プロデューサーの存在の大きさ

別所哲也氏(以下、別所):今日ここにいる映画監督・映像作家もそうだと思うんですけど、自分1人ではできないからプロデューサーの力がすごく大きいと思うし、プロデューサーの存在は大事だと思うんですけど、この人になかなか巡り会えないと思っている人が多いと思うんですよ。これどうしたらいいですかね?

もちろん答えは1つだけではないでしょうけど、是枝監督の場合もその方との出会いがあるわけで、これはもう常に「ここに俺がいるぞ」「私がいるぞ」って言い続けない限りは難しいと思うんですけど。

是枝裕和氏(以下、是枝):そうなんだよね。でもそういう意味で言うと、人には恵まれてたと思いますよ。困っていると誰かが連れてきてくれるんですよ。

別所:でもそれは監督が信号を出していたからではないですか? 「俺は映画撮りたい」とか、「こんな脚本書いてる」とか、それを言わないでずっともしテレビのディレクターだけをやり続けていたら、その出会いってなかなか。

是枝:そうですね。でもそれはだから僕がテレビマンユニオンの中でもっとうまく立ち回れていれば制作会社の人間って制作会社の中の人間関係だけで番組を作ることができて。今はとくにそうだけど、企画は企画部が持って行っちゃっちゃうし、予算の交渉とかプロデューサーがしちゃうから、ディレクターが独立していると思われがちのテレビマンユニオンでさえ社内の人たちだけで番組作りをしている。非常にクローズドになっているの今。良くないと思うけど。

ただ僕は仲間がいなかったから、外で探すしかなかったんですよ。だから局のプロデューサーと直でやり取りするとか、映画は1本目はテレビマンユニオンがお金を出してくれているからとてもお世話にもなって感謝もしているけど、感謝していない部分もたくさんある。うまくいっていなかったから外に向かわざるを得なかったっていうのがすごく大きいの。

それがあったから1本目の映画のカメラマンさんの中堀さんが「安田さん紹介するよ」って紹介してくれて、その1本目の脚本を読んでくれた安田さんが「いまどきこんなものをやろうとしてるやつがどんな顔をしているのか見に来た」って会いにきてくれて。

すごい口の悪い人なんだけどご飯に連れていってくれて「どうせろくなもの食っていないんだろうからうまいものご馳走してやる」って。

僕だけじゃなかったの。何人か僕と同世代の監督を集めて定期的に飯食わしてくれて。それで「いまなにがおもしろいと思っているんだ?」ってみたいな。彼は彼なりに情報収集をいろいろしていて、相性の合った人間のサポートをしよう思ってたと思うんだけど。

僕はたまたまそこで安田さんと(相性が)合ったので『ワンダフルライフ』という2本目の映画は安田さんが半分お金を出してくれて。そこから亡くなるまでの2009年までは、基本的に安田さんと相談してからしか企画を決めてなかったんですよ。結構わがままにやりたいものをやりたい順番にやりたい規模で通させてもらってた。亡くなるまでは。

別所:そういったパートナーというか、ソウルメイトというか、そういう人がいたからこそっていうのは見えてきました。その先に行きたいんですけど、世界を意識したのはいつからですか? 実際に作品を出品しよう。あるいは誰かから声をかけられて「カンヌに行ってみないか?」。

是枝:それはもう1本目から。

別所:1本目から。

是枝:でも1本目は、それこそ無名の監督が、当時江角マキコさんってまだデビュー前で、モデルさんだったので、無名の新人が主演で、という映画を、実は配給会社も決めずに、予算も集まっていない中で撮っちゃったんですよ。

別所:(笑)。それどういうことですか? 撮れちゃったってことはある程度の実弾っていうか、実弾って表現はよくないですけど、資金があってってことですか?

是枝:1億で撮ろうって話をプロデューサーとしてて、5,000万はテレビマンユニオンが創立25周年記念企画で、その当時の社長に先見の明があったと思うけど、番組制作会社はこのまま受注制作だけでは生き残っていけないから、自分のところに権利を残して放送だけではないコンテンツを作らなければいけないという意識を持った社長だったの。そこに僕らが映画を作りたいという企画を出したら「5,000万は出資するから残り5,000万はよそで集めてこい」って言われた。でも集まらなかった。でも撮っちゃった。

別所:その半分の資金でとにかくなんとか?

是枝:僕の中には確信があって、いいものが撮れるから、撮れたら大ヒットして回収できるし、お金出す人はいくらでも出てくるという。でも今それをやったらアウトだから。だから見切り発車もいいとこですよね。それでつくっちゃたんですよ。

別所:何歳の時ですか?

是枝:31歳ぐらいです。

ベネチア映画祭での受賞

別所:その作品が?

