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元中日・山本昌氏が振り返る人生の転機「ラジコンに出会わなければもっと早く引退していた」

元中日・山本昌氏が振り返る人生の転機「ラジコンに出会わなければもっと早く引退していた」

「クロシング」では、思考が交差し「そうか!」「わかった!」「これだ!」に出会う瞬間を目指しています。慶應義塾の社会人教育機関、慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)が主催する夕学五十講(せきがくごじゅっこう)の講演を素材に、深い学び、新しい視点、思わぬ発想、意外な出会いを目指します。今回は、元中日ドラゴンズ・投手で、現スポーツコメンテーターの山本昌氏が登壇した「継続する力」の講演内容をお届けします。

(提供:慶應丸の内シティキャンパス)

シリーズ
慶應丸の内シティキャンパス「クロシング」 > 自分と組織のスパイラルシナジー
2016年4月19日のログ
スピーカー
スポーツコメンテーター 山本昌 氏

星野監督の本当の姿

山本昌氏(以下、山本) みなさん、星野監督に対して非常に怖いイメージを持っていらっしゃるんじゃないかと思います。「珍プレー好プレー」などで知っていると思いますが、あの星野監督の姿というのは氷山の一角なんです。実は、実際のベンチ裏ではもっと恐ろしいことが行われているんです。 (会場笑) 本当はこの話は星野監督からお墨付きをもらったはずなんですけれども、この前少し叱られたんですよね。 実は『ジョブチューン』という番組で星野監督の暴露話をしたところ、たまたま次の日に星野監督に会ってしまいまして。「お前、最近、俺を食い物にしてるらしいな?」「いや、そんなことありません」と。 (会場笑) しかもちょうど私の引退パーティがあって、壇上に立っていただいたんですけれど、その場でも少し嫌味を言われましたので、あまり大きな声じゃ言えませんけれど、よくきびしく叱られました(笑)。 とくに、僕とバッテリーを組んでいた中村捕手はもう本当に想像を絶するほどよく叱られましたね。 『ジョブチューン』では、東京ドームで叱られた話をしましたので(今日は別の話をします)。甲子園で、阪神に負けた時があったんです。 当時、星野監督は、阪神はプロ野球の球団だと思っていませんでした。阪神に負けるとめちゃくちゃ怒るんです。「あんなところに負けやがって!」と。確かにあの時、阪神は毎年最下位で、弱かったんです。ただ、阪神も一応プロ野球の球団ですから、怒られても困るんですけど(笑)。 私が先発して、8回まで3対3の同点で投げて、最後、抑えの郭(源治)投手がリリーフで出て、サヨナラ負けしました。 なぜか知りませんけど、星野監督の部屋に呼ばれました。そして、星野監督がミーティングが終わって帰ってきました。靴を脱いで、私の前を素通りしたんですけれど、振り向きざま、その靴で叱られました。そして、その靴を放り投げて、今度は素手で。 (会場笑)

膝の手術とその後に訪れた転機

実は手でよりも靴のほうがよっぽど痛いんですよね。野球の靴ってなにか裏にイボイボみたいなものがついてるじゃないですか。ですから、次の日めちゃくちゃ顔が腫れましてね。まあ、こんな話はさておきなんですけれど。 (会場笑) その後、順調に星野監督のもとでがんばらせていただきました。そして、高木(守道)さんの時には連続最多勝をとりました。 その後、膝を悪くして手術してしまうことになるんですけれど、ここでもう1回だけ私に転機が訪れます。93年・94年連続最多勝だったんですけれど、膝を手術して、95年は膝が悪くて野球ができませんでした。 2軍の練習というのは朝早いんですよね。練習開始が7時半とか8時なんです。そして、私はチームのエースでもありましたし、2軍のコーチも私には口出ししない。「山本さん、どうぞどうぞ」みたいな感じだったんですけれど、自転車漕いで、汗かいて、軽くキャッチボールして、10時にはもう暇になってしまうんですね。走れませんから。 毎日、「暇だ、暇だ」と。パチンコをする趣味はないですし、いつも家に帰ってたんですけれど、あまりにも早く帰ってくるので、女房も嫌な顔をします。「なにかないかな?」と思っていましたら、近くにラジコンサーキットがあるという話を聞きました。 ラジコンは、中学3年生の時にお年玉で買って、3ヵ月ほど楽しんだことがあって。(サーキットに)行きますと、「山本さんが来た」と大歓迎されました。お店の人が「山本さん、1台作りますよ」と。「本当ですか。じゃあフルセット買います」と大人買いをしてフルセット揃えて、次の日には新しいクルマができあがっていました。お店のスタッフが作ってくれて。 ラジコンサーキットを走るのは初めてだったんですけれど、これがおもしろいこと。私はもうラジコンの虜になりました。練習は10時まで、そしてラジコンは夜6時までという生活が続きました。 (会場笑) 土日になるとすごくうまい人が来るんですね。学生だったり、大人もそうなんですけれど、「なぜだ?」「すごいな」と思っていましたら、実はそのサーキットは日本でも有数の、レベルが高いサーキットだったんです。

