現代に氾濫する「工業的な食事」

高橋博之氏(以下、高橋):『東北食べる通信』という食べ物付き雑誌の編集者をやっている高橋と申します。

今、栄養補給のための食事がものすごい勢いで広がっています。僕はこれを「工業的な食事」と呼んでいるのですが、マーケットも拡大の一途です。これは生きることから離れているので、「嫌だな」と思い、なんとかしないとと思ってこういう雑誌作っています。

先週、新宿のあるカレーチェーン店に行きました。長いカウンターがあって、その一番端に座りました。

それでカレーが来るまでずっと店内を見ていたら、来たお客さんが自動販売機で食券を買って、それを店員さんに渡して、カレーが来るまでスマホをいじっているんです。そしてカレーが来たら一言も喋らずにもぐもぐ食べて、次から次へと出ていくわけです。

僕はそれをずっと横で見ていて、これは家畜だと思いました。良い悪いではなくて、同じ時間になると餌を与えられる家畜の世界とまさに同じだと。

家畜は経済動物と言われていて、経済効率を考えて本来出すミルクの量よりもさらに多く出すように改造されています。

その世界の対極にあるものとして、去年『東北食べる通信』で特集した、岩手県の岩泉町の「なかほら牧場」という牧場があります。ここは24時間365日牛を自然放牧していて、牛が食べる餌は山に生えている野芝。自然にあるものをむしゃむしゃ食っています。

一般的な牛舎で育てられる牛の平均寿命は6年ほどです。ですが、なかほらさんの牧場は20年生きるんですね。しかも、牛舎の場合は海外から高カロリーの飼料を輸入してたくさん食べさせているので、病気になりやすく治療費も馬鹿にならないですが、なかほら牧場の牛はまず病気になりません。

両方の世界を見たときに、良い悪いということではなくて、僕はなかほらさんのところからは「生きる」という生の世界がひしひしと感じられたんですね。

消費者と生産者、その遠すぎる距離

僕らふだんからものを食べますが、僕らが食べているものは、もとを辿ればすべて動植物の死骸です。ほかの生き物の命をいただいて自分の命に変える行為が本来食べるという行為だから、手を合わせて「いただきます」と言っていた。祈りがあったわけです。

ところが、今そんなことに思いを馳せて「いただきます」と言っている人がいるかといったら、まあ、いないじゃないですか。

それは消費者が悪いわけではなくて、98パーセントの消費者と2パーセントの生産者の世界がお互いの顔が見えないぐらい離れてしまっていることに問題があります。スーパーに行けばきれいにラッピングされた食材、レストランに行けばきれいに皿に盛り付けられた食事が出てくる。「これがもともと動植物の命だったんだ」って想像できないじゃないですか。消費者はそういう世界を知らないのです。

都市住民が、生きる実感や生きるリアリティのような生存実感をこの消費社会の中で感じられなくなっている。僕もその1人でした。なので「食べ物の裏側」に都市住民を誘うというか、お連れする回路を作りたいなと思って、この雑誌を作りました。

雑誌に食材を付録

きっかけは6年前の東日本大震災です。あの時に都市のみなさんがボランティアでたくさん被災地に来てくれました。そこで見た世界はまさに生き物の生死の世界ですよ。だって漁師の世界ですから。

漁師町で漁師が魚を育て、あるいはカキやウニを育てる世界、そこにあった食文化というのは唯一無二の世界だったわけですね。

今、デジタル社会というのは0と1に全部置き換えられるのでコピーが可能です。ところが、東北の沿岸部で見た食文化というのは唯一無二です。コピーできない世界がありました。

それは0と1の間です。0と1の間というのは考えてみると無限で、0.0001とか0.0003だとか無限にあります。僕はこの0と1の間こそが、生きるということじゃないかと。0と1に置き換えられるコピーの世界は、ロボットの世界です。

そこに都市住民が目を見開いて驚嘆していくのを見て、僕はこれを震災の時だけでなく、日常からやりたいと思って『東北食べる通信』を2013年4月に創刊しました。

東北食べる通信は、食べ物付きの情報誌です。いまどきの女性誌は、付録にバッグがついていますが、僕らは食材を付録にしました。世界で初めてだと思います。普通、野菜の宅配サービスって、野菜がダンボールにぎっしり詰まって、そこに生産者の情報の紙が1枚入っていますが、その主従関係をひっくり返したわけです。

この紙1枚に書かれた食べ物の裏側の世界のほうが、僕は価値があると思いました。生身の生産者が、コントロールできない自然に働きかけて命の糧を得る世界こそが、消費社会では見えなくなっているところなので。

『食べる通信』が生み出す「共感と参加」

(雑誌には)だいたい7,000字から8,000字、農家や漁師のライフストーリーを書きます。世界観や哲学を書きます。そこに農家と漁師が実際に育てた食材をセットで東京の食卓、マンションに送るわけです。

ここから『食べる通信』が始まります。僕らはふだん、舌でしか味わっていません。甘いか甘くないか、しょっぱいかしょっぱくないか。ところが食べる通信を読むと、頭も使って食べ始めるわけですよ。そこにはどんな一流の調理人でも味付けできない理解と感謝という味付けが加わる分、おいしく感じるんです。

そのストーリーに共感した人は、具体的に動き始めます。僕は「共感と参加」と呼んでいますが、共感した人間は黙っていられなくなるため参加します。

参加の度合いには段階があります。まず第1段目は、定期購読すること。1ヶ月に1回届く食べる通信を読むと、これだけ苦労して育てられた食材を時間かけて料理したい、感謝して食べたいという気になって、料理します。

