すべてのヒーローは「普通の世界」に生まれる

カイル・メイナード氏:話を始める前に、まずはお礼を言わせてください。本当にありがとうございます。もう12年くらい前だと思いますが、日本は私が友人と一緒に初めて来た国でもあります。こうやってまたここに帰ってこられたことを、非常にうれしく思っています。

私はこの11年のことをずっと振り返って考えていました。今回のヒーローズ・ジャーニーのメッセージとどのようにつながるのか。

ヒーローズ・ジャーニーは、私の人生にとっても大きな影響を及ぼしたものです。ただそれは、同時に最初のステージにおいて一番重要な要素はなにか。すべてのヒーローは、最初は普通の世界から始まることです。そして、それがみんなにつながるポイントなのです。

なぜなら、私たちは生まれながらにして普通の世界に生まれるからです。私たちが生まれる時になにかが違う。例えば、生態学的にみんな違う、というのはありますよね。肌の色、目の色、髪の色、または言葉が違うなど。生まれた時から決められていることがあります。

私の話ですと、腕と脚があるかないか。そういった話になるわけです。私にとって、普通の世界というのはみんなと少し違っていたと思います。しかし、私にとっては普通の世界でした。

このヒーローズ・ジャーニーに関してです。私たちがなにか、この普通の世界を手放さなければならないことが、ある瞬間に求められるんです。すべての事柄じゃないかもしれません。でも、ちょっと手放さなければならない。そうすると、もう同じ道を歩むことはない。それが、ジョセフ・キャンベルが言っている「大きな冒険」へのいざないです。

私がここにいることで、みなさんにとって一番重要なのは「ああ、すごくいいストーリーだな」とただ話を聞くことではありません。そうではなく、自分のストーリーという視点から私の話を聞き、考えてほしいんです。あなたのビジョン、希望、ストーリー。そして、あなた自身がどういう人間なのか。そういった視点を持って、私の話を聞いてほしいのです。

そして私は、持てる能力をすべて使います。通訳が頑張ってくれていますので、できるだけゆっくり話したいと思います。今のうちにコーヒーも飲んじゃいます。

ヒーローの前に現れる、2つの道

私のゴール、つまり私がここで話したい意図はなにか。私はこのセッションでなにを一番伝えたいかというと……もう今日はずっと素晴らしいスピーカーの話を聞いてきましたよね。素晴らしいストーリー、そしてコンセプトを学んでいただいたと思います。

ヒーローズ・ジャーニーは、素晴らしいコンセプトだと思います。でもそれは、あなた自身の道であること、経験であること。それがあなたにとって一番意味のあることなのです。ジョセフ・キャンベルはこう言っていました、基本的には2つの道がある。ヒーローには2つの道がある。そしてみんな、絶対にその「冒険へのいざない」はある時点で絶対に開くと思います。その時に、多くの人はそれを拒絶してしまいます。

何回も、そのいざないを拒絶する。必要なリスクをとらずに、突破口へ行くことはできません。そして未知の世界へ飛び出すことができないのです。

私が生まれた時、世界は少し違っていました。私は、このような障がいを持って生まれました。そして医師たちは、その原因がまったくわからなかったのです。

私の両親はすごく若かったのです。最初に出会った時、若くして恋に落ちました。1年くらい経ってから結婚し、その約1年後に僕が生まれたんです。父はまだ22歳でした。僕は4人兄妹の長男でした。当時の技術は今とかなり違っていましたので、お腹にいる赤ちゃんの様子が見るといった、超音波の技術はあまり発達していませんでした。

ジョイという私の友人でありビジネスパートナーでもある彼と、数日前に少し会っていました。最近、彼の子どもが生まれ、ゴッドファーザーになる予定です。素晴らしいことです。ジョイの奥さんが妊娠した時、初期段階でも赤ちゃんに腕や脚があるかどうか今ではわかるようになりました。指の数までわかる。今では妊娠2ヶ月くらいでもわかるようです。

でも僕の両親の時代は、インターネットもあまり普及していませんでした。インターネットが登場したのは、最近のことです。だから前は他にも同じような障がいを持ち、成功した人がいたかどうかもわからなかったのです。それで、もういきなり驚いたわけです。

最初の頃は、すごく混乱したようです。疑いや恐れもあったに違いありません。なにかがおかしいんじゃないか、将来が大変なんじゃないか。そう思っていた。

ほかの医者や専門家は、両親にこういったわけです。「カイルの面倒も、すべてあなたたちがみなければなりません。この子は、1人ではなにもできないから」と。食事を与えなければならない、洋服の着替えもしてあげなければならない、特別学校へも行かなければならない。ほかの子どもとは一緒に勉強できないし、1人でずっと生きていかなければならない。1人ではなにもできないだろう、という前提から始まったわけです。

両親はアメリカの首都ワシントンD.C.からインディアナ州に引っ越しました。僕はワシントンD.C.で生まれたんですけども、もうちょっと北の方のインディアナ州に僕は引っ越したんです。そして、祖父母の近くで育ちました。

その数年間は、すごく楽しかったです。

期待から、人間として超えるべき障がいの必要性を知る

2年ほど経って、医者が両親に、僕の障がいは遺伝的なものの可能性があると言ったんです。そう言われましたけれど、両親は子どもを作りました。そして、妹のアンバーが生まれました。

私には3人の妹がいます。3人の妹と一緒に成長することは、どんな登山よりも難しいことなのですよ。この経験が、私をより強くしてくれたということもあるかもしれません。妹は、すごく愛しているし仲良しです。

