「人に喜んでもらえることがしたい」

河本宏子氏(以下、河本):ここからは、今日来てくださった『AERA』編集長の浜田さんをお迎えして、私とのトークで進めたいと思っております。西島にも入っていただいて、なにかあれば手伝ってもらおうと思っています。

浜田敬子氏(以下、浜田):河本さん、ありがとうございました。「こんな上司がいたらよかったな」と思ってずっと聞いていました。満員ですね。すごいですね。みなさんすごく熱心にメモを取っていらっしゃって、自分が就活していた時にこんなに真面目にやってきたかしらと思いました。どうぞお座りください。引き続き、河本さんに私からいろいろとおうかがいしたいと思います。

私は1989年入社なので、河本さんはちょうど10年先輩にあたります。今、就活しているみなさんはこれから働くという時にいろんな不安とか、働くってどういうことなんだろうという思いがあると思うんです。河本さんは学生の時に働くということに対して具体的なイメージを持っていらっしゃいましたか?

河本:正直本当に就職活動もあまり熱心にしていなくて、「仕事は1回はしなきゃいけないかな」くらいでした。本当に女性が働くということが、お嫁入りする前に1回社会に出るという、その実績作りみたいな時代だったんです。

なので、今の浜田さんの問いには、働くということに意味付けを自分ではできていなかった。だけど働くか働かないか、家庭に入るかどうかは別にしても、人の役に立ちたいなとか、人に喜んでもらいたいなというのは、子供の頃からけっこうおせっかいだったり、おしゃまさんだったりして、なにか喜んでもらうとうれしかったんですね。その気持ちがあったので、なにか人に喜んでもらえることができたらいいなという気持ちでした。

浜田:「どうしてもCAになりたい」というつもりじゃなかったとおっしゃっていましたが、会社を最終的に選ばれる時に、いくつか受けられて、なぜこの職業に決められたんですか?

河本:さっき自分で言っておきながらなんですけれども、有利とは思わなかったんですけれど、いろんなところに行ける、いろんなことが見られる仕事って今しかできない。変ないい方ですけど、ほかにやりたいこと……私、学校の先生とかもやりたかったんですけど、べつにそれは客室乗務員をやってからでもできるんじゃないかなと。その当時、世の中は3年くらいで仕事をやめていくというベースがあったので、長くじゃなくて、一回この仕事で飛びまわって、いろんなものを見てみたいという好奇心からです。

女性が長く働くことが普通じゃなかった時代

浜田:みなさんも「男女雇用機会均等法」って聞いたことがあると思うんですけど、それができたのが86年なんですよね。その前に民間企業で女性が働くというのは本当に大変なことだったんじゃないかと。私は均等法3期目なので、先輩たちがどういう思いで当時企業に入られたのかというのは想像つかないです。

当時、働く女性の代表は、学校の先生とか公務員、官僚くらいで。でもそのなかで唯一職業として女性が長く働く、それでも3年目くらいで辞めている方が多かったとおっしゃっていたんですけど、女性が働く職場としてのCAという職場はかなり定着していたんですか?

河本:そうですね。先ほど見ていただいたように。お友達がいて話をしたりするんですけれども、さっき紹介した特定の企業動向というわけじゃないんですけど、デパートの高島屋さんとか資生堂さんの美容部員、ビューティーコンサルタント、それからあと銀行ですね。

浜田:ほんと限られていますね。

河本:そういうところです。

浜田:でも長く勤めるだろうなという予感は?

