まだキーボードを捨てられない最新機器

清水亮氏:iPad Proがなかなか手に入らないので、手に入れたときはうれしかったのですが、あまりにも使い道がなくて愕然としました。発表を見て何がいちばん衝撃だったかというと、結局、ペンも付くけど、キーボードも付けてしまうのね、ということでした。

Surfaceに至っては、そもそも最初は面という、すごく尖ったやり方でやったのに、最後はやはりキーボードを付けてしまうのだ、ということでした。しかも、メッチャ打ちやすいみたいな(笑)。 

さて、キーボードをなぜ私たちは捨てられないのでしょう。これは非常に大きな問題です。

欧米文化はわかります、タイプライターは100年以上の歴史がありますから。欧米には、タイピストという仕事があるくらいです。

僕たちは、なぜキーボードを捨てられないのでしょう。もちろん、僕は文章を書いて稼ぐことが多く、それは原稿だけでなくて、報告書とかメールなどが僕のメインの仕事なので、キーボードをいかに素早く打てるかというのは、非常に重要な問題です。

将来キーボードはなくなる

そうすると、キーボードがついていないと使いづらいということは、正直あります。でも、今、生きている人たちのことに僕はあまり興味がなくて、いちばん大事なのはこれから生まれてくる人たちです。

僕が思うに、これから生まれてくる人たちに、ペンとキーボードのどっちを残すかということです。

もし、ペンがまったくなかったら、数学ができる人はゼロになります。数式は、ペンでないとダメです。プログラマーほど、紙のノートを使います。キーボードだけだったら、今の日本人はローマ字がわからないと打てません。かな入力をすればいいと思うんですけれど、親がそうさせないとなかなかできない。

どちらが先になくなる可能性があるかというと、どっこいどっこいかなと思います。でも、100年単位でみたら、僕は、「キーボードというのが昔あったね」ということになると思います。

皆さんは、和文タイプライターを知らないですよね。昔は、和文タイプライターというのがあって、5000字くらいの画板みたいなものから自分で取りに行かなければいけなかったのです。その前は、活版印刷というのがあって、写植といって自分で文字を埋めなければいけなかった。そういう時代から考えると、キーボードというのは非常に便利ではあるのですが、じつは、これは何百年もイノベーションが起きていません。

よく言うのですが、缶切りが発明されたのは、缶詰が発明された30年くらいあとなのです。それまでは、どうやって缶詰を開けていたかというと、銃剣というのがあり、それで撃ったり、こじ開けたりして使っていた。プルタブが発明されたのは20世紀ですからね。

そう考えると、コンピュータにキーボードが生まれてそんなに時間が経っていないので、(キーボードがなくなっても)大きな問題にはならないのかなと思っています。

コンピュータのエコシステムとは

われわれが開発しているenchantMOONと、iPad ProとSurface Bookを比べた場合。ちょっと傲慢に聞こえてしまうかもしれませんが、あえてenchantMOONとそれ以外を比べましょう。

enchantMOONとそれ以外と、なにが違うでしょうか。パラダイムが違います。enchantMOONの場合、目的はその端末の環境で新しいコンテンツを作ることです。enchantMOONの場合、なんの訓練も受けていない中学生がほんの1時間くらい触っただけで、自分の考えをプログラムにして表明することができます。

ところが、iPad Proを、なにも知らない、訓練も受けていない中学生に渡して、これでゲームを作りなさいとか、ホームページを作りなさいとか言ったら、大混乱してしまいます。なぜか。選択肢がたくさんあるからです。

なぜ選択肢がたくさんあるかというと、それはエコシステムに問題があります。

そもそも、パーソナルコンピュータは1970年代に生まれました。そのとき、エコシステムはどういうものだったかというと、最初はギーク向けでした。マニアのような人たちが、組み立てキットとして買い、ハンダ付けもする。これを初めてプラスチックケースに入れたのがスティーブ・ジョブズだといわれていますが、本当かどうかあやしいなと思います。

要するに、最初はキットの組み合わせ、部品だけで売っていたわけです。それを作れる人だけが作っていたという、すごく狭い世界です。

それに対して、今度はソフトを作る人たちが入ってきます。マイクロソフトが最初がんばったのですが、ソフトメーカーがギークたちの作ったソフトを買い上げて、またギークたちにソフトを売るというエコシステムを作りました。ソフトメーカーがたくさん生まれるわけです。

70年代の代表的なパーソナルコンピュータといえば、AppleⅡです。AppleⅡが出た当初、1977年くらいは、まだコンピュータになにができるかがわかっていませんでした。そのとき、ゲームをとりあえず売ろうと。ゲームが最初のジャンルとしてありました。でも、基本的にゲームしかなかったので、これはおもちゃじゃん、なんも使えないじゃん、と、みんな思っていました。

そのとき、VisiCalcというソフトが発明されました。VisiCalc。これが、一般的に知られている世界最古の表計算ソフトです。VisiCalcが発明されたことによって、パーソナルコンピュータは突然、便利なものになったわけです。普通の仕事に使えるものになるわけですね。逆に言うと、ハードウェアメーカーとソフトウェアメーカーの共生関係ができるわけです。それが、エコシステムと呼んでいるものです。

