起きていることに対して、過大評価も過小評価もしない

藤野英人氏(以下、藤野):みなさん、改めて、あけましておめでとうございます。レオス・キャピタルワークスの藤野英人でございます。ひふみ投信の運用をしております。今日、何を話そうかなということを考えていたんですけども。

まず、今マーケットが揺らいでますね。年初から5日連続安ということは、戦後、日経平均を算出してから初めての出来事だということです。そういう面で見るとかなり特異なことが起きているということですけど。

ただ、5日連続下げるということはよくあるんですね。年に何回かあります。そういう面で見ると、たまたま年初から重なったことが珍しいということで、5日連続で下げたということはそれほど深刻に考えなくていいのかなと思っています。要するによくあることですね。

ただ、起きていることそのものはそれほどなくても、いつも投資をする時にすごく大事だと思っていることは、過大評価も過小評価もしてはいけないということです。起きていることに対して、必要以上に重大に考えてしまうことも投資家として非常によくない習慣であります。

一方で過小評価することもよくない習慣なんですね。いかに起きたことをそのまま見ることができるのかということが、非常に難しい問題だと思います。

この仕事をずっとしていると、いつもこの問題を考えているんですね。というのは、先ほど川元さんが有価証券という話をしました。価値がある証券だから、有価証券ということですね。だから、価値ということを僕らが判断する仕事なんです。

価値というのは、評価する人によって決まる

「価値とは何か?」ということですけど、これがなかなか難しいですよね。なぜかというと、価値は目で見ることも触ることもできないわけです。「世界経済の価値とは何か?」と言っても、世界経済はどこにあるのかというと、見回しても見えない。ひょっとすると、すべてが世界経済かもしれないし。また、日本の経済の価値といってもなかなか目に見えない。

じゃあ、GDPが世界の価値なのかというと、それは数字だし表現だと思いますけど、それが本当に価値なのかというとよくわからないですね。だから価値とは何かを考えることも、実はとても深い問題で難しい。

例えば、陶芸品でも自動車でも本でもいいんですけど、ここにあるすべての物には価値があるわけです。難しい経済書は、一般の多くの人にとっては読みたい物でも欲しい物でもないですけど、ある人にとってはすごく価値のある物で、そういった物が沢山あるんですね。

つまり、価値というのは、評価する人によって決まるわけですね。評価する人たちがどれだけいるかってことで決まっています。株価の価値もそうですね。

昨日は、ファーストリテイリングというユニクロの会社の価値ががーんと下がりました。暖冬ということ、世界的に不調だったことなどのいくつかの理由があります。業績が悪化したということで株価が下がったわけですね。

ファーストリテイリングの会社の株といったって、ユニクロ好きな人も嫌いな人もいますね。ユニクロの株が好きな人もいるし、嫌いな人もいます。

多くの人が参加者として、売り手があって買い手があって、それが一緒になった時に株価は作られるわけです。それも毎秒毎秒値段が動いたりしているわけで。そういう面で見ると、売り手と買い手があって、そこで株価がついていることになります。

この株価が動くさまなんですけど、昔の人はこうやって株価が動くさまのことを「投機」って言ったんですね。「投資」と「投機」という言葉がありますけど、「投機」とは決して悪い言葉ではなくて、もともとは禅の言葉です。それは何かって言うと、お師匠さんと弟子との言葉のやりとりのことです。投げる1つの意見の交換が「投機」。

お師匠さんの「生きることとは何ぞや?」という問いかけに対し、弟子が「食べて寝ることです」と。「食べて寝ることとは何なのか?」みたいなことに対して「生存の本能です」と。「生存の本能とは?」ということを永遠に繰り返すのが、「投機」っていうことですね。

要するに、株式市場というのは売り手と買い手の永遠のやりとりですよね。売り手が「この値段で売りたい」「こういう価格であろう」という意見を出して、買い手に求めている。それが一番集まるところが価格として決まっているということです。それが無限のやりとりで動いていく世界。これが「投機」です。

おもしろいですね。「投機」っていうのは決して良いも悪いもない。「投機」って言葉には深い思索という意味もあるんです。もともとそういうやりとりですからね。そうやって価値というのは決まっていくわけなんです。

私はこの株式市場の世界で仕事をしていてすごく思うのが、とにかくとても不思議なのですが、短期的に見ると投機のやりとりは極端なところにいったりするわけですよね。「人間は死ぬために存在する」みたいな意見と「生きるために存在する」という意見は真逆じゃないですか。

