喉が渇いた人を助けたいなら、水を持っていなければ

――笑うことは、精神状態の安定と健康を保つのにどれほど重要ですか?

カルメン:大声で笑うことだけではなく、いつも微笑んでいられるような幸せな気持ちでなければいけないわ。もしあなたが幸せな気持ちでなく、人生が本当はどれほどシンプルなものか理解できていないなら。

人間の知性が物事を複雑にして、幸せから遠ざけているのよ。憲法のように、幸せであることはみんなの権利なのよ。彼らは全てを紙の上に書いたけれど、どうやって生活や、感情や、コミュニケーションの中でそれを実際に表現するかということよ。

大きな愛の感覚であるアガペー、大いなる愛、人間性の愛、全人類への愛、それは複雑でかつ単純なものよ。私も含めて、誰もがルールを破るわ。意図しないのが最悪なの。それは無知や、知ろうとしないこと、探検家であろうとする好奇心の欠如だと思う。まず自分自身を探検しなければならないの。もし自分のことがわからないなら、他人のことをどうやってわかるのでしょう?

私は、自分がどんな人間か知るのに他人だけに頼るようなことはしたくありません。でも、他の人が、私のことをどう考えているかにはいつも興味を持っているわ。なぜなら、それが疑問を起こさせるからよ。自分のことを知らなかったんじゃないかって。いいですか、私の感情はそう簡単に傷つかないの。

――仕事をする時に、それはどのぐらい重要ですか、あなたは精神的にも視覚的にも多くの活力を与えています。与えるために何かが必要ですが、どのくらい重要でしょう、満杯のカップのようなものですか?

カルメン:幸せになるため生まれてきたといつも感じてきたわ。もし自分が満たされた感覚を持たなければ、どうやって愛することができるでしょう? 私は十分に持っているわ。もし砂漠で、喉が渇いた人と出会い、楽にしてあげたいと思ったら、自分が水を持っていなければいけないわ。自分の魂の器の中に、しっかりとしたものを持っていなければなりません、そうでなければ何も与えられるものが無いことになるわ。

私は委員会でそれをしていますが、政治的な寄付を計画するために、重要なの。委員会が協力して、薬や子供の扱いや教育などの変化に影響を与えるための方法なの。全て重要ですが、真実で信頼できる自分自身の知識に端を発するものでなければならないのよ。

時には、全てが準備できて自分を頼れると思うことがあるわ。そして落ち込むことがどんどん少なくなる。理解が自分にとって正しいほど、満足するの。心の中でニヤニヤと微笑み、自分が誤解していなかったと分かると満足を感じるのよ。確かに、社会や文化のはたらきに対する知識が足りなかったり経験が足りなかったりといったせいで、確かに多くの誤解はします。

旅は幅を広げてくれるとよく言うわ。私の職業で経験した幸運なことは、楽しいとはそれまで想像したことすらない土地にも旅できたことよ。私はとてもシャイだったわ。誰から言われることもなく、私の一部は外の世界をとても恐れていたの。私には、14歳になる前に、そこが恐ろしい場所だと知るのに十分な経験があったの。

確かに私は今週本を書きませんし来週もできないでしょうから、この本が現実になることは無いでしょうが、もし本を書くことがあるなら……80年代には女性向けのカクテル本を出したことがあるわ。あれはすてきで優しいカクテル本だった。私はちょっとした誇りに思っているのよ。まぁ私は書いていなくて、友達が書いたのよ。彼が「カルメン、君は本を書かなきゃいけない」と言うから、「アレン、私は字が書けないの」と言ったら、「馬鹿だな、僕が書くよ。君はただ……」(笑)。それで本ができてハーパー・アンド・ローから出たというわけなの。

全財産を失って、どう立ち直ったのか?

――あなたに驚かされるのは、ほとんどの人が50歳か60歳で止めてしまうのに、あなたが続けていることです。なぜでしょうか?