“ラジコン”から学んだこと

そして、「なんであんなにうまく走れるんだろう?」とつぶさに観察していましたら、なにかノートをつけているんですね。「なんでラジコンでノートをつけなきゃいけないんだ?」と思ったんです。 「なに書いてるの?」と聞きましたら、「セッティングを書いてるんです。1回1回変えて走ってるんです」と。 ノートには、気温・湿度・路面温度・セッティング……いや、ラジコンといってもバカにしちゃダメなんです。実車と同じぐらいセッティング箇所があるんですね。スプリングも何百種類もあります。それを一つひとつ試して、こういう路面・こういう温度の時はどういうセッティングがいいかというのをノートに記していました。 ノートを取って、セッティングを覚えて、どんどん早くなってくる彼らを見た時に、私は当時1億円プレーヤーでしたが、「私、こんなに一生懸命に野球やってるかな」「1億円お金もらってるのに、このラジコンの子たちより一生懸命やってないかもしれない」と思いました。 当時の野球というのは、どちらかというと、実力主義。「今日は調子がいい。よし勝った!」「ダメだから今日はしょうがない」とか、「こいつはすごいから打った」「こいつはすごいから勝った」とか、そういうことが普通でしたけれど、もしかしたら、もっと自分のいいところをすり合わせたら、自分もさらによくなれるんじゃないかと思いました。 彼らが1回1回セッティングで煮詰めていって、細かいところを調整していくことによって、大きなタイムの進化があるというのを見て、私もピッチングもそうじゃないかなと。一つひとつなにかをプラスしていけば、もっともっとやれるんじゃないかということを思いました。 その時に出会うのが、鳥取のワールドウィングの小山(裕史)先生という方なんです。 初めて会った時に非常にびっくりしましたけれど、あの方は、目にカメラが入っているんじゃないか、コマ送りができるんじゃないかというぐらい、人間の動作を見る目が非常に優れていました。「なんでそんなに見えるんだろう?」と。おそらくわかっているからスローモーションに見えるんだろうなと思いました。 ちょうどラジコンでそういう気持ちになっていましたので、すぐ「先生、一緒にフォーム作っていきましょう」という話になりました。ですから、私は1996年から引退するまで、毎年新しいフォームにチャレンジしていました。 自分で「よし、これはいい」と思ったフォームは残して、また新しい課題を持ってどんどん積み重ねていった結果、50歳まで(フォーム作りは)続きました。そして40歳を超えてもスピードがアップして、42歳を超えた時に私の人生最高の143キロが出ました。 そう考えると、あの時ラジコンをしてる少年たちを馬鹿にしてたら、もしかしたら35歳ぐらいで引退していたのかなと思います。ラジコンに今は感謝しています。

二冠王を獲得しFA宣言

そういうことがありまして、97年に小山先生と二人三脚で最多勝を取れることになります。この最多勝にも1つエピソードがあるんですけれど、96年・97年と小山先生と新しいフォームにして、最多勝を取れました。その時、監督は星野監督です。 97年に初めてフリーエージェントを取りました。最多勝でフリーエージェント。最多奪三振も一緒に取りましたけれど、当然FAの目玉ですよね。シーズン終盤になり、優勝がなくなったドラゴンズ。私の去就が非常に注目されました。 私はこれだけ人生で注目されたのは初めてでした。おもしろいじゃないかと。家の前にカメラはいるし、ずっとテレビカメラに追っかけ回されるし、「1週間ぐらいこういうのもいいかな」と思いました。 答えをはぐらかして、「終わったら考えます」とか「いや、まだ決めてません」とか、ぜんぜん出る気はないくせにそのような話を繰り返していました。 最終戦、横浜に行く前に、スポーツ紙一面に「山本昌、巨人」という字が踊っていました。金額も書いてありました。それを自分で買って読んでいると、隣に人影を感じました。星野監督でした。 (会場笑) 「すいません」と言って(新聞紙を)しまったんですけれど、シーズンが終わって、次の日からまた報道陣に追っかけ回される日が続きました。3日間ぐらいでしょうか、自分では楽しんでいたんですけれど。 当時、フリーエージェントというのは(現在と)ルールが違いました。まず、今までの在籍チームと交渉してから他チームと交渉。そして他チームと交渉したら、在籍チームにはもう残れないんですね。そういうルールでしたから、まったく出る気はなかったんです(笑)。 ですが、はぐらかしてはぐらかしてやっていたところ、ある日、また新聞に私のFAの話が載っていました。新聞をパッと開いて三面に目をやると、ゴルフコンペに出席してる星野仙一監督の談話が載っていました。なにか書いてある。 見たら、山本投手のFAについて、「わしはそういう教育をしとらん」。「これはやばい」と(笑)。怒っていらっしゃる。 (会場笑) これ以上引っ張ったら殺されるということで、私はすぐに球団のほうに電話しました。そして「早くサインしましょう。星野監督怒ってます」と話したら、「そうか、じゃあ明日来なさい」と言われました。 星野監督のあの三面の記事にビビった私は、非常におかしな話なんですけれども、最多勝・最多奪三振、二冠王の投手のくせに3,000万円アップで契約してしまいました。 (会場笑) なにを焦ってるんだと(笑)。あれを読まなければもうちょっともらってたかなと思うんですけれど。ちなみに、最終戦の前の巨人と交渉という報道に載っていた金額より1億円ほど低かったです。 (会場笑) でも、これも1つの転機かなと。あの時に高いお金で契約してたら、もしかしたら(その後に)ドラゴンズから(年俸が)高すぎてクビにされたかもしれません。そういう意味で、そんなに……いや、高いんですよ。けっこう高いんですけど、必要以上にもらわなかったおかげで、ここまでやってこれたのかなと思います。

  

自分と組織のスパイラルシナジー

元リクルートのトップ営業で公教育改革の実践家でもある藤原和博氏。 プロ生活32年、50歳まで現役投手で中年の星と称された山本昌氏。 個人と組織の関係を研究する若き経営学者服部泰宏准教授。 「自分と組織のスパイラルシナジー」では三者三様の生き方・見解には、個人の生き方、組織人の使命の間を行き来しながら「働く意味」を考え抜いているという共通項があります。

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元中日・山本昌氏が振り返る人生の転機「ラジコンに出会わなければもっと早く引退していた」

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