地獄のような音楽スタジオ時代

藤岡清高氏(以下、藤岡):留学後はどうされていたのですか?

山本敏行氏(以下、山本):日本に帰ってきて、最初は自分でビジネスをやっていこうと思っていました。大学を卒業するころに、僕のことを採用してくれる会社があるのか確認したいと思い就活をしましたが、受けたすべての会社から内定をもらえました。

これが自信になり、自分は失敗してもどこかで雇ってもらえると思い、すべて辞退して、自分で会社を起こすと決めてそれを父親に伝えました。

すると父親が大阪から飛んで来ました。父の頭の中では、大手の会社に2、3年就職して、自分の音楽スタジオを継いでほしいという気持ちがあり、「よくわからんネットビジネスはだめだ」と最後は7時間くらい説教されて、根負けして起業の夢を諦めました。

父親からは、大学生ぐらいまで勉強しろとは言われなかったですし、音楽をやれとも言われず、英語とコンピュータだけやっとけという感じでしたが、自分の会社を継いでほしいという思いは強かったですね。

確かにコンピュータをやれとは言っていましたが、ネットビジネスなんて浮いたものに息子が流れていくのは許せなかったみたいで、「わかりました」と最後は根負けしました。「でもこのネットビジネスだけは続けさせてください」ということだけは言って、「わかった、いいぞ」と。

父親の音楽スタジオで半日働いて、後の半日自分の仕事をするのはいいと言われました。父は、働いていくうちに僕のビジネスはダメになっていくだろうと考えていたと思います。そして東京から大阪の実家に戻りました。

そこからは自分にとって地獄の始まりでした。父親は自分の事業を継がせたいと思っているので、まずは僕のビジネスを辞めさせるために毎日3時間以上の説教でした。本当に毎日怒られました。そのせいで時計の針を眺めるのが癖になってしまいました。

しかも怒られている内容にひと言反発すると、プラス1時間伸びます。なにか発するとどんどん怒られる時間が伸びていくので、すべて「はい」と聞かざるを得ない状況でした。

父が音楽スタジオをやっていることもあり、父の周りには生まれてから音楽しかしていないような人たちばかりでした。父は息子がそうなってしまうのはまずいと思ったのでしょう。あえてあんまり音楽に触れさせないように教育してきたように思います。

だから僕は音楽にあまり興味も持っていませんでした。それなのに大学を卒業した瞬間、「音にさえ携われていればいい」、素で「No music,No life」と言ってしまうようなスタッフやお客さんの中に入っていきました。

すると、自分がそういう人種ではないと気付くんですよ。仕事がきついというよりも、居場所がないというか。音楽をやったこともないし、お客さんほど音楽好きじゃないですし。そのせいか、父の音楽スタジオで働いている間、精神的にやられちゃいましたね。

お客さんから「どのギターの弦が良いですか?」とか聞かれても、わからないですし。熱をもって仕事していなかったので、受付で来客対応して、裏戻って自分のネットビジネスをして「すいませーん」と言われて、また受付に戻って、その繰り返しでした。

当時は出勤も父の車で一緒に通勤して週6日間働き、しかも毎日3時間以上怒られて。最長で連続36時間怒られたこともありました。ノンストップでご飯も食べず、睡眠もなくずっと立ちっぱなしでです。

父はこのスタジオがどれだけすごいのか、ということも含め仕事の姿勢などを僕に伝えたかったんだと思います。

でもその熱が僕には重くて、4階建てのスタジオだったのですが、休憩時間に毎回空を見上げに屋上行って「いつ飛び降りようか」なんて考えてしまう、苦しい音楽スタジオ時代でした。

覚悟を決めて父親に「起業」を宣言

一方で、自分のビジネスのお客様はどんどん増えていきました。でも社員の採用はもちろんさせてもらえません。社員が増えたら責任も発生しますしね。なので自分で徹夜でネットビジネスして、次の日の朝出社。仕事しては徹夜という生活でした。

