音楽は騒音に近づいていく?

カリン・ユエン氏:芸術は、視覚的なものであるだけでなく、音などほかの感覚も含まれます。さて、今回は音に関する「5 Artists 5 Minutes」に入ってみましょう。

ルイジ・ルッソロ(Luigi Russolo)はイタリア未来派の画家であり、作曲家でもあり、実験的な楽器の考案者でもあり、また騒音芸術に関する宣言の著者でもありました。

彼は、最初の騒音による実験音楽の作曲家であり、騒音を集める器具イントナルモーリ(Intonarumori)を制作しました。彼が書きあらわした『L’Arte dei Rumori(騒音芸術)』では、このように述べられています。

「まず、最初に音楽の芸術は、純粋さや透明さ、甘美さを求めていた。それから、手が込んださまざまな音が融合し、柔らかい調和で耳を撫でるようになる。今日、音楽というものは、より複雑になってきていて、不協和音や奇抜でとげとげしい音の融合に向かっている。このようにして、騒音に近づいていくのだ」。

彼は、産業革命によって、近代の聴衆は、複雑な音を聞き分けることができるようになったと指摘しており、旋律による音楽が持っていた制限を、騒音の音楽は置き換えることができると予測しました。彼が制作した楽器は、第二次世界大戦中に破壊されたり消失したりしましたが、レプリカが作り直されてきました。

ニック・ケイブ(Nick Cave)は、アメリカのダンサー、パフォーマンス・アーティストであり、サウンド・スーツがよく知られています。彼の織物によるコスチュームは、色彩豊かで、気まぐれで、別の言葉でいうなら、容積のあるものです。

そして、人の隣にある中間体であり、野性的に装飾された一揃いの服装ですが、独立して展示されたり、ダンスパフォーマンスで着用されたりもします。

最初のサウンド・スーツは、地元の公園で集めた小枝で作られ、それを着用して小枝が音を立てるのを聞いてから、ビーズやボタン、スパンコール、染色した糸くずなどほかの素材で実験を始めました。サウンド・スーツは、完全に人間を覆い、アイデンティティーやジャンダー、人種を秘匿します。

トニー・コンラッド(Tony Conrad)はアメリカのアーティストで、実験的な映像作家であり、音楽家、作曲家、サウンド・アーティストであり、そして作家であり、先生です。

「Unprojectable Projection and Perspective」(2008)では、コンラッドは、ロンドンのテート・モダンの講堂において、中央のブリッジを舞台に用いパフォーマンスを行いました。パフォーマンスは増幅された弦楽四重奏を特長としており、コンラッドはバイオリンを弾き、かたわらには電動ドリルやモーターなどの産業機械を置き、聴衆の上部に長い布が掛けられ、そこに影と映像が映されました。

ジョン・ケージの「4分33秒」にはどんな意味が?

池田亮司は、日本のサウンド・アーティストであり、パリを制作の拠点にしています。彼の作品では、生の状態の音が主な関心事となっていて、サインやトーン、騒音、しばしば周波数が、人間の聴覚の幅の極限で用いられます。彼は以下のように書いています。

「アーティスト/作曲家としての私の意図は、美というコンセプトと、崇高というコンセプトにいつも分極される。美は、私にとって合理的で、正確で、簡潔で、エレガントで、繊細さの結晶なのだ。一方、崇高は、無限小で、巨大で、記述できない、言いようのない、つまり永遠なのだ」。

「test pattern [enhanced version]」(2011)は、聴覚と視覚が融合した没入型のインスタレーションであり、幻覚を起こさせるような抽象的なアニメーションと、打楽器の電子音とが一緒になっています。一見すると、混沌としたランダム性がありますが、実際には数学的に完璧なデータに基づいています。

ジョン・ケージ(John Cage)は、アメリカの作曲家であり、音楽理論家、作家であり、芸術家です。彼は、音楽の不確定性や、電子音響音楽、楽器の標準的ではない使用法におけるパイオニアと考えられています。

おそらくもっともよく知られている曲である「4分33秒」では、音楽家が舞台に上がるものの、楽器を演奏しません。実際には4分33秒の間、存在する以外には無を指揮して、彼は舞台を後にします。しかし、単に4分33秒の静寂だけでなく、聴衆の咳払いやささやき、手探りで回りを探す音なども含まれています。

この作品の決定に影響した体験は、1951年ハーバード大学に制作された無響室を訪れたときのことでした。彼が静かな部屋に入ったとき、そこでは高い音と低い音以外にはなにも聞こえませんでした。高い音は神経系統の音であり、低い音は血液循環の音です。

「私が死ぬまで、音が聞こえ続けるだろう。そしてこれらは私の死後も続けられるだろう。音楽の未来に対し恐れることはなにもない」と彼は認識しています。

彼は、音楽というものは音楽家が楽器を演奏するものだという前提に挑戦していて、そうである代わりにすべての音はここにあると認識していました。作品が生まれる30年前に「静粛にすること、静寂であることによって、我々は人々が考えていることを聴く機会を持つべきだ」と言っていたのは興味深いことです。

音と音楽に関するアーティストはこのほかにも本当にたくさんあります。みなさんのお気に入りがあれば下のコメント欄に残してください。ご視聴ありがとうございました。次回またお会いしましょう。