メンバーとの距離が遠くなった時にどうすべきだったか

塩田元規氏(以下、塩田):次、3期です。あともう2個ぐらいで終わります。3期目はどんどん人も増えて、今のおしゃれなオフィスに移転して、めちゃくちゃワイワイしました。

ただ、その成長の過程で、組織が大きくなってきた時に課題も起こって、それでかなり辛い時期でもありました。

この写真の感じですごくワクワクが加速して、いろんなことをやっているんですけれど。

あ、これは3周年パーティの時の写真で。僕と香田がディープキスをしてるんですけれど、それは無視してください(笑)。

でも、当時は本当に自分が未熟でした。例えば、人を採用するときに大事なことって、「うちの会社の文化と相性いいか?」という、すごくシンプルなことがあるじゃないですか。なんですけれど、誘惑に負けてしまって、能力は高い人だけど、あまりカルチャーや考え方がフィットしない人を採用してしまって。そういう人ってやっぱり居心地が悪くなるので、いつか辞めちゃうんですよね。そういうところでジャッジミスしました。

また、創業した時は、布団を横にしてみんなと寝てたわけです。人が増えて、2、30人になってくると、その近い距離感がだんだん空いていくじゃないですか。さすがに僕も、もう家に帰って風呂に入るわけで、3年目くらいになると。

なので、僕との距離が遠くなるんですよね。そのときに、僕が好きだ、僕と一緒に働いていたいっていうメンバーは、すごく寂しくなるんです。創業1年目にいたメンバーがこの年に2、3人辞めたんですよね。

僕は創業したときから、「アカツキという会社は僕の会社じゃないし、世界をよくする場所にするんだ」とメッセージを出してたんですが、それでもやっぱりすごく寂しかったんだと思います。塩田元規とか香田哲朗という人を助けたいという想いで来てくれる人がたくさんいましたので。

それをもっと理解できて、僕達を助けることじゃなくて、会社の目指すべきビジョンに古いメンバーの意識を向けることができたら、もっと変わってたのかなと思ってます。こういう成長の歪みというかプロセスだと思うんですけれど、3期目の時に発生していました。

感じたことは、だいたい3年目くらいになって、組織も30~50人くらいになるとだいたいそういう壁が起こる。たぶん、ほとんどのベンチャーで起こっているんだと思います。そのときに自分自身のやり方とかキャラクターとかを含めて問われるわけですよね。そこでその課題に向き合いながら自己変革できるかが重要なんだと思います。

1人では背負えなくなるので、ちゃんと仕組みを作る必要があったりますし、自分自身のキャラクターも変わってく必要があります。その変化のなかで、自分自身と、そしてメンバー1人ひとりと向き合う。そういう当たり前のことをしっかりやるべきだと思います。

「止まない雨はない」困難に向き合って気付いたこと

最後です。4~5期ですね。壁を超えるとやっぱり人も組織もすごく大きくなると思ってます。

これは4周年の時の写真なんですけれど、こんな感じで新卒の子も5人入ってきてくれて。

中国に展開したり、あとこれは台湾ですね。台湾オフィス。やんちゃ感満杯ですけどこういう感じです。

来期には新卒が26人くらい入ってきます。

言いたいことは、4期から5期でまたさらに成長したんです。会社も組織もすごく強くなったと思います。むちゃくちゃ今、いい会社だと自分で思うんです。素晴らしい会社になってきたなと。

それは、課題に向き合い続けたから超えられた壁で、壁を超えたから大きく成長できたんだと思います。人が辞めてショックだった時にも、「自分は本当になにを大事にするんだっけ?」ということをつきつけられてるわけだと思うので、その問いに向き合い続けていたから、1つずつ進んで来られたんだと思います。

あとはどんな苦しいときも、当たり前ですけれど、「止まない雨はない」ということです。逆風のほうが、人は強くなるし、逆風のほうが空は飛べる。

「変わるものと変わらないもの」

時間も30分くらい経ったので、まとめにいきたいと思います。まとめの前提として、今日、僕は「こういうキャリアがいいですよ」ってお話をしたいわけじゃなく、僕のシンプルなストーリーを聞いてもらってなにか感じてもらえればいいなと思ってるんです。