人生はこんなに辛いのかという時期が2年半くらい続いていました。「僕の人生って何なんだろう?」とお先真っ暗な感じでした。いかに派手に自殺して死ぬかを考えたりもしていました。

その間もネットビジネスはどんどん忙しくなり、働けるのは1日の半分しかなかったので、遠隔で人を雇うことにしました。今で言うクラウドソーシングですね。

チャットで仕事をしながら在宅スタッフの方に仕事を振る、ということをスタジオから指示出していました。時間がないので業務効率を意識せざるを得ず、その経験のおかげで僕の業務効率は日に日に良くなっていきました。

するとそのチャットで指示を出していた1人で、僕の3つ下くらいの方が突然、「僕、山本さんの下で働きたいです」と言うんです。

実際に会うと「山本さん、僕はもう決めました。山本さんの下で働きます。もう親にも親戚にも言ってきました」と言うんです。「ええっ! 僕に言う前に先に親戚に言ったの?」と(笑)。

「仕方ないな」とこちらも覚悟を決めて会社を作ることにして、それを父親に告白することに決めました。その日は朝からもうドキドキが止まらなくて、中学生のときに好きな女の子に告白するくらいのドキドキでした。もう夕方には血圧があがってか鼻血が出始めたりしました(笑)。

「僕はもう自分のビジネスでやっていきたいと思っています」と父親に伝えました。父親はなんでも基本的にNOと言うのですが、本気でこれをやりたいんだと思っているときはすんなりOK出ることがあるんですね。

東京に行きたいと言ったとき、LAに行きたいと言ったとき、自分で会社作りたいと言ったときは僕の決意が固かったのもあったかもしれませんが、わかったという感じで認めてもらえました。いろいろと言われましたが、僕はがんじがらめにされていところから一気に解き放たれました。

オフィスに机を買って、椅子もパソコンも買って、自分の自由に時間が使える。受付の裏で作業して「すいませーん」と作業を中断されることもない。

法人設立と同時に在宅スタッフでやってくれていた人たちを自分のオフィスに招集して、自分のやりたいことのために自分の時間を100パーセント使えたので、水を得た魚のような、それこそうれしくて天にも昇る気持ちでしたね。

2年連続で社員満足度日本一

藤岡:そして紆余曲折を経ながらChatWorkは今に至ってくるわけですが、御社のマネジメントスタイルや働く魅力について教えていただけまますか?

山本:もともと自分の体育会系譲りの“根性論”のマネジメントスタイルで、設立当初は社員が次々と辞めていく会社でした。頭が痛くなったり、お腹が痛くなったりすると、「それは気合が足りない、いいから会社に来なさい」という具合です。

経営について無知だった私は、2005年に「1年間に1,000人のCEOに会って経営のアドバイスを受ける」という目標を立て、とにかく経営者に会いました。1日3時間程度の睡眠だったと思います。

IT社長はできるだけ避けました。ITビジネスは伸びているので、経営者の力量以外の理由で伸びている可能性があり、社長が若いこともありました。

成熟している市場でも継続して成長している会社の経営者や経営経験豊富な方を中心に話を聞き、ある経営者に“原因自分論”というアドバイスをいただきました。

「人が辞めるのは社員や環境が悪いのではなく、全部自分のことだと捉えなさい」ということでした。それから自分をよくすれば周りも変わるはずだと思うようになりました。

その後、さまざまな会社のマネジメントスタイルを取り入れ、自社に合うスタイルを作り上げていきました。2008年にある人材組織系企業の“モチベーションサーベイ”という組織診断を受けたところ「社員満足度が日本一という」結果が出ました。

そこで出てきた課題を解決するとまた翌年にはポイントが上がって再度日本一になりました。2年連続で社員満足度日本一ということで多くのメディアから取材を受けるようになりました。

良いビジネスリーダーの共通点として、自分の事業についてとても熱く語ります。仕事を楽しみ、決して社員のことを悪く言いません。自分も良いビジネスリーダーを目指していきたいと思っています。

社風が良いというのはあると思います。ギスギスしてないと言うか、成果さえ残せばよいというわけではなく、お互いのことを思いやって仕事ができていますね。会社と個人のベクトルが揃っているのが大きな特徴です。

それは経営陣は社員第一主義、社員はユーザー第一主義を掲げながらやっているので、会社も社員もユーザーもみんながハッピーになれるようになっています。

藤岡:社員第一主義とはどのようなことでしょうか?

