フットサル場のプランがビジネスモデルのヒントに

藤岡清高氏(以下、藤岡):就職という選択肢はあまり考えてなかったのですか?

時津孝康氏(以下、時津):ほとんど考えていませんでした。会社をつくらなくても、個人事業主でやった方がいいと言われたこともありますが、「俺は会社がいい。社長になりたい」と言い、会社をつくる決意をしました。

その際、自分に2つルールを課しました。1つ目のルールは、「300万円(当時有限会社をつくるために必要であった資金)をこの23年間生きてきた信用で集める」こと。2つ目のルールは、「言い訳をせず、何事も自責で行う」ことです。未だにこのルールは自分に課しています。

妻と一緒に親戚を回って頭を下げ、困難を乗り越えた結果、2ヶ月半くらいで300万円を集めることができました。

藤岡:会社を始める決意をした際にやりたいことは明確にありましたか?

時津:大学生の後半からずっとなにをしようか考えていたため、頭のなかに様々なビジネスプランがありました。

留学中に知り合った友達が、浮浪者やゴミが溜まっていた高速道路下の場所をフットサル場にするプランを提案して実現したことがあり、それを聞いて当時の私は「こういうことができるようになったら凄いな」と思いました。実はこのことが今のビジネスモデルを描くヒントになり、役所の遊休スペースを有効利用して、人々にとって有用な場所をつくろうと考えました。

はじめは、他にも税金の滞納整理業務や自治体の営業代行アウトソーシングサービスなどを含めて3~4つのビジネスプランがありましたが、3カ月程で全部潰れました。

全て自治体に提案したものの、話を聞いてもらえませんでした。アポなしで福岡市役所などに突撃していましたが、社員1人でホームページもないような会社に、税金の滞納整理業務を委託するはずがないですよね(笑)。

背水の陣で太宰府市役所と初契約

時津:広告ビジネス1本に絞り、これでダメだったら諦めようと思いました。

しかし、広告事業の営業に行っても、話を聞いてもらえず、名刺さえもらえませんでした。そのため、アルバイトをして生計を立てていました。預金残高11,551円までいったことも……。身長181cmで体重が49.8kgまでになりました。

最初に契約してくれたのは、大宰府市役所でした。頻繁に営業をしていた自治体だったため、おそらくそこの係長が私のことを可哀想だと思ったからでしょうね。

身体的にも精神的にもボロボロで本当にきつく、終わりのない戦いをしていた状態に、希望の光が見えた瞬間でした。

厳密に言うと、「今度入札をするから、ホープ・キャピタルさんも参加して」と言われて、参加することにしました。しかし、手元には20万円しかなく、このままでは入札へ参加しても別の代理店に取られてしまう可能性もあったため、妻から100万円を借りて「これで最後にしてください」と言われました。一世一代の勝負を賭けた入札でした。

結果として、入札で勝ち、その広告枠から130万円の売上が出ました。仮に入札で負けていたら、会社は終わっていましたね(笑)。

太宰府市との契約がきっかけで1年8カ月間で1回も鳴らなかった会社の電話に、毎日連絡が来るようになりました。30万円、60万円、1,500万円、9,000万円、1.5億円、1.9億円、3億円と、売上がどんどん上がっていきました。

成長のために超えるべき3つの壁

藤岡:創業初期の仲間集めについて教えてください。

時津:これはけっこう大変でした。求人を出しても、1人の会社ではなかなかうまくいきません。最初に社員が入ったのは2007年1月4日です。月給7万円で働いてもらっていました。そこから半年間は2人でやっていました。

私の給料はゼロだったため、妻のバイトの給料で食べていました。2007年6月に天神のibbビル3階に移転しました。2008年の4月にもう1人入ってくれました。

藤岡:どのように採用をしたのですか?

時津:当時出していた求人では上手くいかず、新卒に切り替えました。それで福岡大、九州産業大、西南学院大の企業説明会に私が行き、福岡大の説明会で3人目の社員を採用しました。今考えると、やはり2人目と3人目の社員の存在は大きかったと思います。

2009年にもう1名採用して4人になり、2010年には3人採って7名になりました。今思えば、5年前くらいまで10人くらいの会社でした。

藤岡:成長の壁はありましたか?

時津:明らかにありました。1つ目の壁は、社員が20人を超えて中途採用を始めたときくらいです。中途採用の社員にはいろいろな人がいて、権利を強く主張する社員もいました。創業期はわかりやすくいうと、残業代などを出したこともなく、そういった概念がない状態でした。しかし、人を増やしていくと、そうはいかなくなります。

2つ目の壁は、私が今まで感覚的に行っていた業務をどのように他の社員に任せるかということです。

例えば、恵比寿で「水を売れ」と言われたらおそらく相当売れると思うのですが、それは私だからできることであって、普通の人は「どう売るのか」というフローが必要だと思います。そういうものを仕組み化しないといけないということは壁だったと思います。

藤岡:仕組み化をしていくことで、中途で採用した人たちをうまく活かすことができるということですね。

時津:そうですね。社員が20人を超えたときから私のマネジメントも弱くなっているはずです。その状況で社員を束ねるためのマネジメントシステムを構築しないといけないという課題が2013年から未だに続いています。

藤岡:初めは数名の会社で信用が低かったと伺いましたが、どのように信用を生み出したのですか?

