「このスピーチ、よかったらツイートしてね」

トム・ハンクス氏:多くの皆さんは、現地時間の夜6時頃、世界の終わりが来ると確信したことでしょう。まだ来ていないからと言って、先のこととは限りません。私が今日エール大学の卒業式でスピーチをしていることは、きっと「ヨハネの黙示録の四騎士」の1人(のように、世界の終末の予兆)だと思います。

(会場笑)

今日は皆さんのための日です。電子機器のスイッチを切らないでください。iPhoneもiPadも、SidekickもDroidも(携帯機器を取り出して)ブラックベリーも電源を入れっぱなしにして、これから数分間この壇上で行われることをすべて録音して写真に撮って、携帯電話のメールで送ってください。今日この後、ご自分のツイートやFacebookのコメントを他の人のものと比べて、何か印象的なことがなかったかどうかチェックしてみてください。あ、僕が今言った言葉もツイートしてください。

(会場笑)

このスピーチにBGMをつけて、クレージーな画像を挿入して、その動画に自分を登場させてインターネット上に投稿してみてください。あっと言う間に世界中に広まったら、皆さんは紙袋で遊ぶ猫や、ちんぷんかんぷんなことを言い合う双子の幼児に匹敵し、「Friday, Friday」と歌うあのかわいい女の子と同じくらい人気者になれます。

(会場笑)

これらは、私たちの素晴しい新世界の1つの可能性にすぎません。皆さんは、望んでも望まなくても、この新世界を受け継いだ訳です。万事休すです。時間切れになってしまいました。「あの頃の未来」は今や、皆さんみんなにかかっているのです。それも皆さんがエール大学に入ったからです。

(会場拍手)

世界は少し良くなり、同じだけ悪くなっている

皆さんは今や選ばれた者、将来を任された人、選び抜かれた秀才なのです。皆さん一人一人がアメリカの、世界の輝く希望の星です。皆さんは「人類」のデルタベクトルや平方根や割り算をついに解き明かすことのできる、新しい魔法使いなのです。皆さんが成人する前の世代もこの問題に取り組んできました。今度は皆さんの番です。

私には昔、1人の友人がいました。彼のお金持ちの叔父さんが、「大学で勉強したいならできるだけ長く学費を支払う」と友人に約束してくれました。「できるだけ長く大学にいるべきだよ。大学を卒業してしまったら、残りの人生、毎日働かなくちゃならないからな」とそのお金持ちの叔父さんは言いました。いつか皆さんにも、この叔父さんの言ったことの意味がわかる日が来るでしょう。いつかきっと、あれ、老眼鏡どこに置いたっけ、と思ったり、そのクソ音楽のボリューム下げろ、と自分の子どもに叫ぶ日が来るように。

このような春の日、私たちは世界情勢に思いを馳せ、君たち若者に世界をもっと良くしてくれ、と懇願するのが伝統になっています。そう言うと何だか、私たちが大学を卒業した頃よりも今のほうが、世の中が悪くなっているように聞こえますね。地球が30年前、18年前、いや4年前よりももっと悪い状態にあるかどうかは不明ですが。

だからと言って、今の方が良くなっているということでもありません。感傷的になって、私たちの時代と今の時代を比べて「君たち今どきの若者ときたら、ラップだのヒップホップだの、スヌーピー・ドッグ・ダディー(Snoop Doggy Dogg)とディディー(Diddy)ポップだの、50セント(50cent)だか25セントだかなんだか……」と言いたくなるのはやめておきましょう。

冷静に考えると、結局、世界は少し良くなってきたのとまったく同じ割合で、ちょっと悪くなってきたと言えます。一歩前進すれば、一歩後退する。進歩発展と文化的後退との間の宇宙的なバランスみたいなものによって、人類は釣鐘曲線を描く存在とされているのです。喜び、安心や快適もほんの少し、でも同じ分だけ苦労もし、上り調子になるか下り調子になるか、残りの運命の浮き沈みにほとんど望みはなく、あまりに多くのうんざりすることがあるこの混乱する風潮に、私たちは生活の質の変化にすっかり気がつかなくなってしまっています。

卒業式は、世界を試してみるのにふさわしい機会です。私は、物事はこれまでとほとんど変わっていないと思います。10年前、私たちは「重要であると思っていたけれど実はつまらないこと」に忙殺されていました。そこに9.11テロ攻撃がありました。1991年には、これまで存在しなかった新興企業によって富が生み出され、そして経済の風船が破裂しました。1981年、私にBosom Buddiesという素晴らしいテレビドラマの仕事が舞い込みましたが、翌年1982年にはキャンセルされてしまいました。