河本:まったくないです(笑)。

浜田:どうですか、西島さん。役員までなった河本さんが「まったくなかった」と。

西島克博氏(以下、西島):実は私、20年ぐらい河本と一緒に仕事をしておりまして。若い頃、若いと言うと、ちょっと失礼なんですけど、昔から知っているんですけれど、本当にそういう人柄は昔から変わっていないので、たぶんそうだったんだろうなと今ここで笑いながら聞いております。

期に左右される環境に理不尽さを感じたことも

浜田:私自身は、マスコミにすごく入りたくて、第一希望の朝日新聞に入ったんですよ。、それでも入社1年目、2年目は「やめたい、やめたい」とずっと思っていました。河本さんも1年目、2年目はやっぱり体力的にもきついと思いますし、いろいろ見たいということが希望としてあっても、先輩に厳しく叱られることもあったと思います。つらくてやめたいなと思ったことはなかったですか?

河本:つらくてというか、本当にその当時は入社順番ですべてが決められていたですね。本当に今では考えられないんですけど、期があったんです。期の順番がすべてというのが、なにか私のなかでは「不条理!」と思えることが時々あったんです。でもこれは不条理じゃなくて、正式な指揮命令順位なので必要なことなんですけれど。それが気になるというか、思った時にちょっとつらくなる時もありました。

でもこの不条理はみなさんがこれから社会に出て行ったら経験をすると思うので、不条理だからどうだということが言いたいわけではないし、今は本当にキャリアの築き方も入社年次ということとは変わってきているので、また捉え方が違うと思うんですけど。正直、そういった窮屈さは感じたことはありました。

浜田:西島さん、現在はどんな感じですか?  期という意識はまだみなさんあるんですか?

西島:何期、何期というか、入社の年度の言い方をよくします。みなさんは2017年度の入社になられるので、うちの会社に入ると17(イチナナ)と呼ばれます。今年入ってくるメンバーが16(イチロク)、その前は15(イチゴ)と、かわいかったりするんですけど。

こういういい方は確かにあるんですが、ただそのなかで明確な序列があるか、「番付1枚違った」という世界があるかというと、これはぜんぜん変わってきている。ライフキャリアがぜんぜん変わってきている。例えば、途中、育児で何年間か離れる。でもまた戻ってくる。その期のなかでもいろんなスタイルが変わってきたことによって、ここはもうすごく柔らかいかたちに変化していると思います。

喜びは、お客さまの「ありがとう」

浜田:ありがとうございます。河本さん、そのなかで「この仕事をやっていてよかったな」と思う時はどんな時でしたか。私の場合、初めて書いた記事が大きく載ったなどの思い出があるんですけれど。最初から管理職とか役員を目指してやってきたわけではないとおっしゃいましたけど、なにが続けてきたモチベーションになっているのか、なにが喜びになってきたんでしょう。

河本:本当にありきたりで、みんな青臭いと思うかもしれないんですけど、やっぱり仲間とお客様の「ありがとう」。もう本当にこれですね。私は本当に大きな仕事ってしたことがないんです。今日ブースを見ていたら、きっとあると思うんです。若い時から企画を任されるとか。

浜田:「社長賞を取りました」とかね。時々、そういう人いますよね(笑)。

河本:「こんなサービスを考えました」とか、そんな華々しい記録は本当に紹介できるようなものはないんですね。だからそういう意味では役員になって、正社員化を決めたというのは私のなかでも1つの大きなものでした。それ以外にも細かいものはいくつかありますけれど、それはすごく大きな意思決定だったわけです。

私は客室乗務員なので、客室乗務員の仕事に限るんですけれど、小さな意思決定の積み重ねはいっぱいやっています。これが自分がマネージャになった時に困らなかった経験だと思っています。というのは、2人乗りの飛行機だったら2人のチーフパーサがいる。

そこで病気のお客様がいらっしゃると、どうするんだということを決定しなければいけない。2人乗りの飛行機だったら距離は2時間程度。どこかに着いたらそこの係員に引き継ぐ。でもこれがニューヨーク上空で、お客様に心配マッサージをやらないといけないようなことが起こっている。

