ラシダ・ジョーンズ氏の母校でのスピーチ

ラシダ・ジョーンズ氏:ご紹介ありがとうございます。こんにちは。

スピーチを始める前にちょっと言いたいことがあります。カークランド・ストリートとクインシー・ストリートの角に、2007年に灰色の建物を建てた裕福な方がいると聞きましたが、あなたのビルは貨物ゾーンにありますので、ビルを移動させてください。さもなければ立て壊しますよ。

(会場笑)

ハーバードのみなさん、お元気ですか?

(会場歓声)

卒業生のみなさん、教職員のみなさん、クラス・マーシャルズ、ファルス会長、スディーン・カローナ、誇り高き保護者のみなさん、混乱している観光客のみなさん、友人のみなさん、飽きてきたご兄弟方、そしてそのほかのご家族の方々、今日は私をここにお招きいただきまして、誠にありがとうございます。

そしてみなさん、おめでとうございます。とくに、2016クラスのみなさん。そしてご両親のみなさん、おめでとうございます。

ご両親にとっても今日は特別な日ですよね。このおかげで、お子様が実家に舞い戻る可能性を大きく減らすことができたのですよ!

(会場笑)

しかしそのようなことはまだ起こりえますから、調子に乗って子供部屋をホームジムに変えるのはまだ待ってくださいね。

私が最初に卒業式の話し手の電話をいただいたとき、感動し、ドキドキし、誇らしい気持ちでいっぱいになりました。実はそんな電話があったのは2011年のことで、なぜかというと大学側はただ私を通してエイミー・ポーラーに依頼したかっただけでした。

(会場笑)

しかし、今年私が電話をいただいたとき、私はちょうど自分がハーバードへの入学が決まった時と同じ反応をしました。「ワオ! たくさんの人がオファーを断って、補欠名簿のなかから選ばなければならなかったのね!」。

そうです、私の名前は補欠名簿のなかにあったんですよ。

(会場笑)

いずれにせよ、これは私の夢でした。ですから、ここに来させていただいて本当に感謝しています。

ハーバードでの思い出と言えば

私はこのすばらしい大学を1997年に卒業しました。19年前、私はまさにみなさんがいらっしゃる場所に座っていました。私は落ち着き払って、世界でもトップの大学の栄誉を受け取りました。

その日の朝、自然に目覚ましが鳴っても目が覚めず、彼氏のルームメイトに起こされました。パニックになりながら二日酔いの状態で、当時最先端だったポケベルをチェックし、庭を駆け抜けていきながら、ちょうどジョン・ヒューズの映画の登場人物のようにキャップとガウンを身に着け、ちょうど卒業式が始まる時間にギリギリ間に合ったのです。

当時から自分が大きく変わったと言えればいいのですが、残念ながらまったく同じことが今朝も起こりました。キャップとガウンを着る必要はありませんでしたし、走るのが遅くなる原因となった、慢性の膝の問題は、当時はありませんでしたけど。それに、今はポケベルよりずっとましなものを持っていますけどね。

(会場笑)

このハーバードの庭に立っているだけで、簡単にあの頃の自分に戻れる気になります。このキャンパスで私は、一生に残るすばらしい思い出をたくさん作ることができました。サンダースのバックステージで短い昼寝をしたり、そうです、ラモーン図書館で気持ちのいい昼寝をしたり。サイエンス・センターのそばでうたた寝をしたり。

(会場笑)

眠りと関係のない思い出でしたら、エリオット・ハウス(注:学生寮の1つ)で試合前のダンスをしました。当時はそれをただ「ダンス」と呼んでいました。

(会場笑)

クーリエまで歩いて帰らないでいいように、カークランドの人と知り合いになりました(注:クーリエもカークランドも学生寮の1つ)。ダンスターA門の人と知り合って、C門まで歩いて帰らなくていいようにしました。

(会場笑)

私は本当にハーバードが提供する最高のアドバンテージを得ていたと言えるでしょう。

ところで、私はみなさんが自分のハウスに対して歓声を上げることがとても気に入っています。ここでテストをさせてください。本当に歓声が上がるかどうか。アダムズハウス?

(会場歓声)

ロエルは元気ですか?

(会場歓声)

5番目のベストハウス、ウインスロップ?

(会場歓声)

マザーハウス?

(会場歓声)

本当に歓声が上がるのですね。おもしろい!

