logmi・ログミー

世界をログする書き起こしメディア

「決して自らを変えようとしないこと」 他人と心からつながり合うための、たったひとつの真理

「決して自らを変えようとしないこと」 他人と心からつながり合うための、たったひとつの真理

自信の無さが「恥」を生み、恥への恐れから他人への批難が生まれ、ネガティブな感情を避けるその悪循環はやがて、自らの感情を麻痺させる。傷つくリスクを負ってでも自分をさらけ出すことが出来れば、社会問題すら解決されるだろう。「傷つくこころの力」を説き、全米に大きな反響をもたらしたブレネー・ブラウン教授の講演です。(TEDxHouston 2010より)

スピーカー
ヒューストン大学 教授、作家  ブレネー・ブラウン(Brené Brown) 氏
参照動画
Brené Brown at TEDxHouston

ものの捉え方ひとつで、人生が変わった

ブレネー・ブラウン氏 数年前のことです。講演会をするに至り、講演の企画担当者である女性から電話がありました。「フライヤーにあなたの紹介をどうやって載せたらいいか悩んでるのだけど」。何について悩んでいるのかしら、と私は思いました。 彼女は続けます。「あなたの過去の講演を見ても、あなたが研究者であることに間違いはない。でももし研究者としてあなたを呼んだら、なんだか真面目で話も退屈な感じがしすぎて、誰も来なくなってしまうんじゃないかなって」。 (会場笑) 「そうねぇ」と私は言います。「でもあなたの話が面白いのは、あなたの話し方がとても上手だからなのよね。噺家、物語を読む人、つまりストーリーテラーって感じで。だから、あなたのことはただ”ストーリーテラー”と紹介しようかと思うの」。 ここでアカデミックな学者としての私は「なんでストーリーテラー!?」と心の中で突っ込みます。「ストーリーテラーとあなたを呼んでもいいかしら?」彼女は言います。私は「もういっそのこと魔法の妖精さんとでも呼んでくれ……」と思い、 (会場笑) 「少し考えさせてもらえるかしら」と言いました。よく考えました、自分がアカデミアなのかストーリーテラーなのか。そして、あぁ、私はストーリーテラーなの!? と思いました。 インタビューをしてその内容を考察するのが私の仕事。人々から彼らのストーリーを聞いてまわる、それが私の仕事。私は研究の為のインタビューデータを集めるけれど、それも言い換えれば人のこころ、魂がこもった「ストーリー」に違いはない。確かに、私は「ストーリーテラー」なのかもしれない。 そして私は決心し、彼女にこう告げました「ねぇ、わかったわ。それじゃあ私のことは研究者でストーリテラーと紹介してもいいわよ」。「(笑)。やだなー。そんなの意味がわからないじゃないですかー」。 (会場笑) というわけで、私は研究者で噺家、物語を読む人、ストーリーテラーです。そしてその私が今日皆さんにお話するのはものの捉え方をどう広げるかです。研究を続ける中で発見した、ものの見方、ものの捉え方についてもお話します。この発見は私の生き方、愛し方、仕事の仕方、親としての価値観までをも変えました。