ベンチャーみたいな場所って、フェーズによって組織とか経営者のあり方も、当たり前だけど、変わっていきます。それがとんでもないスピードで。

その時に、なにより大事なことは、自分自身の変化とか組織の変化とか、目をつぶりたくなるようなことも含めて、そこにちゃんと向き合い続けられるかだと思っています。自分がダメだって認めるのは一番辛いことだと思うんですけど、自分ができないことにちゃんと向き合い続けて、それを糧としてまた新しい成長につなげていくことが大切だと思います。変化し続けること。

でも、一方で、ただ変われればいいわけでもない。ブレない芯がすごく大切。それが会社や人の「哲学」や「らしさ」みたいなものだと思います。「変わるもの」と「変わらないもの」、その両方意識するというのがすごく大切だなと経営をしていて思うんです。

僕は、経営をしていたからそれを露骨に感じたんですけれど、多分、人生すべてがそうだと思っています。当たり前ですけど、どんな仕事でも働いたら自分の壁とかにぶち当たり続けると思うんですよ、むちゃくちゃ。でも、そこで向き合い続けて、諦めずに超えていけるか。

就活ってプロセスはむちゃくちゃ悩むと思うんです。そのなかで、ちゃんと悩んで、ちゃんと自分で決められるかがたぶんすごく大切なんだなと思ってます。

だから、向き合い続けて、もがき続けて、諦めないことがなにより大切。最初に決めることは、「諦めること」を諦めるって決めること、ですよね。「もうやる」って決めたら、もうやるんだってことなんですよ。当たり前ですけど、それが大事。

そして、「諦めない」と思い続けられるためには、なにかを信じてなきゃいけない。例えば、自分が今まで苦労してきた経験が自信になっているケースもあるし。誰かという人から自分は支えられてるという思いが自信になることもあるし。それはなんでもいいと思います。

「俺は守られてる」とかでもいい。「守護神いる」みたいなものでもいいと思うんです。でも、なにかを信じられていることは必要。勘違いして信じられないとダメだと思います。

自分が変われば世界が変わる

2つ目は「困難は実はギフト。試されてる 」。これも一緒なんですど、やはりたくさん課題や困難があって、「これ投げ出してやろう」と思うことはたくさんあるわけです。でも、見方を変えるとそれがやっぱり試されてることだと思うんです。「お前はどこまでその夢に本気なのか?」「こんな困難があっても続けるのか?」と。その問いに答え続けられるかどうか。

どんなことも見方によってすべて変わります。課題も見方によっては成長や進化のチャンス。それをしっかり意識して、「自分はこれからなにを学ぶのか?」ということを考えられるとすごく素敵ですね。

最後は、「自分が変われば世界が変わる」という。これはシンプルに僕が好きな言葉なんですけれど。「過去と他人は変えられない」という言葉も好きで。「変えられるのは未来と自分」というのを常に意識しています。自分が変われば人は変わるし。人に勝手に期待して、人がなにかやってくれないからキレるってすごくダサいなと思っています。

まぁ、ダラダラと話しましたが、苦しいこと多数だったんですけど、なんか楽しそうに見えますよね。起業して5年間の写真を見てると。毎日、最高に幸せだったと僕は思います。人生を味わいつくせてる。仲間との青臭い日々とか感動とか。あとは自分自身が能力だけじゃなくて人間として成長していく感じ。なのでマジ、ワンピースということですね。すごいいいですよね、この絵。

人生は自分の物語です。みなさんいろいろあると思いますけれど、誰かの人生じゃなくて、自分の人生を自分で決めて生きていってもらえればなと思います。その参考になればよかったなと思います。発表は以上です。ありがとうございました。

(会場拍手)

起業家たちはどんな目で世界を見ているのかを知りたかった

司会者:塩田様、ありがとうございました。では、質疑応答に移らせていただきます。ご質問のある方、手を挙げてください。立ってお名前と質問内容をお願いします。

質問者1:すごくワクワクするお話でした。

塩田:ありがとうございます。

質問者1:早稲田大学2年の○○と申します。質問が3つあります。1つ目が起業の経緯。2つ目がなぜアカツキが上場できたか? 3つ目が塩田さん自身のキャリア。

1点目については、たぶん、一橋(大学)とかディー・エヌ・エーで突っ走ってきたのは、お父さんが亡くなられたということで「命が有限だから」と感じて、すごく一生懸命にやってきたんだと思うんですけど。そこにどうして起業が結びつくのか。

