知られざる鏡の芸術たち

鏡は芸術において強大な力を持つ人を引きつける道具であり、また肖像画を描く時にも使われていました。今日はなんらかの形で鏡を描写したり、鏡が含まれていたり、鏡を利用したりしている美術作品についてお話ししたいと思います。

『フォリー・ベルジェールのバー』は、フランスの画家エドゥアール・マネの最後の作品です。この作品は大きな鏡の前に立つ女のバーテンを描いています。当時の批評家は、鏡に映る像が少しずれているのを見て、この絵のように見えることは現実ではありえないと考えていました。

しかし2008年に、そのシーンが再現されると、この見え方は正しいという結論に至りました。女バーテンの前に立っている男性は、視覚の錯覚によりこの絵のように見えています。実際は私たちの目には男性は左側におり、女バーテンからは視線を向けてられていないのです。

フランスの思想家のモーリス・メルロー=ポンティは、鏡について「実物を鏡像に、鏡像を実物に、また自分を他人に、他人を自分に変える普遍的な魔法だ」と言っています。

私たちからは、彼女は鏡の中でたくさんの人やシャンデリアや豪華な装飾に囲まれ、お客さんと話しているように見えます。しかし実際には男性は彼女と顔を合わせてもおらず、彼女の顔の表情もどこか遠くを見ているようです。

ロバート・スミッソンはおそらくスパイラルジェティという作品で最もよく知られているでしょう。静的なものを崇拝する歴史を批評し、芸術を現実の世界の切迫から切り離しました。基本的に現実の世界の環境から物事を移動させ、美術館や画廊などの真っ白な空間を称賛しました。

「ノン・サイト」と彼が呼んでいたものは、画廊に飾られている、景色から切り取られた断片のことで、内側と外側の極の概念を破壊し、どちらも継続させうる第3の可能性を開くものでした。『Yucatan Mirror Displacements 1~9』は、正方形の鏡を据え付けたもので、メキシコのさまざまな場所で作られました。

出来上がった9つのカラー写真は『Incidents of Mirror-Travel in the Yucatan』という論文で発表されました。鏡は周囲の環境を反映し、景色の固体性を取り除き、その形態を粉砕しました。その景色や画像の置換は一時的なものをじっと見つめ、鏡は時間の経過を記録し、写真は時間を一時的に停止します。

スミッソンは「鏡は抽象概念としての置換であるとし、まさに物理的な方法で場所を取り入れ、反映させるもの」としています。鏡はその場所に付け加えられたものですが、そこに鏡があるとは思わず、それらを拾っても心の中では完全に露わにはなっていません。

イェッペ・ハインはベルリンとコペンハーゲンを基盤にしている芸術家です。彼の相互に作用する彫刻は、ユーモアと1970年代のミニマリズムを融合させるものです。

『Mirror Labyrinth N』は独立して立っている鏡が互いに融合し3つのカーブになるように配置されています。鏡の高さはマンハッタンの摩天楼をモチーフにしており、公園とは正反対になっています。鏡は訪れた人や周囲の状況だけでなく、近くの鏡なども反射し、迷宮のように見慣れず方角をわからなくさせる環境を作り出しています。

ヴァレスカ・ソアレスはブラジル生まれで、ブルックリンを拠点にしたアーティストで、しばしば没入型の設備を用います。

2001年、『Untitled, from Picturing Paradise』で彼女は景色の中で立っている鏡を撮影しました。その画像は2つのアクリルの鏡に印刷され、その組み合わせにより見る人は自分のイメージを写真に重ねます。私たちは自分自身の信念や推測を持ち込むことなしに、先に進むことは出来ません。

草間彌生は日本の芸術家で、水玉模様でよく知られています。彼女の作品『Infinity Mirrored Room-The Souls of Millions of Light Years Away』は、鏡が並んだ部屋に色とりどりのLEDライトがつり下げられている作品です。ポールのようなきらびやかなライトの反射がまぶしく、終わりのない光のショーを作り出しています。1度に1人ずつ、45秒だけ部屋に入ることが許されており、俗世から離れた個人的な体験が出来ます。