その時、父と母さんにはすごくいろいろな困難ありました。どうやって僕の状態を扱ったらいいか、すごく悩みました。

そして彼らは、できるかぎり私を普通に扱う、接すると決めました。つまり、障がいにフォーカスするのではない。障がいを人生の中心にするのではなく、ということですね。例えば、小さいこと……カップやグラスを拾うなど、何回も何回も練習しなければいけませんでした。

赤ちゃんのころから、私は失敗というものがよくわかっていませんでした。ただ落として、こぼして、笑う。そんな感じでした。そしてもう1回、頑張ってスプーンを持って、食べて、また落としてしまって……というのを何千回もくり返しました。

整列的に、そのことを学べました。たくさんのことを義手を使えばできるようになったのです。今、本当にたくさんのことができます。

普通とは違う方法かもしれません。でも、こうやってみんなと同じようにペットボトルから水を飲むことができます。普通にキーボードで同じように打てます。こうやってキーボードを肘で打つんですよ。ちゃんと1分間に50〜60ワードを打つんです。

それから、普通に髭剃りもします。この3年間、1人暮らしをしています。サンディエゴのダウンタウンにあるワンルームマンションに住んでいます。カリフォルニア州のほうまで引っ越しました。もう家から5,000キロ離れているんです。

私は、ほかの人々や医者が予想していた生き方とはまったく違う現実を生きています。同時に、なぜ彼らがそういうことを言っていたのかという気持ちもわかります。医者たちは、私の両親に間違った期待をもたせることで喪失感や悲しみ、辛い経験をしてほしくなかったのだと思うのです。

でも、期待は非常におもしろいものです。なぜなら、自分自身、もしくは子どもたち、孫たちにとって期待をじゅうぶん高いところに設定していなければ、人間として私たちが超えなければならない障がいの必要性を知ることができないのです。

義手や義足をつけることで強まる「障がい者であること」

人は、私たちにさまざまな期待をします。私のおばや家族もそうでした。

彼女は、いろいろな挑戦課題を私に与えてくれました。例えば、彼女が米や豆などをわざわざこぼし、それを私が掃除機で掃除するという楽しい課題もありました。ペンキ塗りもその1つです。ペンキ塗り用のブラシを使って、こうやって塗りました。

すごくフラストレーションを感じたのは、緑の砂糖の入れ物の中にスプーンがあり、それを使ってすくう作業でした。入れ物の中に手を突っ込んでスプーンをとり、砂糖をすくうわけですが……腕が1本しか入らなかったのです。これがポイントでした。

普通は2本の腕は入るけれど、私の場合は1本分しか入らない。10分できる作業を何時間もかけてやりました。でも一生懸命、必死になってやりました。結局、砂糖をそこら中に撒き散らかしてしまいました。すごく時間がかかり、自分の手の上でスプーンのバランスをとらなければならず、何度も落とし、それを持ち上げようとする繰り返しです。

でも、できたときの達成感がとても大好きになりました。これは、達成感を感じた最初の瞬間だったと覚えています。「ああなにか達成したい、この達成感が大好きだ」と思ったわけです。

その頃は、人からあまりじっと見られたくありませんでした。自分の体に義手や義足を付けて、外に出ていきました。しかし、おかしいことに、義手や義足をつけていると「障がい者だ」という気持ちがさらに強くなりました。しかし、見た目は気にしなければならないと思っていました。

義足や義手を嫌がっていることは、おばあちゃんはわかっていました。彼女の友達と一緒にどこかで夕食したり買い物に行く時など、私を一緒に連れていきました。そして、食料品 店へ行く時、カートの前に座らせてくれているのです。通路を行ったり来たりしながら、哲学的な会話をおばあちゃんとしていたわけです。

その食料品店で、彼女がこんなことをいいました。「カイル。あなたは特別だよ。いつか、なぜこうやって生まれたのかがきっとわかるだろう。なぜこれがほかの人ではなくあなたに起きたのか」「いつかわかるよ」と。彼女は、神様は間違いをしないと信じていたのでしょう。理由は絶対にあると信じていたのでしょう。

「握手をすれば、あなたが障がいだなんて忘れちゃう」

彼女とは、握手をする練習を一緒にしました。この旅行で一緒に来た私の友人が、この会場にいます。どこに座っているのかわからないけれど、聴衆の中にもいますね。彼らと会った時、最初に私がしなければならないのは、直感的に手を出して握手することです。握手するということは、おそらく人生で一番大事なレッスンだったかもしれません。

食料品店で「握手をする練習をしなさい」とおばあちゃんが言ったわけです。誰かの横にショッピングカートを置いて。例えば、レジを待っている人のところへ行って、まずはおばあちゃんが自己紹介をして、相手もなんだかよくわからないまま握手を求められ、練習相手にしちゃったことがありました。

「私の名前はベティですよ」とおばあちゃんが自己紹介して、そして「これが私の孫です」と紹介します。そして、私は手を出して握手をするのです。

おばあちゃんはいつも「私の名前はカイルですと、ちゃんと言うんだよ」と言いました。「あなたの声を聞き、顔を見て、そして握手をしたら障がいなんて忘れちゃう。そんなもの、消えてなくなるよ」と言ってくれました。

私はNLP(神経言語プログラミング)も大好きですが、それは埋め込まれた提案のようなものがありました。つまり、催眠的な暗示のようなものです。

おばあちゃんはNLPなんてぜんぜん知りませんでしたが、マスターだったかもしれません。彼女は私に「あなたの声を聞き、顔を見て、握手をしたら障がいは消える」と言い続けました。それが本当のことになったのです。