2段目の階段は、感謝を伝えること。食べる通信で特集した生産者と読者とをSNSでつないだところ、みんな「ごちそうさまです」と感謝の気持ちを投稿し始めました。「息子とこんなふうに料理して食べました」「『トマト食えない』と言っていた娘が、生産者の物語を聞かせたら『おいしい』って食べるようになった」とか、ものすごい勢いで「ごちそうさま」を投稿し始めたわけです。

農家と漁師はふだん海と土でぽつんと1人で仕事して、どれだけこだわって作っても出荷したら終わりで、どこの誰が食べてくれているのかわからない。感想もなにも聞けなかったのが、日々そうやってコメントしてくれるおかげで、生きがい・やりがいを取り戻していったんですね。

階段の3段目は、生身の交流。特集した生産者を東京に呼んできて交流会をすると「実際にその漁師に会いに行ってみよう」となり、一緒にお酒を飲む。生産者本人に会うと、今度は現場に行ってみたくなって、実際に東北の生産地に行って土をいじったり波に揺られる。これが4段目です。

5段目になると、今度は自分の会社の同僚だとか東京のなじみのレストランのシェフにその価値を伝えるようになる。東北にこういう漁師がいて、こういう自然環境の中で、こういうこだわりで育てたカキだ、と口コミを広げていって、階段をどんどん上がっていきます。

10段目ぐらいまでいくと、東京の外資企業で働いていたのに特集した下北半島の漁師のところに嫁ぐ女の子も出てきて、そういう段階までいきます。

あるかぼちゃ農家の話

創刊から4年間続けてきて、変化が起きた事例を紹介します。福島県の会津若松に長谷川純一さんという農家がいるんですが、小菊南瓜(こぎくかぼちゃ)というポルトガルから伝来した在来種を会津で300年作ってきました。

3年前、僕が小菊南瓜に出会った時、生産者は2人に減っていました。なぜそんなに減ったのかと聞いたら「金にならない。大量生産できないからみんなやめていき、2人になっていた」とのこと。「じゃあ、なぜあなたはやっているんですか?」と聞いたら「これをやめたら会津が会津でなくなる」と言ったんです。

それをそのまま特集に書いてお届けしたら、その物語に共感する読者が出てきたわけです。「そんなに貴重な種なら、食べ終わったあとその種を集めて生産者に返そう」と1人の読者が呼びかけて種が集まり、それを農家に返しました。

その農家は集まった種を翌年、地元の農業高校の生徒と一緒に植えました。そしてそれがまたかぼちゃになり、また種を返した人がまた食べて、またその種を返すということを3年ぐらい続けたらなにが起きたかというと、長谷川さんの畑だけ賑やかになったわけですよ。都会から若いお姉さんが来る。地元の高校生が来る。賑わっている。

「なんでこんなにこの畑は賑やかなんだ?」と尋ねた他の農家は、3年前まで自分が続けていた在来種の小菊南瓜が吸引力になっていることを知り、「それなら俺にも種を分けてくれ」と言って、またその人も植え始めました。そして2人まで減っていた生産者が、今では15人ぐらいまで増えています。

作付面積も、食育で学校給食に出すぐらいだったものが、引きが強くなったおかげで40倍ぐらいに広がりました。しかも自分で値付けできるようになったんですね。

長谷川さんだけがこの価値を守ろうとしていたら、もしかしたら滅びたかもしれません。ストーリーに共感した都市住民が参加することで口コミが広がり、この価値がメディアや会津の飲食店や、会津出身で東京でレストラン経営している人の耳に入って「そういうことであればうちに持ってこい。料理作ってやる」ということで復活してきました。

田舎に残る価値を蘇らせるために

田舎には食、あるいは文化もそうですけれども、人間が自然に働きかけて物事を生み出す・価値を生み出すという世界がかろうじてまだ残っています。残っていますが、かろうじてなんです。

その価値に共感した都市住民が参加をしていけば、その世界は息を吹き返すということを、僕は『食べる通信』を続けてきて読者のみなさんに教わりました。

最近、「ポケットマルシェ」というサービスも始めました。「『東北食べる通信』は定期購読サービスでハードルが高い」という声があったので、スマホで注文すると旬の食材が次の日直接全国の生産者から直接届くというサービスも始めました。

これもコミュニケーションがミソなので、生産者とお客さんがコミュニケーションできるようにしました。例えばウニを注文するじゃないですか。注文したけれども届けられない。なぜなら海がしけているから。

普通はクレームですけれども、海が超大荒れの動画が投稿されるわけです。そうすると、「いやいや待ってます。ぜんぜん急がなくていいから、海が穏やかになってから捕りに行ってください」って。

まさに食べ物の裏側の生の世界、生と死の世界を感じながら感謝して食材を料理して食べるという世界を広げようと思ってやっています。

なので、まさに今日のテーマ「ローカルらしさが息づく食卓」をポケットマルシェで実現しているんですが、レシピのところがすごく弱いので、なにかクックパッドさんとも連携できないかなと、日々仲間とも話しているところです。

東北から始まった「食べる通信」は今、全国39ヶ所に広がって、北海道から沖縄まで各地で創刊され、台湾・中国・韓国にも広がっています。

東アジアは都市化が世界的にも深刻で、同じような問題をどこも抱えています。どうやって地域の食文化を残していくかという問題に対する1つの解決策が、生産と消費をダイレクトにつないで共感・参加の回路を広げる『東北食べる通信』という取り組みだと考えています。

(会場拍手)