2つ目に関しては、今、市場とかを見ていると「バブルが弾けそうだな」と思ってて。僕は今、成長してるベンチャーでインターンをしてるんですけど。なぜこのタイミングアカツキが上場できたのか。

3つ目が、孫正義さんとかが「50年計画」と言ってると思うんですけど。塩田さんが37歳を迎えたときに、そこからのビジョンがすごく気になるので教えてください。

塩田:ありがとうございます。1個目はなぜ起業に結びついたかですよね。すごくシンプルに言うと、そういう人たちにたくさん会ったからです。「ハッピーカンパニープロジェクト」を通して、いわゆる経営者とか起業してる人たちにたくさんあって。

僕、大学は横浜国立大学だったんですけど、電車乗るとみんな疲れてるじゃないですか。おじさんたちがけっこう。でも、起業家の人とか経営者の人って、エネルギーが満ち溢れてるんですよ。「俺、自分で自分の人生の責任取ってやってるから」みたいな感じが、まずかっこいいと思いました。

あとは、お会いした方々が人としてすごい偉大だなと思ったんです。頭いいとかじゃなくて、話すだけですごくこっちも幸福感が出るような、オーラみたいな感じかもしれないんですけど。

当時、「この人たち、どういう目で世の中を見てるんだろう?」ってすごい思いました。僕も、限られてる人生だったら、いろんな目で世界を見たいなと思ったので、それがけっこう起業の最初のきっかけだったかもしれないですね。

アカツキはなぜ上場できたのか?

2つ目は、なぜアカツキが上場できたかという話なんですけれど。なぜなんですかね、これ(笑)。たぶんいくつか理由があると思っています。

まず、経営者として見たとき、シンプルにいうと、うちのメンバー最高なんですよ。僕、むちゃくちゃ愛してるんです。「なんで最高なのかな?」って思うと、やっぱり「らしい」こととか「青臭いこと」をうちの会社は言い続けるんですよ。

仕事って、そもそも仮面被ってするものじゃないと思ってるし、自然体で人生と向き合う場所だと思ってるから、けっこう青臭いことで目に見えないものに先に時間を投資してる会社です。

そういうのがあるからか、なんか運がよくなるんですよね(笑)。もちろん自分たちもむちゃくちゃ頑張るんですけど、なにか世の中の流れから支えられている感じだったと思います。

細かいストラテジーみたいなことはたくさんあるし、そのときそのときに自分もむちゃくちゃ頭使って考え続けて打ってるんだけど。でも、一番重要だけど、忘れられそうな目に見えないものに先に投資するということだけ決めてやっていたことが、今振り返ると自分にとってもよかったような気がしますね。

3つ目は50年計画でしたね。僕は20歳の時に、一応「人生年表」を作ったんです。その人生年表によると、27歳で起業するでしたね。結果その歳で起業してました。その後は、37歳で会社は一部上場。

別に一部上場が目標っていうわけではないです。当時、上場のこともそんなに理解してなかったですし。それより、それぐらいすごく世の中に必要とされていてインパクトのある会社にしたいと思ってました。いろいろ調べたら、それが、最速でも10年くらいで、ちょうど父親が死んだ年齢と同じ37歳だったので、そういうことを書いていました。

ほかには人生年表だと44歳くらいまでは事業拡大で走り続けて、45歳ぐらいになったら自分が事業を作るところだけじゃなくて、投資もしたいなと。さっきの「元規の元気で日本を元気」にじゃないですけど、若い人たちを育てるみたいなことをやりたいと書いてましたね。

ちなみに、60歳のときは「世界政府の大統領」って書いたんですよ、当時(笑)。勘違いがはなはだしいわけですね、僕は。それがたぶんよかったんだと思うんです。

世界政府の大統領って、今では、世界政府を作るという意味じゃないです。今は、アカツキが作りたい「感情報酬が発展する社会」を作ることだと思っています。これはもう世界なので。だから僕は自分たちで国づくりとか世界づくりをしてると思っています。

その世界がすごい広がっていって、本当に10億人20億人30億人40億人の人たちがアカツキっていう会社に関わってくれたら。ワクワクした人生を歩んでくれたら。それなら1つ大きな夢が達成できたなと思います。こんな感じでいいですか? ありがとうございました。

一番大きなピボットは?

