アントレプレナーたちが語る人生論

岩瀬大輔氏(以下、岩瀬):このパネル、「アントレプレナー人生論」という、今までのIVSで一番漠然としたテーマなのかなと思ってるんですが。

登壇いただいてるお三方に共通する点が1つあります。みなさんシリアルアントレプレナーであるということで、(起業)1回目じゃないということなんですね。真田さんは、もう4回やられてるということで。

僕は1回目なので、「2回目やるんだったらどうするだろう?」と考えることもあるので、そういった点を中心に、それぞれのアントレプレナー人生論を語っていただければなと思います。

最初にお一人ずつ聞いていきたいんですが、まず「私の原体験」みたいなところで、なんで起業家になろうと思ったのか。

これまでで一番痛烈な影響を受けた人とか本とか事件、出来事など、今の自分の起業家人生にすごく影響を与えていることを最初におうかがいできればと思います。

最初に吉田さん、学生時代は演劇に没頭されてたということで、なぜ演劇に没頭していた人が今にいたったのかというのは、たぶんみなさん興味あるのかなと思いますので、最初にお願いします。

役者を志した、クラウドワークス吉田氏の学生時代

吉田浩一郎氏(以下、吉田):今から考えると、私は、私が上司だったら部下にしたくないタイプの、理由が納得いかないとやりたくないというタイプの人間でした。

大学に行くのも、理由がわからないから行きたくないと。自分自身は幼稚園から演ずることで何回か褒められてたので、「役者になりたい」みたいな感じで、親とずっと喧嘩をしていて。

親が「大学だけは行ってくれ。行ったら好きなことをしていいから」みたいな感じで大学だけ行って、そこからもうずっと演劇をやっていたという。だから幼稚園の頃からの夢だったんですよね。

今までけっこう話してますけど、演劇をやる過程で、場所を取って、契約をして、お金を払い込んでってやらないといけないわけなんですけれども。

その契約書の行き違いで200万円ぐらい借金を抱えて、公演が半年ぐらい準備してて中止になって。30人率いてた仲間に「本当に吉田さんについてきたのに、ひどい」みたいな感じになって。

「お金と契約のことをちゃんと知らないといけないんだ」ということで、社会に入ったというのが入り口ですね。

岩瀬:演劇をやられてたことが自分にどういう影響を与えてるか、みたいなのってありますか?

吉田:まず発声がよくなったというのは確実にありますよね。声が通るというか。ちょっとしどろもどろなんでね(笑)。

岩瀬:経営者、社長は役割だから、それを演じることかなと思うんですね。例えば、別に自分が言いたいことを言うんじゃなくて、今言わなきゃいけないことを言うとか。

言い方じゃなくて、「こう言ったほうがみんな動く」とか。という意味では役割を演じるということかなと。なんで僕がフォローしてるのかわからないんですけど(笑)。

吉田:いや、演じてるわけじゃないですよ(笑)。

真田哲弥氏(以下、真田):僕は株主総会で演説をしてるなかで、感極まってちょっと泣いたことがあるんですよ。そうしたら投資家のみなさんから「猿芝居」って散々言われました(笑)。

吉田:よかった、真田さんがいてくれて(笑)。

岩瀬:でも、例えば不安なときでも不安を見せないとか、いろんな意味で自分と違うペルソナを演じなきゃいけないことはあるのかなと思いますが。

それで会社に入られて、それから起業にいたったのはやっぱりドリコムの影響が大きいのですか?

経営者との交流をきっかけにドリコムに参画

吉田:私、本当に起業家というものはそんなにぜんぜん知らなくて。演劇をやりたかっただけなので、劇団を作ることに興味があって、経営者にはまったく興味がなくて。

単に丁稚奉公して、いちサラリーマンでやったら、次に事業部長をやらせてもらって。事業を立ち上げさせてもらったら、次に会社かなというので、28歳ぐらいのときに初めて経営者というものに興味を持ちだした。「経営者ってなんなんだろう?」みたいな。

それで大前研一さんのアタッカーズ・ビジネススクールに通って、そこで孫泰蔵さんとかライブドアの堀江(貴文)さんとか、あとケンコーコムの後藤(玄利)さんとかにお会いさせていただいて、「起業家ってこういうのなんだ」というので、すごい身近なイメージがつき始めました。

そこから、GREEがまだSNSだった頃に、GREEでブログを書いてて、GREEの第1回オフ会が代官山であって、そこで後に参画することになるドリコムの社長・内藤(裕紀)さんと知り合いました。

だから内藤さんとはGREEで知り合ってるんですね。それで内藤さんが、そのとき書いてた私の営業のブログを読んでくれて。「営業探してたんだ」と言われて意気投合して参画したって感じですね。

岩瀬:ドリコムは当時何人ぐらい?

吉田:10〜15人ぐらい。

岩瀬:上場前でしたっけ?

吉田:ぜんぜん上場前ですね。「東京支社をこれから作るので、営業部隊が0人なので、どうですか?」というので入りました。

岩瀬:そうなんですね。またあとでいろいろ聞いていきますね。

バブルまっただ中に始めた、真田氏のビジネス

真田さん、僕の家は親がサラリーマンなんですけど、親がビジネスやってるとか、おじいちゃんが社長だったとか、そういう方のほうが起業家とか経営者というのを身近に接してるので、商売センスだとか、起業家に多いような気もするんですが、どう思われます?

