「好きを仕事に」デジハリ杉山学長のキャリア

杉山知之氏:みなさん、こんにちは。デジタルハリウッド学長の杉山です。

一応、僕はけっこういい年齢なんですよね。いろいろなことをやってきました。それで、いろんな勉強をしまして。

昔はこんなことをやってました(スライドを指して)。70年代にもうコンピュータを使っていました。1970年代、すごい昔でしょう? もちろんパソコンもない時期からやっていました。

僕、建築学科だったんですよ。日本大学理工学部建築学科ね。(デジタルハリウッド大学の)すぐそこにあって、いまだに御茶ノ水にいるんですけれど。大学出る時に、オイルショックとかがあって、自分は「建築設計やろうかな」とか、デザインとか好きだったから思ってたんですけど、軒並み就職先が募集しないみたいな時期だったんだよね、不況で。

それで大学4年の時に、どうせ就職は厳しそうだから、最後、卒業研究で自分の好きなこと研究しようと思ったんですよ。これがよかったと思います、自分が好きなことをやるということが。音楽が好きでした。音はけっこう好きで、オーディオも好きでした。それで建築でしょ? そしたら、建築+音響、「建築音響」という、なんとそういう分野があったんですよ。

それで、そういう研究室に入りました。日本でもいくつもないです、そういう研究してるところは。そこは、教授が実際に多目的ホールとかの設計もやってたんですね。音はほら、みんなのところに届いてるけど、見えないじゃない? だけど、建築屋は見えないと設計できないので。じゃあ、ビジュアライゼーションといって、音が見えるようにしようと。

例えば、「(音が壁に)ボンと当たって、そのへん落ちてる」みたいなものを見たい。そしたら、どうするか? CGしかないじゃないですか。だから、大型コンピュータにCGのプログラムを一生懸命書いて、見えるようにしたわけ。そういう研究をしていて、もうおもしろくなっちゃたんですよ。

大学3年までは不真面目な大学生だったんですけど、バンドとかばっかりやってて。でも、4年になったら、コンピュータのお守りで 120日ぐらい学校泊まってたから、まじめにやっていたという感じです。あまりにもおもしろい。つまり、勉強しているというより、おもしろい追求すべきことが見えたので、お父さんにお願いして。「大学院に行きたくなっちゃいました」みたいな話をして、大学に残って。

世界に認められ、ベンチャーを創業

本当は就職決まったんですけど、理系の大学は教授が強いんですよ。「助手の口が1個空いたから助手になれ」と言われて、助手になったんですね。そうやって8年ほど研究してるうちに、最後は渋谷のBunkamuraのオーチャードホールのコンピュータシミュレーションをやって、コクーンホールと。だから、いまだに「あそこ、音がいい」とかいわれると、うれしいんです。

あとは、音を吸収するタイルというのをイナックス(現:リクシル)とやってたんですけど、その時に提案したんですよ。

設計すると、すごく音がいいんですよね。角がない。そしたら、イナックスでやらせてくれるということで。これは、僕が全部デザインから計算からすべてやったんですけど。意外と認められて、フィラデルフィア美術館の「日本のデザインー1950年以降(JAPANESE DESIGN : A Survey Since 1950)」というやつに選ばれたり。

あとはMoMA、ニューヨーク近代美術館の貯蔵品になってたりします。(スライドの)この写真は、ニューヨークの近代美術館のページからもらってきました(笑)。僕も(実物は)どっかいっちゃってるので。その後、本当にたまたまチャンスに恵まれて、MIT、マサチューセッツ工科大学のメディアラボというところに約3年、客員で研究員をさせてもらいました。

本当は、僕が今やっているみたいな大学院を日本で作るという話がバブルの頃にあって。千葉の佐倉のほうに大きな研究所団地を作るので、そこに(大学院を)作ろう。そのために、メディアラボというところで勉強してたんですが、戻ってきたら、なんとバブルが弾けてしまいまして。日本の経済どん底で、そんな計画はなくなってしまったんですね。

僕は一応、日本大学からの給料で暮らしていたので、「日大に戻ってきなさい」という話になったんですけど、戻ったところでほしいものもないし。今の「21世紀がこういうことになる」という世界を、すでにもう1990年までに(メディアラボで)見てきたので、どうしようかなと。このギャップ。僕はもう戻ってきてやれることは、建築系の学生にUNIXというOSのシステムとか、C言語の簡単なやつを教えるぐらいしかできないんですよね。

好きなバーチャルリアリティの研究もしたいと思って、92年に仲間内でベンチャーを起こしました。学内の空いてる部屋をぶんどって、ベンチャーを始めたんです(笑)。その頃にいろいろシステムを作って。ハイビジョン国際映画祭の産業応用部門で、VRで美術館を作って、賞をもらったりしました。

時代に先行したバーチャルアイドル

さらに、ホリプロさんという有名な芸能事務所ありますよね。そこと一緒に、初めてバーチャルアイドルを作りました。これは、コンセプトは僕が立てて。もちろん、作ったのは一緒に組んだCGアーティストとか、プログラマたちなんですけれど、どうしてバーチャルアイドルがいいかというと、歳をとらないとか、同時に100ヶ所ぐらい、いっぺんに出演できるとか、そういうようなことですよね。

それから、AIが発展すれば、1万人とか2万人とかファンがいても1対1で対応ができるというようなコンセプトをすべて立てていました。1996年です。「伊達杏子DK-96」というんですけど。でも、時代が早すぎてうまくはいかなかったんです。この後にCGの美少女ブームとかが起きます。こういうことをやっていました。

僕自体、今もまだ研究室をやっています。なかなか学長の仕事は忙しいんですけど。みんなうちの大学院出た人たちがリサーチャーで残っていて、アドバイザーも外部の有名な先生たちとかと組んでいます。

