「シン・ゴジラ」は長渕映画である

山田玲司氏(以下、山田):だから、『パトレイバー』とちょっと似てるなと思った。パトレイバーの映画版を観たんだけど、役人の「あーあ」みたいな感じとか。

乙君氏(以下、乙君):あの気怠い感じでしょ?

山田:気怠い。

乙君:押井守のやつでしょう?

山田:そうそう。押井守の。なんかああいうのと通じるものがあるのかなみたいなことを、ちょっと感じたりとかして。

それはいいとして、エンタメを潔く切ってる。それから子供を切っちゃってる。子供・ファミリー向けという層を全部切ってる。これは、いい意味で長渕映画です。

乙君:長渕映画?(笑)。

山田:長渕出てないけど。個人主義、個人詩、個人の想いみたいなものを、魂込めて、「俺のことをわかってくれい!」「セイッ!」っていうのが長渕イズムだとしたら、それをやってます。あの作品で、『シン・ゴジラ』は。

乙君:確かにそうですよね。

山田:もう完全にあれは、富士山の周りに集まってます(笑)。

(一同笑)

乙君:あれと同じ現象が今、映画館で起こってるってこと!?

山田:だから、岡田(斗司夫)さんは長渕に「セイッ!」はやらないけど、ゴジラでは「セイッ!」なんだよ。だから、みんなで、今ゴジラ観ながら「セイッ!」「セイッ!」って。

乙君:なるほど!

映画を見ながら絶叫!?

山田:だから、わざわざ声出せる上演やるらしいじゃん。島本(和彦)先生のために。

乙君:へー。

山田:島本先生は、「庵野ー!」って絶叫したかったんだって。「俺の先を行くな」って言いたかったんだって。映画観ながら。だから、特別に叫んでいい上演をしてくれるっていうから、庵野秀明さんいわく、「やっていいよ」ってことになってるらしいよ。そんな噂でもちきりですよ。本当のことはわからないですけど。

乙君:なにを叫ぶの?

山田:だから、観ながら「俺の先を行くなー! 庵野!」って言いたかったんでしょう。

乙君:え? 意味がわからない(笑)。

山田:だから、「セイッ!」ですよ、「セイッ!」。

久世孝臣氏(以下、久世):「セイッ!」でいいんですよ。

乙君:いや、長渕の「セイッ!」は合いの手だからわかるけど、ゴジラ観ながら「ゴジラ! ゴジラ!」みたいなこと?

久世:いや、違うでしょう。それは違うでしょう。

乙君:ガッズィーラ! ガッズィーラ!

久世:そこじゃねーよ!(笑)。

山田:そうなんだよ。ただ、ちょっと言わせてもらいたいですけど、僕ディスってるわけじゃないです。すごい楽しかったです。

久世:うん。楽しかったよ。

山田玲司氏がすばらしいと思ったシーンは?

山田:あえて、「ここがすばらしかったな」ということをちょっと言ってくれと。いや、言われてないですけど(笑)。「庵野さん、ここがよかったよ」と言いたかったシーンのことを言うと……。

久世:お願いします。

山田:やっぱりなんとなく予感はしてたんだけど、奥野さん(乙君)、カオナシが浮かぶわけよ。俺は。

乙君:カオナシ?

山田:だから、ジブリ映画である、名もなきものの、虐げられたものの叫びみたいなものがもうガァーって出てくるシーンがあるじゃん。カオナシがウェーってやるとか。

久世:はいはい。

山田:あれ、俺、エヴァはよく知らないけど、猫背のなにかが食ってるとか。

久世:猫背のなにか(笑)。初号機のこととかかな。

山田:とか、要は、虐げられたものがうまく自分を表現できないで、自分の内面に溜まったエネルギーの圧が限界になったときに、叫びとか破壊とか、そういうものと一緒に全部バーって出てくる。

だから、ゴジラでおなじみの吐くシーンがあるんだけど、あれがもうとにかくいろんな、彼の作品の過去のものとかぶってしまって。

乙君:ああ。

山田:それはなにかと言うと、うまくなにかを伝えることのできないものの叫びを象徴しちゃってるなって気がする。

それは、なんていうのかな、きゃりーだよなというのも思ったりなんかして。これが、君らキレる14歳がエヴァを見たときに乗れた部分なんじゃないかと思うのね。

その圧がかかってる、うまく言えない、好きな子に好きとも言えないみたいなところで不器用でガーって回ってるやつが、うわーってなるみたいな。

それをゴジラでやったというのが、今回観た、俺のなかの印象だなということと。

庵野監督が作った自主映画の話

あともう1個、岡田さんの話をあとでしたいんだけど、庵野さんって似顔絵を描かれるときに、メガネしてて、目が見えてない。あの人、昔、自分でウルトラマンになるって映画を作ったって知ってるでしょう?

