人の意見に従うのが苦手

和田裕美氏(以下、和田):ラジオネーム「セバスチャン」さんです。

リスナー:いつもWADA CAFEのPodcastを楽しみにしています。もうすぐ40歳になるセバスチャンです。なかなか決断できない性格です。

自己分析してみると、人の意見に左右されたくない性格だということに気づきました。あと、流行りのものにも乗りたくないという自分がいます。

だからお客が並んでいるお店には入りたくないと思う自分がいます。こんな天邪鬼な性格のせいで、何度も人間関係で衝突しています。

周りからは「素直になればいい」と言われますが、人の意見に従うことと素直になることはなにか違うような気がします。

自分を変えたいので、考え方を変えたいです。アドバイスをお願いします。

勝ち負けではなく、自分がどうしたいかを考える

和田:セバスチャンさん、ありがとうございます。そっかー、これは上司とかどうしてるのかな? 親、上司、学校の先生、恋人、奥さま、子供、自分を取り巻く人生の関連性っていうものがあるじゃないですか?

これはちょっと考えてみてほしいんですけど、人間関係は勝ち負けじゃないっていう設定をしてもらいたいんですね。

言うことを聞いたら負けとか、意見に従ったら屈服したとか、そういうふうに思っちゃうことってすごいくやしいじゃないですか?

だからそこをちょっと除いてもらって、良いものはいい、嫌いなものは嫌いという、楽しいか楽しくないかとか、負ける負けないとか、従う従わないとか、そういうカテゴリーじゃなくって、「楽しいかな?」とか、「やってみたいかな?」みたいに、もうちょっと軽めのチョイスをしてみたらどうでしょうか?

そうすると、従う従わないじゃなくて、みんなが並んでいても、並んでいることは大事ではなくって、「その店のものを食べたいかな?」「食べたくないかな?」っていうほうがすごく大事なことだと思いません?

「誰かがやっているから」っていう、この誰か目線のものじゃなくって、「みんなが観に行っている映画なんて……」っていうんじゃなくって、その映画を自分が観たいか観たくないかってことです。

そのときに、誰もが観ているものを観たいか観たくないか、それとも誰も観ていない流行っていないものを自分が観たいと思うかというところに、趣味とか自分の好みとか、自分の価値観というものが生まれてくるじゃないのかなって思います。

素直っていうのはそういうことだし、従う従わないっていうことではないのかなって思います。私は良い意見は取り入れるほうなんですよね。

他人に共感できたほうが人生は楽しい

わりとあまりにも単純すぎて、全部やっちゃったりするほうなんですけど、もし変えたいのであれば、人との関連性でうまくやっていこうとすると、人って従わせようとか思っているんじゃなくて、自分と同じように共感してほしいし、自分が好きなものを相手にも好きって言ってほしいという気持ちがあるんですよ。

それを相手が理解するっていうことだから、従うというよりも共感してあげようとか、もっと相手を受け入れてみようっていう感覚なんじゃないかなって思います。

「これおいしいよ」って言ったときに、おいしいものを食べてほしいのよ。それを、極端な言い方ですけど、「従わせようと思って……」とか、そんなふうになっちゃうと、相手がすっごく悲しいんじゃないかな? 

自分の好きな映画を観てほしい、自分の好きな小説を読んでほしいと思ったときに、「なんでこいつらに従わなきゃいけないの?」っていうのではなくて、同じことを楽しんでほしいっていう気持ちに過ぎないから、一緒に楽しんでみようでいいし、誰かがいいと言っているものが嫌とかじゃなくて、自分が嫌かいいかを判断する前に、例えばそのレストランのものを食べてみないと意見を言えないんじゃないのかなって思うんですよ。

お客が並んでいるお店に入りたくないっていうのは、人に左右されていることであって、自分で行ってみないとそのお店の味はわかんないから、行ってみて「あんなに並んでいるけど、おいしくなかったな」というところまで行き着くのが、人間の分厚さをつくるんじゃないのかな?

だから、物の見方を考え直すというか、一緒のことをやるやらないという次元で物を考えないということですね。流行っててもいいじゃん。流行ってなくてもいいじゃん。自分がいいならそれでいいじゃんっていう考え方が一番自由だなと思います。

不自由な生き方をされているので、もっともっと楽しく生きて、もっと自由になって、人から愛されて人から好かれて、たくさんの人に共感して、たくさんの人を受け入れられる、そんなすごい人生を歩むために、従う従わないというチョイスを1回捨ててみて、自分の純粋な心、無邪気な心を大事にしていただければなと思います。

誰もなにも咎めたり、並んでいるのを見て「バカだ」とか、自分は思うかもしれないけど、そいういうことも思わずに、その人が好きでやっているんだという認識をぜひ持っていただきたいと思います。