司会者:ほかに質問ある方?

質問者2:○○と申します。すごく楽しい話で元気をもらいました。

塩田:ありがとうございます。

質問者2:質問なんですけれど、5年間の間にいろいろなピボットがあったと思うんですけど、そのなかで一番大きかったものはなにかということと、その経緯とそれにかかった期間を教えていただければと。

塩田:真面目な感じの質問ですね(笑)。一番のピボットはスマートフォンのネイティブゲームをやるということですね。

けっこう早かったんですよ、僕たちがシフトしたのは。当時はブラウザしかなくて、そんなに会社も大きくなかったんですけど、どこかで張らないといけないと思ったし、他社がやってないタイミングで動くことが必要だとすごく思ったので、ネイティブに入りました。それが大きかったと思います。

かかった期間はどうなんですかね、たぶん半年か1年くらいシフトにかかった感じだと思います。その時も、さっきの「義利合一」じゃないですけど、僕すごくビジョンぽい話ばかりするんですけれど、やっぱり綿密にすごく数字は設計しました。

本当に細かい1円単位の数字も見てたし。どうやったら会社が倒産しないか、というのをかなりちゃんとチェックしてシフトしました。それがうまくいってもう1回伸びたという感じですかね。

質問者2:はい。ありがとうございます。

人間が幸せかどうかは、なにで決まるのか?

司会者:(質問者を)ご自身で当てられます?

塩田:がんがんいっちゃっていいですか?(笑)。

質問者3:東京芸術大学デザイン科の○○と申します。素晴らしいお話ありがとうございます。

塩田:ありがとうございます。

質問者3:今、1年生で。私はすごく承認欲求が強いので、いろいろやってみたいなと思ってるんですけれど。でも、美術系とかアートとかデザインって「直接、人の役に立たないんじゃないかな?」という思いで。だからこそ、どうしようかなと考えているんですけど。

塩田さんのゲームのアプリというのは、ある人からみたら「娯楽」と言われちゃうような事業で、直接世の中に働きかけるかといったら、いろいろなことを考えてると思うんですけれど、そのなかでゲームアプリを選んだ理由をお聞きしたいです。お願いします。

塩田:まず美術とかイラストとかデザインとかは、絶対必要だと思いますね。僕らの前提なんですけれど、ニーズってわかりやすいじゃないですか。世の中にある課題で、例えば「通信速度を早くします」みたいなことってすごくわかりやすいと思うんです。

だけど、僕はアカツキが提供してる価値は、人の心の満足を提供してると思ってます。それって一見わかりにくいですよね。「本当に必要なの?」と。でも、娯楽もそうだと思うんですけど、「それがなかったらみんなそれで幸せなの?」って僕はすごく思っています。

どちらかというと、ニーズより、ウォンツとか「~したい」とか、「こういうのを見て感動した」という価値を作ることに今、僕たちは命を注いでいる。ゲームもそういうものだと本当に信じてます。僕は、「人間が幸せに生きたほうがいいですよね」と思っています。「人間が幸せに生きるかどうかは、なにで決まるの?」というと、心で決まるわけじゃないですか、最終的には。当たり前ですけど。

ニーズも、結局はその先にある人の笑顔とか幸せになれたっていうことだと思うんです。通信速度が早くなることだって、別にそれがどうかというよりは、その先で知らない人ともっと話せるようになったとか、今まで見れなかった動画とか感動するものを見られるようになって心が洗われるとか。そういうことに価値があると信じています。

だから美術とかそういう娯楽と言われるものは、むしろ誇るべきことだと思います。特に、今はみんなある程度、モノには満たされていると思います。だから逆に、これからはまさに心とか共感性やストーリーとか、そういうものが本当に必要になってくる時代だと思うので、人々が求めるど真ん中のことだと思いますね。ぜひ、誇りを持ってやってほしいなって本当に思います、本当に。ありがとうございます。

