田中章 初めてのパチンコ経営だと思うんですけど、一番そこで学んだものって何ですか?

熊谷 やっぱりですね~、一人じゃ何も出来ないですね。行った途端に17歳が3~40歳の方達数十人の中の責任者になったわけですね。17歳ですからね!

田中章 彼等の反応はどんな感じで?

熊谷 いやそりゃもう、何言ってんのコイツは。小僧が来たみたいな。それでね、一番最初は拳を振り上げて色々変えすぎてですね。何十人かの人が離反するんですよ。だから孤立してしまって、本当にうまく行かない時期が最初2,3ヶ月ありました。

でも、それから、そういう方々と同じ釜の飯を食って、朝昼晩飯食って話して、お店を良くする為に相当考えて、人間関係の苦労が今そういう間違いを起こさないようにしようと思ってますんで、すごく勉強になりましたね。あとやっぱり、総て数字で管理するってところが今のインターネットの事業もまったく同じでして。インターネット事業の良い所は総て数字で把握出来るんでね。そういう所のベースってのがその当時出来たような気がしますね。

田中章 当時は数字はどうやって管理してたんでしょう? 今みたくデータ分析のツールとかあったわけじゃないですか。

熊谷 僕が一番最初にパソコンを触ったのが20代前半で、その時には本当にパソコンすらない時代でしたんで、当時は手帳、計算とかはそろばんでやってましたからね。当時僕はそろばんの非効率さに気がついて、最終的に電卓を見ないで打てるって事になりましたけど……。

田中章 電卓のブラインドタッチですね。

熊谷 そう、電卓のブラインドタッチが出来るようになりましたですね。で、もう手帳、というかノートに全パチンコ台の出玉管理とかを付けてて、数百台を毎日書くんですね。で、手で計算をしてって事をやってましたね。

田中章 今で言えばサーバーのログ解析のような事をパチンコ店でやられていたと……。

熊谷 正にそうですね。で、そんな事を17歳の時にやってたんだけど、今49歳ですよ。僕は36になった時に上場をしてますけれども、36で上場して49で今みたいな企業グループを作る事が出来ると言う事なんですね。皆さん全員に、それこそやる気さえあれば、チャンスが来る。ただですね、なんていうのかな、孫さんもそうですし、生死の境を彷徨った話は有名ですよね。ジョブズもそうですよね。

あと僕もレベルは低いけど、22、3の頃に物すごい苦労経験があって、それはバネになるんですよね。そういうなんか僕みたいに屈折したバネかもしれないけれど、バネがある人とない人だと、あとの発揮できる力って違うと思うんですよね。だから今はホントに 苦労は買ってでもしろって言葉がありますけど、皆さん色んな苦労された方がいいと思います。

田中章 ありがとうございます。田中さん、苦労した事ありますか? そういう。

田中良 今熊谷さんのお話にもありましたけど、ここにいらっしゃるような若い時代の頃は人格形成に重要な時期だなぁと思ってまして、そういう意味じゃ、ちょっとしたスキルが云々かんぬんというよりも、その時代に感じてたものとか考えてたものとか考えてた事とかが重要だなぁと思ってまして、例えば僕も結構色んな会社とかでも、ある意味ブレないっていうか、強い意志を発揮したいとか、こういう事発揮してるなぁと感じられる時があると思うんですけど、それって子供の頃から自分なりに経験して考えて、こうだ! って信念を持ってやってるんで、今さらちょっとやそっと何か色々言われたぐらいで、もう変わらないってレベルに達してるから力強く言えると思うんですけど、それって多分、別に今この35歳で身につけたってわけでも何でも無く、むしろ10代20代の前半頃に身につけたものが、とても大きいなって思ってます。

で、僕は熊谷さんと同じく、皆さんにお伝えしたいという事はですね、僕は普通、東証一部上場企業なんだけども、誰も名前を知らないような会社のサラリーマンの課長だか部長代理だか知りませんけど、そんなに偉くない普通のサラリーマンの息子で、多分年収800万位の、そんなくらいの家庭で育っているんですけど。