でも、どちらも1つの真意ですよね。「人間は死ぬために生きる」。「生きるために生きる」。真逆な意見というのは、どちらも本当なんだけど、真逆のところに行ったり来たりして振れていくわけです。それが株式市場のおもしろいところでもあるわけなんです。

安く買って高く売るための2つの条件

株式投資をしていて、僕らがなぜこの仕事をしているのかと言うと。先ほどアクティブファンドということを言いましたけど、アクティブファンドというのは、「安く買って高く売る」、最終的にはそれが上手くできたら収益を上げることができるわけです。

安く買って安く売ったら結果的に儲からない。高く買って高く売るのもありますけど。「安く買って高く売ること」が長い間できたらお客さんの資産を増やすことができます。それはなかなか難しいですね。

それを僕らがやっていくためには、結果的に価値を判断しなきゃいけない。「安く買って高く売る」には、常に2つの条件が必要です。それは何かっていうと、「株価というのは常に正しい」ということと「株価というのは常に間違っている」という非常に矛盾した状態が存在することです。毎日毎日、売り手と買い手が投機を行い、株価が成立し、上がったり下がったりしているんですね。

だから、市場価格というのがあって、株価というのはそこで成立している限り正しいわけです。そこで売買で儲けたり損したりすることがあります。そこの終値の価格というのが、僕らの今の保有資産の価値ということですね。だから、株価というのは、ついている限り正しいんです。

でも一方で、さっきの価値の話がありました。本当の価値と同じところに株価がいるかというと、そういうわけではない。その位置にいることは殆どない。株価は常に割高か割安かなんですね。そうじゃないと僕らみたいな人が存在する意義がないです。そういう目で見ると、株価は常に間違っているとも言うことができるんです。これが僕らがいる世界なんです。

株価というのは常に間違っている。株価というのはついている限り正しい。この2つの矛盾したものがあることに、この世界で僕らのような人たちが存在する意味があるわけです。

というのは先ほども話した通り、過大評価も過小評価もしない状態に株価があるというのは、本当に珍しいことです。だいたいが過大評価されているか、過小評価されていることになるわけです。そうすると、僕らが本当に儲けるために何が必要なのかというと、課題評価も過小評価もせずに物事を見ることができるのか、ということにかかることになります。

これが世界経済であったり、個別の会社を見る時の1つのとても重要な考え方なんです。その時に、物の価値、値段というのは多くの人が集まって決めます。株式市場というのは、沢山の人が世界中から集まって日本の株を決める。コンピューター取引をしている人たちもいるし、人間が、それぞれの関係者も含めて株の売り買いをしています。

そうすると、1つの株を売買する時に、天才的な投資家も参加するでしょう。でも、天才というのはそんなに多くない。

天才が株価を決めているわけじゃない

多くの人は凡人で、普通の人です。普通の人とは、欲の皮が突っ張ってて、株価が上がると喜び、株価が下がると悲しむというような人たちで、8割から9割くらいいます。そして、彼らはお調子者で、わりと浅はかで、勉強しないこともないけどわりと中途半端です。

そういう人たちが市場の多くなんですね。天才が株価を決めてるわけじゃない。これおもしろいところですね。

ところが、できる人とできない人と中途半端な人が沢山参加して、そして投機を行って、売りと買いとをしていくと、不思議とその値段って長期的に見ると、価値と一致しているところが、とても不思議なことなんです。

これがケインズが言った、「神の見えざる手」なんですね。長期的に見ると、最終的には株価、物の値段がその価値に収斂(しゅうれん)していく。その価値と近いところに値段が動いていくのが、本当におもしろいところだと私はこの仕事をしていて思っています。

そこで、神様とは何か? そういう多くの人が集まって神様になるわけです。そうすると、あらゆる市場参加者が合体すると神様になるわけで、1人1人が神様の一部なんです。浅はかで、株が上がると興奮して下がるとがっかりするような人たちも神様の一部ですよね。そういう人たちが集まって1つの市場になるのがおもしろいなと思っています。

だから、株式市場に対して、人間の強さや弱さを含めて、個別の1人1人を理解することがけっこう大事じゃないかと思っています。それは何でかと言うと、結果的にそういう人たちが集まって市場を形成することになるだからということになります。これが、価値の見つけ方の大事なことなんじゃなのかなって思うんですね。私は株式市場の世界に長くいながら、今言ったところが大事で。