山本:例えば、無理な要求をしてくるお客さんがいたとします。社員は基本的には上司から何とかやってくれという感じで言われるのに、お客さんからも無理な要求されたらそれはきつくなりますよ。

そういう場合は経営陣も要求内容を見て、判断するようにしています。これが単なる甘えのときは「頑張って」となりますが、「これはひどいな」という要求だった場合は、経営陣が出て行ってそこは社員をしっかり守るというかたちにしています。

ChatWorkの働きやすさ・今後の夢

藤岡:働きやすさや待遇面での特徴も教えてもらえますか?

山本:例えば年間10連休を4回取得できたりと、さまざまな制度が整っていることがあります。ですが本当に核の部分は、社員にはChatWorkを通して自己実現をしてほしくて、やりたいことができるということがあります。

例えば、新卒でエンジニアで昨年入ってきた社員の実話ですが、最近台湾に彼女ができまして、そこから台湾にはまって中国語をめちゃくちゃ勉強してるんですね。

それでChatWorkが東南アジアに進出しますというときは、「台湾担当にしてほしい」と言い出しまして、「でも、君はエンジニアだよね」と。「でも台湾を切り開くのを全力でやりたい」と言うので、マーケティング部に移籍して、今は台湾に移住して活躍しています。

今までコードしか書いたことのないような社員が、マーケティングも初めてだし、採用も初めてだし、グローバル展開も初めてですが、必死でやってて楽しそうなんです。そして、台湾のユーザーが急速に増え始めています!

その人が本当にやりたいことを見つけてやらせてみるというのは意識してやっています。それが1つの事例で、ほかにも新しい社員が来て、既存の部署に得意分野がなかったら新しい部署を造ったり、社員がこれやりたいですと事業を提案してきて、ChatWorkの事業とぜんぜん違うものだったらグループ会社を作ってその社員を社長にしたりですね。そういうことをやってきています。

社員のやる気は尊重してやらせますが、その代わりその分野で一番になることを求めますね。僕はこの分野だったら誰にも負けないというのを追及してくれと。

それ以外の自分が苦手な分野に関しては会社のみんなでカバーしていくから、その分野に関しては世界トップレベルになろうみたいな。そのための環境はぜんぶこっちで用意すると。そういう考え方でやっています。

ですから会社採用のときから、「君は何をしたいのか、将来どうなりたいのか」を聞いています。本人が将来どうしたいかを考え切れていない場合もありますが、そういったときはこっちから掘り起こしてあげて、「こうなりたいんだったらこういうことを何年間かやっていけばそっちの方向に行けるし、君のやりたい方向はうちとはぜんぜん違う方向だけど、それはうちに来て大丈夫なの?」とかもありますね。

僕たちとの相性もあるとは思うのですが、日本発のサービスを世界に広げていくという考えに共感できて、日本を背負って戦っているような人が良いですね。

また僕らはマザーズ上場を早い段階で達成して、東証一部、NASDAQへとその後もグローバルに成長して戦っていきたいので、自分の人生を賭けて一緒の船に乗ってくれる方ですね。

藤岡:最後に山本さんの夢を教えてください。

山本:ChatWorkという日本発のサービスを世界中の人々が使ってくれて、喜んでくれている。そういう光景は僕の中では夢ですね。

日本ではけっこうそういう状態が出てきていて、ユーザーの方から「ChatWork作った方なんですね、めっちゃ使ってます」と言ってもらえることが増えてきました。とてもうれしいですが、まだまだ知名度もないですし、シリコンバレーでそういう状況を起こしてみたいというのはあります。

藤岡:山本さん、素敵なインタビューありがとうございました!