日本の幽霊の物語

こんにちは。日本の百物語と呼ばれるゲームは、輪になったプレーヤーたちが怖い話を順番に話してゆき、100本のロウソクを1本1本消していくものです。

1185年、源義経は、平家から力を奪い自らを将軍と名乗っていた兄の源頼朝から逃亡してました。

義経は、自分が敵になる可能性があると兄が思っていることを恐れ、兄の嫉妬と妄想を静めることを望んで自ら国外へ逃亡することを決めました。

しかしその旅の幸先はよくはありませんでした。義経は妾の静御前を置き去りにせねばならず、踊り子だった静御前が義経とのお別れの舞を行っていたとき、頭飾りが地面に落ちたのです。それは何か悪いことが起こることを意味していました。

義経の旅は粗暴な略奪により遅れていましたが、武蔵坊弁慶は「兄の手による死の危険が迫っている」と、遅れることのないように後押ししてくれました。おかげで、旅はなんとかうまくいっていましたが、すぐに事態は悪い方向へ転換してしまいました。

義経一行が船で海をわたっていた時、突如発生した霧が彼らを飲み込み、光は遮られ、船はおもちゃのように放り投げられてしまったのです。船は洋上で立ち往生してしまい、まるでなにか謎の力に掴まれているかのように前進することも後退することも出来ませんでした。

荒れ狂う水の底には、白い肉体が船に群れており、彼らは平家の戦士たちでした。かつて義経は自ら大海戦(注:壇ノ浦の戦い)を打ち破り、兄を勝利に導きました。水中で船を強く握っていた幽霊の戦士たちは、船を地獄へ連れていこうとしていたのです。

死んだ平家の将軍である平知盛は目を充血させて船の上に登り、薙刀という長い刀剣を振りかざして義経と交戦しました。義経自身も刀を抜き、死んだ戦士と向かい合いました。

しかし戦う僧侶として、武蔵坊弁慶は主人の剣がどれだけ強くても、死者の肉体は切れないことをわかっていました。弁慶は跪き、熱心に神に祈り始めました。

彼は東西南北と、謎の知られていない5つ目の方角を叫びました。義経が平知盛の襲撃を阻止し、幽霊となった平家の軍団が船を襲い続けている間、弁慶は信念と献身の精神的戦いを行っており、祈りを死者の力に対してぶつけていました。

このような弁慶の真剣な祈りにより、波はすぐに消えてなくなり、平家一族の怨霊も神の加護の力に耐えることが出来ず消え失せました。

襲撃は終わりを迎え、義経とそのお供の者たちはその後、旅を平和に続けました。