その中でも、多分ここにいらっしゃっている方もそうだと思うんですけれども、自分としては何か成し遂げたいなぁ、しかも何か出来る位能力がある気がするけれど、同時にそんな何か特殊能力があるわけでもないし、普通っちゃ普通ですよねっていう中で、多分これからなりたい自分と今の自分とのギャップに苦しんでたりとか、これからの未来を不安に思うみたいな、時代ってのは結構ずっと昔からあって、そこでどう考えて、どう行動したかってのが、中核的な価値観となってまして、それがすごい良かったなぁと思ってます。

そういった意味でさっきみたいな不安ていうものを持っていたんですけども、僕、1個ものすごい不安が消えた話がありまして、ある東大の有名な数学者みたいな人が当時いてですね、80位のお爺さんだったですけれども、TVのインタビューを受けてたんですよ。で、そん時衝撃を受けたんですけれども、僕が思ってたみたいに、これから人生不安だなぁって思ってたんですけど。

その東大のすごい学生でも最近自分のゼミに来て、皆何を相談するかって言ったら、将来が不安ですって相談をすごいしてくると。で、その人は、本当にこいつらは馬鹿すぎると、頭が悪いと断言してまして、なんでなんで? って思ったんですけど、「あのな僕はもう80だ。ハッキリ言って、あと何回朝起きて、何回この道を通って、何回朝御飯食べて死ぬか想像がつく。この道を通るしかない、朝御飯は白米しか出て来ない、けど君等の人生は白米が出てくるか赤飯が出てくるかわかんないし、この道を行ってたら工事中でこっちかもしれないって事もあるだろ? こんな面白い事があるのか? 俺の人生は滅茶苦茶つまらん。予定帳は死ぬだけなんだ」って、80の人が饒舌に語ってまして、衝撃を受けたんですけど。

そっか、ものの見方ってそんなもんだなぁと思って、要は可能性があるって事は何が起きるかわかんないから不安なわけなんですよね、それはある意味持てる者の悩みなんだなぁと、だから別に年齢は関係ないんですけれども、80歳でこれからこうこうこうこうどうなるか判っているのは不安はないけど面白味はないし、不確実性もないから、それはそれでトレードオフ関係にあるんだと、ある意味冗談半分で言ってくれてるんだなぁと感じまして、僕はそれから色んな事を不安に思う事もあるんですけれども、不安が持てるって事は若さの特権だし、不確実性を持ってる特権なんだなぁと。これをネガティブに捉えてはいけなくて、こんな良い事ないんだ、て捉えようと感じたんですけれども。そういった事を感じたりとか思ってました。

それで、その中で一番大きかったのは、実際、僕は二十歳位からそんな感じでインターネット業界で働きたいなんて思ってたんですけど、例えば、皆さんにも友達っているじゃないですか? 僕はですね、インターネット業界で仕事がしたいなぁって思ってたんで、学校の友達じゃなくって、インターネット業界に興味がある友達ってのをずっと作ってたんですよね。で、そこで気づいたんですよね、そういえば友達ってのは、そういう風に友達を探すまで、誰かに与えられるものだったなぁって感じたんですよね。

高校に入りました、クラス割があります、1年A組の出席番号何番ですって決まった途端に、自分の友達は○○高校の1組の中から探すんだと。出席番号近い順から探すのかなと、そういう風に思っちゃったわけですよね。それってのはある意味、田中君の友達はこの中から探せって、命令はされてないですけど、思い込んでたわけですよ。良く考えたら、友達ってのは誰でもなろうと思えばなれるわけですよ。

で、大学時代になって、そういう風に学校以外の友達を自ら作るようになっていって初めて、友達っていうのは、選べるものなんだって、別にサークルの友達の中で選べとか、クラスの友達の中から選べとか、誰かに決められているものじゃないんだなぁって気づいた時に、自分っていうのは今まですごい枠組みに縛られている、そういう人間だったんだなぁって考え方を直したんですよ。

