私の人生は「恩寵」であふれている

スティーブ・ハーベイ氏:私は博士になりましたよ!

(会場拍手)

始めにこれだけは言わせてください。ここに呼ばれたことを私がどれだけ誇りに感じているか。しかもこんなに大事な場所でお話をさせていただくなんて。私はただのコメディアンですからね。

しかしありがたいことに、時を経て私も変わりました。ある時、私はジョークにかたちづくられていると気付きましたが、今は博士です。

(会場笑)

私はここにきて話をするように言われましたが、ここに原稿もノートも持ってきませんでした。私は心にあるもののなかからお話いたします。

私は今日ここに、大学では教えてくれないことについて教えるために来ました。ですが、あなた方はすでにすばらしい教育を受けたので、その点について心配はしないでください。

今日お話しするのは、学校では扱われないことです。タスカルーサでも、ハーバードでもMITでも扱われないことです。

率直にお話いたしましょう。私が話すことは真実です。どのように後ろから前に出てくるか、どのようにどん底から頂点にのし上がるのか、今日教えて差し上げましょう。

(会場歓声)

私はボーイ先生に感謝いたします。司会者のベーカーさんにも感謝します。ずっと私の側にいてくださったからです。特別に評価していただいて。これは大きな決断だったでしょう。私は理解しています。

(会場笑)

いいんです。私のチームがここにきて、なぜ私にこのような名誉を与えてくれるのかということで討論になりました。私がお願いしたわけでもありませんし。ここにいる人で、私に投票しなかった人にひとこと言わせてください。

(会場笑)

これだけは言わせてください。いいんですよ。私はわかっています。そのことについて私は話に参りました。私の人生は「恩寵」であふれています。それだけで私はここにいるのです。

恩寵は自分が受けるに値しないことを受けること

私は自分の話をさせていただきます。私自身を例としてお話しします。今日はずっとその話です。みなさんは私自身から聞く必要があるからです。私自身に関することです。

私がみなさんにしてほしいのは、私のなかにあなた自身を投影してほしいのです。私は有名ですから私のことが知れたければグーグルで検索してもらえばいいのですが、しかし、私に起こったことがみなさんの身にも起こり得るということについてお伝えしましょう。

人々が理解しないのは、「恩寵」とはなにかということです。恩寵はみなさんのもとへやってきます。あなたたちみんなが一部を手にしています。

みないつも言うのです。「神があなたに与えられることは、誰にも?」なんの話だと思いますか?

では私が学んできたことについてお話しさせていただきましょう。「正義」とは、自分が受けるべきものを受けることです。「慈悲」とは、自分が受けるべきものを受けないことです。しかし、「恩寵」は違います。

恩寵とは、自分が受けるに値しないことを受けることです。私はそれでよいと思うのです。

私はここに来るのに値することをなにもしてきませんでした。これはあなたにかかっているのではありません。神様が、私が受けるべき以上のものを与えてくださったのです。恩寵は自分が求めてきたことや、想像してきたことをはるかに超えるものです。それが恩寵なのです。

私の人生は恩寵でいっぱいです。あなたも恩寵を受けてください。

(会場歓声)

これだけは言わせてください。恩寵はお金で買うことはできません。売っていません。私はありがたいことにたくさんお金を持っていますが、できることなら全財産をはたいてでも、恩寵を買い占めたいです。

しかしそれは不可能です。恩寵は無償です。私はここに、スピーチをしに来たのではなく、最後にもう1つの教訓を与えに来たのです。

今日ここにいるみなさんにこれだけは言わせてください。よくやった! よくやった! 本当によくやりました! 本当によくここまで物事を成し遂げました!

(会場歓声)

障害を乗り越えたのです。あなたたちは非常に少数の人しか成し遂げられないことを成し遂げたのです。真剣に努力して、大卒の資格を手にしたのです。

(会場歓声)

文法は大事なことではない?

それではこうさせていただきましょう。私はマイクをもって歩き回ったほうがよく話せるのです。

(会場笑)

これは神様が私に賜ってくださったことなのです。演壇の後ろに立っていると本気が出せないのです。このように立っていたほうがいいのです。

心の底からみなさんにおめでとうと言いたいです。あなた方が成し遂げたことは本当にすばらしいことです。本当に驚嘆すべきすばらしいことです。

大したことないなんて思わないでください。本当に大きな1つのことを成し遂げたのです。たくさんの人が成し遂げられないことをやってのけたのです。私も持っていないのです。大卒ですよ。私は大学には行っていません。私は大卒ではありません。私は高等教育を受けていません。しかし、今の私を見てください。

