若き日の仲代達矢を見出し育てた小林正樹監督

司会者:まだまだ次の監督、いかせていただきます。

次は小林正樹監督です。仲代さんはあまりこう、代表作と言われるものは小林政広監督ではありませんが、『切腹』は確かに素晴らしい作品だと思います。

小林正樹監督による初の時代劇だったということを後で知ってビックリしたのですが、いわゆる武家社会の理不尽というか、権力に対しての反発というものが根底にあると言われているのですね。それは結局、『人間の條件』とも一緒ですね。

仲代達矢氏(以下、仲代):日本で武士道というと、とても「立派なもの」であり、外国に行っても「侍というのは素晴らしい」と言われます。その武士道の悪しきに対して個人が挑んでいくという話なのです。この時の小林正樹監督と今度の小林政広監督が、私を育ててくれた。

はじめに、(小林正樹監督の)『泉』という映画のオーディションに落ちました。次にオーディションなしで『黒い河』という、もう人斬りジョーという悪い役をやりました。その後、『人間の條件』をやることになって、人斬りジョーなんて悪い役をやった後に僕になんか到底来ないなと思っていた主役がきたのです。これは足掛け4年間で撮りました。

三國連太郎と演技で張り合った『切腹』

司会者:全部で6作品ありますよね。

仲代:その後に『切腹』を撮りました。映画というのは、やっぱり共同制作ですね。どこの部分がまずくても、ダメなのですね。

まず、橋本忍さんのシナリオが素晴らしい。小林正樹監督もそうで、カメラの宮島義勇。これは“天皇と呼ばれた人”ですが、それから共演者が素晴らしかった。

司会者:音楽も素晴らしかったですね。

仲代:スタッフも素晴らしい。それで共演者も三國(連太郎)さんですよ。

司会者:三國さんの演技を交わしていたという……。

仲代:10年先輩なのですが、生意気だったのでしょうね。いろいろ演技論を重ねていて。

三國さんがね、ある時、リハーサルの時に「ちょっと仲代くん。俺はね、昨日君のセリフを覚えて、君がこう出ると思ったから、俺はこういうふうに演技を作ってきたんだ」というのです。

「あ、そうですか。すみません。どうでしたか?」と聞くと、「ぜんぜん違うんだよ。君のやり方は」というのですよ。10年先輩ですから。そう言われたのがなんか悔しくてね。

それからね「あんたは芝居の役者だから声が大きいが、映画はここにマイクがあるんだから、そんなに出さなくていいんだよ」「あぁ、そうですか」といっていたのですが。この引きで、この距離感で2人がカチッと合えるロングショットがあるでしょう?

三國さん、聞こえるのですよ。聞こえるのですが、仕返しにね、三國さんがセリフを言っている時にこうやったのですよ。

そうしたらね、小林正樹監督が、あぁ、やっとわだかまりが解けたと。「みんな、飲みにいこう」と。そういう人だから。

本当に私は失礼なことをしたと思っておりますが。そうした仲ですから。役者同士が自己主張するという時代でした。それが、いいか悪いかは別にして、「俺はこうやりたい」というのがすごくあったような気がします。

勝新太郎さんもそうだし、石原裕次郎さんもそうだし。私の同期では萬屋錦之助もそうだし。そうした意味では、ねぇ。悪いことをしたなと。

21年前に亡くなった妻が脚本を手掛けた『いのちぼうにふろう』

司会者:いやぁ〜あのだから、今名前が出ました、萬屋さん。その当時は中村錦之助さんと『御用金』でやりましたね。三船さんが帰ってしまった後にやられた。

勝さんとは、『いのちぼうにふろう』『人斬り』もやりましたよね? 本当はもう少し、五社英雄監督の安藤昇さんとやった『出所祝い』についても語りたいのですが、1つだけ。『いのちぼうにふろう』は、奥さまが脚本でしたね? 監督より先に脚本を読んだのですか?

仲代:そうですね。あれはまずテレビのシナリオとうちの奥さんの……。21年前に亡くなった奥さんが書いて、それからテレビの作品を書くようになりました。

テレビで『いのちぼうにふろう』は、山本周五郎さんの『深川安楽亭』という原作を脚色して、それが映画になるのです。映画界がテレビに出てきて落ち目にだんだんなっていったのですよ。

その時に黒澤明先生と小林正樹さん、それから木下恵介さんと市川崑さん。四騎の会が書いたのです。

それで、第1作目になにを書いたかというと、なかなか準備できなくてちょっと時間がありまして。そこにうちの奥さんが書いた『いのちぼうにふろう』がテレビに流れて、「あれがいい!」とみなさんが仰って。それで、小林正樹監督が映画にしたのです。

司会者:もうその時点で仲代さんが定七をやることは決まっていたということなのですか? その時点で「どれがやりたい」ということはなかったのですか?

仲代:ええ、もう定七です。勝さんに電話をいただいて。本当にね、勝さんとは気があってね。

司会者:2年前に、ここで『未完。』という仲代さんの本を。ここでお話いただいた時は、『いのちぼうにふろう』はDVDになっていませんでした。小林監督の生誕100年記念でようやく東宝がDVDにしてくれたので、みなさんもみていただけると思いますので、本当に。

“濡れ場”を体当たりで指導する五社英雄監督

もう1つ。先ほど話に出た仲代さんが『出所祝い』の中で、冒頭、江波杏子さんと非常に激しい濡れ場があります。仲代さんは多くの女優さんたちと美しいラブシーンを演じている。月丘夢路さんだったり、原節子さんだったり。そういった受け手の側の女優さんを美しく見せる濡れ場の極意というものがあったら教えてください。摑み取れたのですか?