是枝:それが『幻の光』で、できあがって試写をはじめても誰もお金出してくれなかった。配給も決まらなくて。でも、その時も観てくれた東京テアトルの有吉さんと、その後監督になる榎本さんの2人が試写を観てくれて、「テアトルでかけてもいいけど、もしかすると、うちでかけるよりも、これから渋谷にシネアミューズという劇場を開こうとしているシネカノンの李さんというプロデューサーがいるから」。

別所:あー出てきましたね、李さん。

是枝:「李さんが気に入れば、そこでかけた方がこの映画のためにはいいんじゃないか」っていうすごいことを言ってくれて、李さんを連れてきてくれたんです。

観てもらったら「やりたい」「劇場のこけら落としで」って決めてくれたの。だからそれもやっぱり人づてなの。そしたらたまたまテープを送っていたベネチア(映画祭事務局)から連絡が来て。

別所:そこです! そのたまたま送っていたってよく聞くんですけど、たぶんみんなもそこ一番知りたいと思うんですよ。「たまたま送っていた」ってどういう状況なんですか?

是枝:今はキャリアが積まれたから通常窓口ではない窓口から出品しているんですけど、別にズルじゃないですよ。エージェントを通して。

別所:是枝監督クラスになるとカンヌも「次の作品はなんですか?」っておっしゃってくれる可能性もありますし。

是枝:担当者が日本に来た時に、一応次こういうもの撮ってますとか、試写室に来て観せたりとか、軽く振りはしておいて、できあがった時にはフランスにいるセールスエージェントを通しての出品っていう、ある程度階段を上らせてもらったところから出させてもらっているんだけど。

最初まったくそんな伝手もなかったから、でもテレビのディレクターだった時代に、台湾のホウ・シャオシェンとエドワード・ヤンという2人の監督を取材したことがあって、それでホウ・シャオシェンに「将来的には映画を撮りたいんだ、それで今こういう企画の映画を動かしているんだけど」って話をしたら、なぜかわかんないんだけど「ベネチアへ持っていけ」「それベネチアがいいよ」って言われたの。もうホウ・シャオシェン大ファンのだからさ。その彼がベネチアだって言ってるからベネチアだっていうただの思い込みですよ。

別所:じゃあカンヌじゃなくて、たまたま思い込みかもしれないけどエントリーしたんですね?

是枝:エントリーしました。たまたまでき上がったのが6月だったので、カンヌは終わってましたから、そこから公開までの時期の中で一番大きな映画祭がベネチアだったので。もう消去法でベネチアしかなかった。ベネチアもなにか賞にからんで凱旋興行にしないと成立しないだろうという非常に内向きな、映画祭でUターンしてくる感じだった。

今はもう映画祭はスタートで、そこから世界中のより遠くへ自分の映画を届けていくための中継地点だと思っているけど、そのときは映画祭に出品してどう日本の宣伝効果に利用するかっていう今からいうと間違った映画祭のとらえ方をしていたんです。それで事務局あてにVHSテープを送っただけなんです。

そしたら国際電話がかかってきて、向こうもこっちも片言の英語で、僕がたぶん出たんだと思うんだけど、「この映画の日本の公開はいつか?」っていうことと「他の映画祭(関係者)にみせてないか?」ってことだったの。だから「公開は12月です」「まだみせていません」って答えたら「じゃあ(他の映画祭関係者に)みせるな」って言われたの。

別所:おっ! ここでいくぞと。

是枝:「えっ!? 可能性があるのかな?」っていうことだったんだけど、そしたら決定しましたってファックスが届いて。コンペだったから、びっくり仰天ていう感じ。新人のデビュー作で(世界)三大映画祭のコンペでってなかなかないので。

その辺から、配給が決まり、映画祭が決まり、江角さんが連ドラでブレイクしみたいな感じで、最初は5,000万の使い込みでスタートした映画が急にいい方向に転がり始めたんですよ。短期間の間に、あれよあれよという間に。ラッキーだったなと思いますけど。

別所:そして実際に映画祭に行かれて。

是枝:ベネチアに行きました。

映画祭から先はエージェントが必要

別所:三大映画祭と言われるベネチアを体験された時の感覚って覚えていらっしゃいますか? 今でこそカンヌもそうですけど、当時ベネチアに、ホウ・シャオシェンのアドバイスを受け、実際に作品がいきました。

是枝:楽しかった(笑)。

別所:ベネチアってどんな感じですか? 今逆に振り返れば。今ではカンヌもご存じなんですけど、振り返って当時のベネチアはどうでした?

是枝:今から振り返ってみると、ベネチアはのどかでのんきだし、当時はマーケットっていうバイヤーが集まって映画を売り買いする部門もなかったので、単純に島で行われるのどかな映画祭。カンヌのような競争はない。喧噪もないし。ののしり合いもないし。

別所:ということは逆にカンヌはかなりアグレッシブな?