例えば、働くって言ってもなんか就職活動をして、入社してからしか働けないってイメージがその前あったんですけど、そんな事どこの誰が決めたんだと。別に法律に書いてあるわけじゃなくて、人間っていうのは働きたいって思ってるから働けるんだって、当たり前なんですけど、これが、あ、そうなんだなって思ったんですね。

だから友達も選べるし、働く時期も選べるし、自分の人生って言うのは選べるものなんだ、ていうのを感じ始めたのが、この年代でして、そのあと僕は、さっきも誰か世界一周旅行に行ったって言ってらした方がいましたが、僕もですねバックバッカーみたいな事をしてですね、大学の終わりに。そこでも感じたんですけど、予定のない旅行を2週間位してると、明日何しようという事を自分で予定を立てて翌日その予定に従って自分で行動して、また寝る前に明日何しようって考えてやるんですけども、人生ってこんな風に毎日選択的に生きられるはずなのに、普通に東京であくせく過ごしてたら、俺は大学行ってるから、この講座取らなきゃいけなくて、っていう事は朝いつに行ってこうだって事が決まってて、なんかノルマをこなす様に大学に行ってるなぁって感じてですね。

良く考えたら大学も自分が行きたいから行っているわけで、別に強制労働として行かされているわけでもないですし、自分で選んで毎日毎日を選んで、たまたまそれが、毎日学校へ行くという事を選んでいるから、毎日行っているわけであって、それは別に誰かに決められている事じゃないなぁと。だから旅行でも、朝起きて毎日決めてるように、なんで僕は大学に行く時に、今日は俺はこういう授業を受けるんだって、前向きに人生を捉えてないんだろうなと思って、考え方を変えたんですけども。そういった事をずっとやってました。

そん中で一番思った事は、実際それで僕も学生の頃は色々やってたわけですけれども、いきなり学生の中でも田中って奴がインターネットにスゲェ詳しい学生がいるらしいって位、ネット業界でも段々有名になっていきまして。当時何人かで、アメリカのインターネット企業を研究するサークル活動という怪しげなサークルをやってたんですけども、その頃情報が余りにもないんで、友達がリーマンブラザーズ……無くなっちゃいましたけど、に勤めてたんで、そこにこっそり入れてもらってアナリストレポートをいっぱいもらって来て、それを皆で翻訳して勝手にホームページに載せるって活動をしてまして。

意味不明なサークル活動ですけども、そしたらある日メールが来ましてね、経済産業省の者ですけれども、これからの日本のネットベンチャーについて教えて欲しいってメールが来まして、俺らに聞いてもしょうがないだろって思いましたね。世の中って本当にわからないなと。何でもあっていいなぁと思った事がありましたね。

田中章 今ちょっとお二人に、質問とかって聞いてみたいと思うんですけど。多分お二人の人生の中で、インターネットって産業革命が大きな意味合いを持つと思うんですが、田中さんは丁度大学生の頃それが始まってたんで、熊谷さんはその前から逆に日本でインターネットの火付け役としてやってきたと思うんですが、やっぱり各世代にとって、その世代にマッチした新しい産業の動きってのがあると思うんですけど、多分1個前のビルゲイツとかジョブズの時代かと、それってインターネットじゃないとマイクロプロフェッサーなどだと思うんですけれども、実際に自分が、何かこれから来ると、で、他の事をやらないで、これにフォーカスしようと考えた時、どういう事考えてたのか、何かその頃きっかけがあって、周りで何が起きてたのか、その辺の今のチャレンジする人生に繋がった時の話ってのを聞かせてもらえます? まず、熊谷さんから、多分一番最初の頃から知ってると思うんで、教えてください。

熊谷 今日の僕の提案、さっきも言ったんですけど、僕みたいな奴でも、こんな会社が作れますよっていう話ですよね。で、それを繋ぐ為に真ん中にあった話を一つだけさせて頂くと、私は皆さんと同じ位の時に、ゴールを決めたんですよ。自分の。何のゴールかっていうと、人生のゴールを決めたんですよ。僕の人生、いまお金もないし、時間もないし、家は傾いてるしって時に人生のゴールを決めたんですね。