じゃあ、その時どんな判断をして、キャプテン、機長にどんな報告をして、「私はこうした方がいい」、お医者さんを呼び出してどうするとか。そういう意思決定もします。

もちろんできない意思決定はしないですよ。私はお医者様の資格を持っていないから、これは大丈夫か大丈夫じゃないかということはしませんが、どういうプロセスでバトンを渡していくんだという意思決定はいっぱいしてきました。なので、そういう大きな体験、たとえば記事が書かれてうれしかった、というような大きな体験はないけれど、そういう小さな経験のなかでその時のお客様の「ありがとう」がモチベーションでした。

「あの時に飛行機に乗っていて病気になって。でもあの時に客室の乗務員のみなさんがやってくださったから本当に助かりました」。「残念ながら」という例もあります。それでも「ありがとう。助かりました」という言葉をもらった時には、ベストを尽くしていくと言うことと、そこでできる判断をしっかりして、それをまた会社のチームに受け渡していく。だって機内、飛行機の上で全部解決できませんからね。だけどそういうものをどう渡していくかということ、小さな経験の積み重ねが私の宝物です。

しっかり事情を聴くことを大事にしてきた

浜田:先ほど女性が出産しても少しでも長く働きやすいようにいろいろ制度も整えていらっしゃるとおっしゃっていましたが、制度があっても、子供がいながら仕事を続けるのはいろいろ葛藤があるものです。「続けられません。もう辞めたいです」という後輩が出てきた時に、河本さんはどのようにアドバイスして、続ける気持ちを喚起していらっしゃいましたか?

河本:今はもう私のところに直接ではなくて、自分の仲間であるマネージャたちがそれを受けているんですけど、自分が初めてマネージャになった時、気をつけたことはあります。それは、やっぱり聴くこと。しっかり耳を傾けて、1人ずつの事情を聴くということは大事にしないといけないなと思いました。

同じ「子供ができたから辞める」という一言であったとしても、その背景はぜんぜん違ったりするわけですね。だから、ひょっとしたら家族に助けてもらえるかもしれないのに自分で完璧を求めすぎてもう難しいと思っている人と、本当に続けたいんだけど、環境が整わない、無理だと言ってきている人と、本当に一人ひとりの背景って全部違って、それをしっかり聴くということがまず1つ。

それと時間を置くということはけっこうしました。やっぱり人ってそういうふうになっていて、気持ちがぐっと「言わなきゃ、伝えなきゃ」となっている時って、追い詰められていると思うんですね。

なので、もう1つは1回聞いて、「じゃあ1週間後、2日後でもいいよ。もう1回話に来て」として、その場で「辞める」とか、「辞めたい」と言ったことに結論を出さないということは心がけました。もちろん結論は持ってるんですよ。持ってるんだけれど、でも「もう一回ちょっと時間をおこう」というのは心がけました。

浜田:西島さんにおうかがいしたいんですが、今、具体的に両立できるかしらという心配事や悩みはどんなことがありますか? こんなに制度が整っていても、それでも悩みはなくならないと思うんですけれど。

西島:最初にお伝えしておきたいのは、ANAの社員のサポートというものはどんどん進化しているということです。これからも進化していくと思います。河本がマネージャをやっていた時代の頃は、たぶんそんなに制度が整っていなかった。やがて長く続けていただきたいという想いのなかから制度を考えていきました。例えば、短時間勤務というのは客室乗務員にとっては難しいです。

浜田:フライト時間が決まっていますもんね。

西島:12時間のフライトの途中で「私だけ降ります」ということにはいかない。

浜田:いかないですよね(笑)。

西島:私だけ泊まり勤務はしたくないです。これもなかなか難しい。なので仕事の日はみんな同じようにフライトしていただく。ただし休みを長くとってもらえないか。

浜田:日数を減らすということですね。

使える制度を目指し、小学生の子供にも適用

西島:はい。そのなかで短日数という制度をANAはすごく武器として待っています。加えて育児日という、短日数ではないんだけど、3日間好きなところを必ず休んでいいとか。ANAは、この短日数も育児日も、お子さんを育てている方は幼稚園の間という制度。要は未就学児の制度というのが他社さんではすごく多いんですけど、実は未就学児は誰かが面倒を見られる。実際にお困りになるのはむしろ小学校に行き始めてから。