(会場笑)

21世紀に入って、アメリカが得たものと失ったもの

1971年、かつてないほど多くの家庭のカラーTVに、若いアメリカ兵がいまだにベトナムで戦っている姿が映し出されました。1961年には、初めて世界中に衛星によるライブ映像が流されましたが、その映像とはベルリンの壁の建設でした。

この10年ごとの区切りは、同じ陰陽ってやつを示しています。これ、著作権を取ろうと思っているのですが。同じ陰陽ってやつです。私たちはみなこういう機器を持っていますが、(携帯機器を取り出して)これは地球の反対側で起こっている大変革だけでなく、街の反対側の憎しみに満ちた痛烈な批判を永久に記録することができます。アメリカで空腹を抱えて床につく人の数はだんだん少なくなっていますが、肥満が今や人口の半分に影響を及ぼしていることを知っていますか。

地元の「You-Mart」でどれほど特売品を見つけようが、アメリカ人の多くがまだ家賃と光熱費の支払いに苦労しています。アメリカは20世紀の大半、物理的にもイデオロギー的にも敵との戦争はありませんでしたが、3000年紀が11年半たった今、アメリカ軍は9年もの間、戦場で戦っています。知的財産や私たちが尊敬するアーティストの作品を買うのに、マウスをクリックするだけでほんの数ドル以下で手に入ります。これは、皆さんにとって、自分の選んだ分野で生計を立てられる保証はないということかもしれません。

とは言え、この時代ならではのメリットは否定できないでしょう。退屈は克服されてしまったようです。いつでも何かすべきことがあります。でもそれは、私たちの生活が絶え間なく何かに気を散らされている、ということではないでしょうか。浴室でも、夕食のテーブルでも、車の後部座席でも、結婚式でも、卒業式の日であっても。絶えず何かチェックするもの、ツイートすること、見ること、ダウンロードするもの、プレイするもの、シェアするもの、買うもの、誰かの留守電メッセージが、私たちの集中力の持続時間をグイッと引っ張るようなものがあります。それもみな、私たちの手のひらの中にあり、わずかの月額使用料で利用できるのです。

いまや誰でも15ヶ月もの間、有名人になれる?

その同じテクノロジーによって、過剰なセレブたちが生み出されました。それは全く喜ぶにはあたらないものですが。誰でも、今では評判の恩恵を受けられます。名声の持続期間は、アンディ・ウォーホールのわずか15分間から、たっぷり15ヶ月間にまで延長されたのです。もしもカメラの中である種のことをしたいと思えば。

ジョージ・オーウェルの言葉は当局の新語法(政治家が世論操作のために用いる表現法)であるのですが、オーウェルの言うブギーマン、つまり何でもお見通しのビッグ・ブラザーは決して現れませんでした。北朝鮮に住んでいたり、ビバリーヒルズで信号無視をしたり、オンラインショッピングをしたり、運が悪いタイミングと場所で、カメラと携帯電話を持っている人の前、つまりみんなの前でまぬけなことをしない限りは。そう、ビッグ・ブラザーは実在しますが、必ずしも邪悪な空想の存在ではありません。実際は、ビッグ・ブラザーとは検索エンジンの中に住んでいる私たちみんななのです。

ですから、何回私が計算しても、社会的に引き分けということです。プラスとマイナスは釣り合うのです。XはイコールYで、私たちの希望と恐怖も重さは同じなのです。でもこの最後の恐怖について私はためらいます。恐怖は、2011年の強力な生理的な力なのです。

私たちはこの壇上から卒業生の皆さんを取り囲み、毎年同じように、皆さんが何とか努力して私たちが恐怖を抱くようになったものから私たちを解放してくれることを期待しています。私たちは多くのことを恐れるようになりました。恐怖はセックスと同じくらい売れる「商品」になったのです。

恐怖は安価です。恐怖は安易です。恐怖は注目を集めます。恐怖はゴシップと同じくらい急速に広まり、ゴシップ同様に魅力的で刺激的でお金になるのです。恐怖は事実をねじ曲げて、無知と見分けのつかないフィクションを作り出します。恐怖は利益を生み出します。恐怖の市場全体はあなたの家族みんなです。

私はつい先頃のある日、家で座ってテレビでスポーツの試合を観ていましたが、毎夜放送されるローカルニュースのCMが流れました。「学校は子どもたちを食中毒にかからせているのでしょうか? このニュースと、この夏の最新流行のビキニについては、今夜11時の放送をご覧ください」というものです。私は当時学校に通う子どもがいたので、子どもたちが学校で本当に食中毒にかかったらどうしよう、と心配しました。夏の到来はまだ数週間後でした。

