関係ない人が「社会のために」攻撃を始める

中野信子氏(以下、中野):理想主義的要素が強い社会、というのを想像してみてほしいんですけれども。ちょっと窮屈じゃないですかね。

みんなが素晴らしい人間である社会とは、あなたも素晴らしい人間であることを強要される社会です。理想主義的な要素が強いというのは、裏を返せば、理想の姿ではないものはバッシングの対象になるということです。

例えば、ある不倫事件とか。週刊文春さんで話題になりました。でもきっと、これが配信される頃にはどの不倫事件かわからなくなっているでしょうね(笑)。それから、政治家のいわゆる「不適切な」発言など。糾弾するに値しないのでは、と後から振り返れば多くの人が思うようなものであっても、理想の姿から遠い状態を「問題である」と一定数の人が考え始めれば、それが「世間の総意」であるとして激しい攻撃を受けたりします。攻撃する人は、それが社会正義であるという無意識的な自認があるので。

学術的には、そのまま英単語にしただけのようですけれど、「Sanction(サンクション)」といいます。制裁という単語ですね。社会的な制裁が比較的簡単に発動する仕組みが、人間の集団には備わっている、ということになります。

これは、サンクションがあってもいい状況かもしれない、「そういう人」たちがいると社会が適切に保たれない、理想的な姿にならないと多くの人が感じるときに、みんな寄ってたかってその人を攻撃するのが正義だということが起こるわけですね。

まったく関係ない人まで「社会のために」攻撃を始めます。さらに、「オーバーサンクション」という現象が起きることもあります。

これはどういうものか。その人にはとくに責めるところなんてないんだけれども、「明示されていないルールを理解しない」「暗黙の了解に従わない」「まわりから浮いている」という要素によって制裁行為が行われてしまうという現象のことです。

いわゆる「良識」に欠ける振る舞いだとか、TPOを踏まえない服装をいつもしてくる、というのも該当するかもしれない。あとは能力以上の利得を得ている可能性があるとみなされてしまった時とか。

あとは「あいつ空気読めないよね」ということで、バッシングというか、いじめが始まったりすることもありますね。

それでは、この「ちょっと違う人」を検出するために、ヒトはどのような仕組みを使っているのでしょうか。

「メシウマ」の感情にはどんな意味がある?

ヒト社会では、「妬み」が「検出モジュール」として使用されている可能性があります。

ところで「妬みによるいじめは女性社会、男性社会、どちらのほうが起きやすいと思いますか」と聞くと、たいていみなさんは「女性ではないか」と答えるんですけれど、実は男性のほうが、妬みを感じたとき、相手の足を引っ張る行動に出やすいかもしれないことを示すデータがあるんです。妬みの相手がダメージを受けたときの快感は、男性のほうが強く感じているんです(笑)。

(会場笑)

「俺はそういうのを感じません」という人がたまにいますけど、こういう方は、その感情を覚えた時のことを忘れている忘れっぽい人か、自分の気持ちに鈍感な人か、感じるけれど見栄を張ってそう主張しているええかっこしいか、あるいは、本当に感じないサイコパスなのか、いずれかということになるので、私はそういう人を信用しません。

妬みについての実験がされていまして、前帯状皮質という部分が、この感情を感じる時に活性化している部分だということがわかりました。

一方で、「Schadenfreude(シャーデンフロイデ)」という用語もありまして、これはドイツ語なのですが、いわゆるネットスラングの「メシウマ」というのが一番ぴったりくる、そんな概念です。メシウマ、って「他人の不幸で今日もメシがウマい」の略なんですよね?

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