この関係性は、現在に至るまで続いています。アップルにおけるアドビ、マイクロソフトにおけるアドビのように。まあ、アドビでなくてもいいのですが。当時、彼らだけではすべてのソフトは作れなかったので、開発に当たって周りをいかに巻き込むかが大事でした。

垂直統合してしまったコンピュータ業界

ところが、月日が流れて、今どうなっているかというと、主要なソフト、例えばiOSの主要なソフトを誰が作っているかといえば、アップルなんですね。iWorkとかMailとか、重要なソフトはアップルが作っています。要するに、垂直統合したわけです。

iTunesもそうですね。いま、iTunes以外の音楽マーケットアプリをiPhone向けに出そうと思う人はいないでしょう。出しても潰されるに決まっているのだから。

アドビはまだありますよ。でも、正直、プロ向けというか、マニアックですねという感じで、昔より存在感が減っています。

昔は、たくさんのメーカーやソフトウェアベンダーがいろいろなツールを作っていたのですが、いまはほとんど集約されました。アドビももともとひとつの会社ではなくて、いろいろな会社を吸収して今のかたちになっています。

マイクロソフトはもっと顕著です。Officeを売っていればいいのですから。マイクロソフトがWindows10へのアップグレードを無料化しました。当たり前です。Officeを買ってほしいのですから。Windowsというのは、Officeを売るためのものでしかありません。

逆に言うと、WindowsでOffice以外のソフトを買った記憶がありますか? ここ10年で。ないですよね。すごくギークな人がMIFESとか一太郎とかを買うかもしれません。うちの父親は、いまだに一太郎を買っていますけど。ただ、それはとても少なくて、結局、(マイクロソフトやアップルといった)プラットフォーマーがどんどん肥え太っていって、周りのソフトウェアメーカーがシュリンクしていったわけです。

これは果たして健全なことでしょうか。

極端な話、マイクロソフトもアップルも、この構造が変わらない限り、ハッピーなのです。彼らは、この構造をなんとしてでも守りたいわけです。

つまり、自分たちがハードを作り、自分たちがソフトウェア・プラットフォームを作って、自分たちがその上で動く最強のキラーアプリケーションを持っている状態。これが完全な独裁状態だから。

同じ規模のものでは勝てない

それでは、この世界に対してどうすれば新しいイノベーションを起こすことができるのか。

2つの方法があります。

例えばMicrosoft Officeと同じ製品をゼロから作るとしましょう。実際、小米(シャオミ)の雷軍(レイ・ジュン)という人がその昔、Kingsoftという会社で成功しました。Microsoft Officeのクローンで、3,000円で売っていました。非常によくできたソフトでした。

ところが、それはいつまでたってもクローンです。新しい世界を作っているわけではない。だから、Kingsoftの売上高がマイクロソフトを超えることはありません。なぜなら、安く出さなければいけないから。大変な割には。

マイクロソフトはいくらでも方針転換をして、いくらでも下位互換性をなくすことができます。

このように、相手の土俵で遊んでいるだけでは、この世界は覆りません。彼らは、だれが使うのかわからないようなものまで、どんどん新しいOffice製品を作り出します。一度も起動したことのないようなOffice製品もあります。

ここでなにが起きなければいけないかというと、すごく大きなパラダイムシフトです。なぜなら、Officeと同じことをしようと思うと、Officeと同じサイズのソフトを作るというやり方では、絶対勝てないから。そんなコストどうやって払うの。何万人もの従業員を、何十か月も働かせなければできません。

それではどうするか。

マイクロソフトに対抗するマイクロアプリ

1つは、アプリケーションをとても小さくすることです。1つ当たり1時間か2時間で作れるようなもの。マイクロソフトが何万人もの従業員で作るものを、たった1人の個人が1日で作れるくらいまでアプリケーションを小さくする。これを、僕らはマイクロアプリケーションと呼んでいます。

例えば、Microsoft Officeの機能を切り出して、パワポだけにしてみましょう。PowerPointのクローンをもう一回作るということはどういうことかというと、ファイルのsaveとかloadとか、undoとかredo、copy、paste、cutなど、すべてのアプリに当たり前にある機能を全部作らないといけません。こんなことはバカバカしくて、やりたくないから、やるヤツもいない。ゆえに、マイクロソフトの脅威となる会社は、基本的には現れないわけです。

そこに対してモチベーションを持っているのは、アップルだけです。アップルは、そこをやりたいわけですから。あとは、サン・マイクロシステムズかな。StarOfficeというオープンソースのOffice互換製品を作りましたけど。

結局、それもしがらみの上に成り立ったもので、本当にPowerPointを使う人が、ああいうかたちのユーザーインターフェースを使いたいかというと、そういうわけではないでしょう。

例えば、もっとましなundo機能だけを思いついたとします。でも、undo機能だけを実装するために、残りの99.9パーセントのソースコードを全部コピーしなければいけないとしたら、これはむちゃくちゃ大変です。従って、実際にそれをやる人はいません。