浜田:そうなんですよ。うちも小学校3年生なので、まさにそうなんですよ。

西島:そうですよね。実は小学校の低学年は。

浜田:大変なんですよね。

西島:高学年になると、カギを渡して自分で入る。なのでこの小学校の低学年をどうするかということで、うちの制度では未就学児だけではなくて、小学校3年生までということに途中で延長しました。なので先ほどいった育児日も短日数も、小学校3年生まで。一方で、これを取れる取れないというのは非常に不公平感があります。

浜田:そうですね。多くの企業で聞くのが、子供を産んで育児をしながらの社員が抜けちゃうと子供がいない人、男性、独身の社員に負担がかかっているという状況です。『AERA』も30人中20人が女性で、10人がワーキングマザーなので、その状況はよくわかります。不公平感はどう解消しようとされていますか。

西島:先ほど、言った不公平感の1つは、私は子育てをしているので泊まり勤務はできませんといった時に、むしろそれ以外の人はみんな泊まり勤務になってしまうことも起こりうること。

浜田:そうですね。

西島:なので育児日というお休みがある。ただしそのお休みはしっかりとってくれる代わりに、出てきた日はしっかりやりましょうと。お休みは小学校3年生までのなかの希望者、短日数制度は全員取得です。あるいは育児ではないけれど、それ以外のことにもやっぱり一人ひとりを見ていくということで、いろんなところでサポートが必要なことはあるので。短日数、これは通常の6割勤務が可能です。

通常の6割勤務ということなんですけど、そこまでではないけど9割勤務もある。いろんな事情の方、これは理由がとくになくても9割を選べるので、そういった意味では育児をしていない人も含めてやっていく。ただし育児をやっている人も、仕事はしっかりなんとかしていただくということでバランスが取れています。

浜田:制度を整えると、今度は、「制度を目一杯活用するのは私の権利。私は子供がいるからこの制度をフルに使っていいでしょ」と主張する人も出てくる。そこで先ほどの不公平感がさらに広がり、職場がうまく回らなくなるケースも出てきています。

制度を整えるのと同時に、働く意識も少しずつ変わっていかなくてはいけないのかなと思うんです。河本さんはそのあたりをどう意識していらっしゃいますか。

24時間・365日、持ち続ける使命

河本:やっぱり私たちの企業、ANAはなにをしている会社なのか。私たちはなにを目指している会社なのかということを常に共有するという原点。そこに立ち返るのが大事だと思っています。もちろん家族を大事にしなくていいとは言わないけれど、ちゃんと仕事をしているといった時に、24時間365日みんなで協力して、客室乗務員だけじゃなくて整備士もパイロットもみんながそういうことをやっている。

一人ひとりの事情に寄り添うものの、その目標に向かって「やる時にはやるぞ」という、絶対強いコミットが必要だと思っています。なので本当に頭が下がるなと思うんですけど、本当に現場で働いている人たち、東日本大震災の時もそうでした。

去年の大雪の時もそうでした。みんな、なんとしてでも会社に行こうと言うことで出社してきます。それぐらい自分たちの仕事、ミッションを持っている。その時にANAの社員だけじゃなく、グループ会社の社員も空港で働いている人も、みんながその飛行機を飛ばすためにやってるんだと思った時に、自分だけが大変だというのはエクスキューズにはならない。

そういうものはやっぱり持ってもらわないと困ると思っています。だからといって個人の生活はすべて規制するわけではない。今こそみんなで力合わせて飛ばさないといけない時は、「お願い。飛んできて」と言って、夜中に電話がかかってきて、明日の朝6時からのフライトをお願いというのも今でもあります。