今苦しいけど将来こうしようと。だから、航海に例えると正に人生のGPSを手に入れたと。当時風に言うんだったら、灯台を決めたってとこだよね。大草原を歩く時に自分の背丈ほどの大草原を歩くとね、あとから振り返ってみると磁石を持って無かったら右に行ったり左に行ったりしちゃうじゃないですか。だけど、遠くに高い木や山を見つけとけば、真っ直ぐ歩けますよね?

人生のそういう、灯台とか、目印の木ってのはすごい重要で、それがないと皆さんあとで振り返って人生無駄にしちゃうからね。で、それを見つけた事が今の自分に繋がってて、それは僕が当時、今苦しいけども何かの産業で、圧倒的一番の青年実業家になりたいって、すごい思ったんですよ。ちょい自分で言うのも恥ずかしいんですけど、本当にそういう風に思って、それを手帳に書いた事が今の僕に繋がってるんです。

で、色んな産業の研究をしました。自分自身ではそれこそ、色んな財閥であったりとか、鉄道系の東急さんであったりとか、今ちょっと駄目ですけど、西武さんですとかの研究をして、そういうものってもう出て来ないのかな? 今スキマ産業しかないのかな? ってすごい考えてたんですね。

その時に、マルチメディアって言葉が出てきて、その先にインターネットが登場して、このインターネットってもしかしたら、昔で言う所の鉄道のようなインフラに成り得るんじゃないかなと。そう気付いたのが今の産業に全力投球、命かけよう、人生かけようと思ったキッカケなんですよ。

田中章 ちなみに、何歳くらいの時でしたか?

熊谷 20代後半ですよね。で、鉄道産業って鉄道を敷いて、一番手前の都心に近い所にデパートを置いて、一番遠い所に遊園地を作るでしょ? 平日は都心に向かうトラフィックですから、鉄道と同時に百貨店で収益を上げて、土日は皆遊園地に行って頂いて、遊園地のトラフィックで遊園地で収益を上げる。それこそ都心に近い所から、どんどん開発していって、スーパー作ったり、病院作ったり、様々な事をして、デベロッパーとして収益を上げていくというのがモデルじゃないですか?

インターネットが出た時に、これってもしかしたら、全く同じ形なのかも、ていう風に感じて、これこそ正に命をかける産業だと確信して、一番最初にプロバイダー事業をやったんですよ。プロバイダー事業っていうのは、僕は事業をやる時に考えるのは 間違いのない事って何だろうっていつも考えるんですね。

IVSでも話しましたけど、事業ってさ、やった人は殆ど失敗するのよ。ハッキリ言って。100社あったら99社失敗する。うまく行かない。うまく行ってもホントに生き残る事が大変になる。それが事業家という人生であり、そのリスクをとる事が事業家っていう生き方なんですね。で、怖いから、僕臆病なんで……だって人生一回で自分一人ならともかく、今3000人の仲間がいて失敗したら3000人がかけた時間っていうか人生を失うじゃないですか。

だから重大な責任があるので、会社って失敗させると本当に良くないと思うんですよ。そういう意味で、怖いから間違いない事だけを自分の判断で、基準にする。当時間違いないと思ったのは、インターネットが広がるという事と、ユーザーが増えるという事は間違いないと思った。だからユーザーが増えるに従って収益が増えるプロバイダー事業をやったという事ですね。

ただし、それがうまく行った時に、自分では人数×単価のビジネスはいずれ上限が来ると思ったんですね。だって人口が一定ですから。これじゃ駄目だと思って、シリコンバレーに当時うちの役員だった外人の米軍の情報将校だった人が退任してシリコンバレーに、2人ともお酒大好きだったから、ワインを飲みに行ったんですよ。ナパに。ついでに仕事してこようってシリコンバレーに行って、その時に彼の同期の仲間達が、シリコンバレーのあちこちのベンチャーに就職してて、そこを見学したんですね。