人間関係がすべての基盤をつくる

BB2 それでは私のストーリーをお話しましょう。まだ私が若い博士号過程の一年生だった頃、ある教授が言いました。「よく聞いて! 数値化できないものは存在しない」。最初私は、この教授はただ格好つけて言っているだけなのかなと思い、「本当にそう思いますか?」と尋ねると、「絶対にそうに違いない」と断言しました。 私は四年制大学をソーシャルワーク専攻で卒業後、同じくソーシャルワークで修士号を取り、そして当時、またこれもソーシャルワークの博士号取得過程にいたのです。つまりアカデミックなキャリアの中で私は常に「人生というのは厳しいものだ。でもそれが面白い!」と言う人々に囲まれて来たのです。 私としてはそこから進めてこんな風に思います。「人生というのはハチャメチャだ。それを弁当箱にきちんと収まるように整理整頓しようじゃないか」。 (会場笑) それが私のやり方です。そしてそれを実践できる場として、ソーシャルワークは私の天職です。ソーシャルワーク分野でよく言われるのが、「仕事をする中で目を逸らしたくなるようなことにも身を預けてみよ」です。私は自分に、「目をそらしたくなるような問題を解決し、そしてそれを完璧にやり遂げるのだ」と言い聞かせてきました。 私はこれにとてもわくわくし、「これは間違いなく私の天職だ。だって私は皆が背を向けるようなハチャメチャな話が大好きだもの」と思ったものです。そしてハチャメチャなことをどうにか良くしたい、どうしてそうなるのか理解したい。社会の重要な問題をきちんと順を追って説明できるように、皆が理解出来るようにしたいと強く思ったのです。 BB3 研究を進めるにあたり、まず初めに私が理解したいと思ったのが、人と人とのつながりについてです。ソーシャルワーカーを10年もやっていると、人との関わりが全てであると痛感します。人間関係が私達の生きる目的や存在意義をもたらすのです。人間関係がすべてです。社会正義や公正、メンタルヘルスや虐待やネグレクト問題等、あらゆる分野で鍵となるのは「人と人の関わり」です。 神経生物学的に見ても、他者とのこころの触れ合いを感じることが出来る能力を基盤として、私達は生きています。というわけで私は人と人のこころの触れ合いを理解することから始めようと思ったのです。 上司から評価される時、例えば彼女が37の項目について「素晴らしい! この調子で!」とあなたを褒めたとしても、たったひとつの項目に「今後の成長に期待する」と評価がついたら、あなたはどうしますか? (会場笑) もう褒められたことなど全て忘れて、たったひとつの「今後の成長に期待する」の項目についてばかり考えてしまうのではないでしょうか? 私もソーシャルワークの世界で同じ状況に出会います。例えば、人に「愛」について尋ねると、彼らは失恋や愛に裏切られたことばかり話します。 他にも、所属・帰属感について尋ねると、グループから受け入れられなかったこと、人から拒絶された経験についてばかり語ります。そして人とのこころの触れ合いについて尋ねると、彼らはいかに自分が他者とこころの触れ合いを持っていないかについて語るのです。

「恥」とは、人間関係を損ねることへの恐れ

研究を初めて6週間が過ぎた頃、なんと呼べばいいのかもわからない、理解の範囲を超える、そして今までに見たこともないやり方で人と人とのつながりを理解しました。研究から一歩引いて考えてみる必要がありました。結果、答えは「恥」の感情でした。 BB4 人との関係をこじらせることへの恐れが「恥」です。自分が気が付いていないだけで、人と関わるに値しない何か、人から嫌われる、疎まれる何かが自分にはあるのではないだろうか? こんな風に誰もが一度は思うものです。一度も「恥」を感じたことがない人、一度も不安になったことがない人は、人間らしい共感のこころや人間関係を築く能力に欠いた人だけです。 自分の自信の無さや「恥」について語りたがる人はいません。しかし、自分の弱点や自分が「恥ずかしい」と引け目に感じていることを隠せば隠すほど、自らの弱点を引け目に感じる気持ちは強くなるばかりです。 「自分なんかに出来ない、自分なんかダメだ」。例えば、「もっと完璧にならなきゃ」「痩せなきゃ」「お金を稼がなければ」「美しくならなければ」「賢くならなければ」「もっと上に行かなくては」と、このような具合に誰もが感じています。 このような気持ちはすべて自信の無さに裏付けされています。人から認められて愛される為には「もっと素晴らしい人」にならなければならないという信念から「恥」が生まれるのです。人とこころを通わせる為には、私達は自らをさらけ出す必要があります。 BB5 とは言っても、私は自分の弱さをさらけ出すことがとても苦手です。「これは人に弱みを見せることが出来るようになるチャンスだ! 学術的に測定して、弱みを見せることについて解明してやる! 1年で絶対に結果を出す! 恥の感情を徹底的に研究して、人に弱みを見せることとの関係性について追及してやる!」と意気込んだわけです。 もう皆さんなんとなく察して頂いたかもしれませんが、そうは問屋が卸しませんでしたね。 (会場笑)