それはCAだけじゃなくパイロットもそうだし、それこそボーイング787が止まった時も、本当に不眠不休でした。でもやらなきゃいけない。そこはやっぱり組織で働くということの意味なんです。だけどその組織がそれをやってくれている社員に対してなにを返していけるのかということを、しっかりと私たちも考えていくし、それは経営の責任だと思っております。

浜田:私は昔、「ANAで働く女性たち」という企画を担当したのですが、感じたのはお客様の命を預かっている現場は、ある意味非常に厳しいということでした。だからこそみなさんが持っている使命感、強さと言うものをすごく感じたんですね。

もちろんどの職業も大変だとは思うのですが、命を預かっている、しかも24時間365日というものの緊張感は非常に大変だと思いますし、逆にやりがいもあるんだろうなと思います。

「企業として競争力を高める」正社員化の理由

先ほど、正社員化の話もされましたけれども、正社員化の流れについてもう少し詳しくお聞きしてもいいですか? ANAが先に決断をされた。その背景としてはどういう思いが河本さんにあったのでしょうか。

河本:ANAで契約社員制度を入れたのは、けっこう世の中全体も厳しくて、それぞれの企業がコスト削減をしなければいけないということで、ANAにとってもそういう時代でした。なので、客室乗務員のコストを下げるためには、やはり新たな制度を作ることによってそれを抑制していくということが求められたんです。

なので、その時の当時の運輸大臣の方とも会ったんですけれども、契約社員制度を入れるということを決めました。

新しく契約社員制度を入れたわけですから、今までいる社員と仕事の役割に違いを作らないと、同じことをやっていて、単なる賃金の切り下げだけができないということから、役割の整備をしました。

契約社員制度は悪いことじゃないんですよ。契約社員だからいつでも切っていいとかそんなことはしなくて、基盤形成期といってるんですけど、3年間の契約制で成長はしてもらえるような、1年ごとにちゃんとステップは踏んでもらうというそういう制度も持っています。

4年目には、全員長期になれるという制度でしたから、契約制だから「景気が悪くなったからあなたたちやめてね」「あなたはこないだ失敗したからやめてね」という制度ではなかったんです。

だけど、役割を限定したことによって、3年間のなかでもっと早くいろんなことができるのに、そこに関われないということでは、これからの競争力を会社として持っていくためには……、もっとできる人にはどんどん成長してほしい、そういう機会を奪っているんじゃないか。そんなことをしておくのはもったいないということ。

それと正直言うと、みなさんはあまり思わないかもしれませんが、社会だとか周りを見た時にこっちが正社員、こっちが契約制といった時に契約制は不安定なんじゃないか。

お父様お母様の世代は契約制のところに行くんだったら、「正社員のこっちの会社のほうがいいよ」というアドバイスもあったりすると聞いていました。これから少子化のなかで絶対に採用というものに、企業が競争力を持たなければいけないという時に、やっぱり先にやろうよというのがあったのでそれを最初にやったということです。

浜田:正社員化したことでその後のキャリア形成にちょっと違いが出てくるということを先ほどちらっとお話しされていたので、キャリアの積み方ということでお話ししていただけますか。

西島:給料の積み方が本当に個々によって変わってきているなかにいた時に、やはり正社員化していたということは、社員の安心だったと思います。雇用に一抹の不安を感じないなかで、親御さんもご本人もご自身とお客様に向き合っていけた。この期間をしっかり取らせていただいたというのは、今のうちの風土にもすごく大きくあると思います。

社員一人ひとりというのは、先ほど河本もいっていたことなんですけど、東日本大震災の時も弊社は1便も切っていません。それはみんなの志が1つになった結果である一方で、その時の各マネージャが部下にかけた最初の一言は、「今日はお疲れ様。ご家族大丈夫だった?」ここから会話が始まっている。

そんなところが私はすごく好きだったので、こういうところも社員一人ひとりを大切にするということ。だから正社員化を早くしたいということにつながったと思います。