ソフトウェアの歴史は、モジュール化の歴史でもあります。マイクロソフト自身も、コンポーネント・オブジェクト・モデル、通称COMとか、昔の言葉で言えばActiveXとか、COMの前はOLEとか、いろいろなコンポーネント技術を作ってきたのですが、おもしろいことに、コンポーネント技術は簡単にするために生まれてきたのに、どんどん複雑になっているのです。むしろ、コンポーネントを作るのに、冗談でなく、5cmもある分厚い本を読まないとコンポーネント1つ作れないということになりました。

昔は、ソフト1つを、全部、個人で作ることができました。昔のワープロとかは。ところが、今は、ワープロの1機能を増やすために、分厚い本を全部読まないと作れなくなった。

これも陰謀ですよね。陰謀というと語弊がありますが、一種のゆがみなわけです。

ブログラミングとは自分の考えを表明すること

われわれがenchantMOONの世界で目指しているのは、コンポーネントプログラミングを究極まで高めることです。

出発点から2つの流れがあるとすれば、われわれは両方やろうとしています。1つの流れは、「誰でもプログラミングができる世界」。もう1つは、「高性能なマシン」です。

高性能なほうは、チップを作るとかいう話ですね。VHDLとか、もしくは(そこに至る途中に)、enchant.jsとかがあるわけです。ミドルウェアですね。

誰でもできる方向には、MOONBlockとか、enchantMOONとかがあります。

プログラミングができるとはどういうことかというと、自分の考えを表明するということです。自分が思っていることを、どう表現するかということです。

通常、プログラムを書けない人たちは、プログラムを書けることを期待されませんから、いかに非論理的なことを言っていても、「この人と話してもしようがない」ということで、プログラマーもそうでない人たちも諦めます。

ところが、プログラムを書けるという前提があると、例えば「清水さんが言っていることがわからないので、プログラムを書いて説明してください」と言われます。

これは圧倒的な差です。アメリカ人と話すのに、英語を話すことができないくらいの差です。「英語で話してください」と言われるのは、英語を話せるとわかっているからですよね。「プログラムを書いて説明してください」と言われるのは、プログラムを書けるからです。みなさんは、日常的にそういうことに接していない。書けないことが当たり前の世界だからです。

ところが、プログラムを書けるのが当たり前の世界では、「なにを言っているかわからないから、プログラムを書いて教えてください」と言われたら、書けるわけです。それに勝る自分の考えの証明法はありません。

普通の人に向けた方向と、プロに向けた方向、それを両方追求しているわけです。「誰でもプログラミングができる世界」は普通の人に向けた方向と言ってもいい。「高性能なマシン」はプロ向けです。

では、プロに対してはどんどん簡単にしてあげる。ソフトウェア工学は、どんどん簡単になっています。それで、2つの方向のギャップを埋めたいのです。

最終的にソフトのプロはいなくなるでしょう。アメリカに英語のプロがいないのと同じように。アナウンサーとか言語学者は英語のプロかもしれないけれど、ソフトのプロはなくせちゃうんですよ。

それが、僕が今、考えているいちばん大きなイシューです。

プログラミングでお金を取れる時代ではない

もう1つ、すでに始まっていることで無視できないことがあります。それは、ソフトウェアでお金を取れる時代は、すでに終わっているということです。ソフトを書いて対価を受け取るということが、ほとんどの場合、すでにできないのです。ごくごく特殊で小さいところ、要するに「うちの会社のシステムに合わせて、こういうものを作ってください」とか、「うちの店に合わせて、こういうものを作ってください」という仕事以外は、今はもうないのです。

だから、ソフトの受託業界というのは、どんどん減っていくでしょうね。実際に、小規模の会社の経理システムだったら、FileMakerで十分だったり、Accessで十分だったりします。

ということは、大きい会社だけになってきます。特にアメリカなどでは、食品業界だろうが鉄鋼業界であろうが、大きい会社には社内にプログラマーがいるのが普通なので、わざわざ外に頼みません。プログラミングそのものが、そういうスキルになっていくでしょう。

私がよく引き合いに出すのが、電信技師です。昔は電信技師というのは、すごく大変な仕事で、尊敬されていました。トーマス・エジソンも電信技師でした。今、電信技師がやっていることは、小学生がLINEで親におねだりするのと一緒ですよ。むしろ、より高度ですよ。だって、画像も送信できるし。音もたてずに送信できるし。おそらく電信技術よりずっと速いし、暗号化もされています。

プログラマーも同じようなことになるのではないか。今も電信技師は船舶などの世界にはいます。でも、それはスキルの1つでしかなくて、それだけで食っている人はほとんどいないはずです。

キーボードとペンのどちらが先になくなるかという話に関して言うと、ペンがないと思考ができません。複雑な図をキーボードで表現しようとしたら、たぶん100倍くらい時間がかかると思います。

僕が書いた汚い字を清書しなさいと言ったら、人工知能が発達すれば簡単にできます。そういう方向に必ず発達していくだろうと、僕は思っています。