それで私はその情報を見るためにそのニュースをつけました。そのニュースの実際の内容はこういうものでした。ある業者のハンバーガー中に、ある種のバクテリアが過剰に含まれていたことがわかり、安全のために市場から取り除かれました。その同じハンバーガーが州外のある学校のカフェテリアに売られることになっていましたが、間に合ってリコールされた、というものでした。ですから、このニュースの問いかけに答えるならば、Noです。学校は子どもたちに食中毒をかからせてはいません。でもYesもありました。確かにこの夏、ビーチでは流行りのビキニが見られるでしょう。

アメリカ初期の海軍司令官だったジョン・ポール・ジョーンズは言いました。「恐怖を育てるとますます強くなるが、信仰を育てると、それは自分のものになる。」だから私は歴史の大ファンなのですが、(指をさして)ちょうどあそこの建物に住んでいた(エール大学卒業生の)ネイサン・ヘイルが、200年以上前のアメリカの植民地で語ったことは、2011年のアメリカにも一語一句通用するのです。

「私は恐怖とは大規模な恐怖であると思う。恐怖自体が威嚇的であり、永続的だ。私は信仰とは、自らの中に持つもの、アメリカ人が理想とする自己決定のことだと思う」

恐怖は私たちの耳にささやかれ、面と向かって叫ばれています。信仰は、毎日のぞき込む鏡の中の自分によって育まれなければなりません。恐怖は永遠に私たちを追い立てて、私たちの歩みを遅らせるのです。信仰は、私たちのブーツを履いた足を放浪へと駆り立て、私たちの創造性を刺激し、私たちを前へと前進させるものです。恐怖と信仰のどちらが私たちの主人となるでしょうか。

「恐怖」をテーマにトム・ハンクスが作った小噺

3人の男がいました。男たちは深い恐怖のためにもはや眠れなくなってしまいました。これは私の作り話です。

3人は絶え間ない心配のために、生活が停滞状態に陥っていました。そこで3人は山の上に住んでいる賢者を探すため巡礼の旅に出かけました。とても高いところなので、草木も生えず、動物もおらず、空気が薄いため、昆虫さえもいないところでした。賢者の洞窟を探し当てると3人のうちの最初の男が言いました。

「賢者よ、お助けください。私は恐怖のためにすっかり駄目になってしまいました」「何を恐れているのだね」と賢者が尋ねると、男は「死が怖いのです。いつ私を迎えにやってくるでしょうか」と答えました。「ああ、死か。死の恐怖を取り除いてあげよう。死は、お前がそれを迎え入れる準備ができるまでは呼びには来ないものだ。それがわかれば、死の恐怖もなくなるであろう」

男はこの言葉に心が静まり、もはや死を恐れなくなりました。賢者はそこで2人目の巡礼のほうを向いて、「お前は何を恐れているのだ」と尋ねました。男は「新しい隣人が怖いのです。よそ者で、私たちとは違う聖日を祝い、子どもが多すぎて、やかましい音楽をかけるのです」と答えると、賢者は「ああ、よそ者か。家に戻り、新しい隣人のために菓子を焼くのだ。子どもたちにおもちゃを持って行け。よそ者たちの歌に加わり、その者たちのやり方を学ぶのだ。そうすれば隣人と親しくなり、恐れもなくなるであろう」と言いました。男はこの単純な答えの中に真実を見いだし、もはや隣人の一家を恐れなくなりました。

何ものも住むことのできないような高い山の上の洞窟で、賢者は最後の巡礼のほうを向いて、何を怒れているのか、と尋ねました。「ああ、賢者さま。私は蜘蛛が怖いのです。夜、寝ようとすると、蜘蛛が天井から落ちてきて私の肌をはい上がるのを想像して、眠ることができません」賢者は言いました。「ああ、蜘蛛か。あたりまえだとも。何故、わしがこんな高いところに住んでいると思っているのかね」

(会場笑)

もっとも優れた人でも恐怖には屈してしまい、影響力を行使したい人はそれを利用します。アメリカはより完璧な国家をつくり、正義を実現し、国内の平和を確保しようと常に奮闘してきました。しかしそれは国境の外からの、そして己の心の中にある恐怖との日々の闘いの歴史でもありました。アメリカは、海を越えた王国から反逆罪の報復の恐れにもかかわらず独立しました。アメリカが強く多様な存在になったのは、移民の「祖国」がどこであれ、そこでの日常生活を成してきた恐怖から解放されて暮らすことができるからなのでした。