(会場拍手)

私はみなさんに教えて差し上げることがあります。お見せしようではありませんか。スピーチの大半は不正確な文法で話されるでしょう。

(会場笑)

私はそういったことも知りませんから。私は上手に話せるわけでもありませんし、美しく話すのは私の柄ではありません。

あなたも気を付けなければなりませんよ。いろんな場所に行っても、こんな話し方をしていてはお医者さんにもなれませんし、教授にもなれないでしょう。先生もダメですね。あなた方が行こうとしている社会のなかではだめでしょうね。

このことは実際私に大きな影響を与えました。私がエンターテイナーとして初めてテレビに出たとき、「スティーブ・ハーベイ・ショウ」で、人を雇いました。名前も知りませんが、ある白人女性が入ってきて、言語学者(linguistics)? コーチ? もうなんでもいいですけど、彼女が部屋に入ってきたとき、私が混乱しました。

だって彼女は鍋もなにも持たずに来たのですから。私は「linguistics」が、パスタの名前だと思っていたのです。彼女が「linguistics」を持ってくると言ったので、パスタ料理のクラスをしに来るのかと思ったのです。

(会場笑)

それで私たちはクレイジーな面持ちでいると、彼女は、私たちがもっと正しい話し方をするべきであるといったのです。彼女は「あなた方は言葉を正確に発音(enunciate)しなければいけない」と言われましたので、私は「ちょっと待ってください。発音(pronunciation)のことですか?」と聞きました。

(会場笑)

あの女性は混乱している様子でした。本当の話ですよ。彼女は言いました。「ハーベイさん、あなたがアメリカ全土で何百ものお茶の間に通用するためには、あなたは口頭でよくコミュニケーションが取れるようでなければなりませんし、わかりやすくなくてはならないのですよ」。

私は「それは難しいことではありませんよ」と言いました。彼女は混乱していました。彼女は「あなたの話し方を変えなければいけませんよ」と言いました。

そこで私は言いました。「ちょっとお聞きしますが、どちらの方が聞こえがいいでしょう? 『私は貧乏です』と『私“が”金持ちです』」(注:間違った文法を使っていてもお金が稼げればいいという意)。

(会場笑)

成功の先にある「偉大さ」を手に入れてほしい

(会場を指して)あそこの女性は頭を振ってますね。

(会場笑)

あなた方がここを去るとき、若者たち、私のメッセージはこの建物にいるすべての人に対するものですが、私は今日あなたに挑戦をしたいと思います。

この卒業式のテーマはなんだか知りません。色々な大学に行くと、なにかしらテーマがありますよね。「燃える魂」とか「長所は伸ばす価値がある」とか。私はこの学校の今日のテーマを知りません。誰にも聞きませんでした。

もしかしたらメールで知らせてくれたのかもしれませんが、私のメールボックスには2,500通もの未読メールがありますから。

(会場笑)

しかし、私はあなた方に挑戦したいことがあります。今日までにあなたが成し遂げたことはとてもすばらしいです。私は脱帽します。あなた方が成し遂げたことはここで終わってはなりません。あなた方はここまで成功してきたのです。

そこで私はここにいる卒業生のみなさんに挑戦を提示したいと思います。成功とはみんなが望むことです。みんなが2つのことを望んでいます。「幸せになること」と「成功すること」です。そこで私は挑戦したいのです。私はあなた方に成功のその先まで行ってほしいのです。

私はここにいる誰かがここから出て行って「偉大」になってほしいのです。そこには違いがありますよね。

「成功」と「偉大さ」には違いがあります。成功とは卒業証書を手に入れることかもしれません。それは成功です。仕事に就くこと、それも成功です。家族を育てること、それも成功です。今までのあなた方の成功はあなた自身に関することでした。あなた方は成功者なのです。おめでとうございます。

しかし、この成功も、あなた1人の力で得られたわけではありません。ここにいるあなたの周りにいる人たちをご覧ください。自分を誇りに思っているかもしれませんが、あなたを支えてきた人たちに神の恵みがありますように!