その時に巡り会ったのが初期型のデータセンターでして、そこで今の我々のサーバーのビジネスとかドメインのビジネスとかの原型を教えて頂いて、日本に持ち帰ってきて、日本で最も安く、便利なものを作って今の我々のウェブインフラ事業のベースにしたんですけど、その時に確信した事も、間違いないと思った事はインターネットは広がる、情報が増える、情報が増えれば、さっきの話じゃないけど、サーバーが必要になる。だからサーバーをレンタルする事業をやろうと、そんな発想に繋がる。

僕はゴールを見つけて、自分が一生涯続けたい事を見つけて、それを実現する為に、すごい勉強して、命、自分の人生を掛けてもいいって確信が出た時にそこに全力投球した、それが今のうちに繋がってるし、あとその時にやっぱり、殆ど失敗する事が前提なんで、失敗しない為に間違いのない事、絶対間違ってない事だけに自分の時間とかお金とか仲間とかの人生なんかをかけてきたと。それが今までのやり方なんでしょうかね。

田中章 田中さんどうですか?

田中良 あの~、僕ですね、小学生位の頃に理科と社会が異常に好きで、すごい教科書を熟読して、何故かNHKの理科の実験のですね教育テレビがあるんですけれども、それを一生懸命観るというですね、良くわからない小学校の頃の事と、あと、戦争の研究みたいなものをよくNHKで観る様な自分の興味のある事にすごい熱中するような、子供だったんですけれども、その時によくよく自分で気付いた事があって、X線の発明とか星座の発見とか、元素の発明とか、そういった色々な物が発明されている、と言う事が書いてあるわけですよ。

で、自分なりに色々考えてみた結果ですね、例えば元素ですとか星座はこれからも見つかるとは思うんですけれども、ある、数年とか数十年とかわかんないけど、全部発見し尽くされると。X線だとか電子顕微鏡とかの技術が生きて、それからなんか、皆がそこだ~って調べ切っちゃうんですよね。で、やっぱり星座とかもですね、そりゃ多分電子顕微鏡とか望遠鏡とかの技術が出来ちゃって、そこまで見えるって言ったら皆集まっちゃって、群がって皆で星座をワーッと探しちゃうんですよ。他にも深海魚とか花とかもバーッと皆探しちゃって、で名前が付いちゃったりするんですね。

僕なりに思ったのは、あるイノベーションが起きて、そのイノベーションに皆がバーッと集まって、それから数年間数十年間皆でバーッってイノベーションを起こし続けて、っていうのが起きるんだなぁと。だから、そのタイミングに立ち会わないと、今から自分が一生懸命新しい元素見つけようと思っても、見つかんないよみたいな事があるわけですよ。そりゃもう出尽くしてますからみたいな。

だから自分は1977年生まれですが、1977年に生まれて、多分どう考えても西暦2050年とか2060年とかには死ぬなと思っていた時は、長い人類の歴史の中に於いても僕が立ち会えるイノベーションってのは、そんなにないなと。今さら星座の発見とかも出来るかもしれないけど、あんま出来なそうだし。元素とか深海魚とかもう生きてないかもしんないと。

今僕が生きてる間、しかも働けるのって、30年40年じゃないですか、その間に起きる人類に於ける巨大なイノベーションてのは、何なのかってのを自分の中で、探すべきだって結論に達したんですけど。その結論の結果ですね、多分その石油のエネルギー問題とか、最近もシエールガス発見なんてのもありますし。バイオテクノロジーとか、ロボット革命とか、色々ありそうだなと思ったんですけれども。

なんかちょっと自分の中で、いきなり油田を発見するとか出来無そうだなとか、ちょっと自分ではいきなりバイオテクノロジーですごい物を作るとかも今若い内に出来るか? って言われたら出来なそうだなぁとか、色々考えた結果、今社会に人類の中で起こりうるイノベーションで、かつ自分が携われるもので、何かっていうと、インターネットが一番いいんではないかなという結論に達して、今のビジネスをしてるってのもある。