(会場笑)

仲代:非常に難しい。さっきご指摘のあった『出所祝い』は安藤昇さん、江波杏子さんとの共演ですた。ただ出会っただけで、すごい濡れ場の連続なのですが。

私はあの、濡れ場が苦手な俳優でして。監督の五社さんは、江波さんが裸みたいな感じでいるところを、自ら演技指導してくださるのですよ。自分でやっているのですよ、革ジャンを着てね。江波さんの裸を抱いて、もやもや、この手をこっちに回してとか。

女優さんは気の毒ですよね。俳優さんでもないのに、革ジャン着た五社さんが抱きついてくるのですから。

それを私がね、できるかなぁと思ってじっと見ていて「できるだろう? ほら、やってくれ」「はい、やります」と。「すいません。よろしくお願いします」とやりましたけどね。ラブシーンに憧れるのですが、あれは五社さんが、実際は自分でおやりになって、演技指導してくださって、やれた場面です。

司会者:わかりました。

五社監督作品はイタリア映画に似ている

仲代:五社さんという人は、本当にテレビの監督です。『三匹の侍』とか、ああいうのを作ってきた。だから映画界に切り込んできたのですね。普通の映画監督より、もっと強烈になにかを作らなきゃいけないという思いがあったのでしょうね。

あれから僕いろいろ出ましたが、『雲霧仁左衛門』『北の螢』『鬼龍院花子の生涯』など、やっぱりね、当時は話の筋関係なく、エログロを入れるのですよね。

司会者:それは東映のあれですね。

仲代:当時の批評家に「なんだあの映画は?!」と批判されたこともありましたが、絵で見せる。「シナリオが監督、僕にはわからないのだけど」というと、「絵で見せるからいいよ、いいよ」と。確かに、絵で見せるのですよ。それがイタリア映画に似ている。だから五社さんのことを「あんた、イタ候だ」と言ったこともありました。

でも、年が近かったし、面白かったですね。それと同じように年が同じであり、兄みたいなのは、岡本喜八監督ですね。

司会者:そうですね。岡本さんがもっとも、仲代さんの中にある喜劇性を活かしてくれた監督ですね。

1つの映画会社に所属せず自由にやれた

司会者:このように、多くの映画監督と自由に仕事ができたというのは、1つの映画会社に属さなかったからというのもありますか? ようするに俳優座から出たということで自由に選択できたということになりますか?

仲代:そうですね。私は『火の鳥』という映画が、残念ながらお亡くなりになった月丘夢路さんによる抜擢だということで恩人だと思っておりまして。月丘さんの家へは、足を向けてはいけないくらいの思いでいました。非常に残念な思いをしましたが、享年95歳と言ってました。大往生ですね。

それで、『火の鳥』に出ましたら、日活側から、「うちでデビューさせたんだから、契約しろ」と。そうすると「私は演劇をやりたくて役者になったから、芝居もできますか?」と聞いたら、「できないよ。日活以外出られないよ」というので、「えー、それじゃ私、すいませんけど」と謝って、それで東宝へ飛んだら、藤本真澄さんですよね。緊張しまして。

司会者:世界一周させてあげると?

仲代:ちょうど結婚した時でありまして。それでお金がないのですよね。そこに東宝の制作でなんか「世界一周させてやる」と仰って、「芝居は?」というと「ダメだよ。うち以外出ちゃ」と。

五社協定というのがありまして。それで、結局どこにも属さないから、ギャランティーも安かったです。主役もやって、悪役も随分やりましたから、そういう束縛があまりなかったですから。

いろんな監督の作品に出ることで役柄の幅が広がった

仲代:いろんな監督さんからいろんな作品に声をかけていただいて。ただ、黒澤さんの映画に出させていただいて、先生と呼んでいたのです。そうしたら、初め「よろしくお願いします」と言ったら、『あらくれ』という映画で、「黒ちゃんのところで演技はやめてね」とくるのですよ。

「あれ? どうしたらいいんですか?」「じーっと立ってればいいんだよ」と。「ちゃんと撮って、あと編集でうまく見せるから」と。それで「なんかやりたくてしょうがないんですよ」というと「ダメ。芝居の人はすぐ芝居したくなる」。

(会場笑)

「じゃあ、最後の電話をかけるところでニッコリ笑っていい」と。そりゃ、ニッコリ笑ったら、『あらくれ』は高峰(秀子)さんが主役なのですが、そうすると、そのニッコリが効くのですね。先ほど演劇演技と映画演技の差という話がありましたが、実際にそういったことがありました。

それで次に市川崑監督のところに行きますと、また演技指導が違う。それは困ったなと思いましたが、いろんな監督のもとで一所懸命、役柄の幅が広がったのかなと感謝しておりますが。

司会者:これからも、さまざまな役柄、今度の小林政広監督にも、次はなにやりたいですか?と言われましたね。 すごい悪役の映画にも出ていただいて、この先も強い役柄で私たちを魅了してください。

仲代:そうは言ってくださるのですが、84歳ですから、『海辺のリア』が最後になるかな? というつもりでやりました。

こないだアラン・ドロンさんが、「キャリアはおしまいだ。命はこれから続ける」と仰った。とても名言だと思うのですが、私は「キャリアも人生も続けるまでやるぞ」と思っています。 

(会場拍手)