カルメン:多くの人が驚いたり、「どうやって続けているのですか? とてもエネルギーがあるんですね。続けるためにどうしているんでしょうか?」と尋ねるわ。「あなたは、自分が息をし続けていることをどう思います?」というのが私の回答です。もしそれが好きでないなら、他のことをするわ。ベビーシッターになったかも。コックや室内装飾業者にもなれたでしょう。私はいろいろ技術をもっているのよ(笑)。

私を支えているのは趣味よ。油絵が大好きなの。縫物も大好き。写真も大好き。私は、混沌をかかえた人間ですから、山のように積まれていて、全てどこにあるか分かっているんですが、決して見つけることはできないの。

85年に私は言いました。周りを歩き回っていれば、いずれそれに出会う。1974年から住んでいる、ベッドルーム1つのアパートメントを持っているの。以前は貸家でした。今は協同組合に変わっているの。人生で素晴らしかったことは、私がとうとう自分のアパートメントを手に入れて、誰も私からそれを取り上げることはできないってことよ。マドフ事件の時に起こりかけたようなことが無ければですが。あの時は全財産を失いましたから。そういうことはあの時が人生で2度目だったわ。

――その悪い状況になって、そこから抜け出したとき、どうやって立ち上がったのでしょうか? 周りの人々のおかげでしょうか?

カルメン:どのような選択肢が自分に残されているのかを把握するのは、自らやらなくてはならないこと。何が現実で、私の願望や空想でないのか。私は現実モードだったわ。その電話を受けてすぐ、自分に向かって、ああ、私は笑い始めているじゃないか、と考えたの。

オフィスに電話して「エリナー?」と呼びました。「カルメン、連邦捜査官が来ているから話せないんです」「じゃあ本当だったの」「ええ」「切るわね、エリナー」。彼女はマドフの個人秘書でした。マドフの家族とはとても親しかったんです。

それが現実で、変えられないことだと理解したわ。自分が人生で2回目の一文無しになる状況にいることが分かっていたの。こう考えました、「私にはアパートメントがある」と。ちょうどロレックスのキャンペーンを終えたところだったわ。それが起きた時、私は自分の80年代や70年代後半のようだった。実際は08年だったけれど。

話がうますぎるときはいつも、世界が苦しんでいたり何も得られていないのに、自分だけが多くを得ている時。もっとよく知っていたらと思うわ。幾何学的な感覚や空間的な感覚のような何かがあって、幸運だったと感じるの。幸運な人生を送ってきましたから。

ただ、とても深い友情の落とし穴に落ちたのだと思ったわ。私たちはヨットで旅をしたり、マドフの息子が婚約した時パーティをしたりしていましたから、とても親しかったのよ。私は部外者ではなく、内側にいたの。そんなことは、それまで起こったことがなかったし、私よりもずっと賢い人々、エリー・ウィーゼルのような、その基金のシステムに関わった全ての人々が、そこから利益を得ていたの。

それは、否認の構造、強欲の構造でした。自分が隣の人よりもずっと多くを得ていても問題なかったの。いいえ、結局は問題だったの。アンバランスなことが起こっていたのよ。残りの世界よりずっと多くを得ている時は、必ず狙われます、それがトリクルダウン以上のもので、お互いのことを考え、文化を尊重して、注意深く分配されたものでもない限りは。

転んで切り傷を作った時、傷が出来れば、赤い血が流れます。子供の頃のカトリック・スクールで、仲間外れにされていた小さな黒人の女の子、彼女が転んだ時赤い血が出るのを見て、考えたの。私も転んだら赤い血が出るって。突然、私たちは同じなのだということが分かったのよ。誰もが夏には彼女の色になりたがるわ、大人はみんな夏には黒く焼けたがるでしょう(笑)。

私が言いたいのは、人々は正気でないってことよ。人間性は洞窟からそれほどかけ離れたものではないわ。我々はとても知的になった。多くの対話がありますが、実際に効果があり社会を良い方向に変える運動をもたらすのはなんでしょうか? アートはとても助けになるわ。バレエやオペラの物語は、聖書やその中の全ての寓話の解釈を読むよりもずっと楽しい形で伝えてくれる。

見ることは信じること。聞くことは信じること。触ることもその一部よ。どうして誰もが立ち上がれないのでしょう? 日常の一部で、何か良くないことが私たちに起こる。けれど、そういう空間に生きますか? いいえ。「あーあ、そういうこともある」「また滅茶苦茶にしちゃった」「がっかりだ」などと私は言うわ。

あの人は、私が思うようにはふるまわなかったの。期待をしているわけではないけれど、実際そうしてくれたときは感謝するわ。素晴らしいと思いませんか? アハの瞬間です。 その人は、私が思っているように実際に素晴らしい人だったの。ああ、このような静かな贈り物に人々は注意を払わないのよ。なぜなら、もっと多くの物を追いかけているから。物は結構ですが、バランスが良くない。物を少なくした方が良いわ。多くの場合は、少ないことはより実り多いことなのよ。

自分が情熱を注げるものを見つけ、それに向かう勇気を見いだす

――隠れた才能について、自分の中の才能を解き放つには、他の誰かから教えてもらうことが必要です。カメラマンと共に働き、自分自身になった経験をもつ人として、これから自分の才能が何かを見つけ出そうとしている人にどのようなアドバイスをされますか?