是枝:カンヌはアグレッシブだな。やっぱりお金がからむからな。マーケットの売り買いが圧倒的に早いから、むしろカンヌはビジネスの場として。

別所:とくに賞をとるとらないを含めてでしょうけど、カンヌでひとかどのポジションになると作品を誰が世界的に配給するかとか? 誰がハンドリングしているとか? アグレッシブだというのは、そういうことですか?

是枝:そうですね。でも最近は継続して買ってくれる配給会社が、セールスエージェントの先にいくつか決まってきてはいるので、そこでの関係はもうベースはあるんですね。なのでカンヌに行ったことを利用してそこの配給会社とのミーティングをしたり、公開がもうすでに決まっていればそこで取材を受けはじめるって作業をしますし。

別所:もっといえば次回作の……。

是枝:話もします。

別所:配給権と、それに関する製作のお金の話をしたりとか。

是枝:金額の話とかは直接しませんけど、エージェントをからめてそういう話をしますし。エージェントはエージェントで映画祭の期間中に、僕の映画をまだ売れていない地域にどう高く売るかということで、前評判と受賞結果は必ずしもイコールにならないじゃない。

だから生臭い話だけどさ、受賞結果が出る前に売るのか、出た後に売るのかって、エージェントの判断で何万ドルも変わってくるんですよ。「これ(賞を)とるな」と思ったときには、粘っといて受賞結果がでてからどんと売るケースもあれば、前評判で売っちゃって、失敗したなって思うか、結果受賞しなくて売っといてよかったねになるか、その辺の判断はエージェントの価値観でやってるからね。

別所:ということはプロデューサーと同時にエージェントと出会うことも大事だってことですかね?

是枝:大事です。エージェントがいなくても映画祭まではなんとかなるけど、映画祭から先に自分の映画をビジネスのまな板の上にのせていくためには、エージェントがついて、各国の映画配給会社と交渉してくれる人がいないと難しい。

本当は日本にワールドセールスをできるだけのエージェントがいればいいんだけど今いないし、やる気もない。今僕が付き合っているのは、フランスのパリにある会社ワイルドバンチか、メメントっていう会社か、エムカドゥとか何社かしか限られちゃうんですよ。

別所:覚えておきましょう。ワイルドバンチ、メメント、エムカドゥ?

是枝:エムカドゥはMK2って書くんですけど。あとなんだろうね。

別所:マッチメーカーじゃなくて、どこだったかな、その3社くらいですか?

是枝:もっとあるんですけど、だいたいアジアとか、系列があるんですよ。この間つぶれちゃったフォルティシモとかはウォン・カーウァイ監督をやってた会社なのね。僕の2作目『ワンダフルライフ』から『誰も知らない』まではセルロイド・ドリームズってところがやっていたんだけども、そこはアート系インディペンデント映画を中心に、僕もそうだし、武さん(北野武監督)も初期はそうですね。キアロスタミもそうですね。ワイルドバンチっていうのはもう少し大きな映画を扱っていたんだけど、だんだん淘汰されはじめていて、僕は『奇跡』以降は全部ワイルドバンチ。

まずそこにみせてどういう売り方をするかとか話し合いをして、主なセールスエージェントはフランスにあるので、カンヌ第一主義っていうのが明解なんですよ。ベネチアに出すくらいならカンヌの「ある視点」ってくらいの価値観で動いているから。それもどうかとは思うんですけど、でもヨーロッパで国内の映画産業がきちんと成立して作品が数多く作られているのって、フランスくらいなんだよね。

やっぱり自国の映画状況というのは、映画祭のポテンシャルに如実に反映するので、イタリア(ベネチア映画祭)とドイツ(ベルリン映画祭)は三大映画祭と言われながらもちょっとずつ落ちて、カンヌの独り勝ちという状態がこの数十年つづいているんですよ実は。

だからみなデビューをともかく(カンヌに)、だから僕も最初フィルムをセルロイド・ドリームズに預けた時「ベネチアでデビューしたのはあなた失敗よ」って言われて。今アジアの監督たちは、とにかくまずカンヌに出して、そこでカメラ・ドール(新人賞)をとって、そのあとベネチアへ行くぶんはいいけど、カンヌが発見した作家であるという認知をまずされた方がいいってことをずいぶん言われて。

若手映像作家が世界にはばたくためには

別所:でも実際には監督はベネチアで出発ですけどカンヌでも上りつめていくわけだし。

是枝:上りつめてないですけど、でも「遠回りだ」って言われて。余計なお世話だと思いましたけど。そう言われました。だからそのへんはもっと多様であってもいいのになって思いますけど。

別所:だからまあ正解は1つでないのかもしれませんけど、今ここにいらっしゃる監督で海外の映画祭にエントリーしたことがあるっていう人いますか?