久世:自主映画で?

山田:うん。知ってるよね?

乙君:ふんふん。

山田:ちょっと待て、お前知らないな!(笑)。

乙君:知ってる。知ってる、知ってる。

山田:お前、ここからスタートしなきゃいけないから、ヤングサンデーって、オタクの人たちにバカにされるんだと思うんだよね。あいつらなにも知らないですけど……。

乙君:なにも知らないです。

山田:なにも知らないですけど。それで、大学生の庵野さんがウルトラマンになりたいって言って、ジャージを着たままウルトラマンになるんだよね。映画のなかで。

乙君:あ、『アオイホノオ』のやつだ。

山田:『アオイホノオ』では、その時に作ったやつをそのまま使ってるんだけど。まあ、ちょっと変えてるらしいけど。

そのときにちょっと感じたんだけど、岡田さんいわく、普通だったら、仮面ライダーになるんじゃなくて、本郷猛になりたい。仮面ライダーになる前のね。

乙君:そうね。

山田:と思うし、ウルトラマンになるんだったら、ハヤタ隊員という、要するにウルトラマンになる人になりたいと思うのに、ウルトラマン本人になりたいって人間はほかにはいないぞ。頭おかしいんだと。

乙君:へー。

人間か、神か… 目が表すもの

山田:みたいなことを岡田さんが言うんだよね。ただ、俺がちょっと思うのは、目なんだよな。

乙君:目?

山田:目なんだよ。で、この……。

久世:あ、きた。

山田:これ(サングラス)かけた瞬間、どこを見てるんだかわからなくなるんだよ。神様みたいになるんだよ。ウルトラマンって、どこ見てんだかわかんないから、神様っぽくない?

乙君:まあ、そうですね。

山田:要するに神の象徴だし、菩薩なんだけど。その人間を超越したものになったときに、人間の目をしていたら、そういう感じが出ないから、目が光ったりするってのがあるでしょう?

乙君:ああ。

山田:あとは狂気の目ってあるじゃん。今回、シン・ゴジラがまさにそうなんだけど、どこ見てんのかわからない。こういう目をしてる。 

(一同笑)

こういう目をしてるときに、「いつでもこいや」ってなった、この目のときに、なにか超えちゃうわけじゃん。やってみて。これこれ(笑)。

乙君:あれ、ゴジラ……。

山田:あ、ゴジラだ。できる子じゃん。わかった。だから、そういった人間を超えたい人なんだと思うの。人間をなにか超越した存在になりたいという。

乙君:庵野さんがね。

目を消すことで人間性が消える

山田:そうそう。それはけっこういろんな人にあるんじゃないの。ここ1発。そのときに邪魔なのは、ふだんの目じゃないかなって気がするの。

乙君:ああ、まず目をね。

山田:目って人間性が出ちゃうし、内面が出ちゃうんだよ。だから、目を隠すことによって内面が消えるんだよね。それによって超越するわけ。そのメソッドみたいなものを死ぬほどよくわかっている人で。

この人は、要するに神様になりたいアニメ作家なんだよ。神様になりたいアニメ作家の叫びが、ゴジラのこれですからね。

久世:ああ。

ってことだよね。あとは破壊神でしょう。要するに破壊する神様で、破壊神シン・ゴジラなんだと思うよ。俺の印象だけどね。

あとは、「こんな世のなか全部ぶっ壊れちまえばいいんだ」って思いを抱えている中2みたいなものの気持ちというのは、親とか子とか、そういうものを描いてたら、ぶっ壊せねえよな。

愛する者がいるとか。そういうのは全部カットして、そこに誰がいるかわからないけど、バーン、イエーイみたいな。

乙君:「セイッ!」

山田:それは社会というものを、自分から切り離してる人間が感じることのできる特権でもあるわけだよね。だから、「東京が燃えてるぜ。アッハッハ」って言える人って、東京に思い入れがないんだよ。「あんなものどうにかなっちまえや!」って思ってる人間たちが発想する破壊、「壊れちまえ」みたいなものを疑似体験させてくれるから、気持ちがいいんだと思うんだよね。だからここが見事だなと。