カルメン:いつも自分が欲しいと思うような友人になろうとしてきたわ。信頼の交換が重要よ。それには、時間や忍耐、全てがすぐさま満足にいくことは無いという意思が必要です。30年代からずっと、世界がより、ごますりで、甘やかされて、身勝手で、気取っていて、とても知的で、とても説得力のあるものになるのを見てきたわ。子供たちはこのような世界で、「私が一番」という間違った考えの教育しか受けず、何を継いでいくのでしょうか?

他人と出会った時、どこから来たどんな人なのかをより良く理解できるようにするためには、まず自分自身を知らなければなりません。私は今まさに30フィートの台にたって端から投げ出されようとしているところよ。いつも飛ぶために学んできたし、人々が、私の想像するような人間であることに賭け、信じるつもり。もし彼らが私の想像と違っても、それは彼らの落ち度ではなく、まだおとぎ話を信じている私の落ち度だわ。

――仕事や、今やっていることに満足できず、方向転換するために、勇気を必要としている人たちに対して、どんな言葉をかけたいですか?

カルメン:自分自身の幸せを大切にせず、妥協して生きる人は、ロボットのようなものだと思うわ。私は、そんなの我慢できない。私だったら、自分が情熱を注げるものを見つけ、それに向かう勇気を見いだすわ。実際にこれまでその勇気を持って、いわば勘と経験を頼りに生きてきたけれど、ほら、こんなに幸せだわ。その勇気を持てて幸せよ。

何年か前、ロンドン芸術大学で卒業を迎えた学生たちにこの話をしたの。大学から博士号を授与されたのよ。とうとう人生の到達点にたどりついたわ。大学に行ったことがない私が、博士号を持っているんですから。何だかおかしいような嬉しいような気持ちね。私がやってきたことが注目に値するような正しいことであり、それによって人々に、続けていいんだ、やればいいんだ、という気持ちを与えてきたことが、第三者によって認められたということですから。

そうね、自分が毎日やっていることをやりたいのだとしたら、どうかしら? 仕事を何とか好きになってきっちりとこなし、そしてプライベートの生活でギャップを埋めるようにする、自分から進んで妥協できるのであれば、それでいいでしょう。そうでなければ、自分が何か別の新しいことを学べると知る勇気を持つことよ。

大人になって、物事を学び選択するというのは、学校を出たばかりの若いころとは大きく違うわ。学校を卒業して自分の進む道を知らないままで、この仕事をしなくてはいけない、という気持ちで最初の仕事に就くけれど、それを足掛かりとしてステップアップし、学んでゆく術は知らない。自分が心地よく感じることは何なのか、それを知るために、自分自身を知るために学び続けなければいけないの。

自分がやっていて心地いいことであれば、本当に大いに貢献できるものよ。いい気持ちでいれば、いい仕事ができる。そういう場では、出世の道が開け、報酬が伴うわ。自分にはこれだけのお金をもらう価値がある、と言うわけではないの。その仕事を私にやらせてください、見習いから始めます、仕事ぶりを見てください、と言うの。もしかしたら知らないことを喜んで教えてくれるかもしれないわ。

学ぶということは、一生続くプロセスよ。私たちは特定の言葉に関して、固定観念を持ってしまう。人生において新しい選択をし、新しい仕事にチャレンジしたり、何かそれまでとは違うことを学んだりする自由があるのに、怠惰になったり、成功に臆病になったり、拒絶を恐れたりなんかして、自ら制限してしまっているの。

私はただ、自分がとても運が良いと思っているわ。どういうわけか、これまで常に、自分がぴったりはまる場所を見つけることができたの。周囲の人たちは変わり続け、私自身も変わり続け、私たちはこの変化のダンスを一緒に踊ったわ。それこそがキャリアのスタート地点から身を置いてきたファッション業界の本当に素晴らしいところ。 私の仕事というのは基本的に身体を貸し出すことね。

人に自分の身体を使ってもらい、相手が求めているものを表現するために、何が求められているかを感覚的に理解するの。自分で服を選ぶわけではなく、モデルとして服を見せるわけだけど、相手の求めているものに黙って自分らしさをプラスするという責任があるの。

ほんのちょっとしたことだけど、ずっと仕事をもらえているのだから、私のやっていることはきっと正しいはずね。論より証拠で、私はあのファッション業界で、70年に渡って何とか仕事をさせてもらっているんだもの。私の居場所を見つけてくれたことに対して、業界のすべての人々に感謝しているわ。私はいつも、自分の人生の中にその人たちの居場所を見いだし続けているの。それがいい取り引きというものよ。

初めてVOGUEの表紙を飾ったときのこと

――あなたが初めてVOGUEの表紙を飾ったときのことですが、嬉しくて得意な気持ちでしたか?