質問者3:ありがとうございます。

英語の辞書に「akatsuki」という言葉を載せたい

質問者4:楽しいお話をありがとうございます。「めっちゃわかるな」と思いながら、「わかるな」と思ってることを行動に起こさないといけないんだな、というのを噛み締めながら聞いていました。同志社大学の○○といいます。

質問なんですけど、起業する際に1ドメイン型の会社、サービス名から始まる会社と事業会社があると思うんですけれど。なぜ事業会社というかたちをとられたのかなというところをお聞きしたいと思ってます。

背景としては、世の中にめっちゃ価値を与えるということを、僕もすごくやりたいなと思っていて。世界的に見て、それをできている会社って基本的に1ドメインの会社が多いのかなと思ったんです。そういったところのお話を聞きたいなと思っています。

塩田:ありがとうございます。すごくいい質問ですね。まず僕がなぜ会社を作るということを選んだかというと「これだけしかやりたくない」というよりは「これも、あれも、これもやりたい」という人なんですよね。すごくシンプルに言うと。

いろんなものに価値を出し続けたいし、自分の幅を1つに制限したくないという感覚だったので、まず事業会社というかたちになってます。

1ドメインのままサービスで突き抜けるという話でいうと、この事業だけやりたいんだったら「本当に起業って必要なのか?」という問いが常にでてくると思います。会社のなかでやったほうがリソースはめちゃくちゃもらえる可能性もありますし。

本当に経営者は最初、雑用係なんですよマジで(笑)。雑用みたいなことばっかりやるから、そんなことに時間使ってるんだったら、そういうことを全部やってくれるところでやったほうがいいじゃんみたいなことが常にある。でも、自分はいろんな価値を生み出し続ける“組織”に興味があったんですよね。

会社というのは、みんなで作る一番最高の作品だと考えています。僕たちも会社というのは1個のサービスというよりは「場」みたいなものだと考えています。アカツキという会社は、ワクワクするような面白い人がたくさんいて、面白いチャレンジをやりたいという人がたくさんいる場所になる。そういう人たちがいろいろなかたちで関われる場所に成る。そこで、なにかがどんどん生まれていけば、500年経っても価値を出し続けられるのかなと。

なので社名もサービス名とかじゃないです。○○テクノロジーとかゲームズとかじゃなくて、アカツキという「『NARUTO』か?」みたいな感じですけど(笑)。世界の夜明けよ、という意味で、アカツキです。

和名ですけど、いつか僕の夢は『ビジョナリーカンパニー 6』ぐらいにアカツキというのが世界を変えた会社として取り上げられて。「akatsuki」というのが英語の辞書に載って、「世界をワクワクさせて変え続けること」という意味になることが夢なんです。

そういう思想だから事業会社にしたという感じです。大丈夫ですか? ありがとうございます。

最近は“パパ目線”で喜べるようになった

司会者:次で最後に。

塩田:手前の方と、2人手を挙げていたのでパパパっとやってもいいですか? じゃあ、奥の方から。

質問者5:ありがとうございます。青山学院大学の○○と申します。2点ございます。1点目は塩田さんが起業された時に、社会的な意義を出したいみたいなお話があったと思うんですけど、喜びの対象って変わっていくのか。例えば、今、組織が大きくなったら社員のほうが喜べるかわからないですけど。創業期はお客様が実際に喜ぶことかもしれない。

僕は起業したいなと思ってるんですけれど、どちらかというと自分がこうなりたいということが多くて、社会をどうしたいかがなかったので、その移り変わりみたいなところをおうかがいしたいです。

2点目が広告の営業をやられていたと思うんですけれど。僕も今年の4月から広告の営業として働くことになりまして、そこから起業というステップを踏もうと思っているので、どう役に立ったかと、逆に起業した時にどういうふうに働いておけばよかったかみたいな話をおうかがいしたいです。

塩田:1個はたぶん求めることがどこで変わってきたかという話だと思うんですよね。僕はあんまり変わってないです。どちらかいうと、今でもそうなんですけれど、世の中に価値を出すということだけでもないし。価値出すためには当然、最高に自分たちがワクワクしないといいものを作れないと思うから。

