ロンドンを覆う霧の脅威

ハンク・グリーン氏:ロンドンは霧がかっていることで有名ですね。これは時に、物思いに沈んだ散歩や室内でのお茶の時間の言い訳にもなりえますが、この霧が煙や産業による化学生成物と混ざると、新しいもの、スモッグになります。数世紀にわたり、ロンドンのスモッグは人々を死に追いやったのです。

非常に劣悪なスモッグは数日間に何千もの人を殺すことができますが、1952年までは誰もそれについて何もしませんでした。ロンドンに5日間スモッグが発生したとき、推定12,000人が亡くなりました。これはロンドンスモッグとよばれ、汚染を規制しないことの危険についてイギリス、そして世界に問題提起したのです。

霧は単なる雲の形態で地上に降りてくるもので、それ自体悪いものではありません。運転中よく周囲が見えなかったり、飛行機が着陸できない場合もあるかもしれませんが、まあいいですよね。

しかし、雲はスポンジのように働きます。つまり、すでに大気中にある物質を包み捕らえるのです。

ロンドンの家庭の大多数が、暖房用に使っていた薪を石炭に変える1200年代まで、問題にはなっていませんでした。

石炭を燃やすとすすと煙が出ます。これらは肺に刺激を与え、二酸化硫黄と一酸化炭素を生成します。二酸化硫黄は、硫黄原子と2つの酸素原子が結びついていて、水に反応し硫酸を生成します。みなさんの予想通り、これは内臓器官に害を与えます。そして一酸化炭素は、酸素原子と炭素原子が結びついているもので、ヘモグロビンと結びつき体内へ酸素が供給されるのを阻害します。

したがって、ロンドンで石炭が燃やされ始めると、煙や化学物質のすべてが自然にできた霧と混ざり、年を追うごとに厚く暗くなります。最初は健康危機ではありませんでしたが、人々はひどい匂いに抗議しました。ひどい匂いが蔓延したのは1200年代にさかのぼります。

しかし暖房の燃料を薪にかえるよりも石炭を使うほうが簡単だったので、あなたがそうするように、数世紀のあいだ住民は時折市内に発生する濃く、暗く、臭い霧を受けれたのです。

事態は、産業革命が始まった1700年代にさらに危険な状態になりました。なぜなら、石炭は家庭の暖房以外でも使用されるようになったからです。

石炭は街中の工場でも使用され、さらに煙やすすのすべてがロンドンの霧をさらに暗く濃くしていったのです。

「スモッグ」の実害と解決に向けた動き

ハロルド・アントン・デ・ヴォーという医師がこのもやを指して「スモッグ」という用語を作ったことで、普及していきました。本当にスモッグが強い日は、日中であっても街の中心は真っ黒になり、数メートル先が見えづらくなりました。

すすはさらに肺に刺激を与え、気管支炎を引き起こしました。多くの煙や大気中の汚染のために呼吸するのに苦しんだ人もいました。

1873年と1892年のスモッグは、それぞれ何千もの人や家畜を死に追いやりました。私たちは、はじめの頃、生涯にわたり肺にどれくらいのすすがたまったことで亡くなったのかを知りませんでした。石炭はロンドンを繁栄させたので、誰も何も止めることはなかったのです。

そうしてロンドンスモッグが起こりました。1952年の12月5日、濃い霧が押し寄せ、ロンドンの汚い大気と混ざりました。それは冬によく起こることでしたが、このとき高気圧の気象体系がロンドンを覆い、その霧は停滞しました。

したがって特別に濃く、黒いスモッグは5日間ものあいだロンドンに停滞したのです。このスモッグは非常に分厚く、飛行は停滞し、公共交通機関はストップし、電車も衝突し、観客が何を見ているのかわからなかったため、劇場や映画館も営業停止となりました。

想像するのも難しいですね。これが起こったのは1952年です。そこまで昔のことではありません。

この5日間で、スモッグが消える前に推定4,000人が亡くなりました。すすがあるなかでの呼吸のため肺が腫れ上がり、多くの人々が苦しみました。そして石炭を燃やすことで生じる二酸化硫黄はスモッグ内の水蒸気と反応し、ロンドンの人々はその5日間、硫酸がたくさんある大気を吸っていたのです。

この事件とこの煙は呼吸器系の問題や健康問題に発展しました。この事件の翌月、さらに8,000人が亡くなったのです。最終的にはロンドンの1,000人に1人がロンドンスモッグによって亡くなったと言えます。

のちに、ある人は広範囲によるウイルス感染のために死者が上昇すると議論しましたが、科学者たちはあらゆる場合を調査し、ウイルスはそのスモッグほど健康を破壊させる可能性がないと発表しました。

4年後、国会はやっと、どのような燃料を市内で燃やせるかを命令する、大気浄化法を通過させました。これとその他の法律はロンドンのスモッグの問題を阻止するのに貢献しました。しかし今日でさえ、ロンドンの大気汚染は多くの人々の寿命を縮め、毎年イギリスを通し、直接的ではないのですが多くの人の若年死に関わっているのです。

ロンドンスモッグがあったにも関わらず、ほかの産業発電所がことの重大性に気付くのには時間がかかりました。1600年代にニューヨーク市内ではスモッグが起こり、1,600万人の人に影響与え、同時期に黒くすすが混入した雨がボストンを覆いました。

しかし最終的には世界中の立法者が介入しました。1970年代に始まったのは、法律が大気汚染の制限について真剣に扱い、車産業により効率的なエンジンを作成するよう強制したり、工場に煙の排出量を抑えるように指示しました。なぜなら、大気中に毒物を放出することはいい考えではないとわかったからです。