アメリカの独立は、恐怖からの解放そのもの

アメリカの歴史の教科書には、人々を恐怖からこの国で奴隷とされてきた人々を解放し、恐怖に根ざした暴君の支配と、恐怖に根ざした神学の元にある全国家を解放するために始められた紛争について、述べられています。

アメリカの大義とは「最良の状態で、誰もが自由に好きな神を崇め、自由に心の内を表現し、恐怖のない場所を求めてこそ、我々はみな平和に暮らせるのである」という信仰を育てるものでした。しかし私たちは、存在しないことを大多数があまりにたやすく信じてしまう世界に住んでいます。陰謀があふれています。分断がつくりだされ、私たちの多様性はアメリカを強めるものとして賞賛されるのではなく、互いに対立し合うように計算されプログラムされているのです。

私たちの信仰は、予測不可能な摂理により試され、常識が特定の利害によって腐敗されて脅かされています。54年生きた経験から言わせていただくと、より完璧な国家をつくるという働きは、私たち1人1人に関わる決して終わることのない関心事です。アメリカが良くなってきていることを示す証拠はいたるところにありますが、ニュージャージーの詩人(ブルース・スプリングスティーン)が言うように、恐怖は日々「街の外れの暗闇の中に潜んでいる」のです。

(会場拍手)

毎朝ベッドから起き上がる時は、恐怖が強まると同時に、信仰が開花するチャンスでもあるのです。恐怖と信仰とどちらに反応し、どちらを生み出すのかを選ぶのは皆さんです。エール大学を今日卒業されるほど優秀な皆さんですから、その瞬間を感じて、どうしたら良いかわかるでしょう。

イラクとアフガニスタンから戻る兵士と向きあおう

話は変わって、絶え間ない恐怖と、その絶え間ない流れとの闘いの戦線について考えてみましょう。これから数ヶ月間、数年間の間に、長い月日を経てイラクとアフガニスタンに従軍していた兵士がついに戻ってきます。

(会場拍手)

身体と心をすり減らす多くの戦いの後で、生涯の長い時間を戦いに費やして戻ってきます。長い間はるかな厳しい戦いの地で過ごした後で、帰還兵はアメリカを出た時とは別人となって戻ってきます。次に何が待ちかまえているかわからない恐怖の中で、きっと自分自身に対する信頼も揺らいだことでしょう。

イラク戦争とアフガニスタン戦争についての皆さんの考えがどのようなものであれ、今この機会に帰還兵の恐怖と真正面から向き合うことで、皆さんはアメリカの将来に影響を与えることができるのです。帰還兵の信仰を強め、彼らを休ませ、回復、できれば完全な回復を手助けすることで、皆さんはこの困難に満ちた世界の歴史のまさしく次のページを刻むことができるのです。

兵士は求められた時に命令された通りに派遣され、国に尽くしました。ですから、長期の派兵を見守り議論した私たちが今度は兵士に尽くす番です。学ぶことができる兵士には教育を与え、兵士から市民へと戻るために仕事を与え、彼らの新たな旅を思いやり、恐怖のない場所を与えてあげましょう。たとえ兵士が終えてきたばかりの旅を私たちが決して理解することができなくても。

パレードや帰還祝賀会ではなく、兵士が尽くした時間の分だけ私たちが兵士に尽くすことによって、私たち皆でアメリカのアイデンティティの真の本質を定義しましょう。

皆さんがここで過ごしたのと同じ4年間、なにか頑張ってみましょう。積極的かつ自発的に行動し、帰還兵を待ち受ける新たな不確実性から、兵士が帰宅した翌日から直面する謎の恐怖から兵士を解放するために、皆さんにできることをしましょう。兵士が前進するための信仰を育むことができれば、あとは彼らに任せましょう。

進もう。恐怖を背に、信仰を前にして

皆さんの仕事の始まりです。仕事は、必ずしも楽しいことばかりではありません、必ずしも満足する仕事であるとは限りません。次から次へととんでもないことばかりの日々に思われるかもしれません。

残りの人生、毎日働かなくちゃならないというのは本当です。それはフルタイムの仕事です。人間として、アメリカ人として、エール大学卒業生としての皆さんのキャリアは、恐怖と信仰の間に立つことです。恐怖を背に、信仰を前にして。

恐怖と信仰のどちらに傾きますか。どちらに進みますか。前進しましょう、常に前進しましょう。そしてその成果の写真をツイートしてください。

(会場笑)

ありがとう。そしておめでとうございます。