マゼランはポルトガル人だけどスペインの船団を率いた

おおたに:そのあといよいよスペイン人が来るところにいっちゃおうかな。やってきたのはマゼランさん。1521年、スペインのマゼラン船団なんだけど、実はマゼランって何人だかわかります?

アッキー:え? スペイン人? 何かで出てきたな。

おおたに:聞けばわかるか(笑)。

アッキー:ポルトガル人?

まき:私もポルトガル人の気がしたんですけど、違いますか?

おおたに:そうなんですよ。ポルトガル人なんだけど、船団はスペインの船団なんだよね。

アッキー:やっぱり! 私もそれ、話したな。

おおたに:多かったらしいよ。航海術はスペイン人よりもポルトガル人のほうがうまかったんだって。

まき:何ででしょうね!?

おおたに:何ででしょうね。

まき:でも、スペインにも海はあるし。

おおたに:内陸もあるけどね。ポルトガルは海に面したところしかないからね。全員海洋民族というか海洋部族というかね。

アッキー:エンリケ航海王子もポルトガル人ですね。

おおたに:そうなの?

アッキー:確か。ポルトガルの王子。

おおたに:マゼランさんは1480年頃に下級貴族の子供として生まれたんだって。1499年にはバスコダガマが喜望峰前の航路を発見して、胡椒とかスパイスを取りに行こうとしている頃ね。

スペインの艦隊とかがそこを目指していくんだけど、途中でイスラムの艦隊と戦って、インド洋の覇権を手に入れてマラッカに到達して、とかね。最初は負けたけど、そのあとマラッカを制圧したとかね。そういうのにマゼランさんは参加しています。インド洋で戦って、マラッカで戦って。

アッキー:悪いね(笑)。

おおたに:え!? 悪い?(笑)。まあいいけどね(笑)。現地から見ればそうだけど、スペインの立場では当然だったのかも。その当時はね。1513年に帰国して、そのあとまた北アフリカに遠征したりしています。

妬まれてしまったマゼラン

おおたに:でもそこで鹵獲品(ろかくひん)管理担当になって、まわりからのねたみで「収賄しているんじゃないか」という冤罪になって、失意の帰国をしていますね。

アッキー:何品担当ですか?

おおたに:鹵獲品というのは、現地での戦利品とか、手に入れたものを管理する担当。だからいろんなものを持っているわけね。

アッキー:「ろ」はどういう字でしょうね。

おおたに:「ろ」は、漢字で書くと歯。人間の歯なんだけど、中が米じゃなくて必要の「必」みたい。

アッキー:なにそれ!?

まき:難しい!

おおたに:歯の中の米は縦横十字に点々でしょ。それが斜めバツの点々みたいな。私も初めて見ましたよ。

アッキー:「かく」は、確保?

おおたに:獲得の獲。

アッキー:おもしろいね。

まき:おもしろいですね。

アッキー:ホントだ!

おおたに:漢字の勉強ですか(笑)。

アッキー:歯みたいな感じの。

おおたに:調べるのが大変だったよ。読みがわかればいけるけど。そういう漢字の勉強にもなりましたね。

アッキー:はい。

おおたに:妬まれたというのは、元々下級貴族の出身なのに手柄を立てて船長になったりしているわけね。

まき:実力があったということですよね。

おおたに:それがそんな鹵獲品担当になって。できる人、まじめな人じゃないと任されないじゃない。

アッキー:そうですよ。

おおたに:重要なところだよね。今でいう大蔵省大蔵大臣みたいな感じ? 北アフリカもだけどね。それで失意のうちに帰国して、王様に「俺はまだ東アジアに冒険に行きたいんだ」とか「給料もあげてくれ」とか言ったんだけど、拒絶されてポルトガルを去ったんだって。

アッキー:なるほどね。

おおたに:その「給料をあげてくれ」も「あと銀貨1枚くれ」といって「だめだ」といわれたらしいよ。何だろうね。細かい理由はわかんないけど。王様もまわりの妬みに気を遣ったのかね。