時津:2013年8月にグロービス・キャピタル・パートナーズ(以下、GCP)から増資を引き受けてもらったことを機に、情報制度と信用はあきらかに変わったと思います。

また、当時のメインバンクがお金を貸してくれず、私が資金繰りで困っているとき、佐賀銀行が私を助けてくれたことがありました。そのため、「上場するタイミングがあれば、佐賀銀行に株を割り出したい」と思っていました。上場して佐賀銀行がキャピタルゲインを得ることができたので、いい恩返しになったと思っています。

藤岡:お金以上にトラックレコードという形で残りますし、彼ら自身もベンチャーキャピタルとしての箔がつきますよね。

時津:私が九州男児だからかもしれませんが、義理や人情に対する思い入れは人より強いです。

余談ですが、福岡でスタートアップについてお話をさせていただく際に、私はいつも、「ベンチャー企業なんて大してお金もないし、大して能力もない。唯一あるのは、事業にかける情熱だけだと思う。その熱量が高ければ応援されて、仲間が増えてくる。フェイスブックで『女の子のいる店に行ってボトル開けた』とか書くと、誰が見てもいい気はしないし、誰も応援しようなんて思わない。『事業の熱量が高い』ということだけを書いて、周りに応援されるように」と話しています。

だから、大宰府市の契約が取れた要因を考えると、恐らく自分の熱量と時の流れだったと思います。

自治体に特化した総合サービス会社へ

藤岡:御社のビジョンを実現する上での経営課題はありますか?

時津:事業ドメインが圧倒的に少ないことです。現段階でのビジネスモデルはアドの領域から抜け切れてないため、自治体に特化した代理店だと言われてもおかしくはないと思います。

行政の状況は10年前と今とでまったく違い、おそらく今から10年後も大きく行政は変わるため、そこにサービス参入のポイントやタイミングが多く出てくると予想をしています。世のなかが変わり、自治体も変わっていくなかで、当社も広告に留まらずに他の事業ドメインを作っていく必要があります。

特に、今後は、自治体にさらにITの力を導入していきたいと考えています。

現状としてはITサービスを強めていくなかで、それらの人材がいない事が最も大きな経営課題だと考えています。

藤岡:長期的な経営課題はありますか?

時津:長期的な経営課題は、"上場のジレンマ"に陥ってしまうと、すごくつまらない会社になってしまうことです。やはり上場をすると株主のことを考える必要があるため、ダイナミックな挑戦をしにくくなります。それによって組織が硬直をしてしまい、新しいことができなくなってしまう状態に陥ると、なにのためにやっているのかが分からなくなります。

BtoGという最先端の仕事の魅力

藤岡:どのような人がホープに合っていますか?

時津:合わないのは、決まりきったルールのなかでしか戦えない人です。

上場企業とはいえ完成しているわけではなく、常に完成形を目指しているため、うちの会社には曖昧なことがたくさんあります。曖昧なことに慣れている人、曖昧なことに耐性がある人である必要があります。

藤岡:ホープさんで働く魅力を教えてもらえますか?

時津:現在は事業開発のフェーズに入っており、私ともう1名の役員で新しい事業をつくろうとしています。そのため、ダイナミックな挑戦が推奨されています。

また、65%が新卒採用であるため、他企業で得た知見やノウハウがホープではすごく賞賛され、高く評価されると思います。65%の新卒採用者は、それらをスポンジのように吸収するはずです。

私たちは、地方創生といわれる自治体マーケットに新しい業態で最初に切り込もうとしています。現在、最も変化をしようとしている産業は自治体のマーケットだと考えて、自治体に特化した総合サービス会社という旗を立てています。そこの最先端で事業ができることは、ビジネスマンとして非常に魅力的だと思います。

他方で、私が11年間で作り上げた“ホープの文化”を大事にして変えたくないという思いが強いため、これを許容できるかが大事な点になります。要は「部長だから、役員だから偉い」という考え方はしておらず、「ホープは挑戦する文化の会社なので、どんどん挑戦して2022年までに売上100億円を作る。成長の足かせになるのであれば、役職のある人でも降りるべきだ」といつも社員にも自分にも言い聞かせています。

そのため、役職についている人の年齢も若いです。役員が33〜35歳くらいで、部長陣が27~35歳くらいです。若い人にも挑戦する環境があることも魅力の1つかもしれません。

藤岡:素敵なお話をありがとうございました。