古典から学ぶためには“違う見方”が必要

ロバート・ウォルター氏:もう少し、詳しくお話をしたいと思います。ある女性のお話で、ワシントンDCでのカンファレンスでこの話をしました。

彼女の娘は6歳で、心理学者にインタビューされました。彼女は、学校に通えるだけの知識が十分に備わっているか、それに見合うだけの教養があるか、ということを質問しました。「あなたのご両親は本読んでくれる?」と言ったら、「うん、話してくれるよ」と答えました。

「どんなお話を読んでもらうの?」「パパはこんな話を、手振り身振りで話をしてくれる。ママはギリシャ神話を話してくれるよ」心理学者は、「本当?」と答えてさらに「ギリシャ神話?」と聞き返しました。「そう、ギリシャ神話だよ」「そうなんだ、私も神話は何だか知ってるよ。じゃあ、その神話がどういう意味を持っているかわかっている? 知りたい?」。

少し考えてから、彼女は言いました。「神話っていうのは物語なんだ。物語それ自体は、真実ではないけれど、その本質は真実を表しているんだよ」わかりますか? 神話というのは、メタファーなんです。パッと見は真実ではないけれど、その内側の本質では真実だということです。今日の私たちは神話だらけです。物語は、何年もかけて私たちのところにやってきます。

けれども私たちは、こんなものはもういらないよ、と捨ててしまうかもしれません。または、それを捨てたいと思ってしまうかも。でも、それは言葉の辞書、私たちの魂の辞書を捨ててしまうようなものだとジョーゼフ・キャンベルは言いました。それは私たちの文化を創り出してきたものなのだから、と。

では、何をするべきなのか。もう1回、違う見方で復習する必要があるんですね。

ある詩人がこういうふうに言いました。「改定をする、つまり復習するということは、新しい新鮮な目で古い古典を読んで、そして新しく作られた概念にそれを当てはめていく。そして私たちがそれを生きていく術として積極的に利用していく」と。そうしなければ私たち自身のことを理解できない。私たちは過去の古典から学ぶ必要があるけれども、それをそのまま受け入れるのではなく、今までとは違うかたちで理解する必要があるわけです。

私たちが、過去に縛られることなく、その本質を理解する必要があるということなんです。

例えば、水の入ったカップに水を入れてください、と頼むと「ああ、入れられない。まずグラスを空にしてください」と言われるでしょう。ですから、もう1回今の時代に古典を読むとは、その昔の神話のイメージを現代の新しいバージョンで理解する必要がある、ということなのです。

ジョーゼフは、過去の映画をいくつか観て、その中にヒーローズジャーニーが表現されていると言いました。明日のヒーローズジャーニーというものがそこに表れている、と。それは、彼が新しい目で物語を見直したからこそ見えてきたものです。それは今まで何度も何度も語られてきたことだけではない、現代の時代のニーズにあわせて少しづつ改定されてきたものでもあるのです。

この分子の海をどう変えるか

ただそれだけではない。過去のように生きるだけではだめなんだということです。それでは私たちは、現代社会と繋がっていくことができず、そして現実を理解することができません。

どういう意味かと言うと、例えばニュートン提唱以降の宇宙学的に言えば、ほとんどの世界の神秘、この因果関係に関わってくるお話です。私たちが、この分子という海をどうやって変えられるか。私たちの見解をどう変えるか、という話です。

ニュートンが、分子の話をした時、神話というものを絶対視してきた私たちにとっては、かなりの不協和音をおこしました。カプラは、「宇宙というのはダイナミックな波で、しかもそれは分離することができない波のパターンなんだ」と言いました。「そしてそれは観察者の見方によっても変わる」という話をしました。

そして天文学者がこんなふうに考察をしています。それは銀河、そして天の川と呼ばれるところには、たくさんの星がありますけれども、それらはお互いにぶつからないよう、離れて常に動いています。そして、その中では静止しているものは何もないんだ、ということです。アインシュタインも、「静止しているものは何もない」と言っています。

そして現在は、あなた自身が静止したポイントになるのです。ニュートンも、そんな話を理論づけてきましたけれども、今は、原子の中にあるものも同じです。誰かが言うことの、表面的にはそれを否定しているけれど、内側では真実をついているというものです。