カルメン:自我を確立するまでには、長い時間がかかったわ。覚えているのは、57番通りで市内横断バスを降り、エセルダ・ブレイブトリーのところへ土曜の水泳教室に行こうとしていた時のことよ。そこにニューススタンドがあり、店の人がロープで縛ってあるVOGUEの束を地面に放り投げたの。その表紙を見てびっくり仰天してしまったわ。「あの、その束すぐに解くんですか?」と尋ねたの。だってね、1947年のことよ。私は31年生まれだから、当時何歳かしら? そうねえ、いまから話そうとしているその時のことを考えると、もう少し賢くてもいい年頃ね。

ニューススタンドの店主の男性は、私がVOGUEを買いたいのだと思ったわ。私は積み重なっているVOGUEの一番上にある1冊を手に取り、その下のやつはもうちょっとマシだといいけど、なんて思ったの。あの時は、わかってなかったのよ (笑)。だってその表紙が気に入らなかったんですもの。嫌だったわ。もちろん、今は進歩したからシックで素敵だと思うけど……美的感覚が育ち磨かれるのには時間がかかるわ。良いものというのは、育み、学び、身につけ、理解する必要があるの。

髪を上げていたので、自分のことを小さな男の子みたいだと思ったわ。今でもそうだけど、普段はいつも髪を上げてまとめているの。プライベートでは、髪をバレリーナみたいに真ん中で分けて小さなお団子にして小ざっぱりとね。そうすると雨の日でも何ともないわ。

髪を上げていたのと、それにすごく変な感じだったのは、唇に色がついていたの。ブルーメンフェルドの表紙だったわ。当時は全然お化粧をしていなかったから、口紅を付けた自分の顔は見慣れていなかったのね。髪にはヴァン・クリーフのジュエリーをつけていたわ。

――その時のポーズを、 もう一度やってみていただけませんか?

カルメン:こんな感じよ。手はここ。クリップの1つはもう髪につけて、髪はこうやって後ろにタイトにまとめて。髪だけはちょっとした自慢だったの。胸がぺちゃんこでやせっぽちだったから、髪だけは長く伸ばしていてね。まだ男の子のことを考えたりもしなかったわ。ただ誰でも彼でも好きになっちゃうの。街角の食料品店のお店の息子とか、街中の知らない男の子とか、後々建築家になったラリー・オルドリッチとか、ファンタジーの世界に生きてたのね(笑)。

――今ご自分の写真をご覧になって、あるいは撮影後などにご覧になったとき、自分に対して非常に厳しい目で評価しますか、それともあるがままに写真を受け容れるようになりましたか?

カルメン:あのね、70年の間に私は偉大な芸術家たちと出会ってきたわ。リーバーマンにブロドヴィッチ、もちろんアヴェドン、デルジンスキー、パーキンソンとコレクションをやったこともある。一流の芸術家たちと仕事をしてきて、その影響を受けてきたの。たとえば縫製やパターンメイキングを始めたのも、私の中に表現すべきデザインのセンスがあるからだわ。時にはそれは家の中や、作る料理、生活にも多く表れる。私は自分自身をデザインするの。

誰でも、自分の人生を再構築する自由があるわ。自分の家のことを考えてごらんなさい。いつか部屋をリフォームしたいとか思わない? ほら、今度は自分の人生を考えてごらんなさい。マンネリ化はいけないわ。ずっと最悪の気分が続いているとしたら、自分で変えられるはずなのに、見ようとしていないものが何かあるはずよ。排水溝が詰まるようなもの。修理してくれるロト・ルーターが必要なのよ。

中に入って行って、詰まったものを取り除き、前へと進み、やる気を奮い起こすの。ほんの些細なことから始められるわ。外を歩くとき、町行く人々に笑顔を向けてごらんなさい。人に親切になさい。そうするとどうなるか、まずは手始めにやってみるのよ。相手が笑顔を返してくれるか、会話が始まるか、やってごらんなさい。目を使い、耳を使い、そして心を開いて耳を傾けるのよ。

私は、常に進み続ける

――写真を力強いものにする要素は何でしょうか?