自己価値を認められる人は、愛を信じられる

皆さんも意気込んで始めたことが思うようにならなかった経験がおありでしょう? 「恥じる」ことについてもっと詳しくお話したいところですが、時間がありません。しかし、これだけは言えます。恥じる感情についての発見は、研究を続けてきた10年間で学んだもっとも重要なポイントです。 bb1_R 当初1年を予定していたのが、結果6年をかけて何千ものストーリー、何百ものインタビューやフォーカスグループを行うこととなりました。この間のある時期には、多くの方から個人の体験や専門誌の記事を送って頂きました。そして何千ものデータが6年間で集まりました。この膨大なデータから私はなんとなく事を理解し始めました。恥じる気持ちはどこからやってきて、どのように作用するのかを。それについて本を出版し、セオリーを発表しました。 しかし何かが違う。実は自己信頼感、自分は価値のある人間であるという信念が本当に重要なポイントだったのです。インタビューをした人を「自分は価値のある人間である」と信じている人と、自分を信じられない人に分けてみると、自分を信じられない人が常に「自分なんて……」と感じているのに対し、「自分は価値のある人間である」と信じている人は愛を信じ、強い帰属意識を持っているということが明確になりました。 愛を信じて強い帰属意識を感じている人と、人の愛に飢えている人の違いはひとつ。自分は愛されるに値する人間であると信じるか否か、たったそれだけです。自分は愛されるに値すると信じている人が、人とこころが繋がっていると感じる人なのです。 個人的にも専門家としても、私達が人の愛ややさしさに値すると信じなければ、自分には何の価値もないという恐れが人とつながることができない原因となる過程を、もっと良く理解しなければならないと思いました。そこで、行ったインタビューの中から自己信頼感が読み取れる人々のデータのみを取り出してよく考察してみることにしたのです。 彼らに共通するものは何か? 私、実は文房具に目がないんです。まぁ、これはまた別の話になってしまいますが(笑)。手元にはマニラフォルダーとマーカーがある。さて、この研究をなんと名付けようか? 最初に思い付いたのは、「健康なこころ」です。私がフォーカスしていたのは「健康なこころ」を持ち、自己信頼感に溢れる人達だったからです。 そこでマニラフォルダの上部に「健康なこころ」と書き、データの考察を始めました。すでに最初の四日間ですべてのデータを注意深く見てはいたのですが、また始めからインタビューを見直して、ポイントとなる話の件を引き出していきました。共通するテーマはなんだろう? パターンはどこにある? この間、夫は子供を連れて旅行に出かけました。 (会場笑) 家は私の研究データや走り書きでジャクソン・ポロック(抽象表現主義の代表的な画家)のアートのように散乱していたからです。私は完全に研究者モードに入っていました。そして導きだしたことは、彼らには共通して勇気があるということです。勇気と勇ましさはここでは分けて考えたいと思います。 英語の勇気(courage)は、ラテン語のcor -ハート/心臓― から来ています。そして勇気(courage)の元々の意味は「健康なこころ」で、嘘偽りなく自分の物語を語ること、です。つまり、自己信頼感に溢れる人々とは、不完全である自分を受け入れる勇気がある人々を指します。彼らはまず自分を大切にし、それから他人も大切にします。 私達は自分にやさしくなることが出来なければ、他人にやさしくなることは出来ません。そして、彼らは人とのつながりを持っている。人とのつながりを真の意味で築くことは容易くありませんが、彼らは嘘偽りない「真の自分」をもって他者とつながりを築いているのです。彼らは自分以外の何者かになろうとすることはありません。これが人とこころを通わせる為の鍵です。