この、基礎を固定されているものは、何百万もの原子で作られています。その原子と原子の間にはたくさんの空間があって、私たちはこの2つの現状を、自分たちの立場に入れ替えて理解する必要があるのです。そしてそれをもって現実を理解する必要があるんです。原子の中にあるもの、そして宇宙の中にあるものも、私たちは理解しないといけないのです。

「それを社会学的にどう見るか?」ということなんです。それは1つの社会と考えてください。1つの違う社会と他の社会同士というふうに見てください。ジョーゼフ・キャンベルがこのメタファーで言っていることは、神話というもの文字通りのことなのです。人間の約束の地という話があります。それは中東のど真ん中にある土地、「約束の地」という土地のことです。

アメリカ先住民のインディアンたちの血が流された場所があります。これはまったく違う伝統ですけれども、でもそこでは彼らの神が転生している場所とも言われています。そしてそれは、メタファーを具体化しているところなんです。そこには、心理的に妨げられているものが存在します。それはどういうことかというと、ステレオタイプというのがあって、それは例えば性別によるステレオタイプ。人間として私たちが今できることを再度見直して、私たちがそういったものを変えていかなければいけません。

宇宙から見た人間の文明

そうするためには、私たちは私たちのヒーローズジャーニーをつくっていく必要があるのです。まず私たちは、新世紀のための神話をつくりたいんです。そしてヒーローズジャーニーがどのようなものとして見られるべきかを定義していきたいのです。

さて、ジョーゼフ・キャンベルによると、今はすべてが可能な世界で、私たちにとって地球の中心というものは1つだけしかありません。そして、それは24時間自ら自転していて、それが機能するための中核は、太陽です。そして、この無数の太陽というものは、ものすごい速さで世界中を、宇宙、銀河の周囲を20億3,000万年の周期でまわっています。この銀河というものは、今から説明しますね。

それは1,100光年の先にあります。光年というものは、光が1年で進む距離のことを意味しています。でも、光年というものはかなり大規模な距離を表していて、地球何周分の距離にもなります。それは3,100万キロです。ですので、それを掛け合わせることによって、1光年の期間が出るわけです。正確に計算できていればですけど、5兆キロ以上ですね。

これはかなり膨大な距離です。その銀河はもっとも近い太陽、それぞれ隣同士にある銀河と銀河の太陽と星の間は、10兆キロ程度の距離となります。あまりピンとこないかもしれませんが、私たちにとってこの数字はすごく偉大なものです。とっても奇跡的なことなんですよ。そしてこれがたった1つの銀河なんです。

そして無数の銀河が存在するんです。そしてそれこそが、今私たちが理解しないといけないいわゆる宇宙的なビジョンなのです。ですので、今からそれを私の観点から説明したいと思います。

キャンベルは、「宇宙空間の中で、光が月、そして太陽まで行き、戻ってくるということ。その光を天文学者が分析し、解析することができる。この地球というもの、そしてこの宇宙船としての地球というものは、銀河という砂漠の中でも素晴らしいオアシスだ」と 言っています。

そして他の天文学者によると、「私たちのこの星は鮮やかなビー玉だ」ということです。なので、私たちは自ら知っているのです。私たちの、この本当に小さな天国のような宇宙船というものが、この表面的にも美しいこの地球の中で、私たちが生きていることがどんなに素晴らしい奇跡なのかということを。つまり、地球という惑星、または私たちを乗せた宇宙船、それが宇宙の空間の中に、青い綺麗なビー玉として光っている。それが宇宙的なビジョンです。

宇宙的なビジョンというものは、私たちを驚かせるでしょう。さて、地球という惑星は宇宙に浮かんでいます。ではその中に、人間の文明というものは、どのように存在しているでしょう。宇宙から見たときに唯一目に見える地球の文明は、中国の万里の長城だけなんですね。

そしてそれと比べると、宇宙から見た時に何が見られるのか、私たちの小さな星の社会で何が見られるのか、または社会として見られるものはなにかというと、そんなものはないのです。部族や社会というものは目には見えないのです。そこには、地政学的な境界線や決まったスペースというものはないんです。そこには部族というものが存在するスペースはないんです。国、領土、範囲、そういうものは存在していないのです。