大学で得た友人との縁は続く

みなさんはこの大学を去っていくのが悲しいと思っているでしょう。そうあるべきです。しかし、あなたがラッキーであれば、あなたの思い出は永遠にあなたについてくるでしょう。

今では世界中に散っていきましたが、私のもっとも親しい友人たちは、私がこの学校で作った友達です。私はそのなかの何人かと仕事をする幸運にも恵まれました。

例えば、97年クラスのマイケル・シュアは『ザ・オフィス』の脚本家で、『ブルックリン ナイン ナイン』のクリエイターです。そしてなにより、私にとって大切なのは『パークス・アンド・レクリエーション』のクリエイターです。

彼は私の初めてのロマンチックな準主役、そんなに古典的ではない作品『愛とセックスとIRS』で仕事をしました。マイクと私がソファの上でいちゃつくという芝居で毎日幕を開けたものです。

そして20年後に、マイクと私は規則無用の茶髪の繊細で洗練された赤子のようなアン・パーキンスという名の看護師(注:『パークス・アンド・レクリエーション』でジョーンズ氏が演じた役)を生み出したのです。

(会場歓声)

つまりこれから言えるのは、もしあなたが図書室で誰かといちゃつくのであれば、少なくとも必ずそれが連続ホームコメディになるということです。

(会場笑)

もしクインシーでいちゃついて、ラッキーだったら将来Webシリーズができるかもしれませんね。ダイニングホールで抱き合うくらいではダメですね。それはなににもつながりません。

(会場笑)

信じてもらえないかもしれませんが、ハーバードを去るとき、ハリウッドに行くという野望を持っていたわけではありませんでした。まったく別のかたちで、ハーバードを去るとき私は歴史を刻もうと思っていました。

そして今日、誇りをもってお伝えすることができます。あなたはまさにその歴史を目撃しています。そうです、みなさん。私は史上初のハーバードの卒業スピーチを二世代で行った人間です。

(会場拍手)

ありがとうございます。今日という日は記念すべき偉大な日です。私の父、クインシー・ジョーンズは1997年の私の卒業式のスピーカーでした。ですから理想なのは、ここにいる卒業生のうちの誰かが私の子供で、20年後にまた卒業式のスピーカーを行うというシナリオなのですが。

(会場笑)

笑わないでください。不可能ではありませんよ。ちょうど二日酔いの時にあなたを妊娠したかもしれませんからね。なんて、冗談です。私に子供はいません。いや、いるかもしれません。いや本当にいません。真面目な話、本当にいませんし、このことについてプレッシャーをかけるのはやめていただきたいです。

(会場笑)

負け犬が好きなアメリカのなかで、あなたたちは勝ち組

それにしてもここを見渡していると、ハーバードがいかに私に影響を与えたかということだけではなく、私がハーバードに影響を与えたかということを思い出させられます。私はいつも政治的な発言をする人でした。例えば、ある人は「歴史的」とも評した出来事が1995年に起きたのです。

私が1年生の時、フローズンヨーグルトのマシンがクーリエハウスに設置されました。予想通り、生活は一変しました。私がそのマシンに向けて書いた、ハーバードクリムゾン誌に投稿した啓発的な言葉を、ここでお読みしたいと思います。

「『これは自動的な承認を提供してくれる』と97年クラスのラシダ・ジョーンズは言います。『あなたがしなければならないことは、たった1つ。レバーを下げるだけ』」

(会場笑)

そうです、若者たち。今日私がここにきて伝えたかったことはこのことです。あなたが人生でやらなければならないことは、レバーを下げるということです。

冗談です。そんなわけないでしょう。想像してみてください、私のスピーチが全部それについてだったら! やってられませんよね。それに私の子供が2038年あたりにスピーチをすることだってなくなってしまいますよ。

(会場笑)

ということで、みなさんがリアルな世界に足を踏みだし、このツタに囲まれた校舎とシリアルのストックでいっぱいの宿舎があるハーバードを後にするにあたり、なにか意義のあることをお伝えするのが私の責任であると感じています。なにかみなさんを啓発することだけではなく、将来のチャンスのドアを開けるカギとなることをお伝えしたいと思います。

ハーバードの卒業生、これは実際一度だけの、誰かがあなたの成功を願って行うスピーチです。アメリカは負け犬が好きです。そしてあなた方は負け犬ではありません。あなた方はまさしく今その真逆にいます。

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