(会場拍手)

あなた方はこの方たちの払ってきた犠牲を理解しなければなりません。彼らはあなた方がここまで来られるようにたくさんの犠牲を払ってきたのです。そのおかげで成功できたのです。このなかでは家族で初めて大卒になるという人もいるでしょう。家族のなかで初めて大学に行ったのです。

このなかには、その功績を続けて、自分が大学を出た後、子供が大学を卒業する、という人もいるかもしれません。ケースはどうであれ、ここの周りに座っている人たちは、あなた方のために犠牲を払ってきたのです。

それゆえにあなた方は成功することができたのです。あなたは大学を出たのです。成功するためにです。私はここから30人もの人が世の中に出て行って「偉大」になってほしいと思います。30人出たらいいと思います。

そこには違いがあります。成功は、自分自身のためなのです。

偉大な人は、ほかの人たちを偉大にする

こんな話があります。バスケットボール選手は大きな契約を結びます。そんな人に対して、偉大ですね、成功していますね、と言いますが、それは違います。彼は偉大ではありません。彼は成功したのです。1年に大金を稼ぐのですから偉大ではなく成功です。

私はみなさんに偉大になってほしいのです。ここから出て偉大になってほしいのです。

偉大と成功の違いはわかりましたよね。偉大な人は、他人の生活を変えます。偉大な人はほかの人のことを優先します。偉大な人は自分のコミュニティに戻って、生活を変えます。偉大な人は丘の上に大きな家を建て、ほかの人にどうやって丘の上に上るのか、教えてあげるのです。

(会場拍手)

偉大な人がするのはそういうことなのです。ガンジーは偉大でした。モハメド・アリも偉大でした。マーティン・ルーサー・キングも偉大でした。彼らは偉大でした。彼らはほかの人たちを偉大にしたからです。

モハメド・アリはこう言いました。「私は偉大になる前から自分がもっとも偉大であると言っていた」。

自らが偉大であると言わなければならないのです。それでなければただ成功者となるのです。自分で仕事を探しましょう。自分でお金を稼ぐのです。しかし、他人を変えられるならば、あなたは偉大になれるのです。

私たちはASUを卒業して、丘の上に上って偉大になってくれる人を必要としているのです。人生を変える人となるのです。少年の生活、少女の生活を変えるのです。

自分がどのように大学を卒業できたのかを見せてあげてください。それが偉大さの始まりとなるのです。

ちょっと私の帽子を取らせてください。ごめんなさいね。帽子が小さすぎて、きつくて頭が痛くなってしまいました。帽子に殺されそうになりましたよ。

(会場笑)

あのぶらぶらしたのもずっと耳に当たっていて、クモかと思ってぞっとして振り払っていましたよ。

(会場笑)

なにかを残さなければ名前を知ってもらえない

ずっと昔、私が友達と一緒にいたとき、彼の祖母は病院に入院していて、今にも亡くなりそうでした。そのとき友人は私に、彼の祖母に会いに一緒に病院に行ってほしいと頼んできました。

彼女は末期の病を患っていて、本当に亡くなりそうというところでした。そして自分が死ぬということも知っているようでした。彼女は自分の孫を見たがっていましたし、私は一緒に病院に行きました。

病院に着くと、彼女の病状はよくなさそうでした。私は友人の後ろで彼女のベッドのそばに立ちました。彼女は孫である友人にこう尋ねました。「お前は曾祖父の名前を知っているかい?」。彼は答えました。「知らない」。彼女は言います。「なぜお前は自分が曾祖父の名前を知らないかわかるかい?」「なぜ?」。彼女はこう言いました。「なぜなら彼はなにも残さなかったからよ」。

さらにこう言いました。「お前が私のベッドから離れる時、きっともう私に会うことはない。お前は自分の人生を生きるのですよ! そうすれば、お前の子供、その孫までもが、お前の名前を知ることになる」

(会場拍手)

人生を生きるのです! あなたの子供、孫の代までがあなたを知るようになるのです。彼らがあなたの名前を知るようになるのです。でもあなたが偉大でなければ、あなたの名前を知ることはないでしょう。あなたがなにかを残すなら、彼らはあなたのことを知ることになるのです。

あなたの仕事を家族に残していってはいけませんよ。私の父と母は私にものを残していってはくれませんでしたが、母は私を教会に入れてくれ、神について教えてくれました。父は男としての生き方を教えてくれました。自分がやるといったことはやる、といったことです。

日曜学校の先生の母と、炭鉱員の父が、今の私をかたち作ったのです。あなたの目の前に立っているこの私を、です。

あのおばあさんが教えてくれたあの教訓は、実は孫に対するものではなく、きっと私に対してのものだったのです。私はあの言葉を聞く必要がありました。

そしてその日以来、私は自分の人生をかたち作る努力をしてきました。そうするなら、自分の子供たち、そして孫たちが、私がこの地を去るときに、私がいったい誰だったのかを知ることができるからです。

あなた方もそうするべきです。拍手はいりませんよ。

(会場笑)

