芸術の概念を変えた「レディ・メイド」

カリン・ユエン氏:みなさん、こんにちは。今日はレディ・メイドとは何か、またなぜ、今レディメイドが芸術作品とみなされているのかについてお話ししましょう。

レディ・メイドの定義を理解するのはそれほど難しくありません。レディ・メイドを既製品で作られた芸術作品と定義づけるのは、そうですね、かなり端的な言い方になるでしょう。 大抵、少し理解しにくいのは、どうしてこれらの物が芸術作品とみなされるようになったのかという経緯です。

レディ・メイドという語が最初に使われたのは、フレンス人の芸術家マルセル・デュシャンが1913年に『自転車の車輪』という作品が登場した時です。続いて1915年には『壊れた腕に先立って』という作品が発表されました。

『自転車の車輪』では自転車の車輪が足のせ台に固定され、『壊れた腕に先立って』では、「壊れた腕」は雪掻きシャベルで表現されました。

最も話題になったレディ・メイドは1917年に彼が発表した、『泉』でしょう。彼は、日常的に使われる機能的だがぱっとしない物に意外性を持たせるために、便器のオブジェに、自身のファーストネームを刻みました。。彼はオブジェを選ぶ時、目を引かず、明確に良いか悪いか判断がしづらい物、という基準に基づいて選びました。

1917年発行の雑誌に掲載された『The blind man』という記事では、彼の2人の編集者の友人が、レディ・メイドの背後にある理論について説明しています。

「マット氏が自身の手で鋳造したかどうかは重要ではない。彼は日常生活に見られる平凡なオブジェを取り上げ、新たなタイトルの下にその有用性と重要性が失われるように置いてみたのです」

この視点はそのオブジェに新たな意味を付しました。

このことは『泉』の作品においても3点から理解できます。 第1に、オブジェを選択する行為はそれ自体が創造的であること。 第2に、そのオブジェから役立つ機能を取り除くことにより、それは芸術になるということ。第3に、そのオブジェに題名は付けられ、画廊に展示されると、新たな考えや意味が付されるということ、です。

レディ・メイドは、「芸術は芸術家によって定義される」ということを教えてくれます。芸術家の役割は芸術を創ることから、芸術の選ぶことへと変わります。このトレンドは芸術の概念に対する運動の初期によく見られ、次第にレディメイドは芸術として認知されました。 芸術には型にはまった理解というものはないですが、それこそが、まさに芸術の本質なのです。

このようにレディ・アートという語は、とある芸術家が自分の芸術を表現しようとしたことがきっかけで、今や既製品から作られたアートとして広がりました。

例えば、ダミアン・ハーストや

マイケル・アンディ、

そしてトレイシー・エミンといったイギリスの若い芸術家などによる作品があります。