「健康なこころ」の持ち主は、自分から告白できる

更に彼らに共通して見られたのはこれです。自分の弱さをさらけ出すことを良しとしている点です。 BB7 彼らは傷つくことを良しとし、弱い自分を受け入れています。傷つくことが素晴らしいだとか、傷つくことは耐えがたいなどと言ったりしません。彼らはただ、時に傷つくこと、弱さを見せることは必要不可欠であると言っているのです。彼らは相手が真剣に自分のことを想っているのか、同じ気持ちかどうかわからない段階で、先に好きな相手に「愛してる」ということが出来る。 つまり、彼らは上手く行く確証がない段階でも行動を起こすことが出来る。医師の診察から乳がん検査結果報告まで、落ち着いて待つことが出来る。結婚まで行き着くかわからない恋愛関係でも、真剣に相手に尽くす。未来の保障がなくても、先がどうなるかわからなくても今を見て行動を起こすこと、これが彼らの信念です。 個人的に、こんな結果は予想しておらず裏切られた気分になりました。私は研究にこの身を捧げている人間です。研究の定義とは、社会現象を解明する為にきちんと方向性をコントロールし、結果を予測することです。 つまり、研究者としての私に要求されるスキル ―物事をきちんとコントロールし、結果を予測すること― を使って研究した結果、弱さを見せてもいい、傷ついてもいい、物事をコントロールしようとするのをやめなさい、常に結果を予測しようとするのはやめなさい、という答えが導き出されたのですから。これには少し落ち込みましたね。 BB8 (会場笑) BB9 いや、こんな感じでしょうか? (会場笑) 本当に落ち込んだんですよ。私はこれを挫折感と呼びますが、私のセラピストはこれはスピリチュアルな人生のお告げであると言いました。でも、あれは間違いなく挫折感以外の何物でもなかったと思います。そこで私は研究から離れて、セラピスト探しに走ります。

心の弱みを見せる難しさ

少し話がそれますが、友人にセラピストを紹介してほしいと声をかけた時に彼らの反応から「本当の自分」がわかります。私は5人くらいの友人から「うわー、あなたのセラピストになる人はかわいそうだー」と言われました。 (会場笑) 「どういうことよ?」と私が聞くと、彼らは「ちょっと言ってみただけだけど、わかるでしょ? ものさしは持っていくんじゃないよ」と言われたので、わかったわ、と私は返しました。そして私はセラピストを見つけます。私のセラピスト、ダイアナとの初めてのミーティングには「健康なこころ」を持つ人々のデータを持っていきました。 私は座り、彼女が「こんにちは、調子はどう?」と尋ねます。「はい、良いです、大丈夫です」と私は言います。「今日はどうしたんですか?」と彼女。彼女はセラピストを診るセラピストです。セラピストを診るセラピストなら、変にやさしく下手な芝居を打ってこちらのこころを開かせようとしたりするのではなく、プロとして私の問題と、そういった感情を交えたネチネチしたこと一切抜きで向き合ってくれると思ったからです。 (会場笑) 「実は困ってるんです」と打ち明けました。「何に困っているのでしょうか?」と彼女。 「実は私は、人に弱みを見せたくないと常々思っていまして。恥じる気持ちや恐れ、己の存在価値の不確かさのコアの部分は人に弱みを見せることと深く関係していることを知っています。しかし、どうやら人に弱みを見せると人生の喜び、クリエイティビティ、帰属感、そして愛の恩恵が受けられるようなのです。どうしたらいいんでしょうか? 助けて下さい! あ、でも家族のトラウマとか、幼児期のトラウマとか、そういう話は一切なしでお願いします!」 (会場笑) 「ちょっとこの問題解決の為の対策を、一緒に考えて欲しいだけなんです」。 (会場拍手・笑) そう言うと彼女は共感を示すかのように深く何度もうなずきました。私は尋ねました。「私、結構大変なことになってます? 間違ってます? これって悪いですよね?」、彼女は言います「悪いとか良いとかそういうことではないんですよ」。 (会場笑) 彼女、「あなたが思う通りでいいんですよ」。私はその時思いました。「うわー、これはマズイことになりそうだ……」。 (会場笑) ある意味ではもう最悪でしたが、ある意味では実りある経験となりました。約1年、彼女に会いました。ある人々は、人に弱みを見せることが出来る人間であることが大切だ、と気付いた時に自分をそのように変えようと努めます。まず第一に私はそのような素直なタイプではないし、第二に私はそういうタイプの人とは付き合いません。 (会場笑) 私にとって、セラピーに通った1年はストリートファイトのようなものでした。激しくボコボコに殴り合うケンカのようなものです。「弱みをみせていいんだ」という心の声が現れる度に、私はそれを押し戻しました。心の声との闘いに私は敗れましたが、反面、人生を取り戻しました。