真田:そのとおりですね。一般的な傾向として、まったくそうだと思います。

岩瀬:真田さんはご自身がそうだったのか、それとも時代がそういう、学生自身でやられてる方が多かったのか。

真田:ぼくはまったく。家はサラリーマンですね。典型的な中流サラリーマン。

岩瀬:でも、真田さんが最初に学生ビジネスを始めた頃の人たちから、その後多くの起業家が生まれてますよね。

真田:IVSに集まってる人のなかで、今年51歳昭和39年生まれ、たぶん一番上の世代だと思うんですけど。僕らはちょうどバブルまっただ中のときに学生時代を過ごしたんですね。

その頃は学生ビジネスといっても、パーティとかイベントとかツアーとか、そんなんだらけで。それが当時の学生にとってのビジネスでした。

でも、当時学生イベント屋としてパーティをしてるなかで知り合った人が、例えばUSENの宇野(秀康)さんだったり、リクルートの峯岸(真澄)さんだったり、僕らよりちょっと先輩ですけど。

そういう人たちは、学生時代、ただのパーティ屋でめっちゃチャラかったんですけど(笑)。僕もですけどね。人のこと言えませんけど。めっちゃチャラかった人たちが今や立派な社長さんになっていると。

岩瀬:そこから真田さんはご自身の会社を作られて、いろいろあったと思うんですけれども。最初とか2回目の会社を作られたときはどういう感じだったんですか?

真田:僕はもともと政治家を志してたんですね。中学高校生ぐらいは漠然と「政治家になって国を変えてやろう」みたいに思ってたんですけれども。大学生ぐらいの頃から「事業家になったほうが楽しそうだな」と感じるようになって。

僕が一番大きかったのが、JIC(Japan Incubation Capital)という日本で始めてのベンチャーキャピタルができましたと。しかも、まだ事業をやってないビジネスアイデアに投資します、という記事が日経流通新聞、当時そういう新聞があって、新聞で見て、それに応募したんですね。

ビジネスアイデアが最終選考に残って、面接してくれたのが、孫さんとパソナの南部(靖之)さん、この2人だったんですね。この2人にすごい影響を受けました。

山田進太郎氏と楽天との出会い

岩瀬:ありがとうございます。山田さんは学生時代から楽天で働いてたというのを少しうかがったんですけど。そこから起業にいたるプロセスとか、そもそもなんで楽天で働いたのかをうかがえますか?

山田進太郎氏(以下、山田):メルカリの山田です。よろしくお願いします。楽天はもともと、「みんなの就職活動日記」って会社を作った伊藤(将雄)さんという方がいるんですけど、その方に「インターネットの会社に就職したいんですけど、どこかいい会社ないですか?」って言ったら、今回来られてますけど、安武(弘晃)さんという楽天の元CTOの方を紹介していただいて。

当時、楽天をもちろん知っていたんですけど、「どんな感じなんだろうな?」みたいな感じで日曜日にメールしたら、日曜日の夜に「明日来てくれ」みたいな感じになって。

それで、翌日安武さんと面接して。そのあと(小林)正忠さんという人と面接をして。そのあと三木谷(浩史)さんが出てきて面接をして。最後に安武さんが戻ってきて、「君、内定したから明日から来て」みたいな感じで働き始めたという。

岩瀬:当時、楽天は何人ぐらいだったんですか?

山田:もう20数人ぐらいとかでした。本当に人がいなくて困っていて。僕とかまったく未経験だったんだけど、当時「楽天オークション」の立ち上げを、本当に安武さんが1人、2人でやってたので。たぶん猫の手も借りたいみたいな状況だったんじゃないかなと思うんですよね。

岩瀬:それが90何年?

山田:99年ですね。2000年の4月に楽天は上場したんですけど。僕は楽天に99年春に内定していて半年ぐらい働いていたんですけど、結局は辞退してという感じですね。

そのときは自分でけっこういろんなことを経験させてもらえたので、ある意味、「自分でもできるじゃないか」という壮大な勘違いをして、「やっぱり自分でやります」みたいな感じで、起業というか1人でフリーランスになったみたいな感じですかね。

ウノウ株式会社の設立と売却

岩瀬:そこから、ウノウを作られてZyngaに買収されるまでのストーリーをうかがってもいいですか?

山田:けっこういろいろあったんですけど。まず、フリーランス時代が長くて、3年ぐらいやっていて、2004年に1年間アメリカに行っていて。

そのときに、「映画生活」というサイトをやってたんですけど、今は「ぴあ映画生活」という、ぴあのサイトになってるんですけど。それを作ってけっこう収入があったので、それを持ってリモートでやりながら、アメリカで「起業できないかな?」とかやってたんですけど。

いろいろやってるうちに、「自分がやりたいことってなんなんだっけ?」みたいなことを考え始めて。アメリカである意味ネットワークもないとか、英語もそんなできないみたいなところで考えたときに、もともと「アメリカに住みたいんじゃないか」って自分は思ってたんですけど。

実は自分のやりたいことはそうじゃなくて、インターネットサービスを作って、世界中の人に使ってもらえるということがやりたいことなんだなと思ったので、日本に帰って起業することにしました。

ちょうどそのときに、石川(篤)さんというサイバーエージェントの1号社員だった方がサイバーも1000人ぐらいになって独立するということで、「一緒にやりませんか?」って話があったので、2005年にウノウ株式会社という会社を作りました。

そのあと3億調達とかしてたんですけど、ぜんぜんうまくいかなくて。でも、最後2008年ぐらいからゲームを始めて。それが2009年ぐらいにブレークして。オファーがあったので売りましたみたいな。端折って言うと、そんな感じですね。