ほかの人の人生を変えに行け

ここでさっと4つのことをお話ししましょう。ある人たちは私に牧師になれと言ったことがあるのですが、だめです。私はものすごく言葉遣いが悪いので、説教壇に立つなんてふさわしくありません。

私は今日ボーイ博士に汚い言葉を使わないと約束しました。今までにもう3回は使いたくなりました。

(会場笑)

でも使いませんでした。なぜならボーイ博士はこのイベントが品位のあるものであるとおっしゃったからです。ですから私は敬意を払うべきなのです。私は個人的には汚い言葉を使うのは問題ないと思うのですが。

(会場笑)

1つ目の教訓は、「自分自身の人生を生きる」ということです。そうするなら、あなたの子供、孫までもが、あなたが誰であったのかを知ることができるからです。そして偉大になってください。

この卒業資格を受け取ったら、それが、壁にかかるただの紙切れ以上であるようにするべきなのです。この資格を持って、ほかの人の人生を変えに行ってください。自分にプレッシャーをかけるのです。出て行って、神に、偉大になるように助けを乞うのです。

「普通」という枠に落ち着かないでください。私は普通になろうと思ったことはありません。私は普通でない生活をしたいと、一生神に願ってきました。神は私に恩寵をくれました。私が願ったもの以上のものをくれたのです。

今日ここに、私よりもずっと有名なスターが来ることもあり得たでしょう。いや、ないですね。私はなぜこんなことを言っているのでしょう。

(会場笑)

謙虚になろうとしているのに。ドクター・フィルはこの学校の場所も知らないでしょう。エレンはASUの意味も知らないでしょう。あなたはお望みの人を呼ぶことができたのです。私はここに来たいと思っていたから来たのです。

(会場拍手)

私が言いたいことは、見てください。ここにはいろんな人種の人がいますが、私は黒人がずっと好きです。自分が黒人であることを恥ずかしいと思ったこともありません。私の原点ですし、黒人のみんなが私を最初に有名にしてくれたのです。

私が考える「クロスオーバー」は、みなさんと違います。私は橋を渡し、他人に自分のもとへ来てもらって、自分がどういう人なのかを見てもらうのです。しかし、私自身が橋の向こうに渡ることはありません。なぜなら橋が燃えてしまったら自分のいた方へ帰れなくなってしまうからです。私はホームから離れることはないのです。

このことはここにいる人たちに対して不敬なことだとは思いません。リアルな話をしているだけです。リアルな話を聞きたくないなら、違う講演者を呼んだほうがよかったんですよ。でも真実が大切ですよね。

失敗し、人生を味わわなければならない

2番目に私が伝えたいことは、私はみなさんが失敗することを学び、結果的に勝利してほしいと願います。

(会場拍手)

あなた方が失敗することを学び、結果的には勝利するのです。そうするべきなのです。

今日ここに至るまで、あなた方は成功してきました。しかし、もう一度言いましょう。心から祝福いたしますが、これだけは言いたいのです。あなた方は失敗しなければなりません。そして、人生とはどういうものなのかを味わわなければならないのです。

この場の上の方に座っている人たちをご覧ください。保護者のみなさんは、あなた方にラップトップ、iPhone、スニーカーなんかを買い与えるのに飽き飽きしています。彼らはあなた方の卒業証書が1つのスクリプトになることを願っているのです。

そしていつかはあなた方が、彼らにテレビや、家をもう1軒買ってあげるようになるのです。私には7人子供がいます。彼らは全員が大卒か、現在大学に通っています。なぜ私は子供たちを学校に通わせたのでしょうか。それは彼らが私に払い戻しをしてくれるからです。

(会場笑)

それが理由ですよ。私はお金が戻ってきてほしいのです。投資した額を返金してほしいのです。私が自分の子供たちにどれだけお金をかけてきたかわかりますか?

それはそうと、失敗することを学ばなければならないのです。そして結果的に勝利をしてください。乗り越えることを学ぶのです。そこで教訓です。あなたの人生のなかで逆境がある時、その裏では2つのことが生じます。

1つは「教訓」もう1つは「祝福」です。あなたはその両方を受ける必要があります。もしあなたが逆境に負けてしまうなら、または逆境に縛られてしまうなら、負けたままになってしまうのです。

失敗は必ずやってきます。人生の10パーセントはなにが起こるか、90パーセントはあなたがなにをするかででき上がっているのです。

(会場拍手)

ですから、失敗したってなんてことはありません。失敗は失敗ではないのです。失敗するたびにそれは、価値のある教訓となる経験となります。そしてその後あなたを「偉大」にしてくれるのです。

ASUではこのことは教えてくれなかったでしょう。