「人間の理解」が一番大事

まず1つは、株式市場で結果的に価値に収斂するけど、過大評価も過小評価もしてはいけない。2つ目は、株式市場で必要なことは、株価は常に正しい、けれども常に間違っているという側面を持っていること。

それから3つ目は、株式市場で投資を使って成功するために何が最も大事かというと、実は、人間の理解である。それも優秀や天才という人ではなく、普通の一人ひとりの人間の強さや弱さを感じていることがとても大事なんじゃないかなと思います。

だから、今起ていることをどういうふうに考えて、経済的な事象や世の中の動きを見ることも大事なんですけど、今起きていることを多くの人がどのように受け止めているのかがとても大事なんですね。

だから今、中国経済が1つの問題とされながら、それが米国や日本に波及していくことに対して、それぞれの国の人たちがどのように考えて受け止めるのかを読んでいく。それも優秀な経済学者の視点ではなく、一般大衆、普通の人の視点ではどのように受け止めるのかを考えながら投資を考えることが大事なことなんじゃないかと思います。

その前提の中で考えていくと、今回、日本株が年初で8パーセントくらい下がったんですね。大きく下がりました。去年1年間でトピックスは、1年間かけて9パーセント上がっているので、わずか5日間でその分をほぼはき出したということになります。8パーセントは非常に大きな数字です。

昨日のニューヨーク株も下がっていますし、円も円高のほうになっていますので、おそらく今後3連休明けについても厳しい展開が予想されます。ひょっとすると、6連続安というのもあるかもしれないなという状態です。

でも、これはひょっとしたら行き過ぎかもしれない。僕らが持っている価値を過小評価しているのかもしれない。日本というものの価値を過小評価していたということになるような瞬間が訪れるかもしれないということなんですね。

そういう時に、恐怖や不安に晒されて株を手放してしまうことは、非常にもったいないことだと思います。おそらくチャンスだと思って投資をするのもあるかもしれませんが、これも本当に正解かどうかよくわからないところです。

ただ、よくわからないという恐怖に縛られて、持っている物を手放すことをしないことを私としてはお勧めしたいと思います。

円安が続いた理由は、アベノミクスではなく貿易収支の赤字

現在起きていることに対しては「予想より早く起きてるな」と思っています。去年から思っていたことは、2016年は厳しい年になるかなということでした。一番の理由は、為替が円高に進むだろうと予想していたからです。それは何でかと言うと、円高になる大きな背景で貿易収支が改善しているということが大きくて。

私の考えでは、円安に進んだのは、アベノミクスがきっかけではなくて、貿易収支が赤字になっていったことが大きいです。アベノミクスが始まったのは、2012年11月の民主党の野田さんの解散宣言がきっかけなんですけど、実はその2ヶ月前から円安が起きている。円安の背景は、貿易収支の赤字というのが実は大きいポイントだったんです。

だから、「アベノミクス」と安倍さんが言ったから円安になったのではなくて、その2ヶ月前である民主党政権の最後の2ヶ月くらいから起きています。金利であったり、貿易収支であったりいろいろ複数の観点があるんですけど。

私自身が見ていたのは、貿易収支がこれだけ黒字だから円高のトレンドになる可能性があるかなということです。過去3年間円安が続いていたので、為替であろうが株であろうが必ず休憩する時があると。それらは呼吸するように息を吸いたり吐いたりしますので。

そういう目で見ると、1つ円高があるに違いないだろうと予想していました。だから、そういう時には現金を持ちながら為替感応度の低い内需株、大型株よりは小型株に軸足を置きます。

でも、これはこちら(運用会社)側のほうの対処の問題です。では、投資家側としてどうやって対処するのかというと、1つはすごく基本的なことで、資産の分散をしながら、根本的には上がったり下がったりするのが当然だと思うことです。分散しながら根本的にはちょっと投資を続けていくということが、重要なことで。下げたから慌てるとかいうようなことをしないのがすごく大事なことかなと思います。

2016年はいろんなことがあると思うんですけど、そのたびに、私たち長期投資家として、長期投信のメンバー全体でなるべく率直なコミュニケーションをして、今起きていることをお話していこうと思いますので、長期投資家として僕らは支えていきたいなと思います。

細かい話はパネルディスカッションの中でお話したいと思います。今日はどうもありがとうございました。

(会場拍手)