほどだったのです。 1906年ウィーン大学で物理学の博士号を取得し、ウィーン大学でその分野の博士号を受けた2人目の女性になりました。ウィーンでは女性科学者の将来が開けていたわけではなかったので、1907年にベルリンに移りマックス・プランクの下で学んだ最初の女性になります。 この人がマックス・プランクです。 Image02 彼は量子力学の基礎を開拓した人です。 当時の西ヨーロッパは有能な物理学者にとって素晴らしい時代でした。1年たたずに彼女はプランクの助手として働きはじめ、1909年までに科学者オットー・ハーンと共にカイザー・ヴィルヘルム研究所で研究をはじめます。 Image03 2人とも、異なる放射線によって異なる物質がどのように生成されるかを研究したいと考えていました。 ですが、問題が持ち上がります。研究所の所長は、長い髪が引火すると危険だという理由で女性を認めていませんでした。冗談じゃないですよ、本当の理由なのです。 2人はなんとか所長を説得し、地下にある古い木工作業所で研究できるようになりました。入り口が別にあるので、万が一髪に火がついても外に逃げ出しやすいと考えたのかもしれません。 放射線の研究は始まったばかりの時代だったので、多くの発見がありました。とりわけ彼らが研究したのは、異なった原子が放射線を出すと、別の同位体に変わったり、同じ元素でありながら重さが変わるという現象でした。 Image04

核分裂反応を解明するまで

1930年、中性子を原子にぶつけると放射性崩壊が起き、粒子を放出することでわずかに軽い物質になることを発見しました。 マイトナー、ハーン、さらにフリッツ・シュトラスマンという科学者は、この衝突実験を行って何が起こっているのか突き止めようとします。 Image05 ですが、ナチスによって中断させられます。 1938年3月、ヒトラーがオーストリアを併合すると、ユダヤ人の子孫であったマイトナーはドイツを脱出する必要性に気づきます。彼女はスウェーデンのストックホルムに脱出した後も、アイデアや実験結果についてハーンと連絡を取り合いました。 そして1938年11月、ハーンは密かにドイツを出発し興味深い研究結果を彼女と共有します。ウランに中性子をぶつけると、ウランよりわずかに軽いラジウムのような物質が生成されるのです。 Image06 Image07 彼らは他の原子や分子との反応からこれがラジウムだろうと考えましたが、ウランに中性子をぶつけることでなぜラジウムができるのかは分かりませんでした。計算が合いません。 そこでマイトナーは、ハーンとシュトラスマンにこのラジウムについてさらに調べようと言います。 ハーンがドイツに戻り研究を続けると、これがラジウムではないと分かります。実はその物質はバリウムで、ウランの半分ほどの質量しかないとても小さな物質でした。 ハーンとシュトラスマンはとても混乱します。中性子が、ウランをその半分ほどの質量しかない物質に変えてしまった理由が分かりません。 12月ハーンは、マイトナーにこの現象をどう考えるか尋ねる手紙を送ります。同時に彼とシュトラスマンは、ドイツの科学雑誌にこの興味深い実験結果について論文を送りました。 そのころ、マイトナーの甥で核物理学者であるオットー・フリッシュが彼女のもとを訪れており、2人は一緒にこの問題に取り組みます。 Image08 マイトナーは原子核を水滴のように考えるという、当時の物理学者の幾人かが考案したアイデアを引き合いに出しました。 そのアイデアを元にマイトナーは、中性子がウランの原子核にぶつかると原子核は引き伸ばされ、真ん中でブチッとちぎれるのでないかと思いつきます。 Image09 Image10 ちょうど1つの水滴が小さな2つ水滴に分かれるイメージです。 Image11 マイトナーとフリッシュは、大きなウラン原子がバリウムとクリプトンという2つの小さな物質、さらにたくさんの中性子と大量のエネルギーに分かれると予想しました。 Image12 つまり核分裂反応を解明したのです。

人間性を失わなかった物理学者

ですが、彼女は亡命者だったため、ハーンやシュトラスマンと共著で論文を発行できませんでした。1939年の2月、マイトナーとフリッシュはその代わりにネイチャー誌に研究成果の論文を発表します。 核分裂は大きな可能性を秘めたアイデアでした。今では原子力発電に活用されているこの技術は、大きなエネルギーを取り出す上では比較的シンプルな方法です。 Image13 ですがマイトナーはこの技術が破壊的な可能性も秘めていることに気づき、論文上でその注意もしています。 Image14 他の科学者たちも、警告を発しました。特にドイツがハーンとシュトラスマンを通じてこの技術を持っていると知ったからです。 アメリカの3人の物理学者、さらに有名なアルベルト・アインシュタインも加わって、ルーズベルト大統領にその危険性を訴えました。それにより原子爆弾を開発するマンハッタン計画が始まりました。 マイトナーもこの計画に加わるよう促されましたが、彼女は新しい科学技術が破壊的な目的に転用されるのを望まず、誘いを拒みます。 戦後ノーベル委員会は、核分裂の発見へのノーベル科学賞をオットー・ハーンに授与します。オットー・ハーンだけにです。 マイトナーが核分裂の仕組みを解明したにも関わらず、ハーンは自分が実験を行い発見に導いたとして、自分の名前だけを論文に載せました。そこに彼女の功績があったとは認めなかったのです。 マイトナーはその後も、ストックホルムで核物質やスウェーデンで最初の原子炉であるR1での研究を、1960年に引退しイギリスへ移住するまで続けました。 Image15 1966年、マイトナー、ハーン、シュトラスマンは、核分裂の発見について米国エネルギー省のエンリコ・フェルミ賞をそろって受賞します。ですが、ノーベル賞の受賞には至りません。 2年後の1968年12月27日、リーゼ・マイトナーは89歳で亡くなります。彼女の死後、ノーベル賞受賞以上の名誉ある仕方で彼女の功績は讃えられることになります。元素番号109番のマイトネリウムは彼女の名前からつけられています。小惑星、金星や月のクレーターの名前にもなっています。 現代につながる多くの発見や、女性のSTEM教育に繋がる彼女の功績を考えると、こうした名誉はまさにふさわしいと言えるでしょう。 とりわけ、彼女が意識していたかは別として、真実を追い求め人類の英知を平和的に進歩させることに一生を捧げました。 墓石に刻まれた言葉は彼女が遺したことを端的に表しています。 Image16 「リーゼ・マイトナー 人間性を失わなかった物理学者」。

  

SciShow

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