(会場挙手)

あ、けっこういるんですね。それはショートフィルムの映画祭であるという人? 4人。じゃあ長編の映画祭に出したという人は? それは2人。

(そのうちの1名をさして)どこですか?

参加者1:今年のカンヌに出しました。

別所:今年のカンヌに出した。ダメだったけど出した。もう1人の方は?

参加者2:短編長編両方あるニューヨークの小さなフィルムフェスティバルと、ロスアンジェルスのニューフィルムフェスティバルっていう映画だけではないフェスです。

別所:なるほど。是枝監督、国際映画祭って世界中にあるわけですし、映画祭って20世紀が作り出した1つの装置ですけど、これに関わってきて映画祭の役割ってなんだと思いますか?

是枝:映画という文化の多様性を確保していく場所であるというのが1つあると思います。もう1つ今捨てがたくあるのは、マーケットというのがカンヌなんかでも圧倒的に割合は高くなってきているから作り手からすると、自分の映画をより遠くへ届けるためのプラットフォームであるというのが1つ。

もちろん、そこで受賞したことの波及効果っていうのは国内に戻ってくる。ただ、実際に興行的効果のある映画祭って実は限られてるから。それを考えるならば目指すべき映画祭は、本当に限られちゃうんだけど。

ただ海外を考えた時に、いきなり新人がカンヌでポンと選ばれるかっていうと、あそこは一番権威があるってことで保守的なので、なかなか新人を発掘するかっていうとけっこう難しいんだよね。

デビュー作でいうとどこがいいのかな、深田さん(深田晃司監督)はナント(三大陸映画祭)でしょ。僕も最初にフランスの映画祭で受賞したのはナントだから、ナントの映画祭に出すとか、バンクーバー(国際映画祭)もいいかもしれないし、釜山(国際映画祭)に出すのも手だろうし、映画祭って良くも悪くもピラミッド構造があるから、ロッテルダム(国際映画祭)も今新人あるもんな。

ロッテルダムの新人コンペ、バンクーバー、ナントって階段を上り始めて、10年15年そこで頑張って、三大映画祭のコンペっていうのが現実的なんじゃないかと思う。

別所:今日集まっている若手の映像作家のみさなんにアドバイスするとしたら今言ったような映画祭へのエントリー?

是枝:だと思うけどなあ。国内の興行には関係ないけどね、たぶん。そこで受賞してもニュースにならないかもしれなけど、そうやって認知度を上げて配給につなげていくためには、かなり地道な努力が必要ですし、そこでエージェントや配給会社と出会って継続的に環境を作っていくには、やらないと。日本のこの国の中で待っていても出会いはないので、基本的には。

あとは、川喜多(記念映画文化財団)は送れば預かってくれるのかな。全部預かってくれるわけじゃないのかな。川喜多には試写室があって海外の映画祭のセレクション担当者がそこへ試写を観に来るんですよ。シーズンオフに。

それでその年のめぼしい作品のリサーチをして、もちろんカンヌのアジア担当者の人から事前に連絡が来て「11月なにしてるの? 東京国際で行くんだけどその時に会えない?」みたいな。

そうじゃない場合も年明けくらいには川喜多に来て、完成間近、もしくは完成して字幕の入ってるものを川喜多の試写室で観て帰るっていう。多くの担当者、トロントもそう、カンヌもそうだし。

別所:それは深田さんも言ってましたね。字幕をまず本当につけて、必ず海外の人の目にとまるよう意識をもった制作・作品作りをしていないと、目にとまるものもとまらないしって。

是枝:そうそう。川喜多はもっと使えると思うけどな。使えるって言い方はあれだけど。海外での川喜多の認知度は日本人が考えるより圧倒的に高くて価値があるので、川喜多さんが(作品)を預かってくれると展開がちょっと楽になるかもしれない。

別所:是枝監督から世界を目指すにはどう動くべきかいう話を、テクニック、作法を含めて。

是枝:もっと現実的な話をすると、あとは(東京)フィルメックスだな。東京国際(映画祭)よりフィルメックスの方が僕は圧倒的にいいと思う。フィルメックスには代表の林加奈子さんと市山尚三さんという、日本では珍しい海外に人脈をもっている映画祭のプロデューサーが2人いるから、彼らが気に入ってくれると海外に紹介してくれる。

若手を支援しようとする意識が強いから。海外の映画祭の担当者もあの2人の言うことは信用するっていう日本では珍しいプロデューサーなんですよ。だから彼らに見せてフィルメックスで上映っていうのも可能性があると思う。