学生と院生とそれからリサーチャーが、毎週木曜日にこんな感じで集まっています。うちの研究員たちは、だいたい自分の会社を持っていて、はっきり言って、僕よりはるかに稼いでいるような人ばかりが、よなよな研究員でやってきますという、すごくおもしろい文化なんですよ。

高校の先生とかは、(学校の)なかでどんなことをしているのかをまったく知らないで、たぶん偏差値とか噂だけで、デジタルハリウッドはいわゆる大学のなかでFランクとかいうように思ってると思うんだけど、起きてることはぜんぜん違うんですね。それで、一生懸命ご説明しなきゃならないという感じなんです。

僕の研究室でやってるところは、「Digital×Fashion」とか「Drone Racing Team」とか「Hyper Sonic Effects」とか「360度の立体のムービー×Virtual Reality」「360度映像のLive Streaming」とかね。それから「Art×Virtual Reality」とか。意外とこんなことやっています。

メンバーもすごく国際的です。僕のところだけでフランス人、イタリア人、アメリカ人とか、パキスタン人もいますね、日本人も。こんな感じです。そういうインターナショナルな感じなんですよ、本当に。学部でも今、現在で25ヶ国ぐらいいると思うんですね。累計でいうと、この10年間で40ヶ国以上からこの学校に来ています。

ここで言いたいのは、「電気自動車は100年以上前にあったんだよ」ということですね。約100年経って、物理的な世界で5倍ぐらいスピードが上がってます。

30年でパソコンの性能はどれくらい進化したか?

どんどんいきますね。実は、僕たちがデジタルを扱うようになったのは、CDが初めてなんです。1982年に初めて、一般の我々のところにデジタルのデータがやってきて、それでいろいろ楽しくなったのね。

でも、その時もパソコン売ってたんですよ。そのころのパソコンはこんなやつでした(スライドを指して)。君たちのお父さんだったら知ってるかもしれない。

それで、考えた。ちょうど2012年だったんだけど、CDが発売30周年記念の時、30年間でパソコンの性能が何倍ぐらいになったか、僕なりのやり方で計算してみました。だいたい何倍ぐらいだと思いますか? 

参加者:100万倍。

杉山:100万倍! すばらしい。

なんとすばらしい。100万倍です。だいたいふつうの方は「20倍」とか答えるんですよ。よくて「100倍」ぐらい。本当は100万倍なんですね。

これは、有名なムーアの法則というやつで計算しても100万倍になります。僕はハードディスクの容量とかCPUの速さとか使い勝手とか、総合的にいろいろ計算してみました。

これをちゃんと計算している、有名なレイ・カーツワイルという学者がいます。これはちょっとむずかしいです。縦軸は、「1秒間に1000ドルかけたら、どのぐらいの計算力がでるか」というやつです。つまり、人でもいいわけですよ。「1秒間に1000ドルあげるから、がんばって計算して」みたいなのでもいいんですよ。横軸は、1900年からあります。20年ごとに進んで、2100年までありますよ。

こっち(縦軸)がすごい。(単位が)1、2、3、4じゃない、縦軸。これ1コマ10の5乗。10万倍上がります。1コマ10万倍上がるんですよ。

「普通の仕事はコンピューターとロボットに」

じゃあ、プロットしてみましょう。実際、こんな感じになります。これが現実です。びっくりです。だいたい2000年ちょっと前で、虫さんの脳ぐらい。今はもうネズミさんの脳を超えて。2020年ぐらいになると、1秒間に1,000ドルかけてあげると、1人の脳ぐらいの計算が瞬時にできてしまうわけですね。

2045年になると、地球上にいる全人類の脳と同じ計算力を持つと言われています。これをシンギュラリティと言っていて、「技術的特異点」とか訳しますけど、ここから先はなにが起きるかわからない。

学者も予測不能とか言って、あおられている。もの書きする人とか、SF書く人とか、激しくものをいう科学者とかにあおられてるんだけど、僕はそうは思っていません。

よく考えてください。別にここに来て、急にとんでもない違いが起きるわけじゃなくて、もう我々はその違いに向かって毎日進んでいるんですよ。ここの恐ろしいカーブというのは、これは対数というか指数関数ですよね。だから、どんどん角度が上がっていくわけです。

例えば僕、1995年ぐらいにこの世界入ったら、「ドッグイヤー」と言われていました。ICTといわれる、我々みたいなデジタルに関わってる人たちは、「1年間が7年間ぐらいのスピードで動きますよ」とよく言われたわけ。

だから、会社も1年やると、もう7年間……。ふつうの昔の昭和のコンピュータ使わない人たちだった場合、7年分ぐらいのことを1年間でやっちゃうという、そういう意味なんですけど。でも、それがもっともっと早まってる。もう20年ぐらいこの世界でやってるベテランたちもみんな、「最近は、本当にものごとが早く動く」と言っています。

その1番いい例はAIだと思うんですね。みなさんが学校に来てからたくさん説明しますけど、結論を言えばこうです。

「普通の仕事は、コンピュータと、ロボットがする」というほうへ向かっているわけです。だから、僕が子供の頃、小学校の頃、学習塾というのはもう始まっていたので、「学習塾行って、最後は東大に行って、いい銀行に入ろう」とか言ってたわけですよ。「これでもう人生安泰!」と。

今はそんなことないですよ。銀行でやってる業務なんて、人工知能がもうすでにほとんどやってます。「この会社にお金を10億円貸してもいいですか・悪いですか?」みたいなことも、人工知能がちゃんとデータを持ってやったほうがよっぽどいいんですよね。