そういった意味ではですね、単にインターネットというものを普通に捉えてなくて、人類の歴史の中に於いて、どの位居続けられて、そういう風な僕は教科書に載るような転換点に、なんか羅針盤出来ましたみたいなので、第五怪獣始まりましたなんて、そうした急な転換点に立ち会ってるわけだから、こんなに得がたいチャンスはないなと考えるといいなと思っていますね。

田中章 ありがとうございます。田中さんにインターネットの新しいサービスについて聞きたいんです。先駆けという事でそういうチャンスがもっとあると思うんですけど。逆に今お2人が二十歳位の学生の立場に戻ったとしたら、何を今同じようなチャンスだと捉えますか? もし田中さんが今、二十歳だったら、同じような事を考えていたとしたら。2012年の今だったとしたら、どんな回答が出てくる? やっぱりインターネットですか? それとも又インターネットの中でも新しい事を考えてますか?

田中良 だから、それは僕は結論から言うと、インターネットが確率論で一番いいと思うんですけど、何でかって言うとインターネットのインパクトっていうものをどれくらいだと感じるかだと思うんですよね。例えば、車ってあるじゃないですか。けど車の革命って、今のも電気自動車って続いてるんですけど、5年10年のイノベーションじゃないですよね。

100年とか掛けて起こるイノベーションだと思うんですよね。インターネットもこれから100年とか200年かけて起こるイノベーションだとは思うので、そう思うと、前半15年、20年位? 経ちましたけど、まだまだ続くんじゃないかって事が、ま、基本的に、考えられるなと思いますよね。

田中章 熊谷さんどう思います?

熊谷 田中社長の意見にまったく同感でして、産業革命ってコンパーチブルサイクルとも言われます。55年続くというじゃないですか、このインターネットの革命はまだまだ前半戦なんで、ここに関わるべきだと思います。但し、先駆者と同じ事やっても駄目なんで、新しい事をやんないと駄目でしょうねぇ。

田中章 今からプロバイダーやったりSNSやったりしても遅いよと?

熊谷 もう、絶対無理! だと思います。

田中章 ここであと時間が大体15分位あるんですが、もうちょっとインタラクティブな事の方にセッションを移したいと思います。学生さんからも質問を受け付けたいんで、その前にお2人から、ここに集まってる学生さん方に何か質問したい事はありませんか? あったら聞いて欲しいんですけど。いかがでしょうか? 熊谷さん、ありますか? 朝早くから起きて集まってきてくれてる学生の皆さんに何か問いたい事は?

熊谷 そうですね、僕は人生とか経営とか一番大事だと思っているのは、自分の夢、目標即ち人生の灯台を持っているかどうか? という話なんで、それをちょっと質問してみたいですね。社会生活とか、家庭生活とか、自分の人生に於いて、必ずこうしたいって夢とか目標とか持ってる人、ちょっと挙手してくれる?

どんな夢を持っていて、重要なのはいついつまでにそれを成し遂げたいか、成し遂げるかだからね。人生は限られてるからね。この二つ教えてください。じゃあ一番前の方。

質問者 僕の人生の目標といたしましては、僕は起業するつもりでいるので、自分の作った企業を日本から出していって、世界を動かしていく事業をしたいと思っています。それが僕が50歳になるまでの夢です。

熊谷 なるほど、君は50歳までに、その夢を実現する。会社いつ作るの?

質問者 すぐに作っても、実際社会とか経験していないので、周りが見えないと思うので、まずは5年間はIT企業のベンチャーに勤めさせて頂いて、そのあと別の業種を少し見て廻ろうかと思っています。10年単位で企業を作っていく。

熊谷 なるほど、いいですね、ちゃんとそうやってねマイルストーンを置いてるのはいいよね。夢を持たれていつまでにキチンとやる、細分化していくってのはすごく重要だから、頑張ってください。

質問者 はい、ありがとうございます。