僕がやりたいのは、やっぱり『ワンピース』なんですよね。毎日、「こういうのおもしろいから」と言って、そこに対して熱いメンバーでワイワイやって。それが世の中の価値になってくるみたいなことがたぶん楽しくて。

その時は鳥肌立つんですよね、やっぱり。メンバーとつながりながらものを作ってるときって、鳥肌が立って。泣けるし。僕、普通に会社で泣くことあります(笑)。悔しかったり、感動したり。古いメンバーと昔話しても、「その話泣ける」って思いますし。ユーザーさんにタイトルを受け入れられたときも感動するので。だから1個という感じじゃないです。

ただ、変わってきたことは、昔って自分のすぐ周りで起こっていることがたくさんあったけれど、今ってメンバー発で自分がノータッチで生まれてることがたくさんあって。ちょっと気持ち的に、パパの気持ちになることあります(笑)。

パパの気持ちというか、「みんな、すごく頑張ってるな」とか、そういう幸せの感じ方というのを、自分が直接得なくても、人の変化を見てすごく幸せを感じるとか。最近ですね。ここ2、3年くらい。やっぱり年もあると思います。32歳でちょっとおっさんなので(笑)。

2つ目が広告営業ですね。僕、営業はすごくいい仕事だと本当に思っています。僕の場合はタイアップで企画提案みたいな感じだったんですよね。企画しながら提案するという営業をしてるとゲームの企画もできるんですよ。

なぜかというと、「お客さんがなにを考えているのか」というのを常に考え続けて、そこにこういう提案をあてたらむちゃくちゃ当たるんじゃないかというところも、まさにクリエイティブとロジカルさというのを両方掛けあわせてやるので。けっこう営業やってる人って企画もできると思いますね。 僕は。

同じものを提案し続けるというのは、あんまり僕はやったことないので、もしかすると違うのかもしれないですけど。

すごい人との出会いを与えてくれたDeNA

質問者6:○○と申します。1つだけなんですけれど、「今、ディー・エヌ・エーに就職してよかったですか?」ということと、もし就職せずにそのまま起業したらどういう人生だったかなということは想像するのかなと思って。

塩田:ありがとうございます。まず回答としては、嘘偽りなくむちゃくちゃよかったと思ってます。僕、本当愛してるんですよ、ディー・エヌ・エーって会社を。

もし自分が学生の時に起業していたら、たぶん今ここに来れていないと思います、ぜんぜん。なぜかというと、能力ももちろんですけど、やっぱりすごい人たちに触れるということが自分の考えの枠を広げてくれました。

僕、ディー・エヌ・エーの時にすごく尊敬していた上司にたまに似てるときあるんですよね。それってやっぱりその人が考えることとかにインスパイアされてたからで。

ディー・エヌ・エーって、「この人がディー・エヌ・エーだけど、この人は違うな」って感覚があまりなかったと思います。「こういう人もディー・エヌ・エーだし、こういう人もディー・エヌ・エーだな」みたいな感覚で、いろんな人がいて、いろんなことを言うんですよ。いろんなことを言うから、どれが正しいかよくわからないけれど、枠は広がるみたいな。

最後はやっぱり「成果出すって、これだけこだわるんだ」という感覚。学生の時は正直言うとむちゃくちゃ甘ちゃんでしたよ、僕も。もうぜんぜん次元が違う。ここまでこだわって、こだわって向き合い続けないと成果は出ない。

さっき話の通り、夢語っていてもそれだけじゃダメで。どこまで本気で追い込んでやるかみたいなところが学べたので。だって辞めたって、こうやって呼んでもらえるじゃないですか。ほんとに、懐深いですよね。最高な会社だと思います。ありがとうございます。以上です。

司会者:最後にすごいいい質問が(笑)。

塩田:よかったですね!

司会者:うれしいお言葉をいただきました。みなさんまだおうかがいしたいことがたくさんあると思うんですけれども、お時間になってしまいましたので、こちらで終わりにさせていただきたいと思います。塩田様、ありがとうございました。

(会場拍手)