まき:かもしれないですね。

おおたに:これは想像ですからね。

まき:どうでしょう(笑)。

「マゼラン海峡」通過時のエピソード

おおたに:それでスペインでもやっぱり艦隊を率いる人を探していたわけ。金持ちの商人たちが「こいつがいいんじゃないか」というゴメスさんという人がいたけど、その人は、当時の国の間の条約とかにうとかったので、「あいつはだめだろう」ということでうまくいかなかった。

それで他の人がマゼランを推薦したので、「じゃあ、そいつでいいんじゃない?」ということでマゼランに決まったらしいよ。それでマゼランがスペイン船団を率いて西回りで「胡椒を取りに行ってきます」ということで出発したわけね。

4隻で出発したんだけど、当時、コロンブスがその前にアジアの東に到達したってことになってたでしょ。アメリカじゃなくて。そこから胡椒が取れる胡椒諸島に抜ける海峡があるはずだということで、探しながら行くわけね。

でも、どこまで行っても抜け道がない、抜け道がないということで、どんどん南の方まで行って、パタゴニアの方まで行った時に、やっぱり反乱が起きたんだって。

アッキー:どこでですか?

おおたに:4隻の船の中で。「まだないじゃないか」ということで不満が積もってね。でもマゼランはそれを鎮圧して、首謀者を斬首。首切り。残りは鎖でつないで船の補修作業とかをさせたんだって。ポルトガル人が1人ではないけど、スペイン人たちを率いていくのはやっぱり大変だよね。

アッキー:大変です。

おおたに:それでついにマゼラン海峡──あとからマゼラン海峡と名付けたんだけど、そこを見つけたんだけど、その時に狭いところを抜けていって、途中1隻が来ないんだって。それが最初の候補だったゴメスさんのサン・アントニオ号なんだけど、「あれ? 来ないな、来ないな」と待っている間に「じゃあ、その辺を偵察してこよう」ということで小舟が西の方に行ったの。

そしたら「船長大変です! この先に広い海があります」ということで、マゼラン海峡が見つかった。でも1隻帰っちゃったのに「また来ない、まだ来ない」と待っていたので、その狭い海峡を抜けるのに1カ月もかかったそうですよ。それで4隻が3隻に減っちゃったんだけど。でも、やっと抜けても太平洋は広いじゃない。

香料を求めて航海をしたマゼラン

まき:たしかに。

おおたに:食料も底をついているじゃない? そのうえ、当時はまだ壊血病がいっぱいあったでしょ。ビタミンC不足で起こる病気ね。みんなバタバタ倒れたりして。

島に寄ったら、島の人たちが勝手に船に乗り込んで船の中の物、持って行っちゃったりとかね。いろんな島があったらしいけれども、大変な航海を続けながら島に寄って食糧や水を補給しながら、フィリピンにたどり着いたのが1521年ですね。

ここでやっとフィリピンが出ました。「フィリピンでマゼランはどうしたんでしょう」って、何か覚えていることはありますか?

まき:まったく覚えてない(笑)。マゼランがフィリピンで何をしたか?

おおたに:旅の目的は胡椒を探しに行ったでしょ。香料か。香料諸島といったかな? その島がどのへんかというと、ちょうど今のフィリピンの西のあたりなんですよ。今の南沙諸島といわれているあたり。そのへんでたくさん取れたらしいですよ。

アッキー:胡椒が?

おおたに:胡椒だけじゃなくて、いろんなスパイスが。当時の人たちは「香料の諸島」と名付けてたんだって。

アッキー:やっぱり西洋の人たちはすごく肉を食べるから。

おおたに:そうだよね。

アッキー:それもあって、香料というか、香辛料とかを非常に求めていったんでしょうね。

おおたに:そうでしょうね。金の1グラム、胡椒の1グラム。逆か。胡椒の1グラム、金の1グラムか。よく出てくるよね。冷蔵庫がなかったしね。

アッキー:そうですよ。

フィリピンでキリスト教の布教活動を開始

おおたに:でもそこへ到達するまえにフィリピンの島に到達したことで、現地の王様に招かれたりしてね。それまでいろんな島でひどい目に遭っているから「この島の人たちは話せるな」といってね。