カルメン:物語を語り、想像力を刺激するかどうか。嬉しい気持ちになったり、心の琴線に触れ、美的感覚をくすぐられる。力のある写真は人をいい気分にさせるもの。私にとっては、ある種の清浄ね。人がごった返している写真であっても、清らかさを感じられるようなもの。それを見た人が理解すべき物語を語っているものが力強い写真だと思うわ。

レイアウトに関しては個人的な好みがあって、デザイン的な意味で、目で見て気に入るものというのがあるの。建物に入っていって、このアパートが好き、あのアパートが気に入った、というとき、自分の感覚の中心に何か響くものがあるのよね。天井は高い方が好きか、それとも低い方が落ち着くのか。日当たりのいい部屋が好きなのか、ひんやりとした北向きの部屋の感じが好きなのか。

そういったこと全てについて、自分の好みを知り、またそれがどう変化するのかを知らなくてはならないわ。

私は満足しすぎると、その瞬間に退屈してしまうの。だから、意図的に新しくてやりがいのあることに取り組むようにしているわ。大抵は誰かと一緒にね。自分の生活では動くことがないので、人と一緒に旅行するの。友達は何よりも大切よ。

良い友人になることはとても大事なこと。愛するというのはとても簡単なことで、利己的なことだわ。相手が求めている愛し方で、人を愛することができるようになるというのが目指すべきところね。それには大いに与えること、大変な根気、そして十分な理解が必要よ。

愛という言葉は散々もてあそばれ、使われ、あふれかえっているけれど、他人にとってはどんな意味を持つのかしら? あなたにとっては? 愛とは何かしら?

――一緒に仕事をする人たち、とりわけカメラマンとの間の信頼関係はどのぐらい重要なものですか?

カルメン:私の方が、相手からの信頼を期待することはできないわ。ただ、その必要があれば、常に私の方がまず最初に行動に移すのよ。たとえお互いにでなくても、まず自分の方が相手を信頼し、相手が違った面を見せてくれるまでそうするの。

自分のことを他の誰が何と言おうと気にしないわ。それは私の事実ではないのだから。自分自身を知るべきで、集団に属したがって、他の人たちが信じているからという理由で信じるようではいけない、というのはそういうことよ。私は必ず、相手のバックグラウンドを知ろうとするの。それをしないときはトラブルになる時よ。自分がわかっている自分のあり方に見合うよう、油断なくカルメンに気を配っているんだけど、時々手に負えなくなることもあるのよ(笑)。

いつも正直に、間違った考えを認め、どこで誤解してしまったのかを見極めるわ。自分のやり方を正そうとするの。自分なりの些細なやり方を正して、前に進むのよ。

私は、常に進み続けるわ。人生を愛しているか? 心から愛しているわ。呼吸をすることが好きかしら? 人を愛することが好きかしら? この地球が好きかしら? ええ、大好き。そして、私は最高の形で貢献したいと思っているし、その方法を知っているわ。正しいやり方でやっていけば、その過程で、求めるものは与えらえるのよ。これまでの私がそうだった。不安でいっぱいの幼い少女だったカルメンに、なかなかよくやったわよ、って優しく背中を叩いてあげたいわ。

パーソルが、社会で新たに頑張って、人生でしたい何か選択しようとしている人たちを支援するのは素晴らしいことだと思うわ。勇気が必要ですし、良いフィードバックを得られる。そしてそれは、とても世の中の役に立つことだわ。

私の人生で大きな力添えとなったのは、ビジネスや多くの知識を持ちあわせ、私にふさわしいことにつてのより良い視点を持っている人たち。私には業界にそういった力添えが常にありましたが、世界中にそんな支援をしてくれる業界があるわけではないでしょう。

パーソルの経営陣とお話をして、私のバックグラウンドを知ってもらい、どう感じるかを聞いたら実に面白そうだわ。私の人生においても、今回の仕事はとても幸せで、とても満足度の高いものとなるでしょう。パーソルは、たくさんの私のかけらを上手く整え、大きく飛躍させてくれるはず。私も皆さんと同じように、常にさらなるものを追い求めているの。おそらくもっと提案してくださるかしら。そういう対話はいかがですか? 私にはその気がありますよ。