辛い感情を麻痺させようとすると、幸せな感情も失う

その後の二年は研究一筋でした。「健康なこころ」をもった人々を、彼らが人生でどんな選択をするか、そして彼らは彼ら自身の弱さとどう向き合っているのか理解する為に必死でした。どうして自分の弱さをさらけだすことはこんなにも大変なことなのか? 私だけがこんなに自分の弱さを見せることに消極的なのだろうか? 答えはノーです。私達人間は、自分の弱さを見せること、そしてその結果自らを弱い立場に貶めることに関して、どんどん感覚を麻痺させていくことができるのです。 BB10 twitterとfacebookに「あなたが自分を弱い立場に置くこと、自分を傷つきやすくする状況はどんな時?」と書き込みました。すると一時間半以内に150の回答が届きました。SNSに書き込んだのは、皆がどのように感じているか知りたかったからです。 「私は新婚ですが病気を抱えている為に、夫に助けを借りなければならないこと」「セックスに夫/妻を誘う時」「断られた時」「誰かをデートに誘う時」「医者からの電話を待つ時」「一時解雇された時」「従業員を一時解雇する時」等。これが現実です。私達は常に傷つくリスクがある世界に住んでいます。そして、そんな世界で生きていく為に、私達は傷つく気持ちを麻痺させていくのです。 その証拠に、このことだけが原因ではありませんが これが大きな原因のひとつである事象があります。私達の世代はアメリカの歴史の中で最も負債を抱えた人、肥満の人、依存症の人、治療投薬に頼っている人が多いグループなのです。問題は、自分が好まない感情だけを選んで麻痺させることは出来ないという点です。 BB11 自分にとって都合が悪いこと、例えば自分の弱さ、悲痛、恥、恐れ、落胆等を人は感じたくないものです。そこで私達は嫌なことを忘れる為にビールを飲み、バナナマフィンを食べます。 (会場笑) ネガティブな感情は感じたくない。皆さんが今笑ったのもその通りだからでしょう? うわー、大変な世の中だ……。 (会場笑) 辛い感情だけを麻痺させることは出来ません。つまり、辛い感情を麻痺させて忘れようとすると、喜びも感謝の気持ちも幸せな感情までも麻痺させてしまうのです。すると私達は悲観に暮れて、人生の意味や目的を探し求め、そのプロセスでこころが弱くなり、最終的にビールやバナナマフィンに頼ることになるのです。これはとても危険な悪循環です。私達はなぜ、どうやって感情を麻痺させるのか考えてみる必要があります。 これは別に、何かの依存症になる必要はありません。私達は不確かであるすべてのものを確かなものにしようとします。宗教、神はミステリーと信条の時代から「確かに存在するもの」になりました。世はこんな風です、「私が正しい、あなたは間違ってる。だからちょっと黙っておけ」。 BB12 皆がわかったようなことを言う。「なんだか理解・予測できないもの」への恐れを抱くと、より傷つきやすく、自分を弱い立場に貶めます。今の政治を例に取っても同じことです。そこに話し合いは存在しない。ただお互いの非を責めあっているだけです。非難しあう人々の”様”は、彼らがどのようにこころの痛みや不快感を発散するかに現れます。 私達は完璧を求めます。私はこの絵のようにきれいにまとまった完璧な人生を求めていますが、人生はそんな簡単ではありません。 BB13 より完璧に近づくためにどうしたらいいかと考えた結果、私達が思い付くのはお尻から脂肪を取って頬に注入することですよ? (会場笑) 百年後の人々がそんな私達のことを知って、「世も末だったんだな……」と思ってくれるといいな、と思います。 (会場笑) 最も危険なのは、私達が子供に完璧を求めることです。子供はこの世に誕生した瞬間から、困難に直面しています。生まれてきた子供を抱きながら、「なんてかわいい子なのかしら。完璧ね。私はこの子を完璧な人間に育てる使命がある。五年生までにテニスクラブに入れて、中学生になったらイエール大学に入学させるわ」などと考えないことです。それは間違っている。 (会場笑) 私達はこう子供に言い聞かせるべきなのです、「ねぇ、あなたは完璧じゃない。あなたの人生は困難の連続でしょう。でもあなたはとても愛されていることを忘れないで」。こんな風に愛を注がれて育った人々ばかりになれば、私達が現在直面している社会問題は解決するでしょう。 BB14 私達は自らの言動が他者に及ぼす影響力を見くびっています。個人的な人間関係でも、巨大な企業の中でも。財政援助でも、石油流出でも、リコールでも。私達は私達が何をしようと他人に迷惑はかけていないと思いこんでいるのです。企業ももうわかっているはずです、何回同じことを繰り返すのでしょうか? 私達はただ企業が正直に、素直に「申し訳ありませんでした。これから私達は問題解決に努めます」と言ってほしいだけなのです。