当時フィリピンはイスラム教が西の方から来て広がってたんだけど、なぜかマゼランさんは突然布教活動を始めちゃって、キリスト教に改宗させたりしたんだよね。

アッキー:ここだったら伝わると思ったんですかね。

おおたに:安心したんじゃないの? 「おかしいな。目的は違ったのに」と。いろんな島の王様を改宗させていった時に、「ある島の王様が改宗しないと言い張っている。ちょっとマゼランさん、何人か連れてきれくれないか」ということで行ったら、なんとそれが罠で、相当多い人数の人達に囲まれ、それで殺されちゃいましたね。

まき:あー!

おおたに:マゼラン戦死。

アッキー:あらー。そうだったんですか。

おおたに:ここで死んじゃったんですよ。マゼランさんは世界一周をしていないんですね。

アッキー:帰れなかったんですね。かわいそうだよ。

おおたに:その島に60人くらい連れて行ったんだって。滞在していたのはセブ島で、その王宮に招かれていたんだけど、マクタン島の王様が従わないので60人で行って、1500人に囲まれてマゼラン戦死だそうです。

アッキー:うわー。

おおたに:スペインの兵隊さんたちは甲冑で身を固めているんだけど、足首とか足元が出てたんだって。そこを狙われて次々にやられちゃったそうです。

アッキー:フィリピンの気候だったら足首は出すでしょうね(笑)。

まき:暑いですもんね(笑)。たしかに。

おおたに:よくわからないけど、鉄の靴はなかったのかな?

アッキー:いや、あったのかもしれないけど、暑いから脱いでたんじゃないですか?

おおたに:でも、足首を曲げるからそういうところが出るんじゃないの?

アッキー:そうかな?

270人で出航した船団は、最後には21人に

おおたに:次々に人が減りながら香料諸島にたどり着いて、大量のクローブだって。

アッキー:おー。丁子(ちょうじ)(※クローブの別名)?

おおたに:丁子を積んだんだけど、積み過ぎて1隻は浸水したりしてね。だけど、それは修理に取りかかったんですぐには出発できないじゃないですか。その1隻を残して2隻でスペインに帰国したそうです。

アッキー:なるほどー!

おおたに:帰国時の乗組員は21人だって。

アッキー:60人くらいで行ったのに?

おおたに:違う、違う。何百人で行ったんだよ?

アッキー:ごめんなさい。私、なんで60人っていったんだろう(笑)。

おおたに:4隻で、出発時は270人くらい?

まき:帰りが何人でしたっけ?

おおたに:21人。そのうち3人は途中で乗せたインディオだから。病気で死んだり、さっきの戦いで殺されたり、現地で行方不明になった人とかいて、3年間かかったそうです。3年かかって270人が21人になって、マゼランさんは死んじゃって、すごい航海でしたね。

まき:すごい航海ですね。

おおたに:というのが、フィリピン関連のマゼランさんのお話でした。

アッキー:はい。

スペインとポルトガルで結んだサラゴサ条約

おおたに:そのあとに今度はピリャロボス探検隊というのがミンダナオ島に来て。

アッキー:どの国のですか?

おおたに:スペイン。その時のスペインの皇太子フィリップ2世にちなんでフィリピン諸島と命名したんだって。それが1542年。

アッキー:なるほど。

おおたに:それでそのあとはスペイン人が入植して、スペインの植民地になっていくのかな。途中でもオランダがフィリピンを攻撃したり、イギリスが一時マニラを占領していたり、そういう時代があったらしいね。

アッキー:けっこういろんなところから来たんですね。

おおたに:うん。でもサラゴサ条約というのがあって、1529年にその条約で「フィリピンはスペインのものにする」というのをポルトガルに認めさせたんだって。子午線、地球儀を縦に割った線。その線を引くと、実はフィリピンの東側にその線があったらしいんだけど、その線から東側。

オーストラリアはスペインのもの。フィリピンはその線より西側なんだけど、フィリピンだけはスペインでいいよ、というのがその条約の内容。あとその前にトルデシリャス条約というのがあったんだよね。

まき:それは何ですか?