ありのままの自分をさらけ出せば、自分も周りも優しくなれる

または、社会問題を解決する為にこんな方法もあります。最後になります、聞いてください。まず、弱みを見せて自分が傷つくかもしれないリスクを負うほどに自分をさらけだしてください。 BB15 BB16 そして損得勘定抜きに「健康なこころ」でありのままを愛してください。例えそこに何の保証や見返りがないとしてもです。子を持つ親として、これがいかに難しい注文なのかは百も承知しています。本当に難しいことです。 BB17 例え恐れを感じても、そこに感謝と喜びを見出してください。「こんなに愛して裏切られないだろうか?」「これに全てを賭けて、もし失敗したら?」「こんなに大胆に行動を起こしても大丈夫だろうか?」。こんな感情を抱くとき、先に起こるかもしれない最悪の事態ばかりに捕われず、「なんて自分は幸せ者なんだろう。こんなにびくびくと怖がることが出来るなんて、頑張って生きている証じゃないか!」と言うのです。 BB18 最後に一番大切なことは、皆さんはそのままの自分で良いのです。「私は私でいいんだ」と思うことが出来れば、私達は罵り合いをやめて、お互いの話を聞くようになる。私達は周りの人にもっとやさしくなれる。そして私達は自分自身に対してもやさしくなることができるのです。ありがとうございました。

  
※ログミーでは、TED Talksおよび各TEDxの定めるCCライセンスを遵守し、自社で作成したオリジナルの書き起こし・翻訳テキストを非営利目的のページにて掲載しています。
×
×
×
×
×
×
この話をシェアしよう!
シェア ツイート はてブ
「決して自らを変えようとしないこと」 他人と心からつながり合うための、たったひとつの真理

編集部のオススメ

おすすめログ

人気ログランキング

TOPへ戻る