おおたに:それはアメリカ大陸の縦に引いた子午線から東側はポルトガルで、西はスペインというやつ。前に誰か言ってたよね。やすやす君か?

まき:言われてみれば、聞いたような気がしなくもないです(笑)。

おおたに:それなので、東側がポルトガル、西側がスペイン。だけど、そのあとに地球は丸いということに気がついたから、線1本引いてここは東、ここは西というと、「どこまでなんだ」と。グルッと地球を回っていくと重なっちゃうじゃない? もう1本線を引かないと決まらないわけね。

それでもう1本線を引いたのがサラゴサ条約。結果的にはブラジル、アフリカ、フィリピンまでもポルトガルのものということになってるんだよね。スペインとポルトガルで地球に縦に線を引いたの。地球丸ごと分割案ですよ。

アッキー:そういうことだったのか。

おおたに:うん。だけど、それによるとフィリピンもポルトガルの勢力圏の一番東のはじっこなんだけど、「フィリピンはスペインでいいよ」ということになっています。

コンキスタドール=征服者

おおたに:スペインが占領したあと、レガスピという人がフィリピンの総督になってしばらく占領していますね。この人は1565年にフィリピン諸島に来て、さっきのパナイ島を4年後の1569年に征服したりとかね。

アッキー:この人もスペイン人?

おおたに:スペイン人。最初に来たのは探検隊で、今度の人はフィリピン諸島を征服しに来た人。コンキスタドールと呼ばれている征服者。

アッキー:肩書がすごいですね。

おおたに:何とかドールって、「何とかをする人」って言ってたもんね、やすやす君が(笑)。

アッキー:肩書が征服者でしょ。

おおたに:コンキストって征服という意味なのかね?

アッキー:レコンキスタとかありますよね。

おおたに:レだから征服を排除するということかな。

アッキー:そうじゃん、そうじゃん?

おおたに:たぶん。

アッキー:コンキスタドール。ドールってかわいいのにね(笑)。

おおたに:え? でもマタドールもあるじゃないですか。牛を殺しちゃいますよ。

アッキー:怖いよね。

まき:怖いですよね(笑)。

おおたに:それで次々に島を占領していって、初代総督になっています。

フィリピンとエバラ「黄金の味」の意外な関係

おおたに:この頃、1500年代末というのは、有名な日本人がフィリピンに行ってるでしょ。

アッキー:ん? 誰だ!?

おおたに:大河ドラマにもなったんですけど。歴史上は有名じゃないかもしれないけど、大河ドラマになったので日本人には有名かな。私の年代の日本人にはね。1978年の大河ドラマだって。

アッキー:えー!? わからない。

おおたに:生まれて……るよね(笑)。

アッキー:微妙ですね(笑)。

おおたに:呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)の商人。

アッキー:知らないです。

おおたに:そうなんだ。豊臣秀吉の頃に豪遊したので睨まれて、「やばい」ということでフィリピンに逃げたんですよ。当時、日本人街があったルソンに逃げた。そこでも商売をちょっとやって。スペインがカンボジアも領有した時に、カンボジアも行けるじゃん、ということで、1607年にカンボジアに渡って、そこでまた大儲けをして豪商になった人の話。

アッキー:すごい! 商売上手な人なんですね。

おおたに:どんどん開拓して儲けてるという話でしょ。だから大河ドラマのタイトルが『黄金の日日』というの。当時は有名だったの。誰がやってたかな。当時の市川染五郎。今の松本幸四郎がやった。その『黄金の日日』が有名になったので、そのあと有名な焼き肉のタレができたんですよ。

アッキー:え? バラ? エバラ?

おおたに:『黄金の味』。

アッキー:『黄金の味』か(笑)。

おおたに:これは呂宋助左衛門の大河ドラマからきているんですよ(笑)。

まき:全然知らなかった!

おおたに:というこぼれ話でした